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衆議院小選挙における一票の較差についての数学的考察 (12月21日)
特段「数学的考察」と言うほど大形な計算をしたわけではありませんが、「一票の較差」がなぜ生ずるかということについて余り適切な理解がなされていないので、こうした題名の下に一稿を起こしたところです。
都道府県間の「一票の較差」と言うとき、都道府県ごとの議員一人当たりの人口の最大値と最小値を比較して較差の値(倍率)を求めます。この値は、アダムズ方式を採用してできるだけ比例的に総定数を都道府県に配分すると、ほとんど人口が最小の都道府県の人口にのみ依存しているということが分かります。一票の較差を議論している多くの人の中で、このことを正確に把握している人はほとんどいません。
都道府県の人口は所与の値であり、操作することは不可能であって、その値、しかも最小人口の都道府県の人口にのみ一票の較差(倍率)はほぼ依存しているのです。不思議なことのようですが、以下に解説します。
もちろん全国比例代表制を採れば一票の較差はなくなるわけですが、何らかの選挙区制を採る限り較差は生じるのであって、一票の較差の問題はそれをどの範囲まで許容し得るかということなのです。今回は、衆議院小選挙区における都道府県較差を検討したものですが、参議院選挙区についても同様のことが言えます。
衆議院小選挙における一票の較差についての数学的考察
衆議院小選挙区においては、今後「アダムズ方式」によりその総定数が都道府県に割り振られることになっている。その後、都道府県ごとの定数に基づいて、当該都道府県における区割りが決定されるが、都道府県内で幾ら平等に区割りを行っても、都道府県間の一票の較差を下回ることはできないので、都道府県間の一票の較差は、小選挙区間の一票の較差の下限を規定することになる。
アダムズ方式とは、適当な除数(これを
とおく。)を設定することにより総定数を各都道府県ごとにその人口を当該除数で除して得た商の整数部分の値に小数部分を切り上げて1を加えて割り振る方式である。除数には、その割り振りの結果が総定数と一致するよう適当な整数を見いだすのである。ちなみに、証明は割愛するが、除数は、議員一人当たりの人口が最大の都道府県における当該人口に近似した整数の集合となる。
都道府県間の一票の較差(以下単に「一票の較差」という。)は、各都道府県の人口を当該都道府県の定数で除して得た値のうち最大のものを最小のもので除して得た値である。ちなみに、平成27年国勢調査の人口を基にアダムズ方式を適用すると(以下同じ。)、議員一人当たりの人口は、千葉県が最大で471,730人、鳥取県が最小で285,029人となっている。
今、都道府県の人口を
と、それに割り振られる定数を
とおき、議員一人当たりの人口が最大の都道府県を
とおき、最小の都道府県を
とおくと、一票の較差(これを
とおく。)は、
とする恒等式で表すことができ、人口倍率に定数倍率の逆数を乗じて得たものである。
ここで「切上げ率」を定義する。「切上げ率」(これを
とおく。)とは、都道府県に割り振られた定数と当該都道府県の人口を除数で除して得た値の差を定数で除して得た値であり、次の式で与えられる。これは、当該都道府県が小数を用いた比例配分に比べてどれだけ得をしているかを表す指標と言うことができる。
これを議員一人当たりの人口
で解くと、
よって、
が得られる。
今、議員一人当たりの人口の最大の都道府県の切上げ率を
とおき、議員一人当たりの人口が最小の都道府県の切上げ率を
とおくと、
となる。
これを@に代入すると、
を得る。
また、Aから、当然のことながら、議員一人当たりの人口が大きいほど切上げ率は小さく、当該人口が小さいほど切上げ率は大きい。ちなみに、千葉県の切上げ率は0.0006であり、鳥取県の切上げ率は0.3961である。
したがって、議員一人当たりの人口が最大の都道府県においては、
であることから、
は十分に小さい値であるので、
であり、
となる。
したがって、一票の較差は、およそ議員一人当たりの人口が最小である都道府県の切上げ率(除数によって大きな変化はない。)に依存することが分かる。これは、一票の較差は、一見議員一人当たりの人口の最大の都道府県と最小の都道府県の比較のように感じられているが、実際には、当該最小の都道府県において、定数がどれだけ超過的に割り振れているかということにほとんど依存していることを意味している。
ちなみに、上記の式に鳥取県の切上げ率を代入して求めた一票の較差は1.655倍であり、アダムズ方式の下ではこれを小さくすることはほとんどできない。さらに、現実には各都道府県内における区割りが完全に平等にはできないので、最終的な小選挙区間の一票の較差は一層大きな値となる。
小選挙区の一票の較差については、衆議院議員選挙区画定審議会設置法によって、既に2倍未満にすることが定められています。このことは、今後きちんと遵守していかなければなりません。そのためには、大変評判が悪いのですが、都道府県内の小選挙区の区割りをできるだけ平等にしていかなければなりません。結果的に、区割りが市区町村境をかなり無視することになるのも、やむを得ないことです。御理解をいただきたいと思います。
しかし、幾ら区割りでがんばっても、一票の較差は最小人口都道府県の当該人口に依存するものであることを、数学的に示させていただきました。平成27年国勢調査の下、アダムズ方式を採用すると一票の較差が1.655倍を下回ることは数学的にあり得ないのです。判例を含め、こうしたことを理解していない主張が多々あるのは、残念なことです。
なお、かつてアメリカの下院議員の選挙では較差は「1.000001倍未満」であるなどと新聞広告されたことがありますが、これは特定の州内の選挙区間較差のことであり、州間較差は、日本と同じ程度であって、最新のデータでは定数1のモンタナ州で1.88倍となっています。
このことは、都道府県が選挙区のため選挙区数が少なく、半数ずつ改選のため定数が極端に少ない参議院選挙区では、より深刻です。既に現在の人口状況では一票の較差を3倍未満に抑えることができなくなったことから、4県の2合区が行われたのです。今後この合区の解消が大きな政治課題となってきますが、そのことは別の機会に解説します。
少年法の年齢引下げ問題について(11月17日)
公職選挙法の選挙権年齢の18歳引下げが昨年の参議院議員通常選挙以降実施され、来年の通常国会には成人年齢を引き下げる民法改正案が提出される見通しとなっています。そうした中で、法制審議会では少年に対する刑事手続を定める少年法の年齢引下げ議論も始まっており、これまでの国会における検討の経緯等について、解説しておきます。
国民投票法(憲法改正手続法)案の議論の中で、幾つかの課題について与野党の合意があり、その一つが選挙権年齢の引下げでした。憲法改正は極めて重要な事柄であるのでできるだけ多くの国民が国民投票に参加できるようにするため、これまで実際の施行は20歳のまま凍結されていましたが、国民投票権年齢を他の年齢に先行して18歳に引き下げたのです。その際、選挙権年齢についても同様の引下げを行うことについて、おおむねの合意がなされていました。さらに、民法の成人年齢等についても、今後必要な検討を行うことが、同法の附則に規定されました。
そうしたことが共社を除く憲法改正に係る与野党協議会で確認され、選挙権年齢を18歳に引き下げる公職選挙法の改正案が衆参両院で全会一致で可決成立し、当該改正法の附則で年齢引下げの検討対象に「少年法」を含めることも条文上明記されました。
私たちは、自民党内の議論において、「選挙権年齢の引下げは先行して行うが、子供に選挙権を与えたわけではない。民法の成人年齢を始めとする年齢規定は、原則18歳に引き下げられるべきである。」と説明してきました。これを踏まえ、民法改正案についてはおおむね準備ができており、飲酒や喫煙などの健康年齢、競馬やパチンコなどのギャンブル年齢を除いて、原則18歳に引き下げることとされています。そこで、残った焦点が少年法の改正となっているところです。少年法の改正は重大な事項であり、改正には法制審議会への諮問が必要だからです。
自民党は、少年法は、大人と子供を分けて処遇する法律であり、民法の成人年齢の引下げに伴い、当然対象年齢は18歳未満に引き下げらるべきものと考えています。一方で、若年者については引き続いて教育的観点から丁寧な刑事手続や矯正措置が必要ではないかなど、これには様々な議論がありました。
少年法の世界では、よく「可塑性」という言葉が使われます。これは、粘土のように力を加えれば形を変えることができるという意味です。18歳や19歳の若年者には「可塑性」があり、更生による立ち直りの機会を奪うべきではないという主張がありました。私たちは、ごもっともな意見であると考えました。ただし、その場合、少年法の世界に大人を残すわけにはいかないので、同法とは別に刑事上「若年成年特別措置」を講ずべきではないかと提案したところです。
すなわち、一定の若年者、私たちは検討結果によっては上限は22歳ぐらいまで拡大してもいいと考えていますが、に対し、少年法と同等又はそれに近い処遇をすることを主張しています。そして、その具体的な内容については、専門家である法務省の見解や法制審議会の検討に委ねようとしているのです。
少年法の年齢の引下げについて日本弁護士会などから反対意見を頂いていますが、決して議論に交わりのない提案をしているわけではありません。いちいちの反論はここではしませんが、私たちの提案によりむしろ若年者への処遇のより充実した方向への改善が行われることもあるものと考えています。
ふるさと納税の返礼品問題について(11月9日)
高市前総務大臣がふるさと納税の返礼品は寄附金額の30パーセント以内に収めるべきだという趣旨の行政指導の通知を流した後に、様々な議論が行われている様子ですので、少し解説をしてみたいと思います。
租税は、住所地の地方自治体に納めるのが原則です。それは、道路、水道、下水道、福祉、清掃など様々な便益を居住している自治体から受けているからです。一方で、人口の集中している大都市では多くの租税が集まりますが、自分を育ててくれた地方では過疎化が進んでおり、財政基盤が年々縮小しています。そこで、納税者の意思により自分が住所地に納める租税の一部をふるさとにも納めることができるようにしたのが、「ふるさと納税制度」です。
ここで知っておいていただきたい重要な点が2点あります。一つは、今述べたような制度ですから、ふるさと納税は自分の住所地に納めるべき租税額(住民税)の一部をふるさとに振り向ける制度ですから、平たく言えば住所地の自治体の財政的な負担の上に成り立っている制度であるということです。もう一つは、「ふるさと納税」とはいうものの、寄附先は、自分の郷里に限られているわけではなく、当然そうしたチェックは行われていないということです。
こうしたことから、今どんなことが起きているのでしょうか。「ふるさと納税」は、本人が本来納税すべき額の範囲内で行われるわけですから、それに伴って寄附や確定申告などの手続的負担があるものの、寄附をしても2,000円の控除額を除いて自己負担が増えるわけではありません。下世話な言い方をすれば、それで返礼品をもらえば、丸得な話なのです。普通の寄附であれば返礼品をもらっても一部が返って来るという感覚ですが、「ふるさと納税」の場合は返礼品は丸々利益となるのです。
そのため、ネット上に民間ベースで全国の「ふるさと納税」を紹介するページが置かれており、簡易に寄附手続が行われるような仕組みとなっています。そうなると、先に述べたように「ふるさと納税」をしても自己負担が増えるわけではないので、多少のネット検索と寄附手続をいとわない人であれば、ネットを通じてどこの自治体へ対しても「ふるさと納税」をすることにより、いわば実質的に無償で好きな返礼品をもらえることになるのです。そうであれば、高額返礼品を提供する自治体に「ふるさと納税」が集中するのは、当然のことです。
しかも、こうしたことが住所地の自治体の納税額の減少という犠牲の下に行われているのです。それでいいのかという議論がこれまで国会でも何度か行われ、総務省から30パーセントルールが通知されたのです。しかし、通知は強制力を持つものではないので、多くの自治体では従っているものの、一部の自治体では従来どおりの対応をしています。
私は、「ふるさと納税」だから、むしろ寄附先を過去の住所地等に限るべきだと考えています。しかし、総務省は、制度創設の当初からそういう議論はあったが、様々な問題点もあって見送られたと説明しています。実際、過去の住所をきちんと証明するには、マイナンバーを使った確認は可能であると考えますが、過去の住所を記載した戸籍の附票を提出してもらわなければなりません。そうした手続的課題もありますが、もし「ふるさと納税」の対象が自分のふるさとに限られるのであれば、返礼品については規制を緩和してもいいのではないでしょうか。様々な意見があることでしょう。皆さんどうお考えですか。
総選挙を終えて(10月25日)
今回の総選挙においては、自民党に多くの御支持を頂きました。前回の総選挙では勝ち過ぎた議席を頂いており、いつ解散しても減員は免れないという情勢の中で、解散直後は、事の真偽は別にしても森友問題や加計問題を抱えており、「与党で過半数を取り、政権を維持できればいい。」と話をしていたところです。その後、野党側に大きな変化が生じ、10人の定数削減が行われる中で結果的に現有議席を維持できたことは、望外のことでした。かぶとを締め直して、国民生活の向上のため、まい進していかなければなりません。
【旧民進党】
解散前から、民進党の保守派議員の離党が続いていました。私たちの立場からは、民主党が設立された後も、旧社会党系の人たちを中心に左派がかなりの勢力を維持しており、本当の意味でお互い話し合いができる政権交代可能な健全野党を作るためには、保守派の人たちが民進党を離脱すべきであると考えていたところであり、その意味から密かに歓迎をしていました。そうした人たちが、都議会議員選挙で一世風靡した小池都知事率いる都民ファーストと組むことになり、希望の党が設立されたのは、時代の趨勢として理解のできる行動でありました。ここまでは、想定の範囲でした。
ところが、衆議院が解散されると、民進党の前原代表が「今回の総選挙では民進党は候補者を立てず、全員希望の党と合流する。」と突然宣言したのには、本当に驚きました。そんなことが本当に可能なのかと考えたからです。希望の党の小池代表本人も認めていますが、小池代表が合流する民進党議員の一部を「排除する」と発言したことから、民進党の解体が始まりました。しかし、私は、そう言ったことが失言だったように皆さん言っていますが、決してそうではなく、小池前原合流構想が最初から無理筋だったのであり、早晩民進党の瓦解をもたらすものであったと見るべきであると考えます。
小池都知事とその側近の都民(日本)ファーストの皆さんは、最初から保守政党を作ると言っていたのです。先ほど言ったように、民進党の中には保守派から左翼思想を持った人まで基本的な思想に相当違いのある人たちが含まれています。憲法改正絶対反対と唱えているような人たちが保守政党に入れるはずがありません。前原代表が、民進党としてそのまま総選挙に臨めばじり貧となることを見込んだ上で、解党的出直しという大きなかけに出たことは容易に理解できます。しかし、合流構想に元々無理があり、民進党の解体につながったと考えるべきでしょう。
民進党に所属する歴代の代表や総理まで排除する前原代表の手法には、私たちから見ても気の毒な感じがしたぐらいでした。そうした人たちときちんとした合意もなく、民進党の両院議員総会で前原提案が異議なく決まったということからして、全く不思議な話であります。小池代表の排除発言を受けて、枝野氏らが新党結成へ向けて動き出したのは、むしろ自然な感じを受けます。こうした動きの中で、旧民進党は、希望の党から立候補する者、立憲民主党から立候補する者、無所属として立候補する者の3つに分裂しました。このほか、選挙のなかった参議院民進党の人たちが今後どういう対応を採るのか、現段階では分かっていません。
【希望の党】
総選挙の最中に、希望の党は失速したと言われるようになりました。国民の目にも、希望の党は、選挙目当てだけの野合の党であり、きちんとした政策理念も何もない政党だということが明らかになって来たからです。途中で、一部の候補は、「希望隠し」をしていました。また、「リセット」という言葉を連発する小池知事の権力への欲望が透けて見えるようになってきた感じがしました。こちらも、最初に民進党を離党し、健全野党を作ろうとしていた人たちには、本当に気の毒な感じがします。
【立憲民主党・日本共産党】
一方で、新党である立憲民主党は、多くの国民の支持を集めました。これは、野党としての筋を通した枝野代表の行動が好感されたことが最大の原因であり、そのため、共産党との選挙協力が奏功し、民進党の解体により行き場を失った自民党批判票の受け皿となったことなどが大きな原因でした。野党第一党となる左翼政党ができたことは、自民党にとって多少脅威ではありますが、国民にとっては分かりやすい構造になったものと考えます。枝野代表は「右でも左でもなく」と言っていますが、共産党と選挙協力をした以上、なかなかその縛りからは抜け出すことができないでしょう。
その共産党は、議席を半減させました。立憲民主党の設立により「健全左翼政党」?ができたため、従来共産党に行っていた自民党批判票が立憲民主党に流れるという皮肉な結果になりました。
【自民党】
ひるがえって、自民党については、なぜこれだけの勝利を収めることができたのか、よく分かりません。重複立候補による比例代表当選者まで見ると、北海道、北陸信越、東海、四国及び九州ブロックを除いて、結果的に全員当選となっています。危機感の中でそれぞれの候補者の底力を発揮したということでしょうか。特に関東及び近畿の大都市部で、善戦しました。東北でも、支持回復の流れが見られます。北陸、中国及び九州では、一部の県を除いて盤石でした。逆に、信越及び四国でやや弱含みの結果が出ています。北海道及び東海も、善戦しましたが、候補者の強弱が明確に現れました。全国的に様々な野党協力があった中で、よく振り切ってがんばったという感じがします。
憲法改正については、マスコミがいろいろと報じていますが、まず自民党案をきちんと策定することが先決です。その上で、他の与党や野党と時間を掛けてじっくりと話し合いをし、衆参両院で3分の2以上の支持を得られる憲法改正原案を形作っていくことだと思います。随分前に、憲法改正をするとかしないとかいう議論は、終息したはずです。それを受けて、国民投票法を制定し、選挙権年齢を18歳に引き下げ、公務員の憲法改正運動を認めることとしたのです。改正内容は、まだ全く白紙です。しっかりと中身の議論してまいります。
衆議院解散に思う(10月4日)
【衆議院の解散】
9月28日(木)召集された臨時国会の冒頭に衆議院が解散され、10月22日(日)に総選挙が施行されることとなりました。野党は突然の解散を批判していますが、解散権は「総理の専権」と言われ、憲法慣例としても確立しています。
【希望の党の創設と民進党の解体】
この衆議院解散の前後に、率直に言って想定していなかったことがありました。一つは、小池百合子東京都知事が自ら「希望の党」の党首になると宣言したことです。総選挙出馬については現段階で否定していますが、予断は許しません。このことにより、希望の党は弾みが付きました。もう一つは、民進党の中で前原代表が総選挙では民進党は公認を行わず、希望者は全て希望の党に合流し、同党から出馬すると宣言したことです。その後、希望の党の小池代表は、全員を受け入れるわけではなく、「憲法改正や安全保障法制など基本的政策の一致が必要」とし、いわゆる「排除の理論」を明確にしました。そのため、民進党の代表選挙に出馬した枝野前幹事長らを中心に新党「立憲民主党」を結成する運びとなりました。こうしたこともあり、前原代表の行動は、民進党の「解党クーデター」ではなかったかとも言われています。
まず、民進党については、仮にも一度でも政権を担った政党が、そして野党第一党が、にわか作りの政策の中身もよく分からない新党に合流するというのは、誠に情けないことです。選挙目当ての野合と言われても、仕方がありません。しかも、「合流」と言うよりも「選択による希望の党への吸収」です。民進党は、野党に下野して以来何でも「絶対反対」を唱える政党に逆戻りし、穏健な右派の国会議員がいずらそうにしていたのは、はた目から見てもよく分かりました。私は、政権交代可能な健全な二大政党制を目指すためには、民進党の穏健派が離党して新党を作ることが必要であると考えていました。希望の党の創設という想定していないことが契機となりましたが、結果的にそういう方向へ政治が動いているのかもしれません。
そうだとしても、前原代表の一夜にして全所属衆議院議員を離党させ、評価は別にしても、歴代の総理大臣、代表、幹事長ら党に功績があった人たちを一刀両断に見捨てるやり方は、人の道にもとるものであります。そういう人たちを擁護しようという旧民進党議員の声が聞こえないのも、本当に不思議な現象です。自民党であったらあり得ないことです。結果的に、枝野議員ら民進党左派の議員が立憲民主党を結成し、国民的には多少分かりやすい構造にはなりましたが、気の毒な感じもします。
一方、希望の党は、新党ですから何をしようと自由ですが、「憲法改正と安全保障法制」という簡単な踏み絵を踏ませ、民進党議員を大量に受け入れるという極めてずさんな候補者集めをしていることは、誰の目にも明らかなことです。選挙に勝てる可能性があれば何でもする。希望の党は明らかな保守政党であり、特に旧民進党の議員は、これまでどういう精神で政治家をしてきたのか、疑わざるを得ません。
結果、今回の総選挙は、自公の連立政権、旧民進党議員の大部分が吸収された希望の党、それに新党の立憲民主党と共産社民の左派勢力の3極による戦いの構図となりました。自民党にとっては、野党が一本化されなかったことはひとまず安どできますが、厳しい選挙となることは言うまでもありません。おのおのの選挙区では、多様な連携が図られることになり、常に野党の票が割れるわけではないのです。また、新たな保守政党ができると、過去に自民党票が流れたことが幾度かあり、覚悟して選挙戦に臨む必要があります。
【森友問題と加計問題】
ひるがえって、政府与党にも言いたいことはあります。解散は総理の判断であり、その判断については全面的に支持し、全力を挙げて総選挙に臨む覚悟であることは当然のことです。しかし、国民の関心のある森友問題と加計問題には、一応のけじめを付けておくべきではなかったかと考えます。私が全ての情報を把握しているわけではありませんが、野党の言うような総理の周辺で権限が濫用されたことは決してないものと信じています。
森友問題に関しては、籠池夫妻が相当変わった人たちであることは国民の目にも明らかになってきました。焦点は国有地の売買において財務局が埋蔵ごみの処理費として8億円もの値引きをしたことにありますが、このことについては、現在会計検査院が調査をしています。その結果値引き額が行政の裁量の範囲のものであるのならば、この件については何ら事件性はないものとなります。加計問題に関しては、10年以上も前から愛媛県と今治市が進めてきた学園都市建設事業に係る大学の誘致であり、加計学園の理事長がたまたま安倍総理の友人であったということ以上に、事件性は全くありません。これは、獣医師を所管している農林水産省の副大臣として見てきたことであります。
しかしながら、国民は、国会における役人たちの「資料は、既に処分しました。」「そういう発言をした記憶はありません。」「会った記憶も、ありません。」などのような木で鼻をくくった答弁に怒っているのです。私も、農林水産委員会で他府省の役人の答弁を横で聞いていて、「もう少しどうかした答弁はできないのか。」と指摘したことがあります。農林水産省では、絶対に曖昧いい加減な答弁をしてはいけないと厳命し、その結果農林水産省が国会閉会中の加計問題に係る連合審査にも呼ばれることはありませんでした。
もちろん、全てを役人のせいにするつもりはありません。そういう答弁を指示した政治家がいるのではないか。指示はしてないまでも、それを容認してきた政治家がいるのではないか。と、考えているのです。このような問題に総理が直接関与することなど、あり得ないことです。それをもし忖度して無用の動きをした人たちがいるのであれば、もっと早い段階で正々堂々と答弁し、その非を素直に謝罪すべきであったと考えます。いずれにせよどちらの問題も事件性はなく、早々にけじめが付いていたはずであり、この点が残念でなりません。
【総選挙へ向けて】
こうした負の材料も抱えながら、決戦の日は近づいてきました。大変厳しい選挙という覚悟の下に戦いを進めていかなければなりません。ただ一つ言えることは、希望の党の前職の候補者は民進党出身の議員が多数を占めているということです。あの民主党政権による政治と行政の混乱を再び国政の場にもたらすのか、賢明な国民の判断が求められています。政治は、政策を基本とするものです。どうか真剣な政策議論に耳を傾けていただきたいと思います。北朝鮮がまさに暴走しそうな今日、関係国と対等な議論をし、日本と日本人を守れるのは、安倍政権を置いてはありません。
小林實元自治事務次官の想い出(6月26日)
6月18日(日)、元自治事務次官の小林實さんが御逝去されました。82歳でした。心から哀悼の意を表します。
小林さんは、昭和33年に旧自治省に採用され、平成3年から5年に掛けて自治事務次官を務められました。地方財政のプロとして、最期まで地方自治を愛し、旧自治省を愛した人でした。元自治事務次官は立派な人ばかりですが、その中でも、昨年亡くなられた奥野誠亮元法務大臣(昭和13年採用)や現在も様々な分野で御活躍中の石原信雄元内閣官房副長官(昭和27年採用)と共に、退職後も旧自治省を支えてきた一人でした。ちなみに、元総務大臣の片山虎之助参議院議員も同期です。
私は、昭和57年の入省ですが、最初の赴任地が北海道であったので、北海道見習いの後輩として小林さんの列に加えていただき、入省時から御尊顔を拝する機会を得ていました。「見習い」とは、旧内務省時代からの用語で、一般にキャリアの平職員のことをそう呼びます。私が初めて一緒に仕事をさせていただいたのは、北海道から帰任して2年目、財政局調整室の見習いとして勤務していた時であり、小林さんは、財政担当の大臣官房審議官をお務めでした。
私は、建設省の担当をしており、通常国会で、同省提出法案の協議を担当していました。その中で、河川局提出のある法案にどうしても賛成できず、北海道時代の上司で後に総務事務次官を務めた香山財政企画官の指示で、局議で決着を付けようということになりました。直接の上司である調整室長は、後に最後の自治事務次官を務めた二橋元内閣官房副長官でしたが、二橋さんは、直前のポストが建設省河川局水政課長であり、正にその法案の担当課長だったのでした。
財政局筆頭課長の財政課長は、後に奈良県知事を務めた柿本さんであり、いろいろと諭されましたが、私は、なおも局議で反対を唱えていました。その時、小林審議官が大きな目でぎゅとにらんで「礒崎君、仕方がないじゃないか。」とすごまれ、さすがの頑是ない私も、「分かりました。」とお答えしたところです。小林さんは、当時から大変な迫力と貫禄をお持ちでありました。
また、その頃は、財政難から初めて公共事業の補助負担率の引下げが行われることになり、通常国会では連日地方行政大蔵委員会連合審査が行われ、竹下大蔵大臣と小沢自治大臣が答弁に立っていました。一国会で約千二百答弁を用意し、実際にも小沢自治大臣は約八百答弁をこなしていました。現在、国会答弁は、霞が関では課長補佐が書いているようですが、その当時は、見習いの仕事であり、これだけの答弁を財政課の現在高松市長を務める同期の大西君と分担して書いていました。
その日も、数十問の答弁を私が書いて、課長補佐、室長の了解を得て、小林審議官室に入って説明をしていました。その頃、私の調整室では、「礒崎がなかなか戻ってこない。審議官に叱られているのではないか。」と、心配していたそうです。審議官室では、答弁の説明は早くに終わり、当時自治省ではワインがはやっていたので、小林審議官から「ワインを一杯飲んでいけ。」と誘われ、チーズをつまみに御相伴していたのです。しびれを切らした課長補佐が審議官室を偵察に訪れ、その姿を見て「局長が帰宅できないで待っているんだぞ。さっさと局長室に説明に入れ。」と、それこそ叱られ、審議官室をばたばたと退出したことがあります。当時の役所は、こんなにのんびりしていたのです。同期の皆さんからは、「お前だけだ。」と怒られそうですが。
小林さんは、本当に、力強さと優しさを兼ね備えたすばらしい先輩、上司でした。国政選挙に出馬することになってからも、様々な御指導や御配慮を頂きました。国会議員になって10年間、私のパーティーや自治省のOB会でも、いろいろなお話を頂戴しました。そして、今、多くの皆さんが巨星墜つの気持ちを抱いていることでしょう。
御冥福をお祈り申し上げます。
ジビエの産業化(5月10日)
「ジビエ」とは狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉を意味するフランス語であり、ジビエを使った料理を意味することもあります。
我が国では、野生鳥獣による農産物の被害が広がっており、これまで年間約200億円程度の被害が報告されていましたが、最新の統計である平成27年度では176億円の被害と対策の成果も若干見られているところです。被害の約7割がシカ、イノシシ及びサルによるものであり、その防止等のためシカは年間59万頭が、イノシシは年間52万頭が捕獲されています。しかし、ジビエにするための処理施設は、全国に552施設しかなく、かつ、零細な施設が多く、捕獲されたもののうちシカで14パーセント、イノシシで6パーセントしか利活用されていません。
現在シカやイノシシの捕獲のため原則1頭当たり8,000円の報奨金(国単価)を支払っていますが、これだけの頭数を年間捕獲しているのであれば、ジビエをもっと経済的に活用ができないかという議論が各所から出てきているのは、当然のことです。我が国でも、ぼたん鍋など一部の地域ではジビエをおいしく頂いていますが、全国的にシカやイノシシの料理が普及している状況にはありません。そのためには、まずジビエ料理を家庭料理として普及していく必要があります。
これが、ジビエの消費拡大の課題です。農林水産省では、関係団体と協力して料理コンテストなどを実施し、そのレシピを公開するなど普及に努めていますが、全国的な普及はこれからの課題です。なにしろ、スーパーに行っても、百貨店に行っても、生鮮食料品売場には普通牛、豚及び鶏の肉しか売っていません。鴨肉さえ、なかなか見つかりません。これが、ジビエの流通の課題です。まずは飲食店等からジビエ料理の浸透を図り、ジビエの消費が拡大すれば、流通も拡大してしていくものと考えられますが、在庫を抱えなければならないスーパー等には、まだ幾つかのリスクがあります。
一つは、ジビエの値段がまだ高いことです。豚肉であれば、最近値段が上昇してきても、枝肉価格で550円/kg程度なのですが、シカで平均1,600円/kg、イノシシで平均2,300円/kg程度であり、イノシシ肉は和牛並みの価格をしています。イノシシでは、高いものは1万円を超え、高級肉扱いされています。一般の社員食堂などで扱うのは困難なので、シカ肉と豚肉の合挽ミンチ肉を使用することなど工夫する必要があります。普及が進めば、もっと安くなることも考えられるでしょう。
もう一つは、ジビエに対する一般消費者の信頼確保です。狩猟肉であるがゆえに、仮にスーパーに並ぶ日が来たとしても、なかなか買っていただけないのではないかという心配があります。流通業者の中には、消費者に安心を与える規格認証制度を設けて、製品に全国共通のシールを貼るべきであるという意見が強いのです。ごもっともな意見でありますが、そのためには認証手続に手間を掛け、検査組織を整えなければならないので、肉の価格の上昇にも影響があります。しかし、この点は推進していかなければ、ジビエの普及につながらないでしょう。
そして、最大の課題が、ジビエの安定的な供給です。現在、捕獲したシカやイノシシは、その多くが利活用されていないため、近くの林野で埋却処分されています。それをジビエにするためには、獣を処理施設に運搬して、解体処理を行わなければなりません。これが、今の基準では1時間以内とされています。捕獲場所が林野であるだけに、なかなか難しい基準であります。そのためには、処理施設を増やすとともに、処理機能を備えた移動式解体処理車の普及が必要です。このほか、わな式の捕獲を拡大し、生きたまま処理施設へ運ぶことなども考えていますが、安全性の面などで課題があります。
こうした点を踏まえ、ジビエの産業化を推進するためには、供給、流通及消費のそれぞれ面で一つ一つの課題の解決を図っていかなければなりません。全ての分野で需要と供給がマッチし、かつ、それが拡大の方向に向かうことにより、ジビエの産業化が実現することは、言うまでもありません。しかし、それは、ある意味鶏と卵の話に等しいところがあります。誰が最初のリスクをとって、全体の推進エンジンとなるのか、それを見定める必要があります。
もちろん、この話には、国が主導的な役割を果たさなければなりません。そのことはよく自覚していますが、一方で、マーケットを作るためには経済主体としての民間の皆さんの参入がどうしても不可欠です。ジビエの産業化はなかなかハードルが高い話ではありますが、地域的に見れば需要と供給が成り立っている所もあります。困難な課題を解決するため、挑戦をしていきたいと考えているところです。政府としては、菅官房長官を議長とし、山本農林水産大臣を副議長とする「ジビエ利用拡大に関する関係省庁連絡会議」を設置し、ジビエ利用の一層の拡大について議論を重ねています。
衆議院の選挙区割りの改定(4月26日)
4月19日(水)、衆議院議員選挙区画定審議会により区割りの改定が勧告されました。新たに分割されることになった市区町村では不満の声が上がるとともに、大きく区割りが変わることとなった現職の国会議員の中からも驚きの声が上がっています。しかし、「一票の較差」を厳格に考えていくと、こういうことになるのです。その仕組みについて、簡単に説明します。
衆議院の選挙区は、小選挙区(295人)と比例代表区(180人)に分かれます。小選挙区は1人制であり、比例代表区は11ブロック制です。今回の選挙制度改革は、定数の是正と定数の削減を同時に行うと大混乱が起きるので、まず定数の削減(10人)を優先し、抜本的な定数の是正は先送りされました。その結果、小選挙区で6人、比例代表区で4人の削減を行うこととなりました。都道府県間の定数の是正は先送りされたものの、全体の一票の較差を2倍以内に収めなければならないことは絶対条件であるので、定数が削減された県のみならず、多くの選挙区で区割りが変更されたのです(19都道府県97選挙区)。
小選挙区の定数の配分は、まず都道府県ごとに定数を割り当てます。基本的には人口による比例配分ですが、比例配分にも複数の方式があるので、今後アダムズ方式によることとされました。この方式の説明は省略しますが、地方にやや有利な方式と考えられています。そして、都道府県内の区割りは、上記の審議会が勧告することとされており、基本的にはこれに従って法律を定めなければなりません。
まず、定数が各1人削減される6県(青森県、岩手県、三重県、奈良県、熊本県及び鹿児島県)で、27選挙区が21選挙区となり、当然のことながら区割りが大きく変更されました。
次に、全体の一票の較差を2倍未満に抑えるため、基準選挙区(鳥取県第2区・最少人口県の最少人口選挙区)の人口の2倍を超えるもの10都道府県56選挙区及び基準選挙区の人口を下回るもの4県11選挙区で、区割りが変更されました。くわえて、北海道で、旧支庁との区域の調整を図るため、3選挙区で区割りが変更され、合計13都道府県70選挙区で区割りが変更されました。特に基準選挙区の人口の2倍を超える選挙区の多い東京都では、25選挙区のうち21選挙区で区割りが変更されました。
一方、区割りの変更のなかった府県は、28府県ありました。
これに伴い、都道府県間較差は、前回区割り時に1.788倍であったものが(22年国調)、今回の区割りの改定により1.844倍となります(27年国調)。「較差が拡大しているではないか。」という指摘があるでしょうが、上記のように今回は定数削減を優先し、定数是正を先送りしたので、本来定数を増員すべき都府県の定数増を行わなかったことによるものです。また、今回から、次の国勢調査の年における見込み人口でも一票の較差が2倍未満となるよう措置することとされたので、平成32年の見込み人口によっても1.937倍と2倍を下回っています。ちなみに、アメリカの下院議員選挙における州間較差は最大1.88倍であり、日本の都道府県間較差と大きな差はなく、選挙区制度を採ればこれぐらいの較差は生ずるものであることを是非御理解いただきたいと思います。
小選挙区間の最大較差は、都道府県内の区割りを行政区域や地勢を無視して単純平等に行えば、限りなく都道府県間較差に近づくはずですが、実際にはそうはいかないので、前回の区割り時で1.998倍であったものが、現在2.176倍となっており、2倍を超えて違憲状態が指摘されています。それを今回の区割り案で是正すると、1.956倍になります。平成32年の見込み人口でも、1.999倍と2倍を切るよう設計されています。しかし、将来を見越した改定であることが余り正確には報道されていません。
なお、今回の区割りで、新たに市町の分割が解消されるものは定数削減県で9市町、新たに市区が分割されるものは大都市を中心に26市区、分割区域が変更されるものが10市区に及びました。また、比例代表区では、4ブロックで各1人削減され、東北13人、北関東19人、近畿28人、九州20人となります。小選挙区との重複立候補制度は、変更ありません。
次回の平成32年の国勢調査では、アダムズ方式により都道府県に定数が比例配分されます。報道によると、その結果9増9減の実施が見込まれています。東京都が4増、神奈川県が2増、埼玉県、千葉県及び愛知県で各1増が見込まれ、宮城県、福島県、新潟県、滋賀県、和歌山県、広島県、山口県、愛媛県及び長崎県で各1減が見込まれています。これらの都県ではそれ以降区割りの変更が行われ、東京都では今回に引き続いて再度の大きな区割りの変更が行われる可能性があります。また、次回の国勢調査から、大きな影響はありませんが、人口から参政権のない外国人人口を除外して定数配分することとなっています。
このように、今回及び次回の区割りの改定により、衆議院小選挙区における定数是正の問題は恒久的に解決し、一票の較差2倍未満が制度的に守られることになります。しかし、人口の過疎過密が続くたびに具体の区割りは見直さなければなりません。そのためには、今回の勧告のように小選挙区の区域と市区町村の区域とのそごが相当程度大きく現れてくるのも致し方ありません。本当にそれでいいのか多々御意見があるものと思われますが、一票の較差の是正を第一に考える最高裁判決が続く限り、それに対応していかなければなりません。
テロ等準備罪(4月18日)
国会では、テロ等準備罪の新設を含む組織的犯罪処罰法の一部改正法案の審査が始まりました。この法律は、国際組織犯罪防止条約に基づき、その内容の国内法化を図るため、提出されたものです。国連加盟国のうち既に187か国が締結しており、まだ終えてないのは日本など11か国に限られています。
民進党など一部の野党は廃案を目指すと主張しており、マスコミによる狂想曲があの特定秘密保護法の時のようにまた再燃するのではないかと心配しています。特定秘密保護法は、安全保障に関する情報を諸外国と交換する必要性が高まる中で、我が国の公務員による秘密漏洩に係る罰則が緩いことから、公務員に対する罰則を強化することとし、そのために、それまで役人が勝手に指定していた秘密の概念を法律上明確化し、秘密指定の手続を厳格化して政治の管理の下に置こうとしたものです。それなのに、秘密を増やそうとする法律だと勘違いした人がたくさんいて、変な方向に議論が行ってしまいました。今回の法案についても、既にマスコミ等で居酒屋で話をしていたらどうなるなどあり得ない事例が挙げられており、心配は尽きません。
テロ等準備罪は、テロリスト集団、暴力団、麻薬密売組織などの「組織的犯罪集団」が一定の犯罪の実行について計画を立て、その準備行為を実行したときに、罰しようとするものです。集団の犯罪は、共謀、準備、予備、未遂、既遂の段階で重くなっていきますが、既遂以外の段階で罰を科すには、個別の法律の規定が必要です。「予備」と「準備」は似ていますが、「予備」で罰するには具体的な危険が生じていることが必要であるというのが判例です。その前の段階で罰する「準備」は、大事が生ずる前に犯罪を防ごうというものです。
従来の提案では犯罪を計画した段階で罰することができるいわゆる「共謀罪」でしたが、野党の意見にも耳を傾け、それに資金の調達、凶器の手配や現場の下見などの具体的な準備行為を加え、それが行われたときに初めて罰することができる「準備罪」に改めました。それなのに、一部のマスコミでまだ「共謀罪」と呼んでいるのは、明らかに誤った認識を国民にすり込もうとしているものです。
このように犯罪主体は、テロリスト集団、暴力団、麻薬密売組織などの「組織的犯罪集団」に限られていますから、そもそも一般国民に関わりのない罰則であることは明らかです。一般の団体の目的が「一変」して「組織的犯罪集団」になったときは、処罰対象となりますが、それは当然のことを言っているまでです。例えば通常の訪問販売を行っている会社が、ある時を境に、会社全体で詐欺商法を行うようになったときは、言うまでもなく「組織的犯罪集団」となります。
「組織的犯罪集団」を認定するのは捜査機関であるのでけしからんなどという指摘がありますが、およそ刑法犯全てについて何らかの法の当てはめは必要であり、それを一義的に判断するのは捜査機関であって、最終的な判断を下すのは裁判所であることは、テロ等準備罪においても何ら変わるものではありません。また、「組織的犯罪集団」ではない団体をそうなるのではないかと捜査機関が常時監視するなどということは、現実問題としてあり得ません。
かつ、従来の「共謀罪」の法案の時は、具体的な犯罪を明示せずに対象犯罪が676あるものと説明していましたが、今回は、対象犯罪を法律に個別に列挙することとし、およそ「組織的犯罪集団」が関与することが現実に想起されないものを除外し、対象犯罪を277に限定したところです。主な対象犯罪は、テロの実行、薬物犯罪、人身の搾取、マネーロンダリング等不当な資金の調達、司法妨害などの重罪ばかりです。
「悪い奴らを眠らせない。」ことを目的とした法律であり、「組織的犯罪集団」でない一般の団体が捜査の対象になることは、あり得ません。どうか、国民の皆さんには、正しい情報に接して、正しく御理解を頂きたいと存じます。
共通認識(2月8日)
最近の与野党論戦の中で、国民の皆さんが感じていることは、「議論がかみ合っていない。」ということではないでしょうか。それがなぜ起きるかというと、議論の前提となる「共通認識」の土俵が造成されていないからではないかと考えます。
例えば私の担当する農政改革でも、昨年様々な議論がありました。農政改革は、何のためにするのでしょう。関係者への話の始めに「農政改革は、農家の所得を上げるためにするものである。そうすれば、後継者や担い手が増え、農業は、持続的産業となる。」と言えば、その後の話を本当に真剣に聞いてくれます。各論では賛成反対があったにしても、議論の前提について「共通認識」を持っていただければ、建設的な議論ができます。
安全保障法制について、野党は「戦争法案」と言ってレッテル張りをしてきました。しかし、我が国において戦争をしたいなどと考えている人は、全くいないでしょう。「我が国は絶対に戦争をしてはいけないし、また、他国から戦争を仕掛けられてもいけない。」というのが、国民の「共通認識」ではないでしょうか。安全保障法制とは、そのために平和を守るための手段を定める法制なのです。平和を守るためには、経済も含め、外交・防衛の総合力に依存しなければならないのは、当然のことです。しかし、その手段については、人によって見解に大きな差があり、この外交と防衛をどのように組み合わせるか、思想や立場によって考え方が相当異なるのも事実です。いずれかが100でいずれかが0ということはあり得ず、安全保障政策とは、その塩梅をどう考えるのかという議論なのです。こういう「共通認識」があれば、「戦争法案」などと言う必要はなく、建設的な議論ができます。いずれも戦争をしないための議論をしているのですが、その方法論において異なる考えがあるということなのです。
私は、長く沖縄振興に携わってきましたが、沖縄問題も、同様であると考えます。「沖縄戦では多くの沖縄県民が犠牲になり、終戦後も昭和47年まで占領され、他の地域に比べて発展が遅れた。そのことに、日本国民は、しっかりと報いなければならない。さらに、現状でも沖縄本島には多くの米軍基地があり、一刻も早く基地を削減し、沖縄県民の負担を軽減しなければならない。」というのが、国民の「共通認識」であるはずです。そうであれば、大きな対立はないはずなのですが、現状はそうはなっていません。なぜでしょうか。
原子力発電の問題も、よく似ています。「東日本大震災に端を発する原子力事故により、新たな原子力発電所の建設は困難である。できるだけ早期に再生可能エネルギーや新エネルギーへの転換を図り、原子力依存度を下げていくべきだ。」というのが、全ての人ではないかもしれませんが、大方の国民の「共通認識」ではないでしょうか。今は、そのスピードをどの程度に調整するのかという所に議論の焦点があると考えます。そう考えれば、大きく対立する必要はないはずです。
憲法改正の問題も、「憲法制定後70年を経過し、現状にそぐわなくなってきている点がある。」という「共通認識」はできないのでしょうか。もしそういう「共通認識」ができれば、あたかも憲法改正が必要か必要でないかというような議論に後退するのではなく、より良い憲法を作るための建設的な議論が始まるはずです。
では、なぜこうした「共通認識」ができにくくなっているのでしょうか。それは、野党側に「与党の土俵に乗るわけにはいかない。」という考えが強いからだと思います。このことは野党である以上ある意味当然のことではありますが、それだけでは、日本の民主主義は育ちません。自民党が野党のときには、与党に対し厳しい追及をしていましたが、一方で、社会保障制度改革など与党と一緒の土俵で議論していた課題も多かったと思います。土俵に乗れば、法案には賛成しなければなりません。しかし、その代わりに、修正案を与党に飲ませることができるのです。修正案は与党が飲めるものでなければなりませんが、それで与野党共に「引き分け」になるのだと考えていました。修正協議がうまくいかないときには、全面対決になるのは、致し方ありません。
こうした民主主義の在り方とは異なる意見を持つ人たちが政治の場にはあります。和を求めるよりも、常に対立したモードで臨もうという勢力が現にあります。そのことも政治の現実で仕方のないことでありますが、政権交代可能な与野党がそれでは困ると思います。与野党で話し合いができる政党関係がなければ、円滑な政権交代は臨めません。本当に政党間の「共通認識」がない場合はやむを得ませんが、万一本音では「共通認識」があるにもかかわらずないように装って対立の構図を作るようなことがあれば、民主主義の健全性を毀損させ、国民にとっても非常に分かりにくいことです。
当たり前のことですが、誰の指摘であれ、正しい指摘には、政府も与党も従わざるを得ないのです。もちろん、世の中には「見解の相違」というのも多々あるので、議論がかみ合わないことがままあるのも事実です。しかし、できるだけ「共通認識」を作って、ここまでの所はお互いに合意できるという議論の土俵を造成することが、民主主義を発展させる上で不可欠であると考えます。
マイナンバーとマイナンバーカードの違い(1月12日)
マイナンバーとマイナンバーカードは機能的に全く異なるものだというと、驚かれると思いますが、実際そうなのです。
マイナンバーカードの交付率はまだ1割に達していませんが、最終交付率が一桁台にとどまっていたかつての住民基本台帳カードに比べると取得者は増えつつあります。マイナンバーカードは将来健康保険証として使えるようにする方針であり、そうなれば取得者は相当増えてくるものと見込まれます。
既に取得している人は、カードを見てもらうと分かりますが、カードの表面には基本4情報と呼ばれる氏名、住所、性別及び生年月日が記載されています。裏面には、薄墨の上で見にくいように12桁のマイナンバーが記載されています。だから、マイナンバーカードはマイナンバーを使うときのカードだと考えられるのももっともなことなのですが、必ずしもそうではないのです。
まず、マイナンバーは、国や地方公共団体が、法律や条例の規定に基づいて、情報の連携を行うために用いるものです。年金事務などがその対象となっていますが、基本4情報との連携がその中心になります。例えば市役所に転居届をしたときには、自動的にその情報が他の行政機関にも伝わるというような機能があります。しかし、このことは法律や条例で決められていることなので、国民がそれを意識して手続をするというようなことは原則ありません。税務書類の提出に際し、マイナンバーの記載が求められますが、税務当局に既に書類にも記載されている基本4情報以外の情報が伝わるわけでもありません。
マイナンバーは、本人の希望の有無にかかわらず、仮カード(紙カード)の交付という形で既に全ての国民に付与されています。マイナンバーカードを持っているかいないかは、関係ありません。マイナンバーの利用は、役所同士の情報の連携を通じて国民へのサービスの向上をもたらすものであり、個人の利用意思とは基本的に関係していません。もちろん、そのサービスを行う一環として窓口でマイナンバーを確認するためマイナンバーカードの提示を求められることはあり得ます。
これに対して、マイナンバーカードは、個人の利用意思に基づくものです。だから、ICチップを搭載したカードの発行申請も任意とされています。まず、無条件に身分証明書として利用できます。公共機関であろうと民間機関であろうと、身分証明書として受付を拒否することはできません。「運転免許証でなければ駄目」などと言われることがあれば、関係行政機関にお問い合わせください。また、本人も、身分証明書として利用するときに、カード表面に記載されている基本4情報の提示を拒否することはできません。基本4情報は、個人を特定する場合に必要な最小限度の情報であるからです。
このマイナンバーカードとしての利用には、マイナンバーは使わないのです。民間機関がカード裏面をコピーし、マイナンバーを使って名簿(リスト)を作成することは、法律で禁止されています。本人の同意を得てカード表面の基本4情報の提示を求めることだけができるのです。ただし、上記のマイナンバーによる情報連携手続として、一般の民間会社や保険証券会社などが、給与や配当金などの源泉徴収報告を税務署に行うため、従業員や顧客などに対してマイナンバーの提示を求めることは法律で認められています。
マイナンバーカードとしての利用をより便利にするため、将来、一定の手続を経て、会員番号などをカードのICチップに搭載できるようになります。例えばビデオレンタル店の会員番号をICチップに搭載すると、当該レンタル店の会員証として使用することが可能となります。この場合も、飽くまで会員番号と基本4情報がビデオレンタル店に渡るだけであり、マイナンバーは使われません。民間会社がカードを利用すると他の大切な情報が漏れてしまうのではないかと心配する人もいますが、カードを民間会社のリーダー(読み取り機)に読ませたときにつながるコンピュータはその民間会社のコンピュータであり、決して政府のコンピュータにつながるわけではないのです。また、ICチップの中に重要な個人情報が格納されているわけでもありません。もちろん、民間利用をさせたくない人は、する必要はありません。
政府がマイナンバーの管理を厳重にするように余りに強く勧奨したものだから、マイナンバーカードを紛失しないよう携帯することを控える人が多数います。政府は、源泉徴収等のため従業員や顧客など他人のマイナンバーを大量に管理する企業等に対して、それが全て流出するようなことになればマイナンバーの無効措置を大量に講じなければならなくなることから、厳重な管理を呼び掛けたものであります。もちろん、個人においても、マイナンバーの管理は厳重に越したことはありません。しかし、将来、マイナンバーカードは、健康保険証を始め民間利用を含め多様な用途に供するものであり、常に携帯してもらうことを想定しているのです。
また、カードを紛失し他人にマイナンバーが知られたとしても、個人情報が直ちに流出するようなことはありません。政府の保有する個人情報は、従来どおりそれぞれの所管の役所ごとに分散管理されており、マイナンバーによってその人の個人情報が一覧的に取り出せるような仕組みにはなっていません。マスコミがマイナンバーの話をするとすぐに「情報の一元管理」と言うのは、全くのでたらめです。さらに、個別の個人情報についても、その情報を管理する権限を有する人しかコンピュータを操作することはできず、その場合であってもマイナンバーではない特殊な符号を介さないと個人情報にはアクセスできない仕組みとなっています。
このように、マイナンバーとマイナンバーカードは異なるものなのです。マイナンバーの連携利用は法律で制限的に規定されていますが、マイナンバーカードの利用の方は将来の民間利用を含め用途をどんどん拡大していく考えですので、どうぞその違いについてよく理解していただきたいと思います。マイナンバーとマイナンバーカード、いずれも、仕組みは違いますが、ICT時代において国民の利便性を向上させる便利なツール(道具)です。どうか是非マイナンバーカードの交付申請に最寄りの市町村役場に出掛けていただきたいと思います。なお、交付手数料は、不要です。