(平成27年(2015年))

◎過去の「私の主張」は、左のメニューから御覧ください。
◇かみ合わぬ憲法論(3・完)(12月17日)
◇マイナンバーの疑問にお答えします(12月8日)
◇かみ合わぬ憲法論(2)(12月1日)
◇BPOのおかしな主張(11月9日)
◇かみ合わぬ憲法論(1)(11月5日)
◇総理補佐官の退任に当たって(10月9日)
◇憲法解釈変更の4つのキーワード(7月19日)
◇参議院選挙制度改革(7月14日)
◇限定容認論はなぜ合憲なのか(6月7日)
◇平和安全法制国会議論の争点(5月28日)
◇安全保障法制早わかり(4月28日)
◇明解大分方言(4月10日)
◇安保法制与党協議の結果(3月27日)
◇一般法とは何か(2月10日)
◇切れ目のない安全保障法制の整備(1月27日)
◇自民党憲法改正草案の意義(1月14日)
◇新年を迎えて〜回顧と展望〜(1月1日)

かみ合わぬ憲法論(3・完)(12月17日)

 今回の集団的自衛権の容認については、いろんな所から「正々堂々と憲法改正を行うべきだ。」という意見がありました。自民党の中でさえも、「憲法解釈の変更はやむを得ないが、正攻法は憲法改正だ。」という意見がありました。憲法解釈の変更と憲法改正は、全く異なる話なのですが、こういう議論が行われたところにも、説明不足の一端があったと反省しています。

1 憲法解釈の限界

 そのことを述べる前に、もう一度憲法第9条の限界がどこにあるのか、復習しておきます。同条第1項は、武力の行使を禁止しています。この解除を憲法解釈の変更によって行ってきたわけですが、その順番を示すと次のようになります。

@ 個別的自衛権
 憲法制定議会では自衛権を行使できないと答弁していましたが、昭和25年の朝鮮戦争の勃発に伴い、GHQの占領政策の変更もあり、必要最小限度の自衛権は行使できるものと解釈を変え、警察予備隊、保安隊を経て、主権回復後昭和29年に自衛隊を創設しました。

A 集団的自衛権
 今回の平和安全法制により、集団的自衛権のうち、「我が国の存立を脅かす明白な危険がある場合」に行使されるものについては、限定的に「自衛のための措置」として容認されるとする憲法解釈の変更を行いました。一方、それを超える他国防衛を含むフルスペックの集団的自衛権の行使については、憲法解釈の限界を超えるものとして、憲法上認められないこととしました。

B 集団安全保障
 国際法に違反した国に対する国連等による集団安全保障に伴う制裁等の武力の行使については、我が国の平和に直接影響を及ぼす事態ではないので、今回の憲法解釈の変更でも、現行憲法の限界を超えるものとして認められないこととしました。ただし、武力の行使に当たらない後方支援は行えることとしました。

 Bまで認められれば、日本は、「普通の国」になります。しかし、「普通の国」になるのがいいのかどうか、国民の意見は分かれるでしょう。いずれにしても、集団的自衛権の一部を認める限定容認論までが、憲法解釈の限界であって、それ以上のことをもし行うのであれば憲法改正を行う必要があると安倍総理も高村自民党副総裁も明言しています。

 自民党は、「集団的自衛権を保持しているけれども、行使できない。」とする内閣法制局の憲法解釈に、従来違和感を持っていました。それを受けて、安倍総理は、有識者による安保法制懇を設置し、憲法解釈の変更の余地がないか検討を求めたのです。その結果、安保法制懇は、@からBまで全てが現行憲法上認められるという報告書を提出したのです。しかしながら、安倍総理は、その当日の記者会見で、Bの集団安全保障に伴う武力の行使は憲法上認められないことを明らかにしました。

 そして、その後の与党協議や内閣法制局を含む政府部内の検討を経て、閣議決定により、「我が国の存立を脅かす明白な危険がある場合」に限り集団的自衛権の行使ができるとする限定容認論を採用したのです。その解釈変更の枠組みは、既に述べたように昭和47年の政府見解を基礎としつつ、その具体的なあてはめについては国際情勢の変化に伴って変わり得るというものでした。

2 憲法改正の目的

 憲法改正については、自民党は、結党以来「自主憲法の制定」を党是としています。それは、憲法が、連合国の占領期間中に、GHQの指令に基づいて、かつ、その英文草案を基礎として制定されたものであり、我が国民の意思に基づくものではないということが最大の理由であります。もっとも、現在においては、制定以来70年近くが経過する中で憲法が国民に定着してきたものの、その中に現実に沿わなくなった箇所がたくさん出てきたので必要な改正を行おうとするものであって、憲法の制定経緯がゆえに全部改正を行おうとしているわけではありません。

 憲法第9条について言えば、同条第2項は、陸海空軍その他の戦力の保持を禁止し、交戦権を否認しています。このことについて、これまで、政府は、自衛隊は必要最小限度の自衛権を行使するための「実力」であって、「戦力」ではないと苦しい憲法解釈をしてきました。このことと現実の自衛隊の存在との間で違和感を持つのは、今回の憲法解釈の変更に反対した憲法学者の皆さんとある意味同じ立場なのです。与党としてこれまでの政府解釈を否定するわけにはいきませんが、憲法改正により同項を削除し、国家の自然権としての自衛権に憲法上妨げのないようにしたいというのが、自民党の立場です。

 すなわち、自民党は、憲法改正により自衛隊の存在を含め自衛権の行使に妨げがないようにしたいと考えているのであって、集団的自衛権を容認するために憲法改正をしようなど一度も言ったことはありません。このことの理解が自民党員にとっても重要です。もちろん、自衛権の行使を妨げないようにすれば、結果として、憲法上は集団的自衛権の行使も可能となり得るのは当然のことです。その場合は、自衛権の限界をどこに置くのかは、具体的な法律の規定に委ねられます。

3 憲法解釈の変更は正当な法手続

 このように、憲法改正と憲法解釈の変更は、もともと違う目的で考えられてきたものです。「憲法解釈の変更は、姑息な手段だ。」などと言った人もいましたが、そんなことはありません。憲法解釈の変更は、最高裁判所についてではありますが、裁判所法でも認められている法律上の手続です。憲法の規定の範囲内で、かつ、合理的な必要性が説明できる場合において、憲法解釈の変更を行うことは、何らの問題もありません。要は、それが、憲法の規定に照らし、その許容する範囲内にあって合憲なのか、そうではなく違憲なのかという点に論点は尽きると考えます。

 こうした法律論を積み重ねることなく、憲法解釈の変更を何かそれ自体で違憲であるかのことのように唱道されたのは、誠に残念なことでした。もっとも、自衛権については、憲法に具体的な規定はなく、これまでも全て憲法解釈によらざるを得なかったのは、上記に示したとおりです。

 「集団的自衛権が容認されたので、憲法改正は必要ない。」などと言っている人もいますが、それは全く関係のない話です。憲法第9条に関しても、自衛権の行使の話のほかに、自衛隊(国防軍)を憲法上正式に位置付け、それに対する文民統制(シビリアンコントロール)の規定を明確に挿入することは、平和国家としてむしろ必要な憲法改正です。


 「かみ合わぬ憲法論」を3回にわたって連載しました。法律に携わったことのない方には、「何とさ末な議論をするのだろう。」と感じられたことと思います。法律論とは、こうした言葉の積み重ねなのです。もちろん、このような議論が必要になるのも、世界に類例を見ない憲法第9条の存在にあることは、言うまでもありません。「普通の国」では、軍隊による武力の行使が禁止されていないのです。しかし、私たちは、平和憲法としてのその存在を誇りに思わなければなりません。今後、憲法第9条を改正することがあるにしても、平和憲法の趣旨はしっかりと受け継いでいかなければなりません。

 かみ合わぬ憲法論(1)(11月5日)
 かみ合わぬ憲法論(2)(12月1日)

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マイナンバーの疑問にお答えします(12月8日)

 マイナンバー法案は、野党時代、自民党の税制調査会基本問題検討小委員会事務局長として民主党政権との調整を務め、同党と共に法案の成立に努力しましたが、国会の事情により衆議院の解散をもって廃案となりました。その後、第2次安倍内閣の内閣総理大臣補佐官として法案の再調整を行い、国会へ再び提出し、成立させたものです。

 マイナンバーについては、初めての制度でもあり、様々な誤解を生んでいます。その最も基本的な疑問点について簡潔に解説してみました。

 以下の内容は、新風会だより第19号に掲載した記事と同じものです。

○マイナンバーは「情報の一元管理」ってうそです
 
 よく新聞や週刊誌に「情報の一元管理」と書いてありますが、これは全くの間違いです。マイナンバーによって、行政が持っている情報同士の連携ができるようになりますが、それには個別に法律の根拠が必要です。何かマイナンバーがあると、その人の行政情報が一覧的に見られるようになるというような話をしている人がいますが、そんなことはありません。それぞれの省庁が個別に持っている個人情報は、これまでどおり、「分散管理」されます。

○マイナンバーカードは1月から交付されます

 現在全住民に紙製の「通知カード」が配布されています。これでも最小限度の利用はできますが、写真入りIC付きの「マイナンバーカード」に交換した方がずっと活用範囲が広がります。マイナンバーカードの申請は自由ですが、申請の際には写真を添付する必要があります。インターネットでも写真は送れます。なお、マイナンバーカード受領のため、原則所定の証明書を持って一度は役所に出向かなければなりませんので、御理解ください。マイナンバーカードの交付は、無償です。

○マイナンバーを持つことによって行政手続が便利になります

 例えば書類を提出するときなど、よく住民票も一緒に提出してくださいという言われることが多かったのですが、その書類にマイナンバーを書くことによって、住民票を役所に取りに行く必要がなくなります。これには法律の根拠が必要ですが、そうした便利な取扱いを順次拡大していきます。
 そのほか、運転免許証を持っていない人にも写真付き身分証明書となり、様々な所で活用できます。

○マイナンバーカードの利用範囲を拡大します

 マイナンバーカードは、地方自治体で使うことができますので、住民票や印鑑証明の機械交付や図書館カードにも利用を広げることができます。将来的には、医療機関やレンタルショップなどの民間利用に拡大していきます。民間にカードを使わせるのは心配だとお考えの人もいるでしょうが、飽くまでマイナンバーは使わずにICカードの空いた部分にショップの会員番号などを載せるだけであり、国のコンピュータにつながるわけではありません。それを使って、民間のコンピュータとつながるだけです。また、ICカードに個人情報が載っているわけではありません。

○万一マイナンバーが漏れても心配はいりません

 マイナンバーは重要なものですから他人に知られないようきちんと管理する必要があります。しかし、マイナンバーが漏れたからといって、すぐに個人情報が漏れるわけではありません。各省庁が管理する情報を相互に活用する際にはマイナンバーとは異なるそれぞれ個別の「符号」を用いてアクセスしており、これがなければ個人情報にアクセスできず、芋づる式に個人情報が漏れることはありません。また、それぞれの情報には、権限のある人しかアクセスできず、マイナンバーを持っていればアクセスできるわけではありません。
 なお、マイナンバーが漏れ、不正利用のおそれがあるときは、それを変更することができます。

○マイナンバーによる民間の情報収集は禁止されています

 将来、個人向けにインターネットのポータルサイト(マイナポータル)を立ち上げますが、このアクセスにも、マイナンバーとは異なるアクセスコードを使います。また、民間企業がマイナンバーを使って情報収集、リスト化することは、法律で禁止されています。マイナンバーカードを交付する際には、裏面のマイナンバーが見えないようなカバーをお付けします。

○税務署が全ての財産を把握できるようになるというのも誤解です

 マイナンバーの導入によって、税務署に提出する書類が増えることはありません。単にマイナンバーを書き足すだけであり、税務署に入る情報は増えません。将来銀行口座の開設にもマイナンバーを書き加えていただくことになりますが、今でも口座の開設に当たっては身元を確認しており、取扱いは変わりません。マイナンバーによって、口座の内容が見られることはありません。
 ただし、税務調査に入るときに、税務署が資産等の名寄せの作業をしますが、それがスピーディになるという税務署側の利便があるのは事実です。

○マイナンバーの管理に金庫はいりません

 企業の従業員から集めたマイナンバーは厳重に管理する必要がありますが、関係書類を鍵のかかる引き出しに入れておけば十分です。「頑丈な金庫が必要だ。」などというセールスは、詐欺まがいのものです。コンピュータの管理ソフトのセールスも見受けますが、本当に必要なものか十分注意しましょう。

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かみ合わぬ憲法論(2)(12月1日)

 今回は、憲法学者の主張する違憲論について触れてみたいと思います。個人的には仲のいい憲法学者もたくさんいるのですが、平和安全法制の議論において、きちんとした憲法論が戦わされたという感じは持ちません。法案の国会上程後は、当然ではありますが政党間議論が中心となり、もう少し外側で冷静な憲法論があっても良かったのではないかと考えます。多くの憲法学者の皆さんとは立場が違うので、「話せば分かる」とは思いませんが、論点の整理はできたのではないかと考えます。

1 限定容認論の下の集団的自衛権は自衛のための措置

 違憲論の第一に出て来る根拠が集団的自衛権は「他国防衛」を目的とするものだから憲法の容認するところではないというものです。私の立場からすれば、これは人の言うことを頭から聞く気がない意見だと思います。昭和47年の政府見解は、確かに「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない。」としました。これは「他国防衛」を憲法違反としたものであり、このことについては、現在の政府の見解も一致しています。
 
 しかし、私たちが主張しているのは、集団的自衛権の中にも「我が国の存立を全うするために必要な自衛のための措置」に該当するものが含まれるのではないかということです。それは、「他国防衛」ではなく、「自衛のための措置」であると考えているのです。これが限定容認論です。こういう主張ですから、頭から集団的自衛権の全てを「他国防衛」だと決め付けてかかるのは、議論を拒む態度だと言わざるを得ません。

 なぜこういう議論が必要になったかというと、ミサイルや長距離爆撃機の開発より、地球が狭くなり、いつ何時我が国に武力攻撃がもたらされるか分からなくなってきたからです。個別的自衛権では、直接我が国が武力攻撃を受けたときでなければ反撃できません。それまで待っていて本当に我が国の存立を全うできるかというのが、最大の論点なのです。そのため、相手国が第三国に侵略を開始した時点で、新三要件の下、要請をまって集団的自衛権を行使することにより、我が国への直接の武力攻撃を未然に防ぐことができるのではないかということです。もちろん、この場合であっても、海外派兵は必要最小限度を超えるものであり、原則他国の領土、領海で戦闘を行うことはありません。

 現行法でも、我が国を防衛するため米軍が出動している場合は、周辺事態法(新法では「重要影響事態法」)に基づき、後方支援をすることができます。また、国連が侵略国に制裁決議をしたときも、新法である国際平和協力法に基づき、後方支援をすることができます。しかし、後方支援で十分かということなのです。相手国が我が国を防衛する米軍に対してし烈な戦闘行為に及んでいても、我が国は武力の行使によって反撃することができないのです。それで我が国を本当に守ることができるのかという問題なのです。

 憲法学者の中には、国連憲章に定める集団的自衛権について、そもそも「自衛権」というのがおかしい、「他衛権」と呼ぶべきだと言っている人もいますが、全く我田引水です。集団的自衛権の成立経緯から考えても、大国の侵略から小国を守るための「共同防衛」ということでしょう。いずれにしても、単なる「他国防衛」は憲法上許されないことでは意見が一致しているわけですから、限定容認論の下の集団的自衛権の中に「自衛のための措置」が含まれ得るのかどうかを冷静に議論をすべきです。「我が国の存立を脅かす明白な危険」という新三要件の規定は、そのことを限定的明示的に定めたものです。

2 武力攻撃の「着手」の拡大は正に先制攻撃

 平和安全法制の議論の中で、誰が言い始めたのか多くの人に勘違いがあるのではないかというのが、武力攻撃の「着手」の議論です。「我が国の存立を脅かす明白な危険」に対処する必要があるというのであれば、武力攻撃の「着手」の理論を援用し、個別的自衛権で対応すればいいのではないかという意見です。したがって、集団的自衛権は必要ないというものです。本当に「我が国の存立を脅かす明白な危険」があるのであれば、我が国が直接の武力攻撃を受ける前であっても、自衛権を行使できるはずだと主張しています。

 これは、間違いです。国際法上、個別的自衛権は、我が国が直接の武力攻撃を受けるまでは行使はできません。「着手」の論理は、では「座して死を待たなければならないのか」という疑問に対し、例えば武力攻撃は、ピストルの弾が発射された時ではなく、ピストルの引き金に指を掛けた時にその「着手」が認められるなどと説明されています。やや具体的には、相手国が我が国への武力攻撃を明言している中で、我が国へ向けたミサイルに燃料注入を始めている時には、武力攻撃の「着手」が認められる場合があるなどと説明されています。

 このように、武力攻撃の「着手」の理論は、我が国に対して武力攻撃があったのと同視し得る事態に限って認められるものであり、武力攻撃事態の認定や個別的自衛権の発動要件を拡大する趣旨の理論では、決してありません。爆弾が本当に落ちるまで指をくわえて見ていなければならないのかという疑問に答えるために、生み出された理論です。それを、個別的自衛権の要件の拡大の理論としてとらえるのは、正に直接の武力攻撃がないのに個別的自衛権の行使を認めることにつながり、国際法上「先制攻撃」とのそしりを受けることは必定です。

 では、なぜ集団的自衛権は直接の武力攻撃がないのに行使できるのかというと、それは、集団的自衛権は、もとより相手国の第三国への武力攻撃の発生をとらえて行使し得る権利だからです。したがって、その権利は、国際法上、直接の武力攻撃を受けた場合に行使し得る個別的自衛権と区別して整理されているのです。自衛権を行使したときには、国連憲章の規定に基づいて国連安保理に報告しなければなりませんが、その際、直接の武力攻撃を受けていないにもかかわらず個別的自衛権の行使であると報告すれば、大変な事件になります。

 マスコミも、集団的自衛権は、相手国が第三国に対する違法な侵略を開始したときに行使し得る自衛権であることは、ほとんど報じていません。それをとらえて「先制攻撃」などという批判をすることこそおかしな話です。本当に先制攻撃であるのであれば、国連憲章が全ての加盟国の固有の権利として集団的自衛権を認めるわけがありません。

3 自衛権の行使は総合的判断によるもの

 新三要件に定める第1要件の「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」事態とはどのような事態か、全く曖昧ではないかとの批判が行われました。確かに抽象的な文言ではありますが、では、あらゆる存立危機事態をどのように規定すれば明確になるのでしょうか。修正協議の中で、ある党の修正案が提出されましたが、それを見ても政府案よりもすこぶる明確になったと呼べるようなものではありませんでした。想定し得るあらゆる事態を法律の規定で書き尽くすというのは、もとより不可能なことです。

 事態の認定は、その時の政府の責任により正に総合的判断に基づいて行われるべきものなのです。個別的自衛権は、直接の武力攻撃があった時に行使可能となるので判断が明確だと主張している人もいます。本当でしょうか。世界的に見ても、武力攻撃があったからといって、直ちに戦争に突入するわけではありません。多くの国は、自制し、できるだけ戦争を回避するよう我慢をするのです。それは、その時の政府の総合的な判断によらざるを得ません。

 曖昧がゆえに無効との憲法論を主張する人もいますが、それは人権制約のときの憲法論であり、有事の事態認定とは関係ありません。そのために、手続規定が補完されているのです。集団的自衛権の行使については、法律には規定されていませんが、国際法上の手続として、相手国の第三国への侵略が始まっていることや関係国からの支援の要請があることが前提条件となっています。また、存立危機事態の認定には、原則事前の国会承認が必要です。こうした手続を通じ、政府の総合的判断が適切であるかどうかがチェックされる仕組みになっているのです。立法機関による承認手続は、立法による規整と同じ重さを持つものです。

 行政法は、その定める範囲内で行政に一定の裁量権を与える法律です。そこで用いられ概念が規範的(概念に一定の幅があること。)であることは、よくあることです。行政に一定の裁量があるから違憲というのは、おかしな意見です。

4 憲法解釈の論点

 最後にもう一度在るべき論点をまとめておきます。

 憲法の明文の規定のあるなしにかかわらず、国家には自然権としての自衛権があるということについては、大方の合意があるでしょう。他方、その自衛権の内容について武力の行使が含まれるか否かについては、憲法第9条第1項で武力の行使が禁止され、同条第2項で陸海空軍その他の戦力の保持が禁止され、交戦権が否認されていることから、憲法学者の過半は今でも自衛隊は違憲であると論じています。

 しかし、国民の多くが自衛隊の存在を支持し、国会でも共産党や社民党でさえも自衛隊違憲論を正面から唱えなくなっている今日、自衛権の行使に当たって自衛隊が武力を行使できることについても、政治的には首肯し得る段階になっていると考えられます。

 そこで、その自衛権として武力の行使をし得る場合が、我が国が直接の武力攻撃を受けた場合に発動できる個別的自衛権に限られるのか、まだ直接の武力攻撃を受けていなくても、相手国が第三国への侵略を開始し、そのままでは「我が国の存立を脅かす明白な危険」がある場合に発動できる集団的自衛権も含まれるのかが、今回の平和安全法制の最大の論点でした。

 政府は、最高裁判所の砂川判決は「我が国の存立を全うするため必要な自衛のための措置は、国家固有の権能」であると判示しており、集団的自衛権であっても新三要件の下「我が国の存立を脅かす明白な危険」がある場合に発動されるものは、限定的にこの「自衛のための措置」に該当するという立論を示したところです。

 本当は、この最後の立論が正しいかどうかにもっと議論の時間を割くべきでした。くわえて、国際情勢の変化に伴う実質的な集団的自衛権の必要性に更に議論の時間を割くべきでした。ところが、憲法解釈の変更は憲法違反だというキャンペーンによって冷静な議論が回避された観もします。

 憲法解釈変更そのものの論点については、(1)で触れました。その具体的な批判については、この稿で触れました。こうしたことの論点整理がもっと的確に行われるべきであったと考えます。相互に言えることですが、もう少し冷静な議論ができる場所で、相手の主張に耳を傾ける努力が必要ではなかったのではないでしょうか。

 かみ合わぬ憲法論(1)(11月5日)

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BPOのおかしな主張(11月9日)

 11月6日に、放送倫理・番組向上機構(BPO)が、昨年5月14日にNHKで放送された「クローズアップ現代」等の出家詐欺報道に関する意見を発表しました。本論でのNHKの報道の在り方に関する指摘はおおむね妥当であると考えますが、「おわりに」に記載されたNHKへの総務省の行政指導や自民党の事情聴取に対する批判は、見過ごすことのできない問題が含まれています。

 まず、本論については、詳細な事実の検証を行った上で、NHKが「過剰な演出」等を認めていながら自らの報告書で「事実のねつ造につながるいわゆる『やらせ』は行っていない」と結論付けていることについて、BPOは、「いわゆる『やらせ』の概念は視聴者の一般的な感覚とは距離があり、本来ならもっと深刻な問題を演出や編集の不適切さにわい小化することになっていないかとの疑問を持たざるを得ない」と、断じています。おおむね妥当な結論であり、一定の評価をしたいと考えます。しかし、このことは、本稿の論点ではありません。

1 総務省の行政指導への批判は不適切

 BPOは、上記NHKのねつ造疑惑事件について総務大臣が行政指導を行ったことについて、「放送事業者自らが、放送内容の誤りを発見して、自主的にその原因を調査し、再発防止策を検討して、問題を是正しようとしているにもかかわらず、その自律的な行動の過程に行政指導という手段により政府が介入することは、放送法が保障する「自律」を侵害する行為そのものとも言えよう。」と述べ、批判をしました。全く驚くべき批判です。

 総務省は、公共放送であるNHKの監督官庁であり、所管事項について適切な行政指導をするのはむしろ義務であって、何らの問題もありません。BPOは、総務省が行政指導の根拠を放送法に置いていると指摘し、非難していますが、それも勘違いではないかと考えます。行政指導は、かつて法律の根拠なしに行われていましたが、行政手続法の制定に伴い、手続が一般法化され、同法第4章の規定に基づいて、行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため行うことができるものとされています。したがって、総務大臣の行政指導には、少なくとも法的問題は全くありません。

 最も驚いたことは、放送法第4条第1項各号に規定する「放送番組の編集の基準」(下記に引用)を飽くまで放送事業者が自律的に番組内容を編集する際のあるべき基準、すなわち「倫理規範」と言い切り、それは「法規範」ではないと断じたことです。「倫理規範」というのは、よく意味が分かりませんが、通常の法律用語に直せば遵守義務のない「訓示規定」という意味なのでしょう。加えて、「これらの規定が番組内容を制限する法規範だとすると、それは表現内容を理由にする法規制であり、あまりにも広汎で漠然とした規定で表現の自由を制限するものとして、憲法第21条違反のそしりを免れないことになろう。」と、言い放ったのです。自らの立場を違憲立法審査権を有する裁判所と勘違いしたのでしょうか、独善的な解釈に陥っています。

 これについては、さすがに総務省もあきれ、BPOの意見報告に関する大臣談話の中で、「放送法の番組準則は、単なる倫理規範ではなく、法規範性を有するものであります。」と明確にBPOの見解を否定しています。国会が制定した法律を「法規範」ではないと言い放つようなことができれば、我が国は法治国家としての体を有しなくなります。総務省の主張は、当然です。

 他方、放送法第1条第2号が「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」と定め、第3条が「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と定め、放送番組編集の自由を認めていることから、放送番組の編集について公権力が介入してはならないのも、また当然のことです。ただし、この「番組編集の自由」を余りに拡大解釈すべきではありません。これは、放送事業者がそのチャンネルにおいてどういう番組編成をするのか、また、個別の番組をどのように制作するのかについて、何人も介入してはならないということです。簡単に言えば、番組の中身に口を挟んではいけないということです。

 総務大臣の行政指導は、もとより強制力はありませんが、その内容を見ても、不祥事を自ら認めているNHKに対して「再発防止に向けた体制を早期に確立」することを要請しているだけであって、番組編集に対して介入しているものでは全くありません。こうした行政指導までも否定するのであれば、放送法の所管官庁として総務省が存在している意味がありません。当然の行政指導でした。

2 自民党の事情聴取は適切な政党活動

 放送事業者が事実無根や誹謗中傷などどんな放送をしても、批判されない自由があるわけではありません。政党にも当然言論の自由があり、誤った放送に対して批判の自由があるのは、当然のことです。ただし、それが番組編集への介入とならないよう、放送への批判に際しては細心の注意を払わなければならないのも事実です。そして、その境界の見極めは難しいのであって、批判は謙抑的に行うべきであることも、否定しません。

 立法府の役割として、法律を制定するとともに、制定された法律がきちんと遵守されているか監視することも極めて重要です。したがって、立法府を担う政党において、適切な調査活動が行われることは、何らの問題もありません。このことは、放送法においても、変わりません。放送法違反が疑われる事案について、関係者から意見を聴くことは、一定の制約の下政党として当然在るべき姿です。

 BPOは、NHKを自民党の情報戦略調査会に招致した根拠として同党が放送法を挙げていると指摘し、非難しており、引用がないので確認できませんが、それはおかしなことです。政党には、もとよりいかなる法律上の公的権限もあるはずがないからです。飽くまで任意に出席をお願いし、それをNHKが承諾したということに尽きるはずです。拒否されれば、それを強制する手段は政党にはありません。

 当日は、自民党の調査会に、コメンテーター暴言事件があってテレビ朝日の関係者も出席していました。NHKもテレビ朝日も、任意の出席であると聞いています。調査会長から、あらかじめ出席議員に対し「今日は事実の確認にとどめるので、質問も事実確認に関するもののみとするように。」との注意があり、両局のそれぞれの説明後議員もそれを守って質問していました。他党のように放送事業者を威圧するような発言は全くありませんでした。

 民主主義を確実なものにする上で、言論の自由は最も重要なものです。その中に、報道の自由が含まれることは言うまでもありません。そして、また、マスコミ同様、政党、政治家にも言論の自由が認められているのです。自由民権運動の歴史に照らしても、当然のことです。そして、すべての国民に言論の自由が保障されなければなりません。放送事業者だけが政治批判のらち外にあるというような偏った考え方では、民主主義は全うされません。

 放送事業者も、冷静な議論は、受けて立つべきです。BPOが放送事業者の不祥事に対する政党による適正な批判を「政権党による圧力」などと呼ぶのは、政党政治への無理解を示したものです。番組編集への介入とならない範囲において、国政の場においても放送に関する自由な議論が保障されなければなりません。

3 放送法は放送事業者の守るべき法規範

 今回の最大の問題は、BPOが放送法第4条第1項の「放送番組の編集の基準」を「法規範ではない」と言い放ったことです。私は、今までBPOという第三者機関による放送の適正化の動きに一定の理解を示してきました。最近は政治的公平性の問題についても一定の要件の下BPOの判断を求めることができるようになり、こうした機能強化を通じて、より放送の適正化に資するものと考えていました。

 しかし、今回のBPOの意見報告で、放送法に定められた基準を法規範ではないと言い放つようでは、その第三者機関性、すなわちその公平性に疑念を抱かざるを得なくなりました。法治国家として、法律の遵守義務を否定するような発言を見過ごすわけにはいきません。

放送法
(国内放送等の放送番組の編集等)
第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二 政治的に公平であること。
 三 報道は事実をまげないですること。
 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

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かみ合わぬ憲法論(1)(11月5日)

 平和安全法制が先の国会で成立しました。国連憲章で全ての加盟国に認められている「集団的自衛権」が法律上行使可能となり、世界の国々と同じ立場に立つことができました。一方で、平和安全法制に反対の皆さんは「憲法違反」を唱え続け、かみ合った議論にはなりませんでした。「立憲主義」や「法的安定性」を旗印にしての反対論でしたが、本当に法的議論となっているのか疑問な点があります。こうした課題には、様々な「意見」があってもいいのですが、法律論は理論に基づくものでなければなりません。もう一度政府の解釈を基に説明をしたいと考えます。

1 憲法には具体的なことは何も規定していない

 憲法には、自衛権について何も規定していません。これは、制憲議会における吉田茂総理の答弁に照らしても明らかです。吉田総理は、国家として当然自衛権は有しているが、その行使は認められないという趣旨の答弁をしています。また、憲法第9条第2項は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と規定しており、これを根拠に、憲法学者の過半は、今でも自衛隊は憲法違反だとしています。

 一方で、政府は、後に、憲法第9条第1項第2項全体の解釈として、自衛権の行使は「必要最小限度」の範囲にとどまるべきものであるとしました。この「必要最小限度」の内容が今問題になっているわけですが、その具体的な基準が憲法の規定から読み取れるわけではありません。

2 砂川判決は「自衛の措置」を認めた判決

 その後、朝鮮戦争の勃発に伴い、GHQの占領政策が大きく変化し、警察予備隊及び保安隊の設置を経て、昭和29年に自衛隊が創設されました。そして、昭和34年に、駐留軍に関する判決ではありましたが、最高裁判所は、その判旨の中で初めて自衛権に関する見解を示し、「我が国の存立を全うするため必要な自衛のための措置は、国家固有の権能」であるとしました。この判決が我が国の自衛権を認めた判決であることは、大方の合意があると考えています。

 そこで、この判決が集団的自衛権を視野に入れた判決であるか否かが、しばしば議論されます。判決の中に「集団的自衛権」という用語の引用もあり、最高裁判所がそれを全く知らなかったということはないでしょう。しかし、ここは、素直に判決の趣旨を受け入れるべきであり、「我が国の存立を全うするため必要な自衛のための措置」を行使することは憲法が容認するものとの判断があったものと考えるべきです。その限りにおいては、集団的自衛権を肯定したものでもなく、また、否定したものでもありません。

 なお、個別的自衛権や集団的自衛権というのは国際法上の用語であり、国内法上その間に絶対的な垣根があるわけではありません。すなわち、「我が国の存立を全うするため必要な自衛のための措置」とは何かということを虚心坦懐に考察すべきです。

3 政府見解による集団的自衛権の否定

 政府は、昭和47年と昭和56年の2回、集団的自衛権を行使できないという見解を出しています。だから、その政府見解を変更するのは「立憲主義」に反し、「法的安定性」を損なうものであるとの批判がなされているのです。憲法解釈の変更は裁判所法でも認められた手続ですが、長谷部恭男教授の言を借りれば、「私の知る限り、真っ黒だというものを白に変えたという例は、ない。」ということだそうです。しかし、本当に政府は集団的自衛権は「真っ黒」だと言ってきたのか、政府の主張にもう少し耳を傾けて、適切な批判をすべきではないかと考えます。

 昭和47年と昭和56年の政府見解については、この「私の主張」の中でもるる説明してきましたので、繰り返しての詳述は避けますが、要点は次の点にあります。

 昭和47年の政府見解は、砂川判決が認めた「自衛の措置」は、「あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対処し、「事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」とし、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としました。認められない集団的自衛権の行使に「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする」という限定が行われていることは、マスコミもほとんど報じませんでした。

 昭和56年の政府見解は、「自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」としました。

4 限定容認論は集団的自衛権の一部を認めたもの

 昭和47年の政府見解は、結論として「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない。」としており、要は、「他国防衛」と呼ばれるような内容を含む集団的自衛権を否定しています。この解釈は、現在でも変わっていません。国際法上は他国防衛を内容とする集団的自衛権も当然認められており、このことについて、最近、国連憲章第51条で認められている集団的自衛権のことを「フルスペックの集団的自衛権」と呼んでいます。昭和の時代には、集団的自衛権を行使する必要性も意図もなかったことから、政府見解は、集団的自衛権を全体として行使できないとしてきたのです。

 それに対し、今回、政府は、限定容認論を採り、「我が国の存立を脅かす明白な危険がある場合」に限り、集団的自衛権を認めようとしたのです。昭和47年の政府見解は「フルスペックの集団的自衛権」を否定しものであり、今回の政府の提案はその一部分である限定的な自衛のための措置としての集団的自衛権を認めようとしたものであったのです。このことの違いについて、もっと議論があってもよかったのではないかと考えています。

 昭和56年の政府見解は、集団的自衛権は「必要最小限度の範囲」を超えるものであるから行使できないとしたものです。政府の自衛権の行使は「必要最小限度の範囲」にとどまるべきであるという解釈は、ずっと一貫しており、その点において「法的安定性」は確保されています。しかし、何が「必要最小限度の範囲」であるかは国際情勢の変化に伴って変わるものであるというのが私たちの主張です。したがって、限定容認論の下の集団的自衛権が現在の国際情勢の中で「必要最小限度の範囲」にとどまるのかどうか、実質的な議論があってしかるべきです。

 こうした議論を抜きにして、ただ憲法解釈の変更はけしからんという批判は、政治的主張ではあっても、法律論ではありません。

5 憲法は国の存立を全うする

 いずれにしても、砂川判決における憲法解釈が重要であり、「我が国の存立を全うするため必要な自衛のための措置」を憲法は容認しています。憲法第13条を論ずるまでもなく、我が国の存立を全うし、国民の生命身体を保護することは、国家の固有の義務であり、権利であります。限定容認論の下の集団的自衛権が、本当にそのために必要な措置であるかどうかについて、もっと詳細な議論が尽くされるべきだったでしょう。日本国憲法が、国家の存立を全うし、国民の生命身体を保護するために否定的なものであるはずがありません。そのことについて、国会質問の中でも議論されましたが、十分であったか検証が必要です。

 憲法解釈の変更は、法令上も認められた手続です。百歩譲っても、それが許される場合と許されない場合があるのでしょう。その基準は何かということに、もっと法律論を煮詰めていくべきです。単に「立憲主義」とか、「法的安定性」とか言ったからといって、具体的な基準が出て来るわけではありません。

 既に法律は成立しましたが、国民の理解を更に促進するため、一層の議論を続けていく必要があります。(続く)

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総理補佐官の退任に当たって(10月9日)

 この度、10月7日の内閣改造に伴い、内閣総理大臣補佐官を退任することになりました。政権奪回後第2次安倍内閣の発足以来、約2年9月に及び、在任は1000日を超えたそうです。官邸メンバーの7人国会議員は、安倍総理を含め4人が引き続いてその任に残りましたが、私は、平和安全法制の成立によって当初安倍総理から指示された任務についてはおおむね完了したのを機に、退任させていただくことになりました。

 その間、様々な出来事がありましたので、少し思い起こしてみます。当初の担当は、国家安全保障会議及び選挙制度でした。

1 国家安全保障について

 安全保障担当として最初に取り組んだのは、国家安全保障会議(NSC)の創設でした。安全保障会議法は、役人時代にその時の組織の大改正を担当しており、立場を変えての2度目の仕事になりました。有識者会議の司会を務め、法案を作成し、就任翌年の平成25年の通常国会会期末までに、法案提出にこぎ着けました。最も調整が難航したのが、正に担当総理補佐官の役割でした。補佐官にきちんと権限を与えるべきだという意見と補佐官の権限を強めると権限争いが生じるという意見があり、両方の意見を聴き、内閣法の総理補佐官としての権限は変えないが、「国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官」を常設することで調整しました。後に、私がその初代安保担当補佐官を務めることになりました。

 それとほぼ同時に取り組んだのが、特定秘密保護法の整備です。政権交代の時までにほぼ民主党政権案は出来上がっており、引継ぎ時には、それを基に最終的な内閣法制局審査が行われていました。題名が「特別秘密保護法」であり、あんまりなので「特定秘密保護法」に変更を指示したほか、大きな変更はしていません。それなのに、後に民主党が大反対をしたのは、正直驚きました。飽くまで安全保障に関する秘密の漏洩に対する公務員の罰則強化をするための法律に過ぎないのに、なぜあんなに大議論になったのかいまだに不思議に思います。

 平成25年の秋の臨時国会では、これら国家安全保障会議法案と特定秘密保護法案が国会で審議されました。これと並行して行っていたのが、国家安全保障大綱の策定です。一方で、同時期に、安全保障法制に関する有識者会議(安保法制懇)を立ち上げました。私は、当初から、「自衛権の行使は必要最小限度の範囲にとどまらなければならない」という憲法解釈は変えることができず、仮に集団的自衛権を認めるとしてもその範囲に限られ、まして集団安全保障における武力行使はできないと主張していました。その頃任命された小松内閣法制局長官との議論は、大変有意義なものでした。

 年が明け平成26年になって取り組んだのが、武器輸出三原則の見直しです。これは、それまで民主党政権の時から行われてきた戦闘機等の武器の共同開発について一般的にルール化することを主目的とするものであり、武器の輸出は原則禁止するという従来の基本的考え方は維持したものです。

 その後、安保法制懇の取りまとめにかかりました。座長代理の北岡国際大学長を始め、委員の皆さんには、本当に真剣に議論を頂きました。先生方と率直な意見交換を行ってきましたが、基本的には委員の自由な意見で報告書をおまとめいただきたいという方針で臨んでいました。その頃与党調整も始まり、公明党との調整には高村副総裁に、自民党内の調整を行う安保法制整備推進本部長には石破元防衛庁長官に当たっていただくことになりました。そして、第1回安保法制整備推進本部において、高村副総裁による歴史的な講演が行われ、後に「限定容認論」と呼ばれることになったのです。

 与党公明党との協議は難航は極めましたが、自民党高村副総裁と公明党北側副代表を中心とする両党関係者の御尽力により、何とか7月1日の閣議決定に到達することができました。私の最大の心配事は、集団安全保障における武力行使を認めるべきではないということでした。ぎりぎりまで関係者と調整をし、その結果、記者会見の中で、安倍総理が「湾岸戦争、イラク戦争のような戦争に武力の行使を目的として参加することはない。」と明確に述べ、胸をなでおろしたところです。

 その後は、秋の臨時国会に法案は提出されず、翌平成27年の春になってようやく法案審査のための与党協議が再開されました。国際協力のための集団安全保障において後方支援を行うための一般法を制定するかどうかが大きな焦点となりましたが、自衛隊の派遣には例外なき国会の事前承認を得ることで合意を得ました。その他のことは事務的な調整が続き、成案を得ることができました。国会に法案を提出した後は、私の仕事はほとんどなく、答弁を担当する各大臣や前線で協議を行う特別委員会の理事の皆さんの御尽力に負うところが大きくなりました。

 特別委員会での議論については別稿で振り返りたいと思いますが、8月に入った参議院の特別委員会で、私の地元での講演会の発言が問題になるという事件が起きました。大変申し上げなく思っており、特別委員会の質疑の中で陳謝したとおりですが、閣議決定の策定に関わった私が集団的自衛権について裸で「法的安定性は関係ない」などと言うはずがなく、飽くまで「自衛権の行使は必要最小限度の範囲にとどまらなければならない」という憲法解釈は一貫していることを時間を掛けて説明した上で、その具体的なあてはめについては「国際情勢の変化にも十分配慮すべきである」と言ったものです。その際、そのことを強調する余り、そうした言葉を用いて誤解を与えたことは反省しています。

2 選挙制度の改革について

 選挙制度の改革については、大きなことは3点ありました。

 平成25年就任当初に行ったのは、インターネット選挙の解禁でした。これは、野党も共産党まで入って全党体制の協議となりましたが、方向性については大きな異論はなく、淡々と議論が進みました。最後にメールによる選挙運動の可否について賛否が分かれ、当分の間、これを認めないことで決着しました。

 平成26年には、憲法改正の国民投票法の宿題の一つであった選挙権年齢の引下げが課題となりました。まず、国民投票の投票権年齢については、自民党内での合意形成に時間を要しましたが、最終的に4年後(当時)に自動的に18歳に引き下げることで党内手続を終えました。その法律の成立後、公職選挙法の選挙権年齢の引下げに取り組み、一連の改正の中で大きな異論はなく、来年施行される参議院議員通常選挙から18歳に引き下げることで合意し、同年に法案を提出しましたが、衆議院解散のため廃案となり、翌平成27年に再提出し、成立させました。与野党対決法案ではなかったので、比較的すんなりといきましたが、戦後政治の大改正であったことには違いありません。

 その後、自民党内で、成年年齢に関する特命委員会が設置され、民法の成年年齢についても、18歳に引き下げる方向で検討することが決定され、少年法については、若年成人の特例制度を検討した上で、同様に引き下げることとされました。

 混迷を極めたのは、最高裁判所から違憲状態が指摘されている参議院選挙区の定数是正問題です。党内外の大議論を経て、初めて2県の合区を2か所で行うことを含む10増10減を行うことで決着しました。特に合区対象県の関係者には御心労を掛け、なお課題も残されていますが、来年の参議院議員選挙のおおむね1年前には決着することができ、ほっとしています。

3 そのほかのことについて

 総理補佐官の直接の所管以外では、次のようなことがありました。

 野党時代党税制調査会役員として関わって来たマイナンバー制度については、政権交代後マイナンバーカードに力点を置くため民主党政権案の一部手直しをして法案を再提出し、成立までこぎつけました。そして、現在、私が発案した「仮カード」が各住所地で交付されています。様々な困難を乗り越えて、新しい制度として定着することを望みます。

 憲法改正については、衆参両院の憲法審査会での議論を促し、各地で憲法講演会を開催するとともに、憲法改正漫画「ほのぼの一家の憲法改正ってなぁに?」を作成し、啓発に努めました。具体的な憲法改正については時期を見極める必要がありますが、当面国民運動の一層の推進に努めていきたいと考えます。

 道州制については、道州制推進基本法案について地方6団体や党内の理解がなかなか得られず、もう一度再出発を考えなければならなくなりました。もとより道州制は明治維新以来の大改革であり、そう簡単にできるとは私も考えておらず、是非将来に向けての検討の枠組みだけでも構築したいということから基本法案を作成したのですが、誠に残念です。今後は、道州制推進の旗は降ろさずに、新たな切り口を探っていきます。

 郵政民営化の推進については、簡保事業の新規事業は認められましたが、郵貯の貸付の新規事業や預入限度額の引上げは、まだ見通しが立たない状況にあります。いよいよ郵政株の上場が行われる中で、一層の民営化の推進に努力していきたいと考えます。

 終わりに

 10年前内閣参事官として有事法制を担当した時は、大きな法律の成立後大きな達成感を感じたものですが、今回は、そういう気持ちがわいてきません。政治家には、一山越えても、また次の山が見えてくるからでしょう。国を守り、国民生活を向上させる仕事は、エンドレスです。命の続く限りがんばってまいります。
 
 こうした多くの仕事に携わることができた2年9か月でした。この後は、党に戻り、一層の努力を続けていきたいと考えます。どうぞよろしくお願い申し上げます。 58歳の誕生日を迎えて

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憲法解釈変更の4つのキーワード(7月19日)

 安倍総理は、自民党幹事長時代、国会で「必要最小限度の範囲にとどまる集団的自衛権はあるのではないか。」と質問しています。これを基に、官邸内部の初期の検討や安保法制懇において、私は、「仮に集団的自衛権を認めるとしても、「必要最小限度」の範囲にとどまらなければならない。」と説明していました。その後、小松内閣法制局長官が就任すると、「憲法が禁止しているのは、集団的自衛権ではなく、武力の行使である。その中で、砂川判決は、「自衛のための措置」を国家固有の権能として認めたのである。」と説明し、目から鱗が落ちる感がしました。

 そして、自民党の高村副総裁が、第1回自民党安全保障法制整備推進本部において歴史に残る名演説をし、「我が国の存立を全うするための集団的自衛権は、必要最小限度の自衛のための措置に含まれる。」と述べ、マスコミは、これを「限定容認論」と名付けました。その後、公明党との長い与党協議が続き、その中で集団的自衛権行使の具体的基準が整理され、「新三要件」として定式化されました。

 このように、今回の憲法解釈の変更には、4つのキーワードがあったと考えます。すなわち、「必要最小限度」、「自衛のための措置」、「限定容認論」及び「新三要件」の4つです。

 私は、砂川判決の「自衛のための措置」は、我が国の自衛権を国家固有の権能として認めただけであり、それ以上でもそれ以下でもないと考えます。そして、その具体的内容については、最高裁判所は、政治の場に委ねました。それなのに、国際法の概念である個別的自衛権や集団的自衛権という用語を持ち込んで、あたかもその間に越えることができない境界があるように論じられているのは、誠に残念なことです。

 一方で、「限定容認論」や「新三要件」も重要な概念でありますが、憲法解釈の変更を当てはめた結果こういうことになるという概念であって、憲法解釈そのものの基準となる概念ではないと考えます。そう考えると、憲法解釈の基準となる概念は、従来も、現在も、「必要最小限度」の範囲にとどまる自衛のための措置であるかどうかということに尽きるのではないかと考えます。

 したがって、今回「限定容認論」や「新三要件」で示された国際法上集団的自衛権の一部とみなされる措置が、「必要最小限度」の範囲にとどまる自衛のための措置であるかどうかということが、憲法論の焦点になるべきです。ここで、「必要最小限度」とは、我が国の存立を全うするため、すなわち、我が国を防衛するため、必要な措置であって最小限度のものであるかどうかという意味であると考えます。我が国の存立を全うするため必要な措置は、憲法が否定するものでは決してありません。この観点に立って、憲法議論が行われるのであれば、議論は意義あるものとなるでしょう。

 それにもかかわらず、また、日本を取り巻く国際情勢が大きく変化していると説明しているにもかかわらず、従来の憲法解釈との異同についての議論に終始しているのは、国家にとって有益ではありません。憲法は、自衛権について何も規定していませんが、国民の幸福追求権を考えれば、決して我が国の存立を全うするため必要な措置を否定するものではありません。その基準は、「必要最小限度」の範囲内に収まるものか否かにもってひとえに懸かっているのです。

 これらのことを図示してみました。右上の図は、ダウンロードできます。

 以上は、私見であり、政府の公式見解とは関係ありません。

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参議院選挙制度改革(7月14日)

 参議院自民党は、来年施行される参議院議員通常選挙から、選挙制度改革として10増10減を行うことを決定しました。これに伴い、初めて4県2合区が行われるとともに、3県において2人区が1人区とされることになります。合区が行われる鳥取県及び島根県並びに高知県及び徳島県の皆さん、また、定数削減が行われる長野県、宮城県及び新潟県の皆さんには、大変申し訳ないことです。特に初めて合区が行われ、2県に1人の代表しか選出できなくなる地域の皆さんには、十分理解を求めなければなりません。なお、これにより、兵庫県(3人区)、北海道(3人区)、東京都(6人区)、福岡県(3人区)及び愛知県(4人区)において、それぞれの定数が2人増加することになります(括弧は、増加後)。

 前回の通常選挙までに、自民党は4増4減を決め、福島県及び岐阜県で2人区を1人区とする定数削減を行ったところですが、一票の較差の是正は4.75倍にとどまり、前々回の選挙に引き続いて最高裁判所から「違憲状態」の判決を受けました。そして、裁判所は、定数の増減にとどまらず、選挙制度の仕組み自体の見直しが必要であると求めてきています。国会も、4増4減を決めた選挙制度改革の中で、引き続き、抜本的な選挙制度の改革に取り組むことを法律上約束しています。

 各会派で構成する参議院選挙制度協議会では、昨年4月に、脇座長案を提出しました。その内容は、較差を2倍未満とするため22府県11合区をするものであり、都道府県選挙区を基本として考える自民党としてはとても受け入れることのできないものでした。その後も、昨年6月に、脇座長調整案(10県5合区)が提出され、各会派との間で調整を続けましたが、昨年12月までに成案を得ることができず、同協議会は、本年2月に、山崎参議院議長の下の各会派代表者等で構成する選挙制度改革検討会にその旨報告し、活動を終えました。報告を受けた同検討会の協議でも、同様な状況が続き、本年5月に、山崎議長から、「各政党間で議論を進めてほしい。」旨の指示が行われたところです。

 その後の政党間協議でも、合区を行わず、定数削減による6増6減を主張する自民党と、飽くまで較差2倍未満を主張し、20県10合区を主張する民主党及び公明党との意見のかい離は大きく、結論を見いだせない状況が続きました。その時、維新の党、日本を元気にする会、次世代の党及び新党改革の4会派から、今回の10増10減案が斡旋案として示されたのです。

 自民党としては、この4党斡旋案に、賛同することとしました。その時、次のようなことを考えました。

 従来定数是正は2人区の定数削減によって実施してきており、今回仮に合区という初めての措置を講ずるのであれば、まず従来の定数削減を優先して行う必要があると考えました。そのため、前回定数削減を行った岐阜県とほぼ人口が同じ長野県、それよりも人口の多い宮城県及び新潟県を加え、2人区を1人区とする定数削減を行うこととしました。なお、新潟県よりも人口の多い府県で定数削減を行うと当該府県が較差の最も大きい府県となることから、選挙区定数削減による是正措置は、今後大きな人口変動がない限り、新潟県をもって最後となります。

 しかし、3県の定数削減だけでは、較差はわずか4.31倍までにしか縮小しないことから、やむを得ず合区を検討せざるを得ないこととなりました。そこで、人口が少ない順に、4県までは互いに隣接しているが、それ以降は人口が少なくない府県との合区をせざるを得ないこと、また、4県2合区を行えば較差が3倍を切ることから、鳥取県及び島根県並びに高知県及び徳島県を合区の対象としたものです。

 このほか、2人区において定数を1人を削減し、同区を3年ごとに2人区と1人区とする奇数区案も検討しましたが、これによっても較差は3.73倍程度にとどまること、最少人口県選挙区が何も変わらず抜本的改革とは言えないこと、2人区と1人区では選挙の優位性が全く異なり、党内調整が混乱することなどから、見送りました。また、最少人口の鳥取県や島根県の選挙区に兵庫県や広島県の一部を編入する案もありましたが、それこそ自ら都道府県選挙区制度を放棄するものであり、また、編入地域の住民の合意を得るのは困難であるので、この案も見送りました。

 また、当初から定数増加を行わないという申合せの下協議を行ってきましたが、仮に較差3倍を切るためには丁度50人の、2倍を切るためには100人を超える定数増が必要であり、もとより現実性のある話ではありません。

 私たちは、10増10減により、違憲状態は解消されるものと考えています。すなわち、合区は最高裁判所の求める選挙制度の仕組み自体の見直しに該当すること、一票の較差が4.75倍から2.97倍へと大幅に縮小すること、政権を決定する衆議院の一票の較差とはこれまでも異なる憲法判断が示されてきており、都道府県選挙区を原則とする参議院選挙区制度の下で、ぎりぎりの制度改革を行ったこと、憲法制定後の最初の参議院議員選挙選挙区での較差は2.62倍であり、2倍台の較差は憲法制定時から想定されていたことなどが言えるのではないかと考えています。

 今後は、合区によって当該県の代表者を選出できなくなる県の扱いについて、更に議論が行われるものと考えています。

 以上は、私見であり、政府や参議院自民党の公式見解ではありません。

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限定容認論はなぜ合憲なのか(6月7日)

 先週の衆議院憲法審査会において、招致された参考人である3人の学者が、自民党推薦の者も含め、集団的自衛権の容認は違憲であると発言する「事件」が発生しました。その経緯は置いておきますが、限定容認論の下の集団的自衛権の行使について、いかに理解されていないかを痛切に感じました。このホームページで何度も説明しましたが、もう一度説明したいと思います。ただし、正確を期すとどうしても長いものになりますので、分かりやすさに重点を置いて思い切って説明の簡略化を図ります。

 先ず、憲法第9条を見ていただくことが必要です。私たちの共通の出発点です。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 憲法第9条第1項は、「戦争」「武力による威嚇」と「武力の行使」を禁止しています。一方で、「自衛権」には全く触れていませんが、朝鮮戦争の勃発などを経て、昭和29年に自衛隊が発足しました。そして、昭和34年に砂川判決が下され、我が国の存立を全うするための「自衛の措置」が国家固有の権能として認められました。もちろん、この「自衛の措置」が集団的自衛権を射程に入れていたとは言えませんが、それを明確に否定したものでもありません。

 砂川判決により、憲法第9条は「武力の行使」を禁止しているが、「自衛の措置」は例外として認められることが明らかになったのです。この判決は自衛権に関する唯一の最高裁判所判例であり、これ以降「自衛の措置」の内容については、全て政府の憲法解釈によって示されることになりました。

 昭和47年に初めての政府見解が出されました。その中で、砂川判決を前提としつつ、「自衛の措置」は、「あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対処し、「事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」としました。その上で、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としました。

 そして、昭和56年には、政府見解によって、「自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」としたのです。

 さらに、昨年の閣議決定において、「我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る」とした上で、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、@これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、Aこれを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、B必要最小限度の実力を行使することは、自衛のための措置として、憲法上許容される」という考え方を新たに示したのです。

 さて、ここまでが歴史的経緯です。先ず重要なことは、確かに国際法上の集団的自衛権は自国の危険と関係なく他国の防衛を共同で行うことを含みますが、我が国では限定容認論を採用し、上記のような我が国の存立が脅かされる事態において、必要最小限度の実力の行使しかできないこととしたところです。この第3要件である「必要最小限度の実力の行使」について、安倍総理は、従来の個別的自衛権の政府見解を継承し、「一般に海外派兵をしない」ことを明らかにしました。すなわち、我が国は、「自衛の措置」に当たっては、原則として他国の領土、領海では、戦闘行為を行わないのです。

 こうした前提に立てば、このような限定容認論の下の集団的自衛権の行使は、昭和47年見解の「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容」とするものでは決してなく、また、従来どおり昭和56年見解の「必要最小限度の範囲にとどまる」内容の武力の行使に限定され、国連憲章で認められている集団的自衛権の一部を新たに限定的に認めたものの、従来の政府見解の枠組みを維持したものとなっています。したがって、これまでの政府の憲法解釈が合憲であるのであれば、今回の憲法解釈の変更も合憲と考えているのです。

 加えて言えば、かつて自衛隊が海外派遣されるというようなことが想定されていない時代では、個別的自衛権のみを議論していれば良かったのですが、現在において、国際情勢の緊張が高まり、ミサイルなどの軍事技術が進歩する中では、自ずと自衛の措置の「必要最小限度」の内容も変わってくるべきなのです。

 さて、憲法審査会において、長谷部恭男教授は、憲法解釈の変更の合憲性について大きく二つのことを発言しており、一つは、「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を揺るがす」というものであり、もう一つは、「他国への攻撃に対して武力を行使するというのは、これは自衛と言うよりはむしろ他衛である」というものです。

 私たちは、上述のように、今回の憲法解釈の変更は従来の政府見解の枠組みを維持したものと考えていますし、限定容認論の下の集団的自衛権は一般に海外派兵は行わず「自衛の措置」に限って行うものとしています。このことの理解を深めていただければ、教授から異なる発言を聞くことができたのではないかと考えます。なお、教授からこのほか「憲法解釈が不明確化した」などの有益な御指摘を頂いており、これらの点については、今後の国会審議に活かしていきたいと思います。

 以上は、私見であり、政府の公式見解とは関係ありません。

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平和安全法制国会議論の争点(5月28日)

 いよいよ衆議院平和安全法制特別委員会での質疑が始まりました。その緒戦の議論で中心となった課題について、分かりやすく解説します。

1 後方支援のリスクが高まるのでは?

 国連決議に基づき複数の国が国際法に違反した国に対して軍事的制裁活動を行うとき、我が国は、国会の承認を得て、後方支援を行うことができます。なぜ後方支援しかできないかと言えば、我が国は、憲法第9条の規定により、自衛の措置を除いて武力の行使が禁止されているからです。その際、直接の武力の行使ではなくても、我が国の活動が他国の武力の行使と一体化することは、憲法解釈として禁止されています。

 従来の特別措置法では、派遣の期間を通じて戦闘が行われる可能性がない地域を「非戦闘地域」と定め、後方支援のための自衛隊の活動はその地域に限られるものとしていました。しかし、「非戦闘地域」の概念は分かりにくいとの批判が従来あり、また、自衛隊の活動の自由度が制限されることから、今回、他国の武力の行使との一体化が生じない区域を憲法解釈上ぎりぎり検討し、「戦闘の現場以外の場所」でなければ自衛隊は活動を行ってはならないこととしたところです。そのことを指摘して、野党から、「自衛隊のリスクが拡大した。」との批判がなされているのです。

 確かに、「戦闘の現場」は、従来の「戦闘地域」よりも限定された概念であり、法律上、行ってはならないと規定された区域が狭まったのは事実です。しかし、行ってはならないとされた区域以外の区域に自衛隊が行かなければならない義務が法律上生ずるわけではなく、法制的に自衛隊のリスクが拡大したと指摘するのは早計です。なぜならば、実際の自衛隊の活動区域は、事態に応じて個別に基本計画によって定められ、その内容については国会の承認を得ることとされています。その際、政府は、派遣の期間を通じて戦闘が行われる見込みがない場所を活動区域として定めるものと、答弁しているところです。

 実際、過去唯一の後方支援であった9.11後のアフガン戦争では、自衛隊はアフガニスタンからはるか離れたインド洋上で艦船への給油活動に努めたのであり、もちろん大変な活動であったわけですが、直接的な危険はありませんでした。後方支援には、様々な活動が想定されますが、我が国の自衛隊は、他国の武力の行使と一体化しない安全な地域で活動することになります。

 野党の一部に「兵站を担う後方支援は、かえって危険だ。」との指摘がありますが、政府が「安全だから後方支援をする。」などと説明したことは一度もありません。後方支援の実施は、国連決議に基づく集団安全保障措置への参加であり、それに伴い一定のリスクを負うのは、当然のことです。

2 海外派兵は本当にしないのか?
 
 自衛権行使の新三要件に該当するときは、我が国は、自衛の措置として、我が国が直接武力攻撃を受けていなくても、他国への武力攻撃があった場合は、集団的自衛権を行使することができます。この場合にも、従来「湾岸戦争、イラク戦争のような戦争に武力の行使を目的として参加することはない。」と答弁しており、他国の領土、領海及び領空において「一般に海外派兵は行わない。」こととしています。その旨答弁したところ、野党がけげんな様子でした。

 この答弁は、個別的自衛権の行使についても従来行っているところであり、新たな答弁ではありません。自衛権行使の三要件のうち第3要件の「必要最小限度にとどまること。」は今回の法制においても変更されておらず、この第3要件の説明として従来「一般に海外派兵は行わない。」と答弁しているところです。ただし、「一般に」としており、例外はあり得ます。従来、それを行うことが我が国を防衛する唯一の手段である場合には、他国の領土においても戦闘を行うことがあり得るとしています。この説明は、集団的自衛権についても、該当するのです。なお、集団的自衛権の行使としての他国領域での機雷掃海は、受動的、限定的活動であることから、行うことができるものと解しています。

 この説明は、新三要件の第3要件について解説したものであるので、「新三要件に該当する場合に限り集団的自衛権を行使できる。」という従来の説明と矛盾するものではありません。

 また、「集団的自衛権の行使は、専守防衛に反するものではないか。」という指摘もありますが、集団的自衛権は、第三国から密接な関係を有する他国に対する武力攻撃が始まっており、かつ、限定容認論の下その結果我が国の存立が脅かされる場合にしか行使できないものであって、従来の専守防衛の考え方をいささかも変更するものではありません。

 「集団的自衛権ではなく、個別的自衛権の延長で自衛の措置を認めるべきだ。」いう意見がありますが、個別的自衛権の行使の要件を拡大することは我が国が正面に立った武力の行使を行いやすくするものであり、また、他国から先制攻撃の批判を受けるものであって、適当ではありません。飽くまで、個別的自衛権は、我が国が武力攻撃を受けた場合にしか行使できないという重要な一線は堅持すべきです。

3 アメリカの戦争に巻き込まれることはないのか?

 我が国は、主権国家です。主権国家である我が国が、我が国の法令に準拠せず、他国の戦争に追随することはあり得ません。また、自衛隊の海外派遣には原則として国会承認が必要であり、国会承認がない自衛隊派遣はできません。

 有事において自衛隊が行動する場合は、4つの場合があります。武力攻撃事態の個別的自衛権及び存立危機事態の集団的自衛権の行使、そして重要影響事態及び国際平和共同対処事態での後方支援です。

 個別的自衛権の行使は、既に我が国に対する武力攻撃が発生した事態に限られます。集団的自衛権は、まだ我が国に対する武力攻撃は発生してはいませんが、そのままでは我が国にそれと同様の戦禍が及ぶ明白な危険がある事態において、行使できるものです。重要影響事態とは、我が国の平和と安全に重要な影響を及ぼす事態をいいます。したがって、これまでの3つの事態は、いずれも我が国の存立を全うし、我が国の安全保障を確保するために重大な状況の下においてしか認定されないものであり、アメリカの戦争に巻き込まれるという批判は当たりません。

 これに対し、国際平和共同対処事態での後方支援は、我が国の平和と安全に直接関係のある事態ではなく、正に国際貢献を目的として行われるものです。この活動は、国連の決議に基づき、国会の例外なき事前承認を得て、他の多くの国連加盟国と共同して行うものです。したがって、この活動も、アメリカの戦争に巻き込まれるという批判は当たりません。

 なお、この国連決議が「武力行使容認決議」に限られないという指摘がありますが、戦後これが認められたのは朝鮮戦争と湾岸戦争のみです。国連安全保障理事会の5常任理事国には拒否権が認められていることから、余程の事態でないとこの決議が成立することはなく、それでは狭すぎると考えています。いずれにしても、しっかりとした国連決議の存在は、国際貢献としての後方支援を行う上で前提とされています。

 以上は、私見であり、政府の公式見解とは関係ありません。

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安全保障法制早わかり(4月28日)

 4月27日(月)までに、安全保障法制整備に関する与党協議の第3ラウンドは、おおむね事実上決着しました。第3ラウンドは、条文協議という形で行われ、政府から重要条文のイメージが示されました。最終的には、新法の国際平和支援法案と一部改正法10本を束ねた改正一括法案の2本の法律案が、5月半ばに閣議決定される見通しです。いつものように私のオリジナルの図表を使って、説明していきたいと思います。

(自衛の措置)
 図表左上が、日本有事です。まず、武力攻撃事態等と呼ばれる事態があり、「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態(武力攻撃事態)」及び「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態(武力攻撃切迫事態)」においては、自衛隊に防衛出動を命ずることができます。そして、実際の武力攻撃があったときは、個別的自衛権により、武力の行使を行うことができます。また、「武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態(武力攻撃予測事態)」においては、防衛出動に備え諸般の準備を行うことができるとともに、国民保護法を発動することができます。ここまでは、従来の有事法制によって既に制度化されています。

 今回新たに、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、(そのままでは、)これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)」においては、自衛権を発動し、他国と共同して武力の行使を行うため防衛出動を命ずることができることとしました。この自衛権のことを、国際法上、「集団的自衛権」と呼びます。個別的自衛権とは、我が国に対する直接の武力攻撃がまだ行われていないところに違いがあります。また、我が国では、集団的自衛権は、限定容認論を採り、我が国の存立が脅かされる事態でなければ行使できません。この集団的自衛権については、昨年7月の閣議決着どおり法案化されることになりました。いずれの自衛権も、防衛出動の下令に当たっては、緊急の場合を除き、国会の事前承認が必要です。

(集団安全保障)
 図表右上が、集団安全保障といわれる分野です。国際法上違法な行為を行った国に対する制裁など他国が国際正義のため集団で行う武力の行使に対し、我が国が後方支援を行うことができます。この行動は、「我が国の平和と安全」に係るものと「世界の平和と安全」に係るものに分かれており、前者を狭義の「後方支援」、後者を「協力支援」と呼びます。我が国は、憲法第9条の規定により、自衛の措置を除き、武力の行使が禁止されているので、国際法上正当性を有する集団安全保障に参加する場合においても、後方支援に限られるのです。この後方支援は、他国の武力の行使と一体化することは禁じられており、「戦闘の現場」では行うことができないものとされました。

 我が国の平和と安全に係る事態は、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態(重要影響事態)」とされましたが、基本的に従来の周辺事態法の定義を引き継ぎ、あたかも地理的概念と誤解されるおそれがある「周辺事態」という用語を使わないこととしたものの、現行の周辺事態法をそのまま継承し、「重要影響事態安全確保法」を設けます。基本的には日米安全保障条約に基づき我が国を防衛する米軍の支援を中核とするものですが、新たに米軍以外の我が国の防衛に資する活動を行う他国軍隊についても支援できることとしました。この活動には、現行法どおり、緊急の場合を除き、国会の事前承認が必要です。

 世界の平和と安全に係る事態は、「国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国連憲章の目的に従い共同して対処する活動を行い、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの(国際平和共同対処事態)」とされ、新たに「国際平和支援法」を設けて対処することとしました。この分野は、従来事態ごとに特別措置法を設けて対処していたものを一般法によって対処することとしたものです。しかし、この活動には、基本計画を添えて、例外なき国会の事前承認が必要であり、自衛隊の民主統制の観点から変更があったわけではありません。

 また、この活動を行う前提とし、国連総会又は安全保障理事会による共同対処活動を行うことの決議又は当該事態が平和に対する脅威若しくは平和の破壊であるとの認識を示した上での国連加盟国の取組を求める決議が必要です。こうした国際法上の正当性がなければ、我が国は、協力支援を行うことができません。

 このほか、重要影響事態及び国際平和共同対処事態では、捜索救助活動船舶検査を行うことができます。船舶検査では、船長の同意を得ない強制船舶検査は行わないこととしました。

(国際平和協力)
 図表右下は、国際平和協力活動です。紛争発生後停戦協定が発効している地域において、停戦監視、復興支援等を行うものです。現行のPKO法を改正し、「国際平和協力法」を設けます。従来我が国は国連PKO活動(国連平和維持活動)しか参加できませんでしたが、今回国連PKO活動以外の非国連統轄下の活動(国際連携平和安全活動)についても参加できるようにしました。ただし、新たな活動についても、国連PKO参加のときの5原則と同様な厳格な参加原則によることとしました。また、参加に当たっては、国連総会、安全保障理事会若しくは経済社会理事会の決議、国連、国連機関、国連難民高等弁務官事務所等の国連専門機関若しくは欧州連合等の国連憲章の地域的機関若しくは多国間条約で設立された機関の要請又は国連の支持を受けた当該国の要請が前提となります。

 活動内容としては、従来国連PKO活動で行うことが可能であった停戦監視、選挙監視、人道復興支援のほか、新たに安全確保活動、国家の再建支援、司令部業務への参加ができることとなるほか、他国部隊が不測の侵害を受けた場合等にいわゆる駆け付け警護ができるようになります。それに伴い、安全確保活動駆け付け警護では、任務遂行のための武器使用を認めることになります。ただし、危害許容要件(相手に対する直接の武器使用)は、引き続き、正当防衛又は緊急避難に限ることとします。このうち、停戦監視活動及び安全確保活動については、現行法どおり、実施計画を添えて、国会の閉会中及び衆議院の解散中を除き、国会の事前承認が必要です。

(武力攻撃に至らない事態)
 図表左下は、武力攻撃に至らない事態、いわゆるグレーゾーンへの我が国の対処の強化です。まず、従来平時の武装集団等からの攻撃に際し自衛隊の装備に対してのみ認められていた武器を使用した武器等防護を、米軍等の部隊であって自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事しているものの武器等にも拡大することとしました。この措置は、重要影響事態でも行うことができます。また、防衛大臣は、外務大臣から依頼があった場合は、内閣総理大臣の承認を得て、在外邦人の警護、救出等の措置を行えることとしました。この措置は、当該国の同意を得て、当該国の警察権を一部代行するものであるので、当該国において責任ある当局が治安の維持に当たっていることが前提となります。この場合も、任務遂行のための武器使用を認めることになります。

 このほか、米軍への物品役務の提供を、情報収集、警戒監視業務に従事する部隊に対しても、行えるようにします。また、自衛隊の海上警備行動治安出動の下令を迅速に行えるようにするため、電話を利用した閣議決定を運用で行えるようにします。

 以上切れ目のない安全保障法制を整備するため、法制の整備は広範に及んでおり、一般の皆さんには分かりにくい点も多々あることと思います。あらゆる事態に備えて隙間のない法制を構築すると、こういうことになります。ただし、重要なことは、こうした法制を整備したからといって、事態等が起きた場合、必ず自衛隊が出動し、何でもするわけではないということです。例えば我が国が唯一後方支援を行った9.11後のアフガン戦争では、戦場から遠く離れたインド洋上での給油活動にとどめていました。その時の国際情勢を十分勘案した上で、実際に自衛隊を出動させるかどうか、さらに自衛隊が出動した場合にどこまでするのかは、その時の政府の判断と国会の判断にかかっているのです。このことの理解は、極めて重要です。

 政府としては、今後、5月半ばの閣議決定を経て法案を国会に提出し、今国会中の成立を全力を挙げて目指す方針です。

 以上、個人的見解であり、政府の公式見解とは関係ありません。

切れ目のない「平和安全法制」に関するQ&A(pdf.自由民主党安全保障法制整備推進本部)

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明解大分方言(4月10日)

 安全保障の話が続いたので、たまには文化的な話と思い、大分方言について書いてみることにしました。

 大分市は、江戸時代は、府内藩と呼ばれ、譜代大名の松平氏が支配していました。したがって、そんな大した方言なんてと思っていましたが、どの地方都市とも同じで、結構いろいろ方言があるものです。その他の市町村も、豊後国は小藩分立であり、多くの言語文化があったことと思います。特に県西部の日田市は、江戸時代には代官所が置かれ、九州の政治の中心として天領日田と呼ばれていました。そのため、福岡県の文化圏にあり、現在でも地元紙よりも西日本新聞がよく売れています。そうしたことから、県央、豊前国中津市、宇佐市を中心とする県北、佐伯市を中心とする県南、日田市を中心とする県西で、言葉も大きく違っています。ここでは、大分市含む県央を中心に県内で一般的に遣われている言葉について、お話ししたいと思います。

 大分方言についてよく自慢されることは、大分方言には、現在完了形と現在進行形の区別があるということです。
 朝起床して窓を開けたときの第一声、
  「あ! 雪がふっちょる。」
  「あ! 雪がふりよる。」
 どちらがどういう意味でしょうか。「雪がふっちょる。」が現在完了形、「雪がふりよる。」が現在進行形です。前者は、窓を開けてみたら、一面雪が積もっていますが、今は雪が降ってはいないというニュアンスです。後者は、窓を開けてみたら、今まさに雪が降っている最中だというニュアンスです。大分県人ならばすぐ分かりますが、皆さん、いかがでしょうか。標準語では、いずれも「雪がふっている。」となって、区別が付きません。

 もう一つは、可能を表す「れる・られる」の助動詞に様々な変化があるということです。
 「魚を食べなさい。」と言われたときの会話、
 「この魚は、食べらるるんか?」
 「もう少しなら、食べれるよ。」
 「僕は、刺身は、食べきらん。」
 「食べらるる」というのは、「(腐ってなくて)食べられる」など食べても大丈夫だという意味です。話の対象が可能な状態にあることを示します。「食べれる」は、「(おなかがすいているので)食べられる」という意味であり、主体が可能な状態にあることを示します。それが、「食べきる」となると、「食べる能力がある」という意味になり、主体の能力を示します。標準語では、いずれも「食べられる」とするところを、いろいろなニュアンスで使い分けができます。 

 ここから幾つかの語彙を紹介しますが、大分方言の長は何と言っても「よだきい」でしょう。疲れてやる気が出ないというニュアンスの言葉であり、なかなか標準語には該当がありません。東京弁の「かったるい」に近いのかもしれません。「よだきいのう」と言えば、もっとまったりとした何となくアンニュイな雰囲気を共有することができます。決して非勤労的な県民性ではないのですが、第一に挙げられる方言です。一方で、「しらしんけん」という一所懸命の最上級のような方言もあり、様々です。

 「一寸ずり」という言葉も、他県で通用しないので、大分県民はびっくりします。例えば道路が渋滞していて自動車がゆっくりとしか進まない様を言います。説明すれば、分かる言葉かもしれません。「一寸」とは、もちろん「ちょっと」という意味です。「ずり」が難しく、標準語では、「ずれる」は、基準と合致しないという意味で用いますが、大分方言では、「ずる」は、ずれるようにするという意味から、「少し動く」という意味でも用います。三人掛けの長椅子に3人目の人が座りにくいときに、「ちょっとずっちょくれ」と言います。そうすると、隙間を空けてくれるのです。

 交通関係の用語では、ほかにも、「離合」という漢語の方言があります。これは、九州周辺では通じるので、方言と気が付いていない人も多いのです。「こん道は、離合が難しい。」など、道路上で、車が行き違うことを言います。鉄道用語としては、単線区間で列車がすれ違うことを離合というのは、標準語だそうです。しかし、それを道路用語に用いるのは、九州を中心とした方言のようです。

 関西で勤務していた頃、書類をとじるのにパンチという言葉が頭に浮かばなかったので、女性職員に「穴ほぎ機を持ってきてください。」と言ったところ、「え!」と言われ、「穴をほぐ機械があるでしょう。」、「え!!」ということになってしまいました。穴を空けることを大分方言では「ほぐ」と言うのです。

 動詞系では、今でも自然に「なおす」という言葉を遣ってしまいます。標準語の物を修理するとか、病気を治すという意味ではなく、大分方言では、片付けて仕舞うことを「なおす」と言います。子供たちは、「おもちゃをなおしときよえ。」と親から言われます。そのほか、たまがる(びっくりする)は分かる人が多いかもしれませんが、ほたる(捨てる)、くゆる(崩れる)、かやる(倒れる)などは、難解です。「はく」を「はわく」、「ころぶ」を「こける」と言うのは、最近全国的に広がってきています。

 方言の特色でしょうか、悪口系の形容詞がたくさんあります。いびしい(気持ち悪い)、うたちい(汚い)、おろいい(性格が悪い)、ぎゅうらしい(仰々しい)、げさきい(下品な)、こさきい(ずるい)、しちくじい(しつこい)、しゃあしい(やかましい)、せからしい(うるさい)、むげねえ(かわいそうな)、めんどしい(恥ずかしい)などが有名です。

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安保法制与党協議の結果(3月27日)

 自民党及び公明党の代表で構成する安全保障法制整備に関する与党協議会は、3月20日、「安全保障法制整備の具体的な方向性について」と題する報告書を取りまとめました。安全保障法制の整備は、多岐に及び、一般の国民の皆さんには難解な内容が多いので、簡単に解説します。ただし、与党協議は政治決着であり、その内容は報告書に書いてあるとおりであって、その真意は何かというようなことは現段階では言えません。したがって、報告書に書いていることを分かりやすく説明することに尽きますので、どうぞ御理解ください。なお、右の図表は、説明のため私が作成したオリジナルのものであり、報告書とは関係ありません。

 与党協議会は、2月13日に再開し、7回にわたって協議を続けました。その結果、政府は、新年度予算成立後、「国の存立を全うし国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備関連法律案」の提出を目指しており、それが5月半ばにできるよう準備を進めることとなりました。そのため、政府が具体的法律案を準備した後、更に詳細な議論を行うため4月中旬に与党協議会を再開することになりました。

 報告書の総論では、いかなる事態においても切れ目のない対応を可能とする法制を整備することを定めるとともに、特に自衛隊の海外活動の参加に当たっては、@国際法上の正当性を有すること、A国会の民主的統制を確保すること、B自衛隊員の安全確保のため必要な措置を定めることの三原則を掲げました。

 第一に、武力攻撃に至らない侵害への対処、すなわちグレーゾーンについては、これまで自衛隊内部でのみ認められていた武装集団等から急襲されたときの武器を使用した武器等防護を、米艦等のアメリカの武器等についても可能とすることとしました。さらに、アメリカ以外の国の武器等の防護についても、我が国の防衛に資する活動を行っている場合であって我が国の防衛力を構成する重要な物的手段に当たり得る場合に限り検討の対象とすることとしました。このほか、自衛隊の海上警備行動や治安出動の手続の迅速化については、別途閣議決定することとしました。(図左下)

 第二に、我が国の平和と安全に資する活動を行う他国軍隊に対する支援活動(後方支援等)については、既存の周辺事態法の改正により、日米安保条約の効果的な運用に寄与し、当該事態に対応して活動を行う米軍以外の国の軍隊に対する支援を実施できることとする等、目的規定を見直すこととしました。その際、武力の行使との一体化を防ぐための枠組みを設定するとともに、原則国会の事前承認を要するという周辺事態法の枠組みを維持することとしました。(図右上左)

 第三に、国際社会の平和と安全への一層の貢献については、国際社会の平和と安全のために活動する他国軍隊に対する支援活動(後方支援等)のため、これまでの特別措置法に替え、一般法の制定を検討することとしました。その際、武力の行使との一体化を防ぐための枠組みを設定すること、関連する国連決議があること、国会の事前承認を基本とすること、及び自衛隊員の安全確保のため必要な措置を定めることを検討の前提とすることとしました。国会承認の「原則」と「基本」の用語の違いについては、基本の方がより厳格なものと説明されています。(図右上右)
 なお、第二及び第三において、我が国の行動が後方支援等にとどまるのは、憲法第9条の解釈により我が国は自衛権の行使を除いては武力の行使ができないこととされているからです。

 また、PKO(国連平和維持活動)については、業務の拡大及び駆け付け警護など武器使用権限の見直しを行うこととしました。PKO以外の国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動等の国際的な平和協力活動については、PKO参加5原則と同様の厳格な参加原則によること、関連する国連決議等があること、国会の事前承認を基本とすること、及び自衛隊員の安全の確保のための必要な措置を定めることを前提として新たな法整備を行うこととしました。(図右下)
 なお、国際貢献での後方支援等については国連決議が要件とされているのに対し、国際平和協力活動については国連決議等が要件とされているのは、前者が他国軍隊への軍事的な支援であるのに対し、後者が我が国が実施する平和協力活動であることの違いから、後者の要件を広くしたものです。

 第四に、憲法第9条の下で許容される自衛の措置については、昨年の閣議決定でほぼ決着済みの事項であり、それで定められた武力の行使の「新三要件」及びそれ以降の国会質疑等で明らかにされた政府の考え方を条文に過不足なく盛り込むこととしました。その際、新たな武力の行使、すなわち集団的自衛権を行使できる事態について事態対処法に規定するとともに、その際の自衛隊の行動については現行の自衛隊法の防衛出動の中で規定することとしました。(図左上右)

 第五に、その他の改正事項については、まず船舶検査については、日本の平和と安全のための活動以外でも、現行の権限を前提として国際社会の平和と安全のための活動も行えるよう法整備することとしました。他国軍隊に対する物品・役務の提供、アクサについては、米軍に対する情報収集、警戒監視等の分野についても、拡大を検討することとしました。(図右下)
 在外邦人の救出については、領域国の同意があり、その権力が維持されている範囲で活動すること、内閣総理大臣の承認を要すること、及び在外邦人の安全を含む活動の安全な実施に必要な措置を定めることを前提に法整備を検討することとしました。在外邦人の救出は、救出スポットが明確な場合において、その国の警察権を代行して行うものであることに理解が必要です。(図左下)

 以上が報告書の主な内容です。解説は、政府の公式見解ではありません。

 安全保障法制整備の具体的な方向性について(pdf)

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一般法とは何か(2月10日)

 国会の質疑の中で、安全保障法制との絡みで「恒久法を作るのかどうか」という議論がされていますが、「恒久法」とは、どういうことなのでしょうか。恒久法とは、永久に存在する法律という意味であり、「特別措置法」に対する用語です。しかし、法律は、いずれも、廃止しない限り永続するものであり、恒久法というのは当たり前のことであって、特別措置法に対する用語は「一般法」の方がいいと考えますので、この論稿では以下「一般法」を用います。

 1990年8月イラクによるクウェート侵攻を受け、国連が多国籍軍の派遣を決定し、1991年1月イラクにおいて空爆を開始しました。この湾岸戦争において、日本国政府は、日本の参加を決定するのに時間を要し、結局資金援助にとどまったため、135億ドルもの拠出をしたにもかかわらず、世界の国から評価されないという事態に陥りました。この反省に基づき、日本は、1992年に自衛隊の派遣を可能とするPKO協力法を制定するとともに、ペルシャ湾の機雷除去を目的として海上自衛隊の掃海艇を派遣しました。

 また、9.11アメリカ同時多発テロの発生を受け、2001年テロ対策特別措置法を制定し、アフガニスタンに対抗するアメリカを中心とする有志国連合に対し、自衛隊が公海上で給油等の後方支援を行いました。さらに、イラク戦争終結後の復興支援のため、2003年イラク人道復興支援特別措置法を制定し、イラクにおける給水や学校等公共施設の復旧などの仕事に自衛隊が携わりました。くわえて、テロ対策特別措置法による措置を実質的に継承するため、2008年テロ対策補給支援特別措置法を制定しました。

 このように、自衛隊を海外に派遣する場合は、一般法が制定されているPKO(国連平和維持活動)の場合を除き、事態に応じて個別の特別措置法を制定して対応してきたのです。これに対して、一般法とは、自衛隊の海外派遣に関する大枠をあらかじめ法律で定めておき、緊急事態が起きたときに、法律に基づいて政府が派遣基本計画を立て、その内容について国会承認を得ることによって、対応の迅速化を図ろうとするものであります。

 昨年の安全保障法制整備に係る閣議決定には、次のように記載されています。

 いわゆる後方支援と言われる支援活動それ自体は、「武力の行使」に当たらない活動である。例えば、国際の平和及び安全が脅かされ、国際社会が国際連合安全保障理事会決議に基づいて一致団結して対応するようなときに、我が国が当該決議に基づき正当な「武力の行使」を行う他国軍隊に対してこうした支援活動を行うことが必要な場合がある。 (中略) 安全保障環境が更に大きく変化する中で、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために、自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である。


 重要なことは、我が国は、こうした国際的な集団安全保障活動に参加する場合においても、武力の行使をすることはできず、後方支援にとどまるということです。正当防衛を行使しなければならないような特殊な状況を除き、国際貢献の場面において、自衛隊が戦闘を行うことは、全く想定されていません。

 それでも、自衛隊の海外派遣に慎重な見解を持つ人たちは、自衛隊の派遣は、法律の検討段階から十分に議論を尽くすべきであり、一般法を制定すべきでないと主張しています。一方で、国際貢献を迅速に決定すべきだという見解を持つ人たちは、一般法を制定しても、政府が計画を策定して派遣内容にしばりを掛け、その内容について国会で承認を得るのであるから、国会による民主統制には、何ら支障はないと主張しています。手続を慎重にすべきだという主張と手続を迅速にすべきだという主張の違いがあり、率直に言って議論に交わりがありません。

 政府は、安全保障法制の整備に当たっては、「あらゆる事態に切れ目のない対応」を可能とすることが重要であり、将来ニーズが発生してから、改めて特別措置法などで対応するという考え方をとることは一切考えておらず、恒久法(一般法)で対応することを検討しているとしています。今後、安全保障法制の整備に係る与党協議の中で、一つの議論のポイントになるものと考えられます。

 以上は、私見であり、政府の公式見解とは関係ありません。

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切れ目のない安全保障法制の整備(1月27日)

 昨年末から安全保障法制についての新聞報道が続いているので、ここで、もう一度法制の全体像について整理しておきたいと思います。ただし、何か新しい話をするというのではなく、昨年7月の閣議決定の内容を分かりやすく再構成するものです。

 新聞は、各社分かりやすさを競っていろいろと表現を工夫していますが、安全保障に関わる事態を数直線上に示して一次元的に考えるのは、余り適当でないと考えます。安全保障に関わる事態は、二次元、すなわち平面的に考えるべきです。そのためには、四象限に分類するのが、最も明確であると思います。

 横軸には、我が国(日本)の事態なのか我が国以外の事態なのかをとります。我が国以外の事態とは、日本の安全保障に直接関係がない事態をいい、国際貢献に関わる事態をいいます。縦軸には、有事か平時かをとります。有事とは、広義の武力攻撃事態のことであり、国際法上は戦争状態をいいます。平時とは、平和な時という意味ではなく、有事でないという意味で平時なのです。すなわち、戦争には至っていない事態をいいます。この横軸と縦軸を掛け合わせると、四象限の分類ができます。結果、日本有事、日本平時、国際貢献有事、国際貢献平時の四象限が現れます。それぞれについて、説明していきましょう。

 日本有事とは、これまで、他国から我が国に対する武力攻撃が行われる事態、すなわち武力攻撃事態をいい、その場合に限って個別的自衛権を行使できることとされていました。なお、当該事態の前においても、武力攻撃予測事態を認定したときは、一定の準備行為ができることとされています。加えて、昨年の閣議決定では、他国から我が国に対する武力攻撃が行われていない状況でも、他国が第三国に対する武力攻撃を開始し、それが我が国民の人権を根底から覆す明白な危険がある事態である場合に限って、集団的自衛権の行使を認めることとしました。このように、個別的自衛権を行使し得る事態と集団的自衛権を行使し得る事態では、前提となる事態が異なるので、両事態は並列的に存在すると考えるべきでしょう。

 日本平時とは、一般に、国又は国に準ずる集団からの武力攻撃であるとは判断できない武装集団などから我が国や我が国の安全保障に資する行動をしている米艦等への攻撃があった場合が該当します。他国の艦船であっても、領海内での徘徊など国際法に抵触する動きはしているが、武力を用いていない場合も、この範ちゅうに入ります。さらに、外国で武装集団によって邦人が人質に取られており、当該国の同意を得て邦人救出を行わなければならない場合も、含まれます。米艦等に対する武装集団からの攻撃に対しては、これまで自衛隊に認められていた武器等防護ができるようにします。また、邦人救出に当たっては、任務遂行のための武器使用ができるようにします。あわせて、領海警備の強化のため、自衛隊の海上警備行動や治安出動が迅速にできるよう、運用の改善を行います。

 国際貢献に関わる事態で有事とは、国際法上の違法行為をした国に対し、国際的に軍事的な制裁行動が行われている事態をいいます。国連軍の派遣がこれに当たりますが、正規の国連軍は一度も組織されたことがありません。次が、国連安全保障理事会の決議に基づいて、多国籍軍が組織される事態です。その次が、安保理決議はないが、有志国連合が組織される事態です。これらの事態を「集団安全保障」と呼びますが、安倍総理は「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません。」と明言しており、我が国が武力行使をすることはできません。一方で、我が国は、積極的平和主義の立場から、我が国の判断で、こうした取組に対し、他国の武力行使と一体化しない範囲で、後方支援を行うことができます。

 国際貢献に関わる事態で平時とは、国際紛争又は地域紛争において停戦協定が発効している事態をいいます。その最たるものがPKO(国連平和維持活動)です。PKOには従来我が国も参加していますが、他国部隊が武装集団に襲撃された場合など駆け付け警護できないなどの問題がありました。今後は、国又は国に準ずる集団が出てこない前提を確保しつつ、駆け付け警護ができるようにします。このほか、紛争終結後の人道復興支援活動なども、この範ちゅうに入ります。

 以上は、昨年の閣議決定を再構成したものです。安全保障の全体像は、それでもかなり複雑であり、これを国民の皆さんに全て分かりやすく説明するのは、率直に言って至難なことです。更に工夫をして、分かりやすい説明に努めていきます。

 ここで重要なことは、安倍総理が何度も主張しているように、いかなる事態にも対処できるように切れ目のない安全保障法制を整備するということです。事態が生じてから法律を作るというのでは、緊急事態には間に合いません。あらゆる事態に備えて、法制を準備しておくことが必要です。しかし、このことは、国際的なあらゆる事態に対し、我が国が関与するということではありません。その時の国際情勢や国内情勢をしっかりと把握して、その時の政府や国会がきちんと政治判断することが必要です。あらゆる事態に備えて法制を整備するということと、実際に自衛隊を出動させるということは、全く次元の異なる話です。

 現在、政府部内において昨年の閣議決定に基づいて法案を作成中であり、与党調整を経て5月の連休明けにも関連法案を提出する見通しです。

 以上は、私見であって、政府の公式見解ではありません。

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自民党憲法改正草案の意義(1月14日)

 自由民主党は、国民政党であります。国民政党とは、特定のイデオロギーに固執せず、できるだけ多くの国民の意見をまとめ、そして、あらゆる立場の人々を受け入れることができる政党のことを言います。国民にも、自民党のこの姿勢は受け入れられていると考えます。しかし、一方で、生の自民党というものがあります。国民政党であるが故にある意味ほとんど政党としての芯の部分がなくなっているのですが、なお党是というものがあります。そして、唯一党是と言えるものが、「自主憲法の制定」です。憲法改正草案は、その芯の部分を表現したものであることは、是非とも理解していただきたいのです。

 現行憲法は、連合国軍総司令部(GHQ)、すなわち占領軍によって我が国の主権が制限されている時代に、GHQがわずか8日間で作成した英文テキストを基礎とし、それをほとんどの条項で翻訳することによって作られたものです。占領中の憲法改正はハーグ条約に照らしても問題があり、何よりも日本人の手によって作られた憲法ではないのです。このことに、自民党は、保守合同による結党以来大きな疑問を感じてきました。

 とはいうものの、現行憲法制定以来70年近くの歳月が流れ、自民党の中でも、憲法無効論を唱える人は少数になっています。自民党は、現行憲法を前提とした上で、その改正手続に沿って、国民の手による憲法を作り上げたいと考えています。そのため、平成17年に「新憲法草案」を、平成24年に「日本国憲法改正草案」を発表しました。特に後者の平成24年案は、野党時代に作られたものであり、何も遠慮することもなかったので、生の自民党の主張が率直に採り上げられている箇所が多いのも事実でしょう。

 ただし、このことと、実際の憲法改正手続に入ったときの対応とは、また全く異なるものです。憲法改正を発議するためには、衆参両院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成を得なければなりません。これは、なかなか大変なことです。したがって、自民党の考えだけで憲法改正ができるわけではありませんから、実際の憲法改正手続には、現実的な対応が必要になります。憲法改正草案を基礎としつつ、他党の賛同が得られそうな条項に議論を集約していくこととなります。

 決して、憲法改正草案に批判をすべきでないと言っているわけではありません。公党が発表した憲法改正草案であるので、いかように批判いただいても、結構です。ただし、自民党にも一政党としての思想信条の自由があり、それは尊重していただきたいと思います。もう少し、個別具体的な議論があってもいいのではないかと考えているところです。

 その中で、立憲主義を踏まえていないという批判が先ず行われます。簡単に言うと、憲法は、権力を制約するためのものであるという主張です。憲法は、個人の人権を保障する人権憲章の部分と権力を制約する三権分立などの規定でできていると説明されています。それに対して、自民党の憲法改正草案は、国民の憲法遵守義務を定めたり、家族の共助など新たな国民の義務を定めたりし、立憲主義に反していると唱えています。

 憲法が基本的人権の尊重を定め、主権在民や三権分立など権力の抑制を定めることを主要な役割として有していることについては、そのとおりであります。しかし、簡単なことですが、「憲法は、それだけか。」ということの議論が十分に行われていません。御承知のように、現行憲法には、勤労の義務、納税の義務及び子供に教育を受けさせる義務の国民の三大義務が定められています。これらの規定は、間違った規定なのでしょうか。立憲主義を唱える人から明確な説明を頂いたことは、一度もありません。他国の憲法では、国防の義務や日本では考えられませんが徴兵の義務なども規定されています。こうした国の憲法はおかしな憲法なのでしょうか。

 憲法が立憲主義に基づいて制定されていることを否定する考えは、全くありません。しかし、立憲主義以外のことは規定してはならないと、誰が決めたのでしょうか。いつの間にか、立憲主義という憲法に関わる説明概念を、護憲派の人たちが、道具概念(物事の正否を決める基準)にすり替えてきたのではないでしょうか。自民党は、憲法は、国家の基本法であると考えています。その中で、市民憲章である立憲主義に関わる部分が主要な部分を占めるべきであることは、当然のことです。しかし、憲法にそれ以外のことを規定してはならないという決まりはないと考えます。我が国の国柄をきちんと反映させるのも、憲法の重要な役割です。

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新年を迎えて〜回顧と展望〜(1月1日)


 明けましておめでとうございます。
 
 昨年の総選挙では、多くの国民の皆さんの御支援を賜り、誠にありがとうございました。景気回復を最優先課題とし、アベノミクスを一層推進するため努力を続けます。12月24日(水)に、第3次安倍内閣が発足し、私は、引き続き、国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官を拝命しました。総理補佐官としての任期は、3年目を迎えました。

 総理補佐官としての最初の仕事は、国家安全保障会議、日本版NSCの設立でした。一昨年、有識者会議を経て、臨時国会に国家安全保障会議法案を提出し、年末に法改正が施行されました。これに伴い、昨年1月内閣法の改正が施行され、私が初代の国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官を拝命するとともに、内閣官房に国家安全保障局が設置され、初代局長に谷内正太郎氏が就任しました。国家安全保障会議は、外交防衛政策の司令塔として、会議を重ね、十分な機能を果たしています。

 この仕事と並行して行っていたのが、国家安全保障戦略の策定と武器輸出三原則の見直しです。これらの課題は、大きく国論を二分することもなく、諸外国からも一定の評価を頂いています。国家安全保障戦略は、これまでなかった外交防衛の長期戦略を国内外に明らかにするものであり、政策の透明性を高める上で大きく貢献しました。一方、武器輸出三原則の見直しは、決して従来の平和貿易を変更するものではなく、国際的な武器の共同開発の動きが進む中で、そうした流れに適切に対応していくものです。

 一方で、大議論がされたのは、特定秘密保護法でした。この議論は、大きな誤解に基づくマスコミの誤った報道により、想定しない範囲にまで過熱しました。どこの国にも、国家安全保障上の秘密はあり、日本でも、従来、防衛秘密については法律を設けて保護していましたが、その他の秘密については運用で秘密指定をして対処してきました。運用による秘密指定のままだと、国家公務員法の守秘義務違反の罰則しか科すことができないので、新たに法律を設け、秘密漏えいの罰則を国際標準に合わせて引き上げることとしたものです。

 このように、特定秘密保護法は、公務員に対する罰則強化を目的として制定されたものであり、秘密を増やしたり、一般国民への規制を加えたりするものでは、全くありません。それにもかかわらず、「情報」というマスコミがらみの課題であったにしても、なお異常な報道が続いていることについては、遺憾に感じます。この法律については、森まさ子国務大臣が担当大臣を務め、現在上川陽子法務大臣がそれを引き継いでくれています。

 そして、最大の課題が国家安全保障法制の整備であり、なかんずく集団的自衛権の行使に関する政府解釈の変更が大きな課題でした。有識者懇談会の報告を受け、昨年5月与党協議が始まり、7月1日の閣議決定までが最大の山場でした。今年の春以降具体的な法律改正案を提出し、5月の連休明けから国会の審議が始まる見通しです。憲法解釈の変更を閣議決定したのがおかしいというような変な批判があるのですが、閣議決定は、政府与党の方針を決定するものであり、野党の意見を聴くべきものではありません。自衛隊の行動には自衛隊法を始めとする法律の根拠が必要であり、今後それらの法律の改正案を提出し、国会において時間を掛けてじっくりと議論をしていただきます。この仕事については、江渡聡徳防衛大臣を経て現在中谷元防衛大臣が担当大臣を務めています。ベテランの中谷大臣の御尽力に期待します。

 あわせて、外務・防衛両省の仕事ですが、日米防衛ガイドラインの18年ぶりの改訂も、期限が迫っています。安全保障法制の整備と整合性がとれる形で、この春にまとめていくことになります。

 選挙制度も、私の担当です。就任以来、ネット選挙運動の解禁、都道府県議会議員選挙区制度の改善に努めるほか、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる法案の取りまとめをしてきました。残念なのは、衆議院の定数削減及び参議院の定数是正の方向性がまだはっきりとしていないことです。衆議院議員の定数削減は、第三者機関の報告を得て、それを尊重して方針決定することとしています。参議院の定数是正も、本格議論はこれからですが、次の参議院議員選挙から適用するため、次期通常国会に改正案を提出します。ただし、これらは国会の仕事ですので、私は外から知恵を出すのが仕事です。

 そして、今年最大の仕事は、憲法改正です。これは、政府の仕事ではなく、自由民主党、党の仕事です。党では、憲法改正推進本部事務局長を務めています。まず、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる公職選挙法改正案を再提出して、これを成立させるため努力します。選挙権年齢の引下げは、次期参議院議員選挙から適用する方針です。それと並行して、他党と協議して、憲法改正原案の案を作成していくことになります。

 これまで、国民投票法の改正、公職選挙法の改正案の策定などは、憲法改正に絶対反対の共産党と社民党を除く全8政党で行ってきました。昨年末みんなの党が解散したので7党になりましたが、基本的にはこの枠組みで憲法改正原案の案を策定していきたいと考えています。発議に衆参両院で3分の2以上の賛成を要する憲法改正は、自民党の考え方だけでできるものではありません。第1回目の憲法改正は、できるだけ多くの賛同を集めていく考えです。

 実施時期は、まだ決めていませんが、次期参議院議員選挙と同時に国民投票を実施する案と同選挙を経てその直後に国民投票をする案があります。いずれにしても、憲法改正勢力が衆参両院で3分の2以上存在していることが、前提となります。改正点については、緊急事態条項や環境権など幾つかの点が挙げられていますが、今後の各党間の議論に委ねられます。その取りまとめが、今年の重要な仕事です。

 以上、総理補佐官就任以来の課題について回顧と展望をしてきました。今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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