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私の主張

バックナンバーは、左の「私の主張(既掲)」から御覧ください。

共通認識(2月8日)

 最近の与野党論戦の中で、国民の皆さんが感じていることは、「議論がかみ合っていない。」ということではないでしょうか。それがなぜ起きるかというと、議論の前提となる「共通認識」の土俵が造成されていないからではないかと考えます。

 例えば私の担当する農政改革でも、昨年様々な議論がありました。農政改革は、何のためにするのでしょう。関係者への話の始めに「農政改革は、農家の所得を上げるためにするものである。そうすれば、後継者や担い手が増え、農業は、持続的産業となる。」と言えば、その後の話を本当に真剣に聞いてくれます。各論では賛成反対があったにしても、議論の前提について「共通認識」を持っていただければ、建設的な議論ができます。

 安全保障法制について、野党は「戦争法案」と言ってレッテル張りをしてきました。しかし、我が国において戦争をしたいなどと考えている人は、全くいないでしょう。「我が国は絶対に戦争をしてはいけないし、また、他国から戦争を仕掛けられてもいけない。」というのが、国民の「共通認識」ではないでしょうか。安全保障法制とは、そのために平和を守るための手段を定める法制なのです。平和を守るためには、経済も含め、外交・防衛の総合力に依存しなければならないのは、当然のことです。しかし、その手段については、人によって見解に大きな差があり、この外交と防衛をどのように組み合わせるか、思想や立場によって考え方が相当異なるのも事実です。いずれかが100でいずれかが0ということはあり得ず、安全保障政策とは、その塩梅をどう考えるのかという議論なのです。こういう「共通認識」があれば、「戦争法案」などと言う必要はなく、建設的な議論ができます。いずれも戦争をしないための議論をしているのですが、その方法論において異なる考えがあるということなのです。

 私は、長く沖縄振興に携わってきましたが、沖縄問題も、同様であると考えます。「沖縄戦では多くの沖縄県民が犠牲になり、終戦後も昭和47年まで占領され、他の地域に比べて発展が遅れた。そのことに、日本国民は、しっかりと報いなければならない。さらに、現状でも沖縄本島には多くの米軍基地があり、一刻も早く基地を削減し、沖縄県民の負担を軽減しなければならない。」というのが、国民の「共通認識」であるはずです。そうであれば、大きな対立はないはずなのですが、現状はそうはなっていません。なぜでしょうか。

 原子力発電の問題も、よく似ています。「東日本大震災に端を発する原子力事故により、新たな原子力発電所の建設は困難である。できるだけ早期に再生可能エネルギーや新エネルギーへの転換を図り、原子力依存度を下げていくべきだ。」というのが、全ての人ではないかもしれませんが、大方の国民の「共通認識」ではないでしょうか。今は、そのスピードをどの程度に調整するのかという所に議論の焦点があると考えます。そう考えれば、大きく対立する必要はないはずです。

 憲法改正の問題も、「憲法制定後70年を経過し、現状にそぐわなくなってきている点がある。」という「共通認識」はできないのでしょうか。もしそういう「共通認識」ができれば、あたかも憲法改正が必要か必要でないかというような議論に後退するのではなく、より良い憲法を作るための建設的な議論が始まるはずです。

 では、なぜこうした「共通認識」ができにくくなっているのでしょうか。それは、野党側に「与党の土俵に乗るわけにはいかない。」という考えが強いからだと思います。このことは野党である以上ある意味当然のことではありますが、それだけでは、日本の民主主義は育ちません。自民党が野党のときには、与党に対し厳しい追及をしていましたが、一方で、社会保障制度改革など与党と一緒の土俵で議論していた課題も多かったと思います。土俵に乗れば、法案には賛成しなければなりません。しかし、その代わりに、修正案を与党に飲ませることができるのです。修正案は与党が飲めるものでなければなりませんが、それで与野党共に「引き分け」になるのだと考えていました。修正協議がうまくいかないときには、全面対決になるのは、致し方ありません。

 こうした民主主義の在り方とは異なる意見を持つ人たちが政治の場にはあります。和を求めるよりも、常に対立したモードで臨もうという勢力が現にあります。そのことも政治の現実で仕方のないことでありますが、政権交代可能な与野党がそれでは困ると思います。与野党で話し合いができる政党関係がなければ、円滑な政権交代は臨めません。本当に政党間の「共通認識」がない場合はやむを得ませんが、万一本音では「共通認識」があるにもかかわらずないように装って対立の構図を作るようなことがあれば、民主主義の健全性を毀損させ、国民にとっても非常に分かりにくいことです。

 当たり前のことですが、誰の指摘であれ、正しい指摘には、政府も与党も従わざるを得ないのです。もちろん、世の中には「見解の相違」というのも多々あるので、議論がかみ合わないことがままあるのも事実です。しかし、できるだけ「共通認識」を作って、ここまでの所はお互いに合意できるという議論の土俵を造成することが、民主主義を発展させる上で不可欠であると考えます。

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マイナンバーとマイナンバーカードの違い(1月12日)

 マイナンバーとマイナンバーカードは機能的に全く異なるものだというと、驚かれると思いますが、実際そうなのです。

 マイナンバーカードの交付率はまだ1割に達していませんが、最終交付率が一桁台にとどまっていたかつての住民基本台帳カードに比べると取得者は増えつつあります。マイナンバーカードは将来健康保険証として使えるようにする方針であり、そうなれば取得者は相当増えてくるものと見込まれます。

 既に取得している人は、カードを見てもらうと分かりますが、カードの表面には基本4情報と呼ばれる氏名、住所、性別及び生年月日が記載されています。裏面には、薄墨の上で見にくいように12桁のマイナンバーが記載されています。だから、マイナンバーカードはマイナンバーを使うときのカードだと考えられるのももっともなことなのですが、必ずしもそうではないのです。

 まず、マイナンバーは、国や地方公共団体が、法律や条例の規定に基づいて、情報の連携を行うために用いるものです。年金事務などがその対象となっていますが、基本4情報との連携がその中心になります。例えば市役所に転居届をしたときには、自動的にその情報が他の行政機関にも伝わるというような機能があります。しかし、このことは法律や条例で決められていることなので、国民がそれを意識して手続をするというようなことは原則ありません。税務書類の提出に際し、マイナンバーの記載が求められますが、税務当局に既に書類にも記載されている基本4情報以外の情報が伝わるわけでもありません。

 マイナンバーは、本人の希望の有無にかかわらず、仮カード(紙カード)の交付という形で既に全ての国民に付与されています。マイナンバーカードを持っているかいないかは、関係ありません。マイナンバーの利用は、役所同士の情報の連携を通じて国民へのサービスの向上をもたらすものであり、個人の利用意思とは基本的に関係していません。もちろん、そのサービスを行う一環として窓口でマイナンバーを確認するためマイナンバーカードの提示を求められることはあり得ます。

 これに対して、マイナンバーカードは、個人の利用意思に基づくものです。だから、ICチップを搭載したカードの発行申請も任意とされています。まず、無条件に身分証明書として利用できます。公共機関であろうと民間機関であろうと、身分証明書として受付を拒否することはできません。「運転免許証でなければ駄目」などと言われることがあれば、関係行政機関にお問い合わせください。また、本人も、身分証明書として利用するときに、カード表面に記載されている基本4情報の提示を拒否することはできません。基本4情報は、個人を特定する場合に必要な最小限度の情報であるからです。

 このマイナンバーカードとしての利用には、マイナンバーは使わないのです。民間機関がカード裏面をコピーし、マイナンバーを使って名簿(リスト)を作成することは、法律で禁止されています。本人の同意を得てカード表面の基本4情報の提示を求めることだけができるのです。ただし、上記のマイナンバーによる情報連携手続として、一般の民間会社や保険証券会社などが、給与や配当金などの源泉徴収報告を税務署に行うため、従業員や顧客などに対してマイナンバーの提示を求めることは法律で認められています。

 マイナンバーカードとしての利用をより便利にするため、将来、一定の手続を経て、会員番号などをカードのICチップに搭載できるようになります。例えばビデオレンタル店の会員番号をICチップに搭載すると、当該レンタル店の会員証として使用することが可能となります。この場合も、飽くまで会員番号と基本4情報がビデオレンタル店に渡るだけであり、マイナンバーは使われません。民間会社がカードを利用すると他の大切な情報が漏れてしまうのではないかと心配する人もいますが、カードを民間会社のリーダー(読み取り機)に読ませたときにつながるコンピュータはその民間会社のコンピュータであり、決して政府のコンピュータにつながるわけではないのです。また、ICチップの中に重要な個人情報が格納されているわけでもありません。もちろん、民間利用をさせたくない人は、する必要はありません。

 政府がマイナンバーの管理を厳重にするように余りに強く勧奨したものだから、マイナンバーカードを紛失しないよう携帯することを控える人が多数います。政府は、源泉徴収等のため従業員や顧客など他人のマイナンバーを大量に管理する企業等に対して、それが全て流出するようなことになればマイナンバーの無効措置を大量に講じなければならなくなることから、厳重な管理を呼び掛けたものであります。もちろん、個人においても、マイナンバーの管理は厳重に越したことはありません。しかし、将来、マイナンバーカードは、健康保険証を始め民間利用を含め多様な用途に供するものであり、常に携帯してもらうことを想定しているのです。

 また、カードを紛失し他人にマイナンバーが知られたとしても、個人情報が直ちに流出するようなことはありません。政府の保有する個人情報は、従来どおりそれぞれの所管の役所ごとに分散管理されており、マイナンバーによってその人の個人情報が一覧的に取り出せるような仕組みにはなっていません。マスコミがマイナンバーの話をするとすぐに「情報の一元管理」と言うのは、全くのでたらめです。さらに、個別の個人情報についても、その情報を管理する権限を有する人しかコンピュータを操作することはできず、その場合であってもマイナンバーではない特殊な符号を介さないと個人情報にはアクセスできない仕組みとなっています。

 このように、マイナンバーとマイナンバーカードは異なるものなのです。マイナンバーの連携利用は法律で制限的に規定されていますが、マイナンバーカードの利用の方は将来の民間利用を含め用途をどんどん拡大していく考えですので、どうぞその違いについてよく理解していただきたいと思います。マイナンバーとマイナンバーカード、いずれも、仕組みは違いますが、ICT時代において国民の利便性を向上させる便利なツール(道具)です。どうか是非マイナンバーカードの交付申請に最寄りの市町村役場に出掛けていただきたいと思います。なお、交付手数料は、不要です。

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大統領選挙から何を学ぶべきか(12月21日)

 11月8日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙において、大方の予想に反して共和党のトランプ候補が当選しました。意外な結果だと思われた方も多かったことでしょうが、選挙は時の運、結果は厳粛に受け止めなければなりません。選挙結果が出た直後、クリントン候補は、「私たちが思っている以上にアメリカは分断されている。」と述べました。私は、この発言は、日本にとっても重要であると考えます。

 選挙の帰趨に大きく影響したのは、白人労働者層であると言われています。いわゆる中間層としてアメリカの経済を支えてきた人たちです。しかし、製造業の国際的地位の相対的低下に伴い、中間層の失業者が増え、麻薬中毒者も増大しているとの分析もあります。一方で、一部の経営者層に富の分配が集中し、労働者層の所得が伸び悩んでいます。さらに、外国人移民が増大し、人口の3分の1を超える状況にあります。そうしたことに不安と不満を有する白人労働者層が政治の変化を求め、変化の可能性が少しでも大きいと思われるトランプ候補に傾斜したものと思われます。

 もちろん、ここで、アメリカ大統領選挙結果の功罪を論じようとしているわけではありません。言いたいのは、格差社会の拡大は、思いも寄らない社会変動をもたらすということを肝に銘じておくべきだということです。我が国でも、長く、終身雇用体制の下、大多数の国民が中流意識を持ち、国家を支えてきました。しかし、今、労働は流動化し、非正規雇用の問題が深刻化しているのは、否めません。ここにきちんと政策の光を当てていかないと、我が国でも、健全な中間層の崩壊が始まります。

 高度成長期には、中卒者や高卒者は金の卵や銀の卵と呼ばれ、企業が競って採用するとともに、大卒者の初任給も決して高くはなく、格差を感じるほどのことはありませんでした。そして、終身雇用体制の下、55歳から60歳までの定年を迎えるまで安定して雇用され、相当額の退職金を支給されていました。それが現在では、世界的な傾向ではありますが、期間雇用や非正規雇用が増大しています。そうした中、正規労働者と非正規労働者の間の賃金格差が生じ、その平均賃金の割合は、EUで約8割、日本で約6割、アメリカで約3割とも言われています。

 非正規だからという理由のみで低賃金で済むというのは、全くおかしなことです。私は、野党時代から「同一労働同一賃金の原則」を遵守すべきだと訴えてきましたが、やっと安倍政権の下でそれを実現する見通しができてきました。これは、欧米のように同一職種の賃金を統一するというようなものではなく、非正規がゆえに差別的賃金にするというようなことを禁止するという日本型のものになります。

 国民は、特に都市住民は、「居場所」を求めています。都市と地方の人口の移動が激しくなく、農林水産業が経済の主体であった時代には、人々は、不自由であったにしても、農山漁村に「居場所」を持っていました。都市化の進行とともに、人々は競争の場である都会へと向かったのです。それでも、経済が成長し、終身雇用制度が確立している間は、少しがんばれば、温かい巣となる「居場所」を見つけることができました。しかし、低成長時代を迎え、賃金の上昇とともに、人件費の増大が経営の重荷になってくると、期間雇用の増加など労働の流動化が進み、非正規労働が増大してきました。それに伴い、「居場所」を確保できた人と、そうでない人の分離を生み、それが所得の差に直結し、格差を助長する事態となっています。

 これは、歴史的な原因があるにせよ、政策の失敗であります。世界的には、このことが、移民排斥などナショナリズムを助長しているのです。保守政治の要諦は、健全な中間層の維持にあります。戦後政治がそれを維持できたのも、多くの人が中流意識を持ち続けることができたからです。そのことが、ナショナリズムでもソーシャリズム(社会主義)でもない日本の保守政治の礎だったはずです。同一労働同一賃金に懸念を表明している経営者も見られますが、もっと大きな目で歴史の流れを見てもらわなければなりません。格差社会は、最大の消費者層を失うことにつながるのです。

 健全な格差のない経済をもたらすには、何を置いても国民の生活水準を維持できるだけの経済成長が必要です。そのためにこそ、格差を解消するための賃金の引上げが必要です。実際、人手不足からパートの賃金が上がり始めています。最低賃金1,000円はとても払えないという主張がかつて強かったのですが、現にパート賃金は時給1,000円を超える勢いになっています。経営者にとっては苦しいことですが、賃金の上昇は、消費の拡大を通じ、いずれ経済成長をもたらします。がんばってほしいと思います。

 戦後の日本は、世界に余り例のないことですが、多数の国民が中流意識を持つ中で、その意識を共有する健全な中間層によって経済成長が支えられてきました。このことを決して忘れてはなりません。格差社会は、必ず社会の混乱をもたらします。アメリカ大統領選挙は、そのことを象徴していると考えます。

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 国会質問

 現在、「国会質問」の掲載はありません。
 野党時代の平成24年10月に文教科学委員長に就任して以来、内閣総理大臣補佐官、行政監視委員長及び農林水産副大臣に引き続いて就任し、いずれの職務も国会質問ができないものとされており、しばらくの間国会質問をしていません。どうぞ御理解いただきますようお願いします。

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新着情報

 1月30日(月)、産経新聞朝刊5面に「羽ばたけ!!年男・年女」の記事が掲載されました。

 1月19日(木)、大分合同新聞朝刊5面に「2017国政展望国会議員インタビュー」の記事が掲載されました。

 過去の新着情報は、「新着情報(既掲)」のページに移しました。

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