(平成23年(2011年))

◎過去の「私の主張」は、左のメニューから御覧ください。
◇今年を振り返って(12月30日)
◇女性宮家の創設問題(12月14日)
◇「大阪都政」とは?(11月29日)
◇国家公務員給与の削減と労働協約締結権の付与
 (11月4日)

◇空想的道州制論 (10月26日)
◇英語教育の充実を(10月14日)
◇マスコミと常用漢字(10月6日)
◇自治基本条例(9月14日)
◇政治はどうあるべきか(8月17日)
◇一事不再議(7月30日)
◇自民党の質問術(7月22日)
◇居座り続ける菅総理(7月10日)
◇復興財源(6月8日)
◇菅総理は即辞任を(6月5日)
◇東電福島第一原発初動ミスによるメルトダウン(5月
 19日)

◇東電福島第一原発海水注入の遅れ(5月6日)
◇福島第一原発ベント13時間の謎(4月19日)
◇福島第一原発事故の本質(4月12日)
◇福島第一原発初動態勢の問題(3月30日)
◇連立と一本釣り(3月24日)
◇東日本巨大地震について(3月18日)
◇第3号被保険者運用救済問題(3月5日)
◇名古屋市長選挙を考える(2月8日)
◇修正協議(1月31日)
◇愛知県知事選挙重徳氏を推薦すべき(1月16日)
◇一票の格差(1月2日)

今年を振り返って(12月30日)

 3月11日の東日本大震災の発生とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所事故は、本当に衝撃的でした。改めて、御逝去された皆様の御冥福をお祈りするとともに、被災され、今なお避難生活を続けられている皆様に心からお見舞いを申し上げます。また、災害の最中には身命を掛けて住民の避難誘導をされた方、災害後にはボランティアとして力を尽くされ方など多くの人の絆があったことも、忘れてはなりません。あれほどの巨大津波の来襲は想像を絶するものでありましたが、原子力災害には震災前後の人災的要素があり、今後徹底的な検証を続けなければなりません。

 私は、被災地を視察し、テレビで見るのとは全く異なる圧倒的な自然の驚異と被害の甚大さに、がく然としました。一刻も早く復旧復興に取りかからなければならないと感じ、現地での支援活動に携わりたい気持ちも強くありましたが、国会議員は国会で仕事をすることこそがお役に立てる道だと考え、立法活動に専念しました。政府与党の対策が遅々として進まないので、野党として多くの議員立法を行いました。党内で同僚と大議論して立法作業をした法案、国会の両院で提案者として答弁をした法案、いろいろな経験をしました。与野党の国会議員から「あちらこちらで、礒崎法案を見掛けるね。」と言われるようにもなりました。

 最も努力した被災市町村向けの災害臨時交付金法案は、全野党共同で参議院を通過させましたが、衆議院で政府提案の復興特区法案の中に吸収されることになりました。法案そのものは廃案になりましたが、復興特区法案の大修正によりその趣旨はほとんど取り入れられ、予算も要求満額の5,000億円を確保することができました。

 国会では、特に原子力災害の対応への政府の不手際を中心に追及しました。震災後菅前総理の初めての予算委員会質疑で、自民党の代表質問に立ち、発災翌日の原発視察やベントの遅れの問題などを指摘しました。当時は、「この国難のときに政府の足を引っ張ってけしからん」などの意見も多く寄せられました。しかし、最近公表された事故調査委員会の中間報告では、私の指摘したことがやはり事実であったとして幾つも記録されています。

 その後も復旧復興は進展せず、内閣不信任案が否決された後、菅総理は、いわゆる退陣三条件を提示し、居座り戦術をとりました。私は、必ずしも得意分野ではありませんが、菅総理の巨額政治献金疑惑を予算委員会で追及し、辞任へ追い込みました。それでも、退陣までに3か月近くを要し、その間まともな補正予算も組まれず、今日までの復旧復興の遅れの最大の原因となったことは、じくじたる思いです。故西岡参議院議長の菅総理への怒りの表情が思い出されます。

 経済的には、震災の影響に加え、空前の円高デフレ状態が続き、国内産業は極めて厳しい状態に陥りました。それにもかかわらず、菅内閣の後を受けて成立した野田内閣は景気対策を講じず、日本銀行も効果的な金融緩和を実施せず、その結果雇用も低迷を続けています。一方で、野田総理は、必要のない復興増税に続いて、消費税増税一辺倒であり、国の財政のみを重視し、国民生活は置き去りにしたままです。経済成長なくして、国と地方で1,000兆円にもなろうとする借金を減らしていくことは、絶対にできません。

 昨年の参議院選挙で、自民党は、消費税率を10パーセントに引き上げることを公約として戦いました。したがって、いずれ消費税増税は行わなければなりません。しかし、これだけ円高デフレの不景気の中で、消費税増税を強行して大丈夫とは考えられません。まず、景気回復策をしっかり講ずべきです。来年度予算案では、粉飾財源の交付国債を含め、国債の新規発行額は、50兆円近くになっています。仮に消費税を5パーセント引き上げても、国の分は3パーセント余りであり、8兆6,000億円程度にしかなりません。これでどうして財政再建につながるのか、野田総理は、十分な説明責任を果たしていません。

 それに加え、国家公務員給与の引下げや国会議員の定数削減は、与党により放置されたままです。消費税増税の前提となるこうしたことについて、野田総理は、全くリーダーシップを発揮していません。給与については、「人事院勧告は実施しない」という連合との密約を固守し、理由もなく、法律に基づいて当然行わなければならない人事院勧告の実施を拒否しています。国会議員定数の削減は、与党幹部が腹を固めれば、できるはずです。景気対策もせず、行政改革もせず、ただ増税路線をひた走る姿は、財務官僚に洗脳された野田総理とやゆされても仕方ありません。民主党の離党者が続いているのも、当然でしょう。

 年末になって、大阪府市の「大阪都」構想への対応や自民党憲法改正草案のリニューアルなどの仕事が増えてきました。こうした仕事も、的確に処理していかなければなりません。しかし、やはり、既に民主党政権は末期的状況にあり、早々に解散総選挙に追い込むことが必要です。来年の通常国会は、問責大臣の解任問題に始まります。震災復旧復興のための当初予算は、成立させなければなりません。その後は、早期に総選挙を行い、もう一度民意を問い直す必要があります。このままでは、外交、内政とも、大変な事態に陥ります。政局はできるだけ国民の皆さんの批判をお受けしないようスマートに事を進める必要がありますが、そうだけも言っておれません。批判を恐れずに、国と国民の将来をしっかりと見定めて行動する覚悟です。

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女性宮家の創設問題(12月14日)

 政府が、女性宮家の創設の検討を始めたと報道されていますが、どういう背景があるのでしょうか。皇族は、現在22方いらっしゃいますが、結婚適齢期以下の皇族は悠仁親王殿下を除き、全て女性です。具体的には、内廷の愛子内親王、秋篠宮の眞子、佳子両内親王、三笠宮の彬子、瑶子両女王、高円宮の承子、典子、絢子各女王の8方です。これらの方が今後御成婚なされると、皇室典範の規定により、皆皇室を去られることになります。

 憲法に皇位は世襲と定められ、皇室典範に皇位は男系男子が継承すると定められています。恐れ多いことですが、男子皇族が年齢順に即位するとすれば、皇太子殿下、秋篠宮殿下、悠仁親王殿下の順となります。常識的に考えると、悠仁さまが即位される頃には、その妃である皇后と子孫を除き、親族である皇族は全くいなくなってしまいます。そこで、皇族の一定の人数を維持するため、まだ御成婚されていない女性皇族に宮家を起こし、皇族にとどまっていただくことを考えたのです。

 この案には、いろいろな問題があり、宮家を創設するのは、内親王だけか、女王も含むのか、その配偶者や子孫も皇族になるのかなど、様々なことを検討しなければなりません。しかし、最大の論点は、女性宮家の創設が、女系天皇への途を開くものだとする反対論が強いことです。

 では、女系天皇とは、どういうことなのでしょうか。我が国の歴史の中で、かつて女性天皇はいたが、女系天皇は一人もいなかったとよく言われます。女性天皇は、8方10代あり、推古、皇極、斉明(皇極重祚)、持統、元明、元正、孝謙、称徳(孝謙重祚)、明正、後桜町の各天皇です。最後の2方は江戸時代ですが、その前は8世紀まで遡ります。これらの天皇は、いずれも男性天皇の皇女又は皇子の娘等であり、男系女性天皇であります。これに対し、仮に女性天皇の子孫が皇位につけば女系天皇と呼ばれます。これには、女系男性天皇と女系女性天皇があり得ますが、我が国の歴史上前例はありません。

 これから先は、やや宗教的な話であり、完全に理屈で説明することはできませんが、皇統は男性の血をもって継承してきたということです。では、女性天皇は、なぜ即位できたのかということですが、女性天皇には天皇又はその皇子以外の男性の血が入っていないと説明されています。とは言っても、皇后や妃にも父親はいるという反論もあるでしょうが、我が国の天皇家は、長い歴史の間男系で継承され、一度も女系天皇を認めなかったという歴史の重みに注目しなければなりません。

 さて、では、女性宮家の創設は、女系天皇への途を開くものなのでしょうか。私は、それは、やや感情的な議論ではないかと考えます。女系天皇の容認も、女性宮家の創設も、いずれも、法律である皇室典範の改正なくしてできることではありません。だから、皇位継承と無関係に女性宮家の創設もできるはずです。ただし、小泉内閣の時に設置された有識者懇談会が女性天皇の容認と女性宮家の創設をセットで議論したと指摘されていることには、触れておかなければなりません。

 私は、天皇制を維持していくためには、天皇を支える皇族が一定の人数必要であると考えます。今の二十人余りでは少なすぎます。また、お妃候補を育てるという点でも、ある程度の数の宮家は必要でしょう。民間からのお妃ももちろん結構ですが、御成婚が常にスムーズに行くとは限りません。財政的な観点から、皇族を増やすことへの反対論もあります。皇族の人数増加の歯止めは当然必要であり、そういう仕組みを設けるべきでしょうし、一定の皇族には通常のお仕事をしていただいてもいいのではないでしょうか。そうした点も踏まえ、私は、入り口から女性宮家の創設を否定する必要はなく、議論を尽くすべきだと考えます。

 しかしながら、女性宮家の創設では、男系男子の皇統の維持には寄与できません。今考えられているのは、法律上の手当てをし、戦後GHQの指令により皇籍を剥奪された旧宮家の後裔の男子に皇族の身分を取得していただき、現在継嗣が途絶えている宮家の御養子になっていただくということです。明治時代には、11の宮家があり、そのうち3家は断絶し、今に続くのは8家です。適齢期以下の男子がいない家を除くと、もう少し少なくなります。しかし、宮家が廃止されてから既に60年以上が経過しており、関係の皆さんの御意思を尊重しなければならず、そう簡単に事が進むものとも考えられません。一方で、男系男子の皇統を確実に維持していくためには、こうした方法しかなく、今後の積極的な検討が期待されます。

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「大阪都政」とは?(11月29日)

 大阪府知事・大阪市長ダブル選挙で地域政党の維新の会が圧勝し、橋下徹新大阪市長が提唱する「大阪都構想」が注目を集めています。一体どういう意味なのでしょうか。

 現在、「市」には、事実上4ランクあり、政令指定都市、中核市、特例市、そして一般市で、それぞれ権限が異なっています。指定都市制度は、地方自治法上古くからある制度であり、来年予定されている熊本市の指定をもって20市になります。指定都市は、警察や教育の権限を除き、ほとんど府県と同じ権限を持っています。また、指定都市には、行政区が置かれます。

 例えば神奈川県では、横浜市、川崎市及び相模原市の3市が指定都市であり、実に県議会議員の70パーセント近くが指定都市の選出です。そうなると、人口で約7割の区域には県の権限が限定的にしか及ばず、県の行政が空洞化してしまうのも、御理解いただけると思います。橋本新市長も、府知事を経験してそのことに気付いたのです。

 では、「都制」とは、どういう仕組みなのでしょうか。これは、基本的には、東京23区は、これを「特別区」と呼びますが、東京都が直轄するという仕組みです。地方自治法の施行後しばらくの間は、区長は、区議会が都知事の同意を得て選任していましたが、今では公選されています。現在、23区では、清掃や消防など、ほかでは市町村の権限である事務を都が直接管理しています。首都の特殊性に鑑み、東京都の権限を強化しているのです。

 このように、政令指定都市制度と都制は、地方分権の観点から全く逆の制度であると言えます。どちらがいいのか、一概には言えませんが、指定都市に余りに多くの権限を与え過ぎ、またその数も増やしてきたことから、府県行政が空洞化の危機にあることは指摘できるのではないでしょうか。総務省は、政令指定都市制度の抜本的な見直しを行わず、指定し続けてきたことを反省すべきでしょう。

 では、大阪都制を認めるべきでしょうか。私は、大阪府民の合意形成ができるのであれば、認めてもいいと考えます。あえて「都」呼ぶ必要はないでしょうが、指定都市を特別区に改編することは、それほど大それたことではなく、法律の改正は当然必要ですが、一定の条件の下できることにすればいいと考えます。問題は、府民の合意形成が本当にできるかという点です。大阪市や堺市は、特別区に分割され、一般市よりも格下げになるわけですから、簡単にはうんと言わないでしょう。橋下新市長の腕の見せ所です。なお、特別区の財政調整の行い方や市議会に比べて区議会議員数が増加することなど問題点もあることを指摘しておきます。

 一方で、自民党は、道州制の実施を公約としています。道州制との関係も議論しなければなりません。道州制になれば、府県はなくなり、市町村を広域で合併させ、基礎自治体が府県と市町村の権限を合わせたような行政権限を持つことになります。そうなると、政令指定都市制度の問題は、その中で解消されることになります。

 横浜市は、道州制の実施に当たり、同市を直轄市にすることを主張しています。中国では、北京市や上海市など大都市が、省に属さない直轄市になっています。ここで、直轄市とは、国が直接管理するという意味ではなく、道州に属さない、国と直接つながっている自治体のことを言います。これも、橋下新市長の都制論と真逆のものです。

 自民党では、党内に政令指定都市制度に関するPTを設置して、こうした問題の検討に着手します。まだ党内で議論をしていませんが、特別区制度の一般化の方向で議論を進めたいと考えます。

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国家公務員給与の削減と労働協約締結権の付与(11月4日)

 政府は、東日本大震災の復興財源を確保するため、国家公務員給与を約2年間にわたって平均7.8パーセント削減する特別措置法を提出しています。一方で、0.23パーセントの給与を削減する人事院勧告を実施しないことを決めました。川端総務大臣は、特別措置法の削減率が大きいので、人事院勧告を「内包」しており、問題はないと説明しています。しかし、自民党では、労働基本権が与えられていない公務員に対する代償措置としての人事院勧告を実施しないのは、憲法違反であると追及しています。

 自民党は、人事院勧告の実施と復興財源確保のための給与カットは、全く別の話であり、人事院勧告は、きちんと行うべきだと考えています。それをしないと、人勧引下げ前の給与水準が本年度の退職手当や義務教育費国庫負担金などに適用され、約120億円の過払いが生じます。復興増税を検討している時に、これは大きな無駄遣いです。

 昭和57年も人事院勧告を実施しなかったと政府は言っていますが、この時は、4.5パーセントの引上げ勧告があり、財政難からこれを見送ったものです。後に最高裁は合憲判決を出しましたが、この場合は、人勧を実施した上で給与改定を行わないとすれば、違法以外の何物でもなかったのです。今回は、勧告を実施した上で、特別措置法で給与カットを上乗せしても、方向が同じであるので、支障が全くないのです。できるのに行わないとすれば、それは憲法違反です。これが仮に給与引上げの勧告であっても、特別措置法で別途暫定給与を定めるのであれば、違憲ではないと考えます。

 連合は、平成23年度当初給与に対して10%、8%、5%の給与カットを約束したのだから、人事院勧告の0.23パーセントをそれに上乗せするのは、約束違反だと主張しています。それは、分からないわけではありません。必要ならば、そうならないよう法的に調整することは可能でしょう。しかし、このわずかなカットの上乗せを避けるために人事院勧告を実施すべきでないと言うのは、物事の軽重が全く分かっていません。

 国家公務員給与の7.8パーセントの削減は、東日本大震災という未曾有の大災害が生じ、その復興財源に充てるものであること、約2年間の暫定措置であること、給与カットについて一部ではあるが労使合意があることなどに鑑みれば、憲法上の問題はないと考えるべきでしょう。

 さて、政府は、この特別措置法とともに、国家公務員に労働協約締結権を付与する法案を提出しています。公務員には、団結権及び交渉権が与えられていますが、争議権は与えられていません。さすがの民主党も争議権の付与は当面あきらめたようですが、交渉権のうち公務員に与えられていない労働協約締結権の付与を決めました。公務員の場合、当局と交渉はできますが、その結果を文書で約束することはできないのです。当局が聞き置くのが公務員の労使関係の限界でした。でも、この話は少しおかしいのです。

 そもそも、国家公務員人件費2割削減は、民主党の総選挙マニフェストに掲げられていたことであり、大震災とは関係なかったのです。それが、大震災の後、その復興財源論にすり替えられ、しかも約2年間の暫定措置とされました。国家公務員の労働基本権について検討することは、公務員制度改革基本法にも規定されており、一定の理解をしています。しかし、今回の場合は、約2年間の暫定措置であり、2年経ったら給与額が元に復するのに、労働協約締結権の付与ということはいささか乱暴だと思います。2年経ったら労働協約締結権も、返上してくれるのでしょうか。川端総務大臣は、給与カットと労働協約締結権の付与はセットに考えないと、明確な答弁をしました。当然のことです。ただし、民主党の人件費2割削減のマニフェストは、いつ実現する気なのでしょうか。

 時々、自民党は公務員給与の削減に反対していると誤解している人がいますが、そうではありません。人事院勧告は例年どおりきちんと実施し、その上で大震災復興財源としての給与削減を行うべきだと主張しているのです。

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空想的道州制論 (10月26日)

 私は、自民党の道州制推進本部事務局次長を務め、超党派の道州制推進議員連盟の役員も務めています。いわば道州制の推進派なのですが、私自身、道州制がそう簡単に実現するものとは考えていません。それは、「道州制」がいかなるものであるのか、推進派の皆さんの間でも、考え方が一致していないからです。

 「都道府県を廃して、道州を置く。」概念的には簡単なことのようですが、実は、そこから間違いがあり、「空想的道州制論」を惹起しているのです。地方で道州制を推進している多くの知事さんたちは、府県が集まって地方分権の受け皿である道州を作り、そこに国からの権限移譲を行うことを、イメージしています。もちろん全く間違っていると言うつもりはありませんが、私は、道州制は国家の分割であり、国(の事務)を分割して道州を置き、府県を分割して市町村と合わせて基礎自治体を置くものだと考えています。実際、多くの国家公務員が道州公務員に身分替えし、多くの府県職員が市町村職員と共に基礎自治体公務員になるものと想定しています。

 もちろん道州公務員となる府県職員も相当数存在すると思いますが、府県が道州になるわけではないのです。道州制が地方分権と軌を一にするものであることは否定しませんが、国家の分割によって道州を置くのであり、府県が受け皿を作るのとは少し違うと思います。こう言うと、「そうではなく、我々が地方政府を担うのだ。」と主張をされる知事さんもいらっしゃると思います。現在の有力知事の中から道州知事が公選されることは十分あり得ると思いますが、それと組織論は異なります。この認識のずれを意識している国会議員は少なく、そのためいつまでも空想的道州制論が続き、議論を空転させています。

 また、道州制は、「国のかたち」を変えることなのです。この認識が、国会議員の中に乏しいのです。その証拠に、これまでの道州制の議論の中で、道州の制度については大いに議論されてきましたが、国の制度がどう変わるのかほとんど議論されてきた形跡はありません。具体的なお話をしましょう。

 「警察の事務は、どのレベルの事務ですか。」「消防の事務は、どのレベルの事務ですか。」と、質問されれば、前者は都道府県、後者は市町村と答えるのが、正解です。しかし、現在、国には、警察庁も消防庁も置かれています。どんなに地方に権限移譲をしても、国の省庁には、国会に提出する所管法律を立案する事務は、残されるのです。「いやいや、法令の権限も道州や基礎自治体に移譲するのだ。」という意見もあるでしょう。しかし、そう簡単にそのことの合意は得られないでしょう。義務教育は、介護保険は、生活保護は、どうするのでしょうか。国が全く関与しないなどということは、日本の国柄考えられません。今どうすべきだと言いたいのではなく、こうした国家の縦割り構造をどう変えるのかという議論が行われていないことを指摘したいのです。

 道州制の導入によって、国会が、内閣が、霞が関の行政機関がどう変わるのかという議論こそ、本来道州制の入口で行わなければならないのです。しかし、そのためには、膨大な検討が必要です。「国のかたち」全体を考える天才的な能力が必要です。明治維新で、坂本龍馬は、その役割を果たしました。でも、今の国家機構は、江戸幕府ほど単純ではないのです。多くの人は道州制の導入が地方自治法の改正によってできると思っているのではないかと、疑いたくなります。こう言うと、中央省庁の再編案を持ってくる人も多いのですが、そんな話でもありません。道州に対する国の関与の在り方を事務の種類ごとに一つ一つ決めていく必要があります。

 道州制の導入が地方分権だと思い込んでいること、道州制とは「国のかたち」の改変であるとの認識がないこと、この二つが空想的道州制論の主な症状です。今後、道州制基本法案を作る段階で、この誤解を解いていかなければなりません。そのことが、道州制を一歩進めることになると信じています。

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英語教育の充実を(10月14日)

 国際化などと言われ久しいのですが、その間の国力の相対的な衰えは隠せません。日本人が海外に出て行って諸外国と対等に経済競争しなければならない時代を迎えたことは、皆さん御存じのとおりです。言うまでもなく、そのためには英語力が必要です。日本の外資系企業でも、まず英語のできるインド人や中国人から採用し、日本人はその後だと言われています。

 日本人は、なぜ英語が下手なのでしょうか。私は、英語が聞こえないからだと考えます。なぜ、聞こえないのでしょうか。それは、日本語には、母音や子音の数が極端に少ないからです。御承知のとおり、母音は、5つしかありません。子音も、20もないのではないでしょうか。三木武夫総理が旧仮名遣いで話した最後の総理でした。例えば客観的を「きゃっくゎんてき」と発声していました。今は、「kw」という子音はなくなりました。もちろん増えた子音もあります。外来語ですが、先輩方は飴のことを「キャンデー」と発音することがありますが、私たちは「キャンディー」と発音します。昔は、「dy」という子音はなかったのです。また、日本語は、原則母音で終わり、「ン」を除いて子音止めがないことも、指摘しておかなければなりません。

 大きな問題は、「r」と「l」の区別がないことにあります。中国語にも韓国語にもアールとエルの区別はあります。日本語だけではありませんが、この区別がない言語は少ないのです。言葉ですから、聞こえさえすれば、話せるはずです。日本人には、英語が聞こえない大きなハンディーがあるのです。rice(米)とlice(シラミ)は良く例に出されますが、英語をしゃべる人にとって、アールとエルは、全く違う音です。

 私は、麻生太郎元総理が総務大臣の時に同省の国際室長を務めており、外遊にはいつも同行していました。麻生先生は、海外での留学と勤務の経験があり、素晴らしい英語力をお持ちです。だいたい事務方で現地の皆さんにお集まりいただいていれば、後は「大臣、御自由にお話しください。」と申し上げれば、通訳も何もいりません。困ったことは、時々「ところで、礒崎君、君はどう思う。」と横に振って来ることです。"I think so as they said."(私も彼らと同じように思います。)などとと、いい加減ことを言っていました。

 閑話休題。日本人全体の英語力を向上させるためには、ヒアリングと言うよりも、英語の音そのものを聞こえるように、小さい頃から訓練することが必要であると考えます。そういう観点から、小学校での英語教育は、賛成です。むしろ、幼児期も、必要かもしれません。日本語もできないのに、英語を教えてどうするという意見もあります。それも、真実です。だから、何も難しいことを教える必要は、ありません。簡単な挨拶や単語遊びでもいい。しかし、発音だけは、正確に教える。できるだけ正確に発音させることが必要でしょう。

 もちろん、日本人の英語は、日本語英語でいいのですが、英語の音がきちんと聞こえるようになれば、発音も多少まともなものに近づいて行くと、考えられます。音声教材やAET(アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー)を活用するのも結構ですが、この際、小中学校で英語を教える先生たちに徹底的に発音教育をして、日本人の英語力を一気に向上させてはいかがでしょうか。それとも、もう手遅れでしょうか。

 私は、余裕のある時間がとれるようになったら、中高生を相手に英語塾でも開こうと考えています。発音のいい生徒が育つかどうか保証の限りではありませんが。

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マスコミと常用漢字(10月6日)

 休会中ですので、また少し閑話を。昨年常用漢字表が大きく改定され、常用漢字として196字が追加され、2,136字となりました。これに伴って、新聞用語懇談会のマスコミ表記基準では従来表外文字45字、表外訓を用いる文字10字があったのですが、漢字表記の差異が随分小さくなりました。しかし、まだ少しの違いが残されており、このことについて先日文化庁と議論しました。

 新聞用語懇談会の表外文字(常用漢字以外でマスコミで用いる漢字をいいます。)で常用漢字表に追加されずに残されたのは、わずか2字で、「哨」と「磯」があります。「哨」は、「哨戒」や「歩哨」などに用います。「哨」の使用頻度は2824位(以下単に「〜位」とのみ記載します。)ですが、「哨」とは見張りの意味であり、軍事用語に用例が偏っているということでした。「磯(2032位)」は、使用頻度は高いのですが、「磯山・磯川」さんなど固有名詞での頻度が高く、今回は追加が見送られたということです。教育界からは、常用漢字が2,000を大幅に超えることに抵抗が大きかったそうです。
 
 また、新聞用語懇談会の表外訓(常用漢字の読みがないがマスコミで用いる読みをいいます。)として、「証(あかす)」と「鶏(とり)」が残されました。「証す」と書くと、「しょうす」とも読み、また、「明かす」とも書くことから、混乱を避けたようです。「鶏」には「にわとり」という読みがあり、「とり」には「鳥」が普通使われることから、採用は見送られました。

 常用漢字表の改訂後に、新聞用語懇談会は、新たに表外文字として、「絆(2304位)」「疹(2804位)」及び「胚(2760位)」を加えました。「絆」は、大震災を考えれば常用漢字表に入れても良かったのかなと感じます。ただし、「きずな」しか読みがないのが難点でした。「疹」は、「湿疹」など病名以外の造語力がないということでした。「胚」は、「胚芽米」という用例があるのですが、それ以外は専門用語としての用例しかないということです。また、表外訓として、「虹(コウ)」を加えましたが、これも「虹彩」以外に用例がないということです。

 また、新聞用語懇談会の表外熟語(特定の熟語にのみ表外文字や表外訓を用いるものをいいます。)として、「一揆」「獅子」「庄屋」が残され、「銑鉄」「貫禄」「肛門」「蘇生」「挽回」が追加されました。これらは、いずれも一部が表外文字のものです。「揆(2239位)」、「獅(2248位)」及び「庄(1492位)」は、いずれも歴史的事柄の表記であるという理由で、常用漢字表に加えられませんでした。「銑」は、今回の常用漢字表の改定で大議論の末削除された漢字です。「禄(1660位)」には、貫禄という熟語はありますが、漢字そのものは歴史的事柄の表記であると判断されました。「肛(2871位)」は、肛門以外の意味で使うことがないということです。「蘇(1745位)」は、頻度は高いのですが、「阿蘇」を始め、固有名詞での使用が多いということです。「挽(2565位)」は、挽回以外熟語はないそうです。

 新聞用語懇談会の常用漢字で書ける表外熟語として、「公家」「巻層雲」「席巻」「卒塔婆」「大夫・太夫」「外様」「刃傷」「人身御供」が残されました。卒塔婆、大夫・太夫、刃傷及び人身御供は、歴史的事柄の表記と言えるのでしょう。公家は、「こうけ・こうか」とも読むそうです。巻層雲は専門用語という整理であり、席巻は意外と頻度が低いそうです。外様は、「外様大名」で小中学校の教科書にも出て来るのではないでしょうか。歴史的事柄の表記と言えば、それまでですが。

 一方で、新聞用語懇談会が妥協した漢字もあります。従来、同協会は、常用漢字のうち、「謁」「虞」「箇」「且」「遵」「但」「脹」「朕」「附」「又」「濫」の11字を用いないこととしていました。「脹」は、膨脹しか用例がなく、これも最近膨張と書くことから、常用漢字表から削除されました。常用漢字表の改定後、新聞用語懇談会は、「謁見」「箇所」及び「氾濫」を用いることとしました。箇所は、マスコミでは、従来「個所」と書いていました。NHKのニュースでも、最近「氾濫」の表記が見られます。したがって、マスコミで用いない常用漢字は、7字になりました。このうち虞、且、但は公用文でも用いないので、事実上の差異は4字になっています。

 朕は、今上陛下がお使いになることはないので、常用漢字表から削除してもいいのではないかと考えますが、いろいろと抵抗があるようです。虞、且及び但は、憲法に用いられているので、残されているそうです。「遵守」「附則」や「又は」は、現行法制でも用います。昨年の常用漢字表の改定については、拙著「分かりやすい公用文の書き方(改訂版)」に詳述したので、是非御覧ください。

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自治基本条例(9月14日)

 自民党では、このたび「チョット待て!!“自治基本条例”〜つくるべきかどうか、もう一度考えよう〜」というパンフレットを作成し、全国に発信することとしました。既に全国182の市町村で自治基本条例が制定されており、現在制定を検討している団体もたくさんあります。自民党内で議論をした結果、「自治基本条例の制定そのものに問題があるわけではないが、条例の個々の条文の中には共通した問題があるものが多く、自治基本条例の制定には十分注意することが必要である。」という結論に達しました。

 なぜそういうことが起きるかというと、この条例の制定には、自治労が随分動いています。もちろん自治労が動いているから悪いというわけではありませんが、その主張のバックボーンには、菅直人前総理の師である松下圭一法政大学名誉教授の「複数信託論」があります。複数信託論というのは、自治体、国、国際の各レベルの政府がそれぞれ市民の信託によって成り立っているという考え方です。一見格好のいい考え方のように感じますが、こんなことを言い出すと「国家」というものが何であるのか、さっぱり分からなくなります。

 日本国憲法は、国民主権を高らかに宣言し、政治的決定者としての個人の主権と対外的な主体としての国家の主権を認めています。地方自治は、国権の分与であるという考え方が、今でも通説です。憲法には、地方自治は国の定める法律の範囲内で行われるものと定められています。地方分権はもちろん推進していかなければなりませんが、それは国家の主権の範囲で行われるべきものです。だから、自民党は、「地域主権」という用語を法律用語として用いることに反対し、民主党政府の提出した「地域主権一括法案」から題名も含めて全て「地域主権」という用語を削らせました。

 このように自治基本条例が左翼市民運動の理論に基づいて制定されてきた経緯について、知らない国民が多いのです。では、具体的にどういう問題があるのでしょうか。

@ 多くの自治基本条例がその条例を「最高規範」と定めています。条例は、全て平等であり、他の条例に優越する上位の条例などというものは認められません。
A 「市民主権」「地域主権」「協働」「信託」といった市民運動用語を頻繁に使っています。
B 「市は、自主的に法令の解釈及び運用を行う。」というような、とんでもない規定もあります。
C 「市民が、その総意によって、市や議会を設置する。」という、これもとんでもない規定です。
D 住民投票の規定が置かれることがありますが、慎重に対応すべきであり、特に市の意思を拘束するような住民投票は認められません。また、参政権のない外国人や選挙権のない子供にまで投票を認めるのは、問題です。
E 「地区協議会」や「地域協議会」の規定が置かれることがありますが、既存の自治会や町内会との関係をきちんと整理すべきです。

 このほかも様々な問題がありますが、制定の過程にも、大きな問題があります。市当局や議会が主体的に検討していればいいのですが、「制定市民会議」のようなものが設置され、公募によって思想的に偏った委員構成のまま審議が進められてきた事例も散見されます。多くの団体で、自治基本条例の制定検討が行われていることが、市民にきちんと報告されていないということが最大の問題です。一方で、私の地元の大分市のホームページにも複数信託論が「二重信託論」としてあたかも通説ように掲げられているのです。善意に考えても、担当の市の職員が、自治基本条例の裏には左翼市民運動の関わりがあることを知らないのです。

 そこで、自民党としても、自治基本条例に関する国民啓発が必要であると考え、このたびパンフレットを作成しました。下の「新着情報」に掲げたので、是非ダウンロードして御覧ください。

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政治はどうあるべきか(8月17日)

 東日本大震災の復旧復興のため、国民が一致団結して邁進しなければならないことは、言うまでもありません。そのためにこそ、国政がどうあるべきか、真剣に考えなくてはなりません。多くの国民が、今政治の不安定さを身をもって感じているのではないでしょうか。政治は決して演劇ではなく、その在り方は国民の生活に直結するものであることを意識していることと思います。なぜ、政治が不安定なのでしょうか。

 一つは、比較的長期政権だった小泉政権の後、自民党で3政権、民主党で2政権が毎年猫の目のように変わり、国のリーダーシップが定まらなかったことがあるでしょう。もう一つは、衆参両院のねじれ現象が生じ、与野党の対決法案が成立しにくくなっていることが挙げられるでしょう。二大政党制で、国民に選択肢を与えるとして衆議院に小選挙区制を導入したのですが、そのことが政治を不安定にしていることも、否めません。自民党は長期安定政権であったから問題が生じたのであって、決して国民のため安定政権が悪いわけではありません。

 何か政局は悪いこと、政策はいいこと。「もっと与野党協力しなさい。」という声をよく聞きます。必要な協力はもちろん行わなければなりませんが、国の政治の仕組みは基本的にそうなってはいません。議院内閣制では、衆議院で多数をとった政党が政権を握ります。したがって、国政レベルでは、政党は、常に対決的な立場にあります。地方政治であれば、住民から直接選挙された首長が、基本的に国の作った枠組みの中で、中立的な行政を行えばいいのですが、中央政治はそうはなっていません。そこには、イデオロギーの対立があり、政権を取らなければその政党の政策は実現できません。

 政局とは、政権を取る課程をいいます。すなわち、総理大臣を誰にするかという動きのことです。国会議員にとって、政局は、政策と並んで重要な仕事です(党内政局のようなものは、できるだけ控えた方がいいのでしょうが。)。このことを、国民の皆さんに理解してもらわなければなりません。では、安定した国の政治を実現するには、どうしたらいいのでしょうか。例えば首相公選制を採用し、実質的に大統領制を導入するという意見があります。また、衆参両院のねじれ現象を解消するため、一院制を導入するとか、強い参議院の役割を見直すという議論もあります。しかし、これらのことは憲法改正が必要であり、長期的な課題として議論すべきです。

 そこで、「大連立」ということが、言われています。震災後に菅総理が谷垣自民党総裁に電話を掛けたことも、よく大連立という誤った報道が見られますが、「連立」とは複数の政党が協力して組閣を行うことをいい、単に「閣僚に入ってくれ。」と言うのはいわゆる一本釣りであって、連立とは言いません。与謝野さんが入閣したのと同じことです。私は、震災直後であれば大連立も選択肢の一つと考えていましたが、子ども手当に見られるように民主党のマニフェストが破綻し、党内対立が激化する中で、今更泥舟の民主党との大連立もないのではないかと考えます。政策協力は、与野党間の正式な協議機関(ボード)を立ち上げれば、十分ではないかと思います。

 では、政治はどうなるのでしょうか。自民党としてはすぐにも解散総選挙に持ち込みたいのが本音ですが、衆議院で依然圧倒的多数を持つ民主党は、そう簡単に衆議院の解散には応じないでしょう。新政権が成立すれば、当分の間は、震災復旧復興に全面的に協力をしなければなりません。それが年内一杯なのか、震災1周年を迎えて来年度予算が成立するまでなのか、予断を許しません。そう言っているうちに、再来年の参議院選挙が近づいてきます。ただし、民主党が解散に応じなければ、いずれ、民主党内部の矛盾や対立が露呈し、党の分裂の危機が訪れることも想像に難くありません。

 そこで、政界再編を真剣に考える必要があります。民主党の中にも、自民党と思想信条を共にできる国会議員がたくさんいます。党が分かれているから対立を続けるのは、正に不毛です。再編を望む国会議員もたくさんいるはずですが、一体どんな座標軸で再編するのか、誰がそのリーダーシップをとれるのか、やってみないと分かりません。私は、国民のためには、労働団体の一部も含む広い意味の保守勢力が大同団結し、衆参両院で多数を確保するのが望ましいと考えます。その際の再編軸は、次のように考えます。

@ 憲法改正を目指すこと。
A 自衛隊を認め、日米安全保障条約を当面堅持すること。
B 皇室を敬い、国旗国歌を大切にすること。
C 資本主義経済を維持しつつ、福祉国家を目指すこと。
D 自由な競争条件の下で、努力する人に報いること。

 こう書くと「何だ右翼のようだ。」と言われそうですが、個々個別の政策は柔軟に対応すればいいのです。国家観というものが、大きな所でぶれてはならないのです。逆にこうした基本的な思想が一致する人たちが、無理に対立する必要もないのです。私は、大連立などという無意味な方向へ動かず、国会議員が基本的な立場に戻って、政界再編を模索すべきだと考えています。

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一事不再議(7月30日)

 会期を同じくする同一の国会においては、一度否決された議案を再提出できないという原則を、「一事不再議の原則」といいます。否決された議案を何度も出し続ければ、際限がないからです。逆に、例えば同じ法律名の議案でも、内容の一部を変更すれば、再提出が可能ですが、国会法には明文の規定がなく、どの程度の差異があれば同一議案ではないのか、必ずしも明確ではありません。

 国会法第56条の4は、このことを自明のこととしており、「他の議院から送付又は提出された議案と同一の議案を審議することができない」と定めています。ある議案が衆議院で否決されたからといって、参議院から出し直すということはできないという意味です。ましていわんや、同一の議院においてをやということでしょう。

 では、内閣不信任案は、どうなのでしょうか。憲法の規定により、内閣不信任案は、衆議院にしか提出できません。内閣不信任案についても、一事不再議の原則は適用されると考えられています。だから、一度内閣不信任案が国会で否決されると、その国会の会期中は、その内閣は信任されたものとなると解されています。しかし、内閣不信任案の否決後、内閣総理大臣に重大な刑罰事犯が明らかになった場合など、新たな事情が生じた場合などにも、この原則を貫くとかえっておかしなことになります。そのような場合には、「事情変更の原則」が適用されるという解釈が有力です。ただし、内閣改造があった場合などにも、事情変更の原則が適用されるのか、明確な線引きはできません。

 内閣不信任案の再提出が駄目ならば、内閣信任案を提出すればいいという考えもあります。内閣信任案が否決されたときも、内閣不信任案の可決と同じ効果があると、憲法に規定されているからです。ただ、これは、テクニカルすぎる解釈であると思います。実際問題として、誰が内閣信任案を提出して、本会議で賛成討論をするのか、難問でしょう。

 私は、菅内閣の内閣不信任案の再提出について、法律論についてそう悩む必要がないと思います。内閣総理大臣を実質的に選任する権限を有する衆議院において、多数が内閣不信任案を成立させて、菅内閣を総辞職させるべきだと考えるのであれば、そうすればいいだけのことです。問題は、そういう手続が、衆議院の手続として可能かどうかということです。本会議へ議案を上程するには、議院運営委員会の議決が必要です。これまで、野党が内閣不信任案を提出したときは、直ちに本会議に上程することが慣例でした。一事不再議の議論がある場合に、同委員会が、内閣不信任案の上程をどう考えるかということが焦点です。

 そのためには、民主党の執行部、すなわち岡田幹事長や安住国会対策委員長が決断し、議院運営委員会の与党メンバーに指示を出せば、内閣不信任案の提出は、手続的に可能となります。要は、民主党代表である菅総理を支える立場にある党執行部が、そういう判断をするかどうかです。常識的には、そんなことはしないだろうということでしょう。ただし、議院運営委員会の与党メンバーが、造反することもあり得るでしょう。

 仮に議院運営委員会が内閣不信任案を本会議の議案とすることを議決し、本会議において多数をもって同案が可決されれば、誰が法律論について文句を言おうと、憲法上の内閣不信任案が可決されたことになります。これは「統治行為」に属することであり、事後裁判所が口をはさむことはできません。ただし、ここで、菅総理には選択肢ができます。それは、10日以内に内閣を総辞職するか、衆議院の解散を決定できるのです。この解散を民主党の衆議院議員の多数が恐れているので、この話はなかなか難しいということです。

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自民党の質問術(7月22日)

「私の主張」で堅い話が続いたので、久しぶりに閑話を。昨年秋から予算委員会理事を務めています。衆参含めた多くの質問者の印象などをお伝えします。

 まず、予算委員会で評判の悪い質問から。
@ 説教調 
  率直に言ってベテラン議員に多いのですが、プロの政治家がなるほどと思うことでも、一般の受けは良くありません。上目線の発言は、いかなる場面でも、賞賛されません。
A 揚げ足取り 
  ちょっと前の答弁との矛盾を突くものであり、効果的な場面も、もちろんあります。しかし、その一事をもって、鬼の首を取ったようにまくし立てると、テレビ受けはしないようです。
B 悪口
  今の総理の答弁を聞いていると、怒鳴りつけたくなるのは分かりますが、国会での審議ですので、余り「ばか」とか「あほ」とか(そんな言葉は実際遣いませんが)言っては、ひんしゅくを買います。

 質問者にいつもお願いしていることがあります。「いくらいい質問をしても、質問は、新聞記事になりません。新聞記事になるのは、答弁です。」質問者は、「誰々の質問に対し、誰々がこう答弁した。」と書かれれば、上出来です。テレビでは、答弁が放映されても、質問がカットされることもよくあります。質問者は、演説するのではなく、答弁を引き出すのが仕事です。

 評判がいいのは、評判の悪いのの逆で、大演説をせずにぽんぽんとテンポ良く、短い質問を投げ掛けるタイプです。これをするには、ある程度のネタの量と掛け合いの妙が必要です。ネタは、仕掛けネタのようなものをたくさん掘り出してくる必要はありません。国民が今政府に対して聞きたがっていることは何か、素直に考えれば、たくさんあるはずです。掛け合いの方は、確かにある程度の技術が必要です。原稿を用意して、それを読んでいるだけでは、迫力はありません。答弁者がこう答えれば、質問者がこう切り返すという即妙のアドリブが必要です。論理の矛盾を突く洞察力は、欠かせません。

 決して攻撃型の質問のみがいいわけではありません。政策論を語って、「なるほどそうか。」と委員会室をうならせるのも、もちろんいい質問です。委員会の審議がある日ごとに、できるだけ多様な質問になるように考えて、質問者のオーダーを決めています。自民党では、質問内容を党が決めてしまうということはありません。どんな質問でもこなせる議員というのは、我が党でもやはり少なく、それぞれの議員は得意ネタをもっています。だから、そこからは、それぞれの議員の個性を活かしてがんばってもらわなければなりません。理事の私は、そのお手伝いをさせていただいています。

 予算委員会理事懇で、少数会派の議員から「テレビ入りのときに審議を止めないでくれ。」と、お叱りを受けます。お叱りは謙虚に受け止め、できるだけ審議を中断させないようにしています。しかし、どうしても止めに入らなければならない場合があります。一つは、暴言があった場合です。仙谷前官房長官の「自衛隊は、暴力装置」発言のような場合です。これは、そうめったにあることではありません。よくあるのは、答弁拒否です。のらりくらりと答弁し、結局質問には全く答えていないという場合があります。これを見過ごしていたら、国会は成り立ちません。

 菅総理は、実に答弁拒否が多いのです。再度質問しても、同じ答弁を繰り返すので、前へ進めません。確かにイエスかノーかで答えられない質問もあります。そうであれば、「分からない。」「今、決まっていない。」でもいいのです。決して答弁が気に入らないから止めているわけではありません。自民党政権時代の総理は、もっと肚の座った答弁をしていました。その辺をよく吟味して私は行動をしていますので、テレビ中継の時はよく御覧ください。

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居座り続ける菅総理(7月10日)

「もういい加減にしてほしい。」そういう気持ちが、国会の与野党の中に漂っています。昨年は、暴言により柳田法務大臣が辞任しました。年明けには、参議院で問責決議を受けた仙谷官房長官と馬淵国土交通大臣が更迭され、3月上旬には、外国人からの献金が発覚した前原外務大臣が辞任しました。そして、東日本大震災の当日には、朝刊で、菅総理自身の外国人からの献金が報じられました。震災後、与野党は協力して復旧復興に努めて来ましたが、政府の対応は遅く、まだ8万人を超える被災者が避難生活を続けています。

 発災後100日を経て、ようやく復興担当大臣が置かれたところ、松本大臣は、わずか9日間で辞任に追い込まれました。そして、佐賀県の玄海原子力発電所の再稼働に同県と調整をしていた海江田経済産業大臣が、先週の予算委員会での私の質問の中で、涙声で辞意をほのめかしました。菅総理を補佐する役目の岡田民主党幹事長や安住同党国会対策委員長も、菅総理を公然と批判するまでになっています。ここまで来れば、今までの内閣では、もう終わりのはずです。それでも居座る菅総理は、異常としか言いようがありません。

 自民党が政局ばかりに遊んでいるわけでは、決してありません。多くの所属国会議員が被災地に飛び、永田町では朝から晩まで復旧復興関係の会議を続けています。政府に対し多くの提案を行い、与野党間の政策調整も真剣に行っています。私自身、多数の復旧復興関係議員立法や予算措置に関係し、提案者を務めているものもあります。

 しかし、菅総理の存在自体が、与野党協力の妨げになっているのです。国会延長の与野党協議では、幹事長間で了解ができていた案を総理が簡単にひっくり返しました。内閣改造では、自民党の参議院議員を一本釣りで政務官としました。佐賀県と調整をしていた海江田大臣を無視して、突然「ストレステスト」を言い出しました。予算委員会で私が明らかにしたように、原子力災害関係の政府の報告は、全く信用することができません。

 外国人からの献金問題では、献金の相手方への返金の日付について、菅総理の答弁に疑問な点が出て来ました。また、拉致加害者と関係のある極左の政治団体に6,250万円もの多額の献金をしていることも、明らかになって来ました。

 なぜ、こういう総理が居座り続けることができるのでしょうか。マスコミが、大震災の復旧復興期間であることから政権の批判を控えていたこともありますが、その論調も最近変化してきました。やはり、最高権力者が「辞めない。」と言うと、なかなか難しいのです。民主党政権という枠組みの中で、総理にしては絶対いけない人を総理にしてしまったのです。それなのに、辞めさせることができない民主党は、本当に情けない。今後は、3条件成立後菅総理がおとなしく退陣する。どこかで衆議院を解散する。民主党が分裂する。どうなるのか、一寸先は闇です。

 内閣不信任案を再度提出することは、与野党が合意すれば、不可能ではありませんが、強硬手段に出れば、菅総理が衆議院の解散に打って出る可能性が高まります。この震災復旧復興の重要な時期に政治空白を作る解散をすべきではありません。万一解散となれば、自民党は受けて立ちますが、民主党議員はそれを一番恐れています。総選挙の可能性も出てきました。準備を怠りなく進める必要があります。

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復興財源(6月8日)

 東日本大震災の復興には、多額の経費が掛かります。バラマキ政策を初めとする既定経費の大幅な見直しに取り組まなければなりませんが、とてもそんなことで賄える額ではありません。国家公務員人件費の削減も行われようとしていますが、20パーセントの人件費削減は大震災前の民主党・自民党の選挙公約であり、復興財源とは関係ありません。

 日本人は心優しい人が多く、今震災復興税のようなものを提案すると、多くの皆さんが賛同してくれることと思いますが、私は、増税には反対です。日本の経済は、デフレーションの中で、更に深刻な状態になっていくものと考えられます。そんな状況の中で、増税を行えば、日本経済は立ち上がれなくなってしまいます。また、近い将来、景気の回復が見えてきた段階で、福祉財源として消費税の引上げに御協力をいただかなければなりません。最初は10パーセント程度を考えていますが、年金、介護、少子化対策など福祉予算を賄うだけでも、それだけでは足らず、将来15パーセント程度の引上げを視野に入れておかなければなりません。そんなときに、震災復興税とダブルの増税は難しいと考えます。

 震災復興には、少なくとも20兆円、いろんな経費を入れれば40兆円ぐらいの経費が必要と考えられています。それを賄うには、国債の発行しか考えられません。一般の国債と分けて「震災復興債」を発行すべきです。そこまでは、大きな議論はないのですが、民主党政権は、国債を単純に市場で消化させようとしています。私は、二つの問題があると考えます。一つは、国債・地方債の発行残高が一千兆円になろうとしており、デフレを加速する可能性があること。もう一つは、大きな借金を次世代に残すことにつながることであります。

 まずは、日本のデフレを改善することが急務であり、デフレ下の好景気などあり得ません。そのためには、更に潤沢なマネーを市場に投入し、インフレを誘導する必要があります。もちろん、ハイパーインフレーション(急激なインフレ)にならないよう、細心の注意は必要です。そのためには、震災復興債を全額日本銀行が引き受けるべきだと考えます。しかも、無利子、無期限での引受けにより、当分の間政府の国債費が増大しないようにすべきです。そして、緩やかなインフレが実現できたなら、直ちに金融政策を反転させるべきです。

 野田佳彦財務大臣は、「そういう議論をした途端に市場が反応して長期金利が上がってきた。」と予算委員会で答弁していますが、インフレ策を採ろうとするのですから、金利がある程度上がるのはやむを得ません。多額の国債残高が批判されます。確かに反省すべき点もあるでしょう。しかし、国債は国民生活のために使われ、今それだけの残高があることは否定できません。経済成長が何よりも重要ですが、それに伴うインフレなくして国債の消化ができないことを、明確に認めるべきです。財務省は、国債費の太宗を占める利払い費の増大のみを気にしていますが、国債の元本を解消することが今重要です。

 とはいうものの、国債の日銀引受けは、日本銀行券を増刷して政府に渡せというのとほとんど同じ意味ですから、各方面に抵抗が大きいでしょう。したがって、当分は、震災復興債を、日銀が市場オペレーションで買い上げることを提案します。日銀の国債の買いオペレーションは現在でも行われており、その量的な増大を求めるだけのことですから、大きな抵抗はないと思います。ただし、市場を通ずると金利を付さねばならないことが、デメリットです。

 日銀は、内規で、国債買いオペの量を日銀券発行残高の範囲にするということを決めています。その内規に照らしても、今20兆円程度の余裕があります。復興財源を考えると、ちょうどいい額の余裕です。これだけの大災害の中で、日銀が中央銀行としての役割を全く果たさないのは、問題です。デフレ経済の解消を図るためにも、今日銀の積極的な行動を求めていきたいと考えます。

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菅総理は即辞任を(6月5日)

 マスコミ、特にテレビは、「こんな非常時に内閣不信任案の提出はけしからん。」という論陣を張りました。全くもっておかしな議論です。東日本大震災の復旧復興の遅れは、正に菅総理のリーダーシップのなさが原因であり、諸悪の根源は菅総理自身にあります。「急流で馬を乗り換えるな。」という箴言がありますが、急流でも、今乗り換えなければならないほどのひどい馬だと言いたいのです。そのことは、不信任案否決後の民主党内のごたごたを見ても分かるではないですか。どうして、あの菅総理に、この国難を委ねることができますか。

 まず、内閣不信任案を提出するのは、野党の権利です。しかし、議院内閣制の下、衆議院の多数党が政権を握るわけですから、野党が何を言おうと、与党が粛々と多数をもって否決すればいいだけ話なのです。今回不信任案が可決されそうな雰囲気になったのは、与党民主党内のごたごたによるものです。その与党内のごたごたの責任を野党が不信任案を提出したことの責任のようにすり替えるのは、それこそけしからんことです。また、そのレベルで話を合わせているマスコミの報道振りにも、あきれるばかりです。

 民主党の最大の問題は、物事を決められないことです。野党は、震災復興に関し、与党民主党に山ほどの施策の提案をしています。それを一つ一つきちんと処理できないのが、民主党です。その最大の原因が、菅総理のリーダーシップのなさにあります。予算委員会で、義援金の交付の遅れに関し、交付済み市町村の割合を質問したところ、細川厚生労働大臣は把握していませんでした。これだけ国民が怒りをもって抗議をしている事柄についても、政府は、全くやる気がないのです。

 二つ問題があります。一つは、野党の知った話ではありませんが、不信任案の可決に動いた中心人物が、小沢元代表だったということです。小沢元代表の動きに対して、国民の批判が大きかったことは、理解できます。その小沢カードを何回も切って、延命してきたのがほかならぬ菅総理なのです。もう一つは、菅総理退陣後の絵が見えないということです。これも自民党の責任のように言う人が多いのですが、与党は民主党です。民主党が自ら真剣に考える問題です。民主党が責任を持って後継首班の候補を選び、必要があれば、連立の提案をすべきでしょう。

 いずれにしても、日本国の内閣総理大臣が一度でも辞意をほのめかせば、それで終わりです。辞任の意向を示した総理大臣が長く居座ることは許されません。一刻も早く辞任することが、震災復旧復興を進めるためにも、重要です。

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東電福島第一原発初動ミスによるメルトダウン(5月19日)

 東日本大震災の当日、1号機は、既にメルトダウン(全炉心融解)していたことが明らかになりました。予算委員会で、東京電力の清水正孝社長がベント(ガス抜き)の遅れの原因の一つに「高い放射線」を挙げており、「ベント前に放射線は出ないはずであり、おかしな答弁だな。」と感じていたのですが、やはり震災当日から放射線が検出されていました。海江田万里経済産業大臣は、私の「放射性物質はどこから出たものか。」という質問に対し、「水素爆発とベント」と答弁していましたから、うその答弁だったわけです。

 震災当日に放射線が検出されていれば、地震による格納容器の破損か、メルトダウンを疑うのは当然です。菅直人総理も、衆議院予算委員会で、放射線漏れを聞かされていたことを認めました。それなのに、これまで2か月以上にわたってと国民への報告を怠ってきたのです。枝野幸男内閣官房長官も、「メルトダウンはない。」と言い続けてきました。全くいい加減な内閣だとしか言いようがありません。それを知りながら、菅総理が翌日早朝原発の視察を強行したのは、異常です。

 3月11日の震災当日のことを再度点検する必要があります。14時46分に大地震が発生し、津波の到来により非常電源装置が浸水し、15時42分に全交流電源を喪失しました。その後のことは、ほとんど公表されていませんが、東電は電力の回復に躍起になっていたと考えられます。自社の電源車を派遣したが、交通が途絶して前に進まないことから、東北電力に電源車の派遣を要求し、19時過ぎに最初の電源車が到着しました。しかし、ソケットの形が合わず、電源が供給できませんでした。その間、唯一動いていた非常用復水器の電源を一時手動で切断するというミスもありました。

 前回指摘したように、冷却が止まれば、燃料棒は、30分で溶融が始まり、2,3時間で溶け落ちてしまうと言われています。非常用復水器は、3月12日1時48分まで動いていたので、ある程度の冷却はできていましたが、炉心溶融はその間にも進んだものと考えられます。そのため、22時過ぎに容器内の急激な圧力の上昇に気付き、ベントの必要性が言われ始めました。なぜ、もっと早くベントに着手しなかったのでしょうか。

 その後のことは、既掲の「私の主張」で指摘しましたが、1号機について、ベントを決定したのは、3月12日1時30分まででありながら、実際にベントが完了したのは、14時30分頃。海水注入を決めたのは淡水停止の14時50分前でありながら、実際に注水開始したのは、20時20分。この遅れが、15時36分の水素爆発につながり、多くの避難住民を出す事態となったことは、間違いありません。そして、燃料棒はメルトダウンし、数メートル四方の大きな燃料塊になってしまいました。

 海江田大臣は、ベントの遅れの理由として、電磁弁や手動弁が容易に開かなかったことを挙げましたが、私の指摘どおり、電磁弁を操作したのは3月12日9時15分、手動弁を操作したのは10時17分であり、いずれも菅総理が現地視察から帰った後です。この点についても、海江田大臣がうその答弁をしました。1時48分に非常用復水器が停止してからは、正にメルトダウンの危機だったのに、官邸は、総理の現地視察の準備を進めました。

 さらに、東電の清水社長は、2号機及び3号機については、「隔離時冷却系が作動していたので、その間、ベントをしなかった。」と答弁しています。その間に早めにベントをしていれば、2号機、3号機もこんな惨事にはならなかったはずです。まだ原子炉を守ろうという意識が働いたものと考えられ、東電の大きなミスでした。

 確かに14メートルの津波は「想定外」だったかもしれませんが、それに対応できる施設強度にしていなかったことは、大きく反省してもらわなければなりません。しかし、それ以上に、初動対応のミスで、原子力災害をここまで大きくしたことは、重大です。今後、国と東電の責任を分けて真実を整理する必要がありますが、3月11日の夕刻までには菅総理を本部長とする原子力災害対策本部が置かれており、それ以降のことは、全て本部の責任であるはずです。

※その後、原子力安全・保安院に照会したところ、東電清水社長がベントの遅れの原因として挙げていた「高い放射線」は、最初に手動弁のベント作業を行った3月12日10時過ぎに建屋内で検出されたものであることが判明しました。菅総理は8時過ぎには福島第一原発を出発しており、放射線の検出はその随分後であって、ベントの遅れの理由にはなりません。(5月20日)

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東電福島第一原発海水注入の遅れ(5月6日)

 連休中の5月2日(月)の予算委員会で、東京電力の清水正孝社長は、1号機への海水注入を指示した時刻について、当初答弁を拒んでいたが、委員会中断後、「正確な時刻は分からないが、淡水注入が停止した3月12日の14時50分以前である。」と、答弁しました。淡水注入は、同日の6時30分から始まっています。清水社長は、答弁で「当然淡水注入が停止する以前に海水注入は決断した。」と、説明しています。

 ベント(ガス抜き)については、同日の1時30分までに決断したと言っていますが、実際に着手したのは10時17分、完了したのは14時30分頃と伝えられています。そのため、圧力容器内の圧力が高く、淡水注水が十分には進まなかったものと考えられます。その間、燃料棒の溶融が相当に進み、圧力容器内の水素発生も進んでいたものと考えられます。

 問題は、淡水注入が停止する前に海水注入が決定していたのならば、なぜ、続いてすぐに海水注入が行われなかったかという点です。検証が必要ですが、これが円滑に行われていれば、その後、同日15時36分の1号機の水素爆発はなかった可能性があります。水素爆発により、大量の放射性物質が放出されるとともに、その後の災害防除のための諸作業を困難にしました。

 同じ予算委員会で、海江田万里経済産業大臣は、12日18時に菅直人総理が海水注入を指示、19時4分から21分間にわたって東電が海水を試験注入、20時5分に原子炉等規制法により海江田大臣が海水注入を指示、20時20分に東電が海水注入を開始したと答弁しました。淡水注入停止から、実に5時間30分が経過しています。

 識者の中には、毎時25トン程度の注水をしないと原子炉は安定しないという意見があります。ベントの遅れが、注水速度を遅らせたのは、事実でしょう。ベントの遅れと注水の遅れがセットで大惨事を招いたことは、間違いのないことだと思います。焦点は、淡水注水に続いてなぜすぐに海水注水ができなかったのか、また、政府の指示がなぜ20時5分とずっと遅くなったのか、という点にあります。

 また、清水社長は、4月18日(月)の予算委員会で、ベントの遅れについて、「暗闇の中で作業を強いられ、通信機能も喪失して連絡が困難だった。」「避難をしっかりと確認する時間が必要だった。」などと答弁しています。それも、事実の一部でしょう。しかし、最終的にはベントに着手しているわけですから、そうした支障にいつ気が付き、どのように解決したのか時系列的に説明してもらわなければ、真実は解明できません。
 
 清水社長は、時折「今後の検証チームの発足によって明らかにされる。」という趣旨の答弁を繰り返していますが、最高責任者に逃げてもらっては困ります。これだけの多くの皆さんにつらい思いをさせている以上、本当のことを自ら究明するのが責務です。特に政府との間でどういう調整があったのか、明らかにしてほしいと考えます。

 枝野幸男官房長官が3月12日3時にベントにブレーキを掛けているともとれる記者会見をしている点、菅総理のヘリコプターでの現地視察がベントの実施にどのような影響を与えたかという点、細野豪志総理補佐官がベントの遅れについて東電を批判している点など、整理しなければならない論点がたくさんあります。

 海水注入については、清水社長が淡水停止以前に指示していたと答弁しており、淡水停止後実際に開始するまで5時間30分も間が開いたことについて、きちんと説明してもらわなければなりません。15時36分の水素爆発の後、政府があわて始めたことは容易に想像できますが、それにしても、遅い対応です。ここでも、政府と東電との間でどういう調整が行われたのか、明らかにする必要があります。

 2号機、3号機については割愛しますが、5月2日の予算委員会で、清水社長は、同機のベントの遅れについて、「隔離時冷却系が作動していたので、ベントをしなかった。」と答弁しています。このことも、正しい判断だったか、検証する必要があることを付け加えておきます。

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福島第一原発ベント13時間の謎(4月19日)

 原子力安全・保安院は、福島第一原発原子炉の燃料棒が溶融し、圧力容器の底にたまっていることを認めました。冷却されているので圧力容器を溶かすことはないと言っています。しかし、あれだけ高濃度の汚染水があふれていることから、圧力容器に何らの損傷もないということは考えられません。事実の隠蔽とは言いませんが、事態を過小評価している感じがします。レベル7の深刻な事態が宣言された中で、今後の対応を真剣に考えなければなりませんが、その前に、3月12日(土)の初動態勢の謎について、整理してみます。

 3月11日(金)午後2時46分の大震災の発生後約1時間で、大津波の被害を受け、非常用発電機は停止しました。原子炉の冷却が止まると、約30分後には燃料棒の溶融が始まり、2,3時間で圧力容器の損傷が始まると言われています。しかし、実際に原子炉への海水注水が指示されたのは、翌12日(土)午後8時を過ぎてからでした。この間、30時間、一体何が行われていたのでしょうか。それが、問題です。

 斑目原子力安全委員長の証言によると、大震災発生の3月11日午後10時過ぎ頃から、原子炉の圧力容器の温度及び圧力上昇が確認され、関係者が緊迫した状態におかれました。日を変え、12日午前0時45分頃までに、ベント(蒸気抜き)をしないと、圧力容器が爆発する可能性があるとの判断を固め、海江田経済産業大臣に進言したようです。各人の証言によれば、そのことを1時30分頃に菅総理に報告し、総理がベントを決断をしたとされています。斑目委員長によれば、その後1時間おきに、海江田大臣は東京電力に対し、ベントの実施を求めたそうです。しかし、東電は、「やる」と言いながらも、なかなか着手せず、ベントの実施を正式に報告したのは、総理が福島第一原発の視察から帰った8時30分頃でした。

 ここで奇妙なことがあります。午前3時ごろ、枝野官房長官が記者会見で「少なくとも(国民への)発表してからにしてくれということは指示に近い形で東京電力に伝えてあります。」と発言しているのです。海江田大臣が「ベントを早くしろ」と東電に指示している中で、枝野長官が一方でブレーキを掛けていたことになります。東電はベントの必要性を認めていたが、官邸が止めていたとの情報もあります。このことは、いずれ確認しなければなりません。

 不思議なことは、菅総理がベントを決断しながら、なぜ福島第一原発の現地視察を強行したかということです。その危機管理上の政治的判断ミスについては、予算委員会で指摘したので、おいておきます。まさか、ベントによって放射性物質が空中に放出されるということを菅総理が知らなかったということはないのでしょうが。ヘリコプターは自衛隊機を使っているので、自衛隊が、ベントを行う事実を聞いていれば、防護服も着けないで、原発の上を飛ぶなどということも考えられません。

 菅総理は、福島第一原発に着いて、「まだベントが行われていないことを聞いてびっくりした。現地で副社長に対してベントの実施を強く指示した。」と言っていますが、飛行中全く総理と連絡をとっていなかったということでしょうか。これも驚きです。その頃、1号炉以外の原子炉や福島第二原発でも、緊急事態が発生していたのです。

 午前8時30分までの間に、なぜ東電はきちんとした返事をしなかったのでしょうか。これは、想像に難くありません。会長が中国、社長が関西にいたこともありますが、ベントを行うということは、大規模な放射能災害が始まるということにほかならないからです。その責任を政府が負うのか、東電が負うのか、そういう議論もあったでしょう。海江田大臣は、答弁で、「電磁弁は停電で開かないし、手動弁は圧縮空気の調達に手間取った。」と言っていますが、私の「圧縮空気の話は、8時30分以降の話ではないか。」という指摘に反論しなかったところを見ると、そういう理由ではなく、東電のちゅうちょが返事を送らせていたものと考えられます。このことは、東電の幹部を国会に呼んで、確認しなければなりません。ただし、そのちゅうちょは、東電ではなく、政府だった可能性もあります。

 菅総理のヘリコプターでの原発視察は、同行テレビカメラマンを乗せていたことからも、政治的パフォーマンスであったことは否定できません。では、なぜ、総理が官邸に戻るまでにベントが行われなかったのでしょうか。ベント作業の実際の開始は午前10時過ぎ、ベントが実際に完了したのは午後2時30分頃でした。官邸のベント実施の決定から、実に13時間も経っています。ベントの遅れが、その後の水素爆発につながり、海水注入の遅れにつながったことは、明らかです。誰の責任によって、これほどベントが遅れたのか、時系列に沿って、今後しっかり国会の場で追及する必要があります。

 もし、初動態勢において、その後のレベル7にも達する放射性物質の放出を防ぐ可能性があったということが明らかになれば、原子力災害は正に「人災」であったことになります。そうであれば、政府及び東京電力の責任は、極めて大きいものと言えます。

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福島第一原発事故の本質(4月12日)

 現在まだ収束の見通しが立たない福島第一原発の原子力災害について、その原因の究明が始められています。大きく分ければ、地震・津波によって直接起きた災害の原因とその後の初動態勢を含めた災害対応の問題に分けて、考えることができます。初動態勢の問題については3月29日(火)の参議院予算委員会で指摘したので、ここでは原子力災害の発生の原因について考えてみたいと思います。

 まず、地震そのものによる被害については、一部指摘が始まっていますが、大きなものはなかったと発表されています。原子力災害の収束には、「止める」「冷やす」「封じる」ことが必要であると言われていますが、地震後原子炉の制御棒が稼動し、核分裂が止まりました。これで、何らかの変化により「再臨界」にならない限り、核爆発が起きる可能性は極めて小さくなりました。しかし、地震により外部電源が失われ、冷却機能が止まってしまったことから、崩壊熱により燃料棒が過熱し、燃料棒の溶融、水素爆発、圧力容器の破損などの事故につながり、高濃度の放射性物質が外部へ放出されました。

 問題は、なぜ外部電源の喪失にきちんと対応ができなかったかということです。4月7日(木)の震度6強の地震により、他の原発でも一時的に外部電源が喪失し、冷却機能が止まったと報じられています。これは、大変危険なことです。外部電源が喪失した場合は、非常用発電機が起動し、原子炉の冷却が始まることになっています。しかし、14メートルとも見込まれる大津波により、非常用発電機は浸水し、屋外に設置されていた予備燃料タンクは流されてしましました。ここに、最大の問題があります。

 私が安全保障担当の内閣参事官を務め、有事法制の立案に従事していた頃、全国知事会から特に有事おける原子力災害の防止に全力を尽くすよう要望がありました。当時、原子力安全・保安院の職員とも大議論しました。「大地震が起きても原発は大丈夫なのか。」「絶対に大丈夫だ。」「爆弾を投下されても大丈夫か。」「大丈夫だ。」「それなら、核ミサイルだったらどうなる。」「そこまでは、想定していない。」「では、有事法制が必要だ。」とうことになり、有事の原子力災害は武力攻撃事態等対策本部が統制することとし、国民保護法の中で原子力災害対策特別措置法を上書きすることになりました。

 率直申し上げて、今回災害を見て、「だまされた。」と感じました。何かというと、非常用発電機の予備燃料タンクがむき出しのまま格納庫の外の海岸沿いに建てられていたではないですか。「大丈夫だ。」と言ったのは、原子炉だけの話だったのです。各電力会社は、今、津波対策を講ずるための検討を始めていますが、それだけでは不十分です。有事を考えれば、飛行機による爆撃に耐え得るようにしなければなりません。予備燃料タンクも、当然頑丈な格納建屋の中に入れる必要があります。そこまでして、初めて有事でも「大丈夫」と言えるはずです。だから、「想定外」という話にはなりません。

 さらに、東電以外の電力会社は、住民用パンフレットなどで、非常用発電機が稼動しない場合に備え、電気を使わずに余熱で動くタービン動補助給水ポンプで原子炉を冷却することができると宣伝しています。しかし、この装置は、福島第一原発にもありました。でも、永久機関はあり得ないので、2号機で2日間、3号機で1日しか稼動せず、役に立たなかったのです。そのことをきちんとパンフレットに記載すべきです。

 今後、今回の原子力災害の究明のため、様々な角度から究明が行われます。中途半端な議論にとどまらず、有事まで含めた厳しい議論が行われるべきです。

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福島第一原発初動態勢の問題(3月30日)

 3月29日(火)の予算委員会で、大震災の翌日の早朝菅総理がヘリコプターで現地視察したことを批判しました。これは、菅総理の過去の責任を追及したのではなく、今正に進行している原子力災害の対処態勢を考える上でも、極めて重要なことなのです。菅総理の現地視察が「物見遊山」だと批判しているわけではありません。12日の午前中は緊急事態の最中であったにもかかわらず、最高責任者が指揮所を離れたことを批判しているのです。

 分かりやすく言えば、今大きな地震が起きたとします。ある家庭で、台所のコンロの上の天ぷら鍋に火が付いて、奥さんが消火器を持って「あなた、火事よ!」と叫んでいます。御主人が駆け寄って、「大変な地震だ。鍋の火は、君が消してくれ。僕は、離れの様子を見てくる。」と言ったようなものなのです。この御主人に対して、奥さんはどう思うでしょうか。

 12日の0時45分頃、官邸では、海江田経済産業大臣など原子力災害対策メンバーが集まり、「1号機の圧力容器の圧力が上がっている。このままでは炉心融解もあり得るし、圧力容器が破裂する可能性がある。すぐにベント(ガス抜き)をすべきだ。」という結論が固まっていました。ベントは、圧力容器内のガスを抜く作業ですから、当然それに伴って多くの放射性物質が放出される可能性があります。水素も放出され、後の建屋を破壊した水素爆発の原因にもなりました。だから、大きな決断が必要であり、海江田大臣は、1時30分頃、菅総理の決断を求めたと答弁しています。これは、事実でしょう。

 斑目原子力安全委員長の答弁では、それから、海江田大臣は、何度も東京電力にベントをするよう電話で指示を出し続けたそうです。しかし、東電は「分かりました。」と言いつつも、明確な返事を行いませんでした。その頃、総理の現地視察の準備が始められていました。総理は、ベントが確実に行われるという報告を待たずに、現地に出発したのです。

 報道の中には、「総理の視察の準備のため、東電がベントを遅らせた。」「ベントをすると総理まで被ばくする可能性があるので、それを遅らせた。」などと指摘するものもあります。しかし、証拠のない話はできないので、私は、質問で、そこまで言っていません。事実として、東電が「ベントをする。」と正式に官邸に報告したのは、総理が現地から戻った8時30分頃でした。実際、1号機の2つあるベント弁のうち、一つは電磁式で停電のため開かず、もう一つの手動式は圧縮空気の調達に4時間も掛かり、結局ベントが行われたのは14時30分頃でした。ベントの遅れは、原子炉への海水注水の遅れにつながりました。

 ここから先は、今後の検証を待たなければなりませんが、この初動の遅れが大きな原子力災害の発生につながった可能性があります。今、直接それが総理の現地視察のせいだと言っているわけではありません。また、東電の責任も、いずれ追及しなければなりません。しかし、総理が、こんな大事な時期に、指揮所である官邸を離れたのは、問題ではないかと言っているのです。総理が現地視察をするのが悪いわけではありません。しかし、それは、緊急事態が一段落した後にすべきであり、正に災害の進行中に現地視察をすべきではありません。

 緊急事態においては、対処の最高責任者に情報を集中し、最高責任者が的確に指示を下すことが、最も重要です。現場の状況をじかに見るのは、応急対策が一応の完了をしてからでも遅くはないのです。予算委員会の場で、このことを菅総理と議論しましたが、なかなか分かってもらえませんでした。

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連立と一本釣り(3月24日)

 たくさんの人から、谷垣自民党総裁が、菅総理の入閣要請を拒否したことについて、疑問の声が上がっています。しかし、自民党内では、入閣拒否は、当然のことと受け止められています。どうしてでしょうか。

 東日本巨大地震は未曾有の災害であり、今、国家の緊急事態にあることは、言うまでもありません。これを「国難」と呼んでいる人もいます。しかし、終戦の時のように国全体が機能麻痺しているわけではなく、多くの場所において平常の国民生活が営まれています。したがって、国民生活を支える国会の活動も、憲法の理念にのっとって正常に運営されなければなりません。何でもありというわけにはいかないのです。

 菅総理が谷垣総裁に求めたものは、決して「連立」ではありません。菅総理がしたのは、与謝野馨さんの時と同じ「一本釣り」です。連立というのは、政党と政党同士が、政策協定を結んで、共同して内閣を構成することです。菅総理は、谷垣総裁一人に入閣を求めたにすぎません。そんなことは、与謝野さんの時にたちあがれ日本の他の所属議員が皆怒ったのと同様、自民党として認めるわけにはいきません。

 菅総理が、全閣僚の辞任を前提として(留任者がいても構いませんが)、自民党幹部と共に組閣本部を作って内閣改造をしようと提案したというならば、話は、全く異なります。それならば、これは、連立の提案をしたことになります。しかし、「一本釣り」の話さえ、民主党の他の幹部は、全く知らなかったと聞いています。そんな状態で、谷垣総裁一人が閣内に入ってどうにもなるものではありません。

 日本は、議院内閣制をとっています。連立をするのであれば、所属国会議員の理解が必要です。それもなく、政策協定もなしに、一人入閣することはできません。もし、本当に真摯な連立の提案であったならば、自民党は、慎重に提案を検討しなければならなかったでしょう。そうであれば、私も、党幹部の決定に従ったでしょう。

 菅総理から谷垣総裁への突然の電話は、私たち国会議員から見れば、いささか異常な出来事です。それはともあれ、どうも「連立」ということと「一本釣り」ということの区別が御理解いただけていないことが多いようです。

 自民党は、全力を上げて、政府に協力し、被災者の救援等に努力しています。多くの所属国会議員が被災地に入り、実際に活動するとともに、中央に戻り、地方の実情を訴えています。野党の活動がテレビに映ることはありませんが、真剣にがんばっています。強力に復興施策を進めるために国の体制を考えることも重要ですが、それは、応急復旧が一段落ついた後でいいのではないでしょうか。

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東日本巨大地震について(3月18日)

 東日本巨大地震(自民党ではそう呼んでいます。)による被害が拡大しています。また、福島第一原発の事故も、まだ収束していません。被災地の皆さんに心からお見舞い申し上げます。現地に親戚、縁者、知人がいる方も、さぞ御心配のことと思います。一刻も早く、安否確認を行い、避難場所に救援物資が届くよう、国を挙げて努力しなければなりません。

 今週は、予算委員会の審議を全て中止し、事態の推移を見守ってきました。私は、国会や党で、地震関連の事務の調整に追われていました。予算委員会理事として国の予算案の審議を今後どう処理するか、党総務部会副部会長として被災地への地方財政措置をどうするか、統一地方選挙をいつにするかなど、たくさんの協議が必要でした。

 今は、被災地への救援物資を早急に輸送することが課題です。ガソリンの供給が間に合わないことが、最大のネックになっています。自民党が政府に対して強力な対策を講ずることを求めたところ、経済産業省において西日本の石油精製基地での増産とタンクローリーの集中投入による輸送体制の強化が打ち出されたました。暖房用の灯油や重油の供給も、重要です。

 心配なのは、福島第一原発の動向ですが、これは専門家に任せるしかありません。政府は、最大限の努力をしていると思いますが、正確な情報を適時適切に国民に公表することが重要です。
 仮に炉心溶融のようなことが起きても、「核爆発」が起きることはないと、聞いています。万が一最悪の場合は、原子炉を包む圧力容器が破損し、放射性物質が空中に放出される可能性はありますが、その場合でも、現在の避難指示地域である半径20キロメートルの範囲の外で人体に影響を及ぼすほどの大きな被害が生ずることはないと、聞いています。
 今、原発の現場において、自衛隊、警察、消防などが、核燃料を冷却するため、危険を顧みず、がんばっています。国民の皆さんには、正確な情報に接し、是非とも冷静な対応をお願いします。軽はずみな行動は、多くの皆さんに迷惑を掛けます。

 統一地方選挙については、全国的に延期すべきだという意見もありましたが、被災地のみ延期するという政府案に自民党として賛成することとしました。私は、被災地以外の所では、できるだけ平常の生活を営んでもらい、被災地をしっかりとバックアップすることが必要であると考えます。何かあると、大きく針が振り切ってしまうのは、日本人の悪い癖です。選挙前期間を長引かせて落ち着かない状況を続けさせるのではなく、早く選挙を終えて、全国の地方自治体に、被災地支援のため、全力を挙げていただきたいと思います。もちろん、選挙運動の在り方には、工夫が必要です。普通に選挙運動をしたいという意見もあるでしょうが、今回の大災害の復旧は、数箇月で収まるものではありません。

 東京電力の計画停電は、早い段階で公共交通機関を除外したのは、良かったと思います。必要以上に国民生活を混乱させては、かえって被災地の災害復旧にマイナスです。それでも、都内のスーパーでは、食料品、トイレットペーパー、電池などの品薄が続いています。こういう時期の買いだめは、是非控えてほしいものです。首都圏の電車の間引き運転により、大変御不便をお掛けしていますが、大きな災害の時、どうか御協力いただきますようお願いします。

 自民党を始め、各機関において、義援金等の募集をしています。御協力いただきますようお願いします。また、企業等の皆さんには、救援物資の受付もしています。あわせて、御協力をお願いします。詳しくは、自民党ホームページを御覧ください。

 来週は、予算委員会を再開し、一般質疑や中央公聴会を行う予定です。自民党は、一般質疑の予定を変更して、被災地選出議員を中心に質問者を立て、被災地の実情を政府や国民に訴えたいと思います。大災害の時だからこそ、国会がしっかりと機能しなければならないと考えます。

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第3号被保険者運用救済問題(3月5日)

 今国会で大問題になっている「第3号被保険者運用救済問題」とはどういうことなのでしょうか。簡単に解説します。

 サラリーマン(夫)は、第2号被保険者といって、会社で厚生年金に加入しています。そのサラリーマンの扶養を受ける配偶者(妻)は第3号被保険者といって、国民健康保険の加入者なのですが、夫の厚生年金で保険料を賄う建前になっているので、保険料を別に支払う必要はありません。ところが、夫が会社の退職などによって第2号被保険者でなくなったときは、妻も届出をして自ら第1号被保険者となり、保険料を負担しなければなりません。この届出をしないで、長期間保険料を払っていない人が全国で100万人もいることがこの度判明したのです。

 厚生労働省は、このような事態があることを1年近くも隠し続け、最近になって、一片の課長通達で、その間の保険料を時効に掛からない2年間を除いて全部免除することを、勝手に決めたのです。これには、二つの問題があります。一つは、真面目に保険料を払ってきた人との不公平の問題です。もう一つは、法治国家の下、法律の改正によらずにどうして保険料が免除できるのかということです。

 例えば20年前に届出を怠った人は、20年間保険料の納付をしていないことになります。課長通達によると、最近の2年分を支払えば、20年間支払ったものとみなされます。正確に言えば、2年分を支払わなくても、18年間は支払ったものとみなされます。これでは、真面目に保険料を払った人と比べて余りに不公平ではないでしょうか。さらに、この手続は、昨年12月16日から始まっており、それ以前に申請した人には、何の特例もありません。

 こうしたことの背景には、旧社会保険庁のずさんな事務の責任があるので、自民党として救済策が必要でないとは考えていませんが、課長通達一本でこんな勝手なことを決められては、かないません。

 最大の問題は、全くの法律の根拠なく、厚生労働省が、課長通達で保険料の免除を決めたということです。これは、憲法違反、法律違反、立法権侵害の極めてゆゆしき事態です。租税法定主義は、憲法で定められています。憲法論は割愛しますが、法律の根拠なく役所が勝手なことを決めたということです。

 細川厚生労働大臣は、3月4日(金)の予算委員会で「課長通達は、知らなかった。」と答弁しましたが、先日の自民党厚生労働・総務合同部会で、同省の事務方は「細川大臣に相談した。」と説明しており、今後細川大臣の進退問題に発展するのは、必至です。

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名古屋市長選挙を考える(2月8日)

 名古屋市長選挙で河村たかし前市長が当選し、愛知県知事選挙で同氏とタッグを組んだ大村秀章前衆議院議員が当選しました。大村さんのことは、以前執筆しました。河村さんは、市民税を10パーセント削減することを公約とし、市議会と大げんかをした挙句、市議会議員を半分にし、報酬も半分にするとぶち上げて任期途中に辞任し、そして再選しました。そればかりか、市議会のリコールを自ら先導し、民意とは言え、市議会を解散してしまいました。

 そのこと自体をいいとか、悪いとか言う気はありません。しかし、記者会見でジャンパー姿に野球帽を後ろ向きにかぶり、次は背広姿でバケツの水を8杯も頭からかぶる。この様子を見て、クレイジーとしか言いようがありません。私は、こういうクレイジーな人に、市民のリーダーにはなってほしくないと思いますし、市民のリーダーとなる資格はないと思います。

 私たちは、議会の子です。民主主義の申し子です。だから、名古屋市民の選択が間違っているとは、口が裂けても言えません。民意は、尊重しなければなりません。多くの皆さんが指摘しているように、既成政党への反発がこういう結果を生んだのは、言うまでもないことです。長い不景気が続く中で、自民党の長期政権には新しい時代を作ろうという改革姿勢が全く見られず、国民が政権交代を選択したが、その民主党政権は政権維持能力に欠けて「自民党よりも悪い」状況にあります。市民が一筋の光明を求めて、破壊者である河村さんを選択したのも、理解できるところです。

 しかし、注意をしなければなりません。世界恐慌の下、国民が苦しんでいる中で、右翼と左翼の思想を混同したような「国家社会主義」という思想を掲げて、弁舌鮮やかに国民を扇動し、ついには議会の機能を形骸化させたのは、ドイツのヒットラーです。仙谷前官房長官も河村さんのことを「ヒットラー」と呼んだそうですが、私は河村さんにレッテルを貼る気はありません。河村さんが「ヒットラーだ。」と言っているわけでも、「将来ヒットラーになる。」と言っているわけでもありません。ただ、河村さんが、今名古屋市で圧倒的な市民の支持を受けている姿を見て、ヒットラーを思い出さなければならないと感じているのです。

 名古屋弁を遣い、丸顔の河村さんが、ヒットラーになることは、想像できません。幸い、政令指定都市とは言え、一地方公共団体の長に過ぎず、国家の指導者ではありません。しかし、日本の民主主義が非常に危険な段階に入っているのも、見過ごすことができません。不景気が長期間続いている中で、国民が漠然とした不安を抱き、破壊者としての強いリーダーシップを求めていることは、理解できます。しかし、リーダーが議会制民主主義まで破壊し始めると、それは独裁の段階に入っていきます。その危険性を、国民は、常に監視する必要があります。

 ともあれ、既成政党が情けないのは、事実です。私も自民党改革委員会に参加して党改革に努力していますが、谷垣自民党総裁が自らリーダーシップをふるわなければ、国民の期待に添う改革はできません。今、国民の信頼に応え得る新たな枠組みを作っていく必要性を、強く感じているところです。

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修正協議(1月31日)

 「こんなことでいいのだろうか。」「いいはずがないだろう。」民主党の心ある議員とは、そんな話をしています。議院内閣制の下の二大政党制では、衆議院を制した方が政権を握るので、国会における議論は、勢い相手の揚げ足取りに集中します。もちろんそんなことばかりしているわけではないのですが、半分くらいの時間は、そんなことに費やしてしまう。たいして政策が違っていなくても、赤組と白組に別れているので、あえて戦わなければなりません。無駄なことに精力を使わなければならないのです。

 自民党の長期安定政権は、それなりの意味があったのだとつくずくと感じます。しかし、長期政権は、停滞します。だから、自民党政権が倒れました。でも、安定政権が悪いわけではありません。

 マスコミの理解が足らないのですが、与野党激突することと法案を国会で成立させることは、実は違うことなのです。自民党政権時代、ねじれ国会の中でも、法案は8割方成立していました。自民党が、法案の修正協議にきちんと応じていたからです。だから、今の国会でも民主党側がそういう態度をとるのであれば、完全な対決法案でない限り成立するはずです。

 ただし、予算は、そうはいきません。予算については、憲法に衆議院の優越の規定がある以上、しっかりと議論をさせていただきます。焦点は、予算関連法案をどう扱うかです。予算が成立しても、予算関連法案が通過しなければ、予算は執行できません。

 今現在、民主党から、国会運営について、具体的な働き掛けはありません。各省の政務三役や官僚が、個別の法案を通してくれと来るばかりです。全ての法案をパッケージで協議しないと、国会は前には進みません。民主党には、まだその機能がないのです。

 甘いことばかりも、言っていられません。先週行われた衆参の代表質問を聞いて、皆さんはどう思ったのでしょうか。「景気対策は?」「雇用対策は?」という質問に対し、菅総理は、「雇用の拡大には、需要も大切だが、供給の拡大も大切である。例えば、介護の分野では、介護士の養成に力を入れる必要がある。」と、答えていました。この答弁を聞いて、私は、あ然としました。この人に日本の経済の舵取りを任せるわけにはいかないと、思いました。皆さんは、いかがでしょうか。

 菅総理は、余りに経済を理解していない。だから、与謝野大臣を入閣させたのでしょうが、それもお粗末でした。やはり、解散総選挙に追い込むため、がんばっていかなければならないと考えた次第です。

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愛知県知事選挙 重徳氏を推薦すべき(1月16日)

 選挙区選出の国会議員が他府県の話をするのもはばかれますが、大切な話ですので、愛知県知事選挙に係る私の考えを明らかにしたいと思います。

 自民党愛知県連は、近く行われる愛知県知事選挙において、総務省職員であった重徳和彦さん(40)を推薦して、戦っています。重徳さんは、私の自治省の後輩ですが、そのことは、この際、関係ありません。御承知のとおり、後になって、自民党衆議院議員の大村秀章さんが、名古屋市長の河村たかしさんと連携して、突然県知事選挙への立候補を表明したのです。

 情けないのは、自民党の執行部の対応です。党内で大村支持派が幾人か声を上げてくると、党紀委員会で大村さんの除名が決まっているのにそれを明確に支持せず、重徳さんの推薦を決められないまま、ただ重徳さんを「支持する。」と中途半端なことを言っています。

 愛知県連からは、重徳さんの推薦依頼が党本部に上がって来ています。県知事選挙は、地方選挙です。県連の決定に何らかのかしがあるとか、候補者に何か問題があるというのでない限り、党本部は、県連の決定を尊重すべきです。県連の候補者決定の際に、大村さんが重徳さんと争ったわけでもありません。それにもかかわらず、一部の国会議員が「大村さんが有力だから。」と言っているだけなのに、推薦を決定できない状況にあるのには、全く大義がありません。

 県連決定後の大村さんの出馬声明は、明らかに反党行為です。しかし、政治の世界は、いろいろなことがあります。離党して出馬するというのであれば、仕方ないでしょう。しかし、大村さんはあの地方議会を破壊しようとしている河村名古屋市長とタッグを組もうとしているのですが、そのことは、自民党にとって、どうでもいいことなのでしょうか。河村市長と組むのであれば、大村さんにとっても、除名処分の方がむしろ勲章ではないですか。

 大村さんを応援した国会議員の処分問題が出て来るから執行部が重徳さんの推薦をちゅうちょしている向きもありますが、それはその時に考えればいいことであって、今、重徳さんを推薦をしないのは、理屈も何もありません。重徳さんは、30歳台で役所を辞め、郷里のために立ち上がろうと決心を固めました。そうした青年の純粋な信念に応えられないような自民党であれば、誰も自民党を信じなくなるでしょう。

 きちんと物事を決められない党執行部では、政権奪回もままなりません。今からでも遅くはありません。執行部が、大義に基づく行動をとることを期待します。NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が始まりました。第1話では、大義に生きた浅井長政の話をしていました。

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一票の格差(1月2日)

 12月22日(水)、西岡武夫参議院議長は、同院の選挙制度改革について、都道府県選挙区を廃止し、全国を9ブロックの比例代表に再編する案を提示しました。最近の参議院議員選挙において5倍を超える一票の格差が生じ、これを違憲と判断する高裁判決が相次いでいることを踏まえ、今回の提案となったものです。

 全国区の比例代表制を採らない限り、選挙区を置けば、必ず一票の格差は生じます。定数1人当たりの人口が2倍を超えた段階から格差が生じ始め、3倍を超えた段階から違法状態になると言われています。参議院の場合は、都道府県代表の色彩が強いので、5倍までが一つの目安でした。選挙制度は、地域の状況を踏まえたものとすべきであり、必ずしも格差にこだわる必要はないという意見もある一方で、憲法に定める法の下の平等の理念は厳格に適用されなければならないという意見もあります。

 現在、何らかの選挙制度改革を行わなければならない事態に至っていると考えていますが、その方向はなかなか簡単ではありません。参議院では、既に29県が一人区であり、一人区はこれ以上減らしようがありません。大都会の府県に定数を加えることも、定数削減の方向に逆行し、できません。現在の都道府県選挙区を残すとすれば、比例代表区の定数を削減し、それを大都会の府県の定数に加えるしかないでしょう。人口最少の鳥取県と島根県を合区して一人区とする案も取りざたされていますが、そこだけそうするというのも、余りにバランスがとれないのではないでしょうか。

 そうであれば、西岡議長のブロック再編案も、案としては有力になってきます。ただし、衆議院の比例代表区は11ブロックであり、それとの整合性をどうするのか、また、将来の道州制を踏まえたときに、本州・四国の選挙区割りは西岡案でいいのか、いろいろと問題があります。ブロック選挙区とともに全国比例代表区を残すという案もあり、二段階の比例代表区には重複感がありますが、これも有力な案です。

 西岡議長のブロック選挙区案を前提とすると、現在の全国比例代表区の議員からは、「選挙区が分断されて、とても選挙にならない。」という批判が出るでしょう。私のような地方選挙区の議員からは、「人口の少ない県の議員は、不利になる。全国比例代表区のタレント議員や業界団体の議員とは、とても一緒に選挙できない。」という批判が出るでしょう。さらに、比較的有利と見られる大府県の議員、例えば九州・沖縄ブロックでは福岡県選挙区の議員からも、「府県内から多数の候補が出る可能性があり、必ずしも有利ではない。」という意見が出るでしょう。結局みんな反対なのです。選挙制度の改正は、国会で決めるので、現行の選挙制度で選出された国会議員は、大抵個人的には反対します。

 しかし、そうばかりも言っていられません。国民の一票の格差の是正の声に、十分耳を傾けていかなければなりません。西岡案では、非拘束名簿式の制度を提案しています。政党選挙を前提とした比例方式としますが、当選者は、政党の名簿搭載者の中から個人の得票が多い順に決定するという方式です。現在の全国比例代表区と同じ方式ですが、現職の比例区・選挙区の議員が混在するブロック選挙区でいきなりこの方式を採っては、混乱が生じます。私は、衆議院の比例代表区と同様の政党が候補者の順位を決める拘束名簿式で、候補者を同順位にすることもできるという中間案がいいのではないかと考えています。同順位の候補者は、個人の得票順で当選者が決まります。

 このほか、ブロック選挙区に無所属の候補が立候補できるかという問題があります。政党選挙を前提とする以上、認めるべきでないという意見もありますが、個人の被選挙権を完全に否定するのは憲法違反であるという意見もあります。候補者を一人政党とみなして立候補を認めてもいいのですが、比例配分はドント式によるので、最初の一人の当選には相当の得票を要し、不利になります。こんなことを今後党内外で検討していきます。今月召集される通常国会で、結論を出さなければなりません。

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