(平成25年(2013年))

◎過去の「私の主張」は、左のメニューから御覧ください。
◇靖国参拝について思う(12月29日)
◇放送法について(12月17日)
◇特定秘密保護法の成立(12月10日)
◇特定秘密保護法案修正協議の概要(11月26日)
◇都道府県議会議員の選挙区制度の改正(11月9日)
◇特定秘密保護法案の修正協議(10月28日)
◇秘密保護法案の疑問に答える(10月1日)
◇集団的自衛権の行使に憲法改正は必要か(9月18日)
◇年金は大丈夫か(9月13日)
◇秘密保護法とはどんな法律か(9月4日)
◇集団的自衛権について(その3・終)(8月23日)
◇集団的自衛権について(その2)(8月19日)
◇集団的自衛権について(その1)(8月14日)
◇新任期の課題(7月28日)
◇後半戦に突入(7月13日)
◇いよいよ参議院議員選挙(7月3日)
◇景気回復へ向けて(6月20日)
◇道州制再考(5月24日)
◇各国の憲法改正手続(5月10日)
◇憲法第96条の改正(4月26日)
◇一票の格差と違憲判決(4月4日)
◇TPP交渉参加(3月24日)
◇インターネット選挙運動解禁(3月14日)
◇日弁連の「憲法改正草案」批判について(3月7日)
◇日本版NSC(2月27日)
◇集団的自衛権(2月14日)
◇景気回復には賃上げが必要(2月5日)
◇地方公務員給与削減の経緯(1月28日)
◇官邸とはどんな所か(1月7日)

靖国参拝について思う(12月29日)

 安倍総理は、第2次政権1周年の日に靖国神社を参拝しました。私も、驚きました。中韓両国の反発は織り込み済みだったことでしょう。しかし、日本のマスコミの中にも、「今なぜ靖国参拝をしなければならないのか分からない。」というものが、多数ありました。そんなことで本当にいいのでしょうか。

 ただし、考えてみれば、多くの国民にとって、靖国の話は分かりにくい話になっているのかもしれません。私は、一般の公務員の身から政治家になりました。公務員の時は、親族に戦死者はなく、靖国神社に参拝するという習慣はありませんでした。政治家になって、遺族会の皆さんにお世話になり、傷痍軍人会や軍人恩給連盟の皆さんと交流するようになり、靖国の森の祀られている英霊の皆さんに国民の代表としてお参りすることの大切さを理解しました。

 それでも、私は、静かに一人で、一般の参拝者と同様に、靖国神社の拝殿前でお祈りを捧げています。一方、大分県護国神社には、春秋の例大祭や終戦記念日のみたま祭には、可能な限り自民党を代表して参列するようにしています。

 靖国参拝は、軍国主義でも何でもありません。安倍総理が言っているように、国のために戦って命を落とされた皆さんの御霊に尊崇の念を表すことは、国民として、国の指導者として当然のことであります。戦勝国であれ、敗戦国であれ、どこの国でも行われていることです。多くの軍人が戦死したら靖国に祀られると信じて、戦ったのであります。その信頼には、きちんとお応えしなければなりません。

 戦後、靖国神社は、宗教法人となりました。憲法の政教分離の規定の下、公務として参拝することはできなくなりました。そうであればこそ、私的参拝は、同じく憲法の定める信教の自由に属することであります。誰も、それを批判することはできないはずです。

 中国、韓国は、靖国神社に極東国際軍事裁判の刑死者が祀られていることを根拠として批判しています。このことには、国内においても様々意見があります。かつて、日本遺族会の一部役員が「分祀」を唱えたことがありました。しかし、靖国神社も、神社本庁も、分祀はできないと説明しています。難しいことは分かりませんが、一旦混ざった水は元のように分離はできないというような話であったと思います。政教分離の下、政府や政党がどうしてくださいと言うことはできません。

 しかしながら、その問題を別にしても、靖国神社には、先の大戦だけでも230万余柱の英霊が祀られています。その議論だけのために、多くの御霊に対する礼拝が行われないでいいはずがありません。靖国神社参拝は、日本人の心の問題であり、他の人が、ましてや他国がどうこう言う問題ではありません。

 宗教的色彩のない先の大戦の犠牲者の国立追悼施設を作るべきだという意見があります。また、軍人軍属以外に、きちんと祀られていない戦争犠牲者がたくさんいるではないかという意見もあります。私は、いずれももっともな意見であると思います。それはそれで、検討されればいいと思います。しかし、そういう施設ができたとしても、靖国神社に日本の指導者が参拝しなくていいということにはならないと思います。先の大戦で戦った皆さんには、靖国神社にお祀りすることを国が約束をしたのです。

 こうしたことが、日本人にも分かりにくくなっているのが現実です。さらに、文化宗教観の異なる外国の皆さんに正確に伝えるのは、至難を極めます。しかし、その努力を続けなければなりません。靖国参拝問題を外交問題としか見えないマスコミの皆さんに警鐘を鳴らしたいと思います。敗戦の苛酷を長く日本人は背負わなければならないのかもしれません。でも、一つずつ振り払っていかなければなりません。

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放送法について(12月17日)

 放送法については、少し説明しておかなければなりません。
 余り知られていませんが、放送と新聞では、表現の自由が異なっています。新聞は、それを規制する法律もなく、民間企業が経営しているので、何を書いても自由です。中央紙の読売新聞、朝日新聞、機関紙の自由新報、赤旗、宗教紙の聖教新聞、どれも新聞であることには変わりありません。
 これに対して、放送は、公共財である電波帯を用いて放送するので、放送は国の特許を得て行うことができるものとされています。そのため、放送は、放送法という法律によって規制されています。もちろん、放送にも、できるだけ報道の自由を認める立場から、同法第3条は、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」(放送番組編集の自由)と規定しています。
 その上で、放送法第4条第1項は、国内放送等の放送番組の編集の基準を次のように定めています。
@ 公安及び善良な風俗を害しないこと。
A 政治的に公平であること。
B 報道は事実をまげないですること。
C 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
 これらの規定は、それぞれ具体的であって、難しい説明を要しないでしょう。この基準に照らして、政治的公平性を遵守していない放送があれば、それは放送法違反と言って何ら差し支えありません。
 ただし、これについては、放送事業者が自ら心得て放送を行うほか、なかなか強制手段がありません。総務省が余りにひどい場合は行政指導を行うことがありますが、報道の自由との関係で大変及び腰です。BPO(放送倫理・番組向上機構)も、具体的人権侵害がない場合は取り上げないことになっているので、役に立ちません。まして、放送免許の取上げは、簡単にできることではありません。
 幸い最近インターネットが普及してきました。こういうチャンネルを通じて、マスコミに対して大きな声を上げていくことも必要でしょう。マスコミは政治家に対して言いたい放題言っているのに対し、政治家がマスコミに対して何か言うと「言論の弾圧だ。」とすぐに言います。そんな都合のいい論理はないでしょう。
 ジャーナリズムは、民主主義を支える上で、極めて重要な機能を果たしています。また、マスコミは、立法、行政、司法の三権に次ぐ第四権だと言われています。そうであれば、四権が互いに抑制関係を持つことによって、初めてその真価が発揮されるものと考えます。


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特定秘密保護法の成立(12月10日)

 12月6日の参議院本会議で特定秘密保護法案が可決成立しました。様々な議論が行われましたが、与党自民党公明党は一糸乱れずに法案の成立を期してきました。国民政党である自民党は、もし何か間違っていることをしているのであれば、党内で必ず反対意見が持ち上がって来るはずです。それがなかったことが、この法案に決してやましいことがない証左であります。

 とは言うものの、当初の予想よりもはるかに大きな対決法案になってしまったのも、事実です。今考えれば、もっと審議時間に余裕を持つべきだったかもしれません。しかし、もちろん初めから重要法案であるという認識は持っていましたが、こんなにマスコミ全体を相手にして国論を二分するような法案になるとは、思っていなかったのです。

 特定秘密保護法は、特定秘密の漏えいについて罰則を懲役10年以下に引き上げ、特定秘密を取り扱う公務員に対して適正評価を行うという内容の公務員に対する規制を強化する法案です。現に、防衛秘密や特別防衛秘密については既に罰則が強化されていますし、適正評価も運用上実際に行われています。その秘密の範囲を外交やスパイ・テロの捜査にも広げ、適正評価にきちんと法的根拠を与えることを目的とした法案でした。国家安全保障に関する外交やスパイ・テロの捜査に関する一定の情報は、今でも当然秘密であり、決して秘密が増えるわけではありません。

 与党調整においては、国民の知る権利にもっと配慮すべきだという意見を受け、自民党との間で特定秘密を原則30年で公開することとするとともに、公明党との間で適正な取材行為については罰しないことを明文で規定しました。それにもかかわらず、マスコミが、希代の悪法のような報道を繰り返しました。一体どこにボタンの掛け違いがあったのでしょうか。

 まず、私は「秘密が増えるわけではない。」ということを訴えましたが、この主張は最後まで全く無視されました。現在、役所には、たくさんの秘密文書や資料があります。その中で、特に管理を強化すべきものを「特別管理秘密」に指定しています。また、秘密の程度によって、機密、極秘及び秘に分類されています。この特別管理秘密の中から、国家安全保障に関するもののうち、機密及び極秘の一部を特定秘密に指定するのです。逆に言えば、特定秘密に指定されない秘密も、国にはたくさんあるのです。これらの秘密は、今までどおり国家公務員法の公務員の守秘義務で守られます。

 のみならず、国家安全保障上の秘密に限ることとされているのに、原発の情報やTPPの情報も特定秘密に指定されるというデマが飛び交いました。「テロの捜査情報は指定されるが、テロに利用されるという理由で情報が指定されることはない。」「経済情報が指定されることはない。」と幾度となく説明しましたが、これもマスコミは聞こえぬふりを続けました。テロリズムの定義に単に「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」する行為まで含まれているという一部法律家の牽強付会の批判まで、マスコミは何知らぬ顔で報じていました。

 極め付けは、居酒屋談義です。居酒屋で、公務員が特定秘密について話をしているのをたまたま聞いてしまったら逮捕されるとか、その内容をネットで流したら逮捕されるとか、一体いつの時代かと思われるような話をテレビや新聞が平然と報じているのです。旅行に行って風景の写真を撮ったら、役所の前で拡声器で情報を出すようにと訴えたら、警察に捕まるというものもありました。小説少年Hに出て来るような戦前の話なら分かりますが、今は民主主義国家であり、そんな法律ができるわけがありません。全てデマです。私の「一般国民を対象とした情報取得罪も情報漏えい罪もない。」という説明も、無視され続けました。

 こんなことを記事に書けば、国民の皆さんが不安を抱くのは、当然のことです。マスコミがこういう誤った報道を続けた背景には、知識人と呼ばれる人たちが、法案も読んだこともないのに、誤った報道を根拠に誤ったコメントの再生産を続けたこともありました。一方で、法案を読む能力のある法律の専門家と呼ばれる人たちが、その先頭に立って根拠のない懸念を振りまいていたのも、大きく影響しました。多くの国民は、直接法案に触れることはできず、知識人と呼ばれる人を含め、マスコミの報道によって判断するしかないのです。外国からの批判もありましたが、おそらく法案そのものを読んでいる人はほとんどいなかったでしょう。ジャーナリズムは、民主主義を支える重要な力です。しかし、そのジャーナリズムが誤った報道を続けると、危険な民主主義をもたらすのも必然です。

 一方で、国会における野党との修正協議は、有意義でした。国会は、マスコミの報道に左右されず、冷静に議論をしていました。日本維新の会との間では、指定60年後までに特別な例外を除き特定秘密を全面公開するとともに、法律の適正な執行を監視するため独立・公正な検証・監督機関である内閣府情報保全監察室(仮称)を設けることにしました。みんなの党との間では、内閣総理大臣の特定秘密を指定する行政機関に対する指揮監督権を明定するとともに、それを補助する機関として内閣官房情報保全監視委員会(仮称)を設けることとしました。こうした協議を通じ、政府提出法案としては、異例な多数の条文にわたる修正を行いました。参議院本会議の採決において両党の参加を得られなかったのは、誠に残念なことでした。

 最も残念なのは、民主党の対応でした。この法案の基になった秘密保全法案の骨格は、民主党政権時代に策定されたものです。その責任者の一人であった枝野幸男元官房長官が、この法案は情報公開法の改正とセットでなければならないという趣旨の発言をしたのは、当を得たものと考えます。そこで、私は、自民党PTの町村信孝座長に、情報公開法の改正方向について自公民の枠組みで調整いただくようお願いをしていました。担当の役所にも、「抵抗ばかりしないで、論点を絞るよう」指示し、三党協議の準備を進めていました。それにもかかわらず、民主党の全面反対の方針の下、情報公開法の改正議論が全く行われないままに終わってしまいました。民主党の対案提出が遅すぎたのです。

 静かな環境の中で冷静な議論が行われていれば、もっと実りある結論が得られたことでしょう。衆参両院の特別委員会での採決は、強行採決と呼ばれました。決していいことではありません。しかし、その背景には、マスコミの偏った報道があったのも、見過ごせません。私の個人批判をした報道も、ありました。政治家ですから何を書かれてもいいのですが、記事の掲載に当たって1度でも直接取材をしてくれたならば、あんな記事にはならなかったと考えます。テレビはもとより、新聞もほとんど対立意見の取材をしないで報道が行われています。取材をしても、自分らが考える報道をするために都合のいい人たちだけを対象にしていては、公平中立な記事が書けるわけがありません。今回の法案に関する報道の在り方を見て、多くの国民がその問題点に気付き始めました。国民の知る権利を議論する法案で、マスコミがそれに適切に応えているのか、疑問があります。公平な取材をしないジャーナリズムに、信頼はありません。

【関連の私の主張】
 →特定秘密保護法案修正協議の概要(11月26日)
 →特定秘密保護法案の修正協議(10月28日)
 →秘密保護法案の疑問に答える(10月1日)
 →秘密保護法とはどんな法律か(9月4日)

【参考資料】
 法案 法案のポイント 法案の説明資料
 衆議院修正新旧対照表 特定秘密保護法(最終版)
 第三者的機関のイメージ 4党合意


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特定秘密保護法案修正協議の概要(11月26日)

 特定秘密保護法案について、衆議院において維新の会及びみんなの党と与党間で修正協議が妥結し、11月26日(火)に衆議院で可決され、参議院に送付されました。大幅な修正を行うことにより、より国民の疑念を払拭することができる法案となったものと考えます。その概要について、解説します。

 まず、維新の会から、特定秘密の指定全体の要件である「国家安全保障」に関する定義規定がないことについて指摘があり、その定義を「国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。」と規定しました。
 次に、同党から、特定秘密を指定できる行政機関の長について限定がないとの指摘があり、内閣総理大臣が有識者の意見を聴いて政令で限定できることとするとともに、法律の施行後5年間特定秘密を保有しなかった行政機関については除外することとしました。

 次に、同党から、特定秘密について一定期間後に全面公開すべきであるとの指摘があり、与党としては、一定期間後に全ての特定秘密を公開することはできないが、指摘の趣旨を受け、30年で原則公開する規定は残しつつ、60年で、特別な例外情報を除き、全面公開することとしました。
 特別な例外情報は、@武器等の情報、A現に行われている外交交渉に不利益を与えるもの、B情報収集の手段及び能力、C人的情報源、D暗号、E外国政府から60年を超える指定を条件として提供された情報、Fこれらに準ずるものとして政令で定めるものと限定的に規定したところです。
 あわせて、30年を超える指定をする場合において内閣の承認が得られなかった情報については、国立公文書館に移管することを為念的に規定しました。

 次に、同党から、国会から特定秘密の提出要求があった場合はこれに応ずるべきであるとの指摘があり、行政機関の長は法律に規定する公益上の必要による特定秘密の提出要求があったときはこれに応ずる旨を規定しました。あわせて、国会における特定秘密の保護措置については、政令で規定せず、国会において検討し、必要な措置を講ずることとしました。

 次に、みんなの党から、第三者的立場から内閣総理大臣の関与を強めるべきであるとの指摘があり、内閣総理大臣が、有識者の意見を聴いて特定秘密の指定基準等を作成し、毎年、有識者に対し、特定秘密の指定及び解除並びに適正評価の実施状況について報告するとともに、行政機関の長に対し、改善の指示を行うことができることとしました。
 また、同党及び維新の会の要求により、政府は、毎年、国会に対し、特定秘密の指定及び解除並びに適正評価の実施状況について報告することとしました。

 次に、維新の会から、欺罔、暴行、脅迫、窃取、侵入等による不正情報取得罪は目的犯に限るべきだとの指摘があり、「外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的」の場合に限って罰することとしました。

 次に、同党の指摘を受け、特定秘密の指定等が真に安全保障に資するものであるか独立・公正な立場で検証・監督する新たな機関の設置について検討する旨を附則に規定しました。

 次に、みんなの党から、特定秘密の指定対象を定める別表の規定中「その他重要な情報」というのは表現が曖昧であるとの指摘があり、3か所でその表現を削除しました。

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都道府県議会議員の選挙区制度の改正(11月9日)

 最近国家安全保障の話ばかり続きましたが、私の総理補佐官としての所管事項には「選挙制度」というものもあります。これまで、インターネットを使った選挙運動の解禁を行うほか、衆議院の定数削減や参議院の定数是正という大きな問題にも直接、間接に関わってきました。このほか、前国会から継続審議とされている都道府県議会議員の選挙区制度の改正を行うための公職選挙法の改正があります。この法案は、私が国会議員となってからずっと取り組んでいるものであり、簡単に解説したいと思います。

 現在、都道府県議会議員選挙に関しては、定数条例はありますが、選挙区条例というものはありません。なぜならば、公職選挙法の規定により選挙区は一律に「郡市の区域」と決められているからです。原則、市については単独で、町村については郡で、選挙区を設けることとされています。「郡」が法律的な意味を持っているのは、実は、この都道府県議会議員の選挙区だけなのです。

 しかし、特に町村合併が進み、多くが市に昇格したことにより町村数が激減したことや郡の区域を越えた町村合併も行われ、郡の選挙区を維持することの意義が問われる状況になっています。そうした中で、全国都道府県議会議長会から、「郡市の区域」という規定の見直しが要求されてきました。

 また、全国で20の政令指定都市が指定され、比較的小規模な政令指定都市も増えてきました。政令指定都市における都道府県議会議員の選挙区は行政区単位とすることとされていますが、行政区の人口が少ないものもあることから、一人区が増加し、中小政党の候補が当選する機会が減少することが指摘されています。

 こうしたことから、公職選挙法に規定する「郡市の区域」の選挙区等を見直し、都道府県議会議員の選挙区は、当該都道府県条例において定めることとしました。議長会は当初選挙区の完全自由化を主張していましたが、一気にそれを行うと、場合によっては現行の地方自治制度に大きな影響を与えることから、引き続き、選挙区制度には一定の基準を設けることとしました。

 具体的には、市については従来どおり原則1市1選挙区とした上で、町村については、従来の郡の区域の囲いを外し、市の選挙区と合区すること、町村同士で1選挙区とすること又は1の町村で1選挙区とすることを自由に条例で規定することができるようにします。ただし、1選挙区には、基数(都道府県の人口を議員定数で除したもの)の2分の1以上のとなる人口は必要です。1選挙区ごとの定数については、基準はありません。

 政令指定都市については、1市1選挙区とすることができるようにという要請もあったのですが、それでは政令指定都市における行政区制度の意義が没却されるので、2以上の選挙区を設けなければならないこととしました。すなわち、現在の行政区ごとの選挙区はこれを合区することができるようになります。全市1選挙区にならなければ、自由に選挙区を定めることができます。なお、市議会議員の選挙区は、これまでどおり行政区単位です。

 重要なことは、この法律が施行されると、都道府県は必ず選挙区条例を制定しなければなりませんが、現行の選挙区を必ずしも変更する必要はないということです。今回の改正は、選挙区制度の自由化を促進するものであり、現行選挙区を改正しなければならないものではありません。なお、飛び地の選挙区も、選挙区を改正するまでは、現行のままとすることができます。

 都道府県においては、次期統一地方選挙からこの法律改正が適用されるので、まず現行選挙区を改正するのか、しないのか判断することが必要になります。その上で、改正することになれば、各会派の協議を開始しなければならず、これは結構大変な仕事になることが予想されます。そのため、公職選挙法改正案の一刻も早い成立が求められており、今国会での成立を祈ります。

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特定秘密保護法案の修正協議(10月28日)

 本日、特定秘密保護法案の与党手続が完了し、10月25日(金)に閣議決定されることになります。この間、与党PTでの指摘を踏まえ、当初の政府原案から幾つかの点で修正が行われたので、それらの点を中心に解説します。修正協議の結果、法案は、国民にとってより分かりやすいものになったと考えています。

 自民党のPTでは、特定秘密の指定の更新について、意見が出されました。当初案では、特定秘密は、行政機関の長(大臣又は長官)が指定し、その期間は5年以内ですが、その更新については上限がありませんでした。政府としては、長期間秘密にしておかなければならない秘密もあり、指定期間の上限を設けることに難色でした。委員からは、「今秘密とすることはやむを得ないが、将来の情報公開へ向けて道を作っておくべきではないか。」という意見が多くありました。

 こうした意見を踏まえ、特定秘密の指定期間が30年間を超えるときは、あらかじめ内閣の承認を得なければならないこととしました。指定期間が30年を超えるときは、内閣官房と協議し、閣議決定を経なければならないようにしたのです。「30年間を超えても、政府の判断で更新できるので、余り意味はない。」と言う人がいますが、大臣決裁と閣議決定では全くレベルが違い、定められた一定の基準の下、事前に内閣官房と協議を行わなければならないので、手続の重さが全く異なります。特定秘密の指定は、「原則30年までとなった。」と言っても、差し支えないと考えます。

 公明党のPTとの協議は、国民の知る権利を中心として、理念的な点に論議が集中しました。まず、同党からは、この法律の運用を監視するために有識者会議を設置することを求められました。既に、特定秘密の指定、指定の更新及び指定の解除の基準を作るために、有識者会議を運用上設置することについては、PTの答弁の中で合意をしていました。しかし、同党は、それを法案上明文化することを更に求めてきたのです。

 政府としては、「法律上の権限を持たない私的諮問機関を法律上規定することはできない。」として難色を示していましたが、公明党側の意向も強く、有識者会議を置くこととするとかなりの条数の規定を置かなければならないことにも鑑み、「有識者の意見を聴かなければならない。」という趣旨の条文を置くことで、最終調整しました。

 もう一つは、解釈規定の調整です。「報道の自由」については、自民党のPT段階で既に挿入していましたが、公明党は、更に「国民の知る権利」と「取材の自由」の規定を求めてきました。政府としては、「知る権利」については成立した政府提出法案では用いた前例がないこと、「取材の自由」は「報道の自由」に含まれていることからこれも難色でしたが、ここも公明党の強い意見を尊重し、「国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分配慮する」という文言で、決着しました。

 最も議論したのは、同党が「正当な取材行為については、罰しない。」ということを明文化するよう求めてきた点です。政府は、「違法行為を伴わない取材行為は罰しないとする西山判決の趣旨については踏襲し、その旨大臣答弁で確認するので、明文の規定は不要ではないか。」「刑法総則に規定する教唆犯からマスコミだけを除外し、特別扱いするのは、憲法の定める法の下の平等に反する。」と、反論したところです。
 大議論の結果、「罰しない」とか「この法律を適用しない。」とかの文言を用いずに、「法令違反や著しく不当と認められない取材行為は、正当業務とする。」という趣旨のいわば刑法総則に規定する正当業務の解釈規定のような規定を置くことで、決着しました。

 その他公明党から附則に規定するよう要求のあった公文書管理法の改正については、衆議院本会議質疑の答弁振りを調整することで、情報公開法の改正作業に着手することについては委員会審議で質問してもらうことで調整しました。

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秘密保護法案の疑問に答える(10月1日)

 特定秘密保護法案の概要については、このホームページで9月4日に「秘密保護法とはどんな法律か」を掲載し、お知らせしたところです。その後も、テレビ出演等によりきちんとした説明をしていますが、なお議論のかみ合わない、一部事実に基づかない批判が続いています。理屈に合う批判は幾らでもお受けいたしますが、事実に基づかない批判は、正しい議論を阻害するので、是非お止めいただきたいと思います。

 まず、「テロに利用される可能性があるので、原子力発電所の情報は、特定秘密に指定されるおそれがある。」というものがあります。何でもかんでも原発問題に結び付けて批判しようとする勢力があるようです。特定秘密に指定できるのは、法案別表第4号の規定により、「テロ防止のための措置、計画又は研究」に関する情報です。これは、テロ行為に関する捜査情報を意味します。法律を読む素養が少しでもある人ならば、原発の情報がこれに該当しないのは、瞬時に理解いただけるはずです。

 また、「国の秘密が増えるのではないか。」という懸念の声も、よく聞きます。法案は、現在ある秘密のうち国家安全保障に係る特に機密性の高いものを特定秘密に指定して、その管理を強化しようとするものです。現在ある秘密の一部を特定秘密に指定するわけですから、現在よりも秘密が増えるということは、論理的にあり得ません。
 国の秘密全般に関することとこの法案に関することを混同して指摘している意見がたくさんあります。今でも、秘密はあります。この法案の成立によって、秘密が増えるわけではありません。もちろん、今回の法案の審議に際し、国の秘密全般の管理についても議論いただくことはいいことですが、法案の議論と混同しては議論が錯綜します。

 また、「特定秘密は行政機関の長が指定するので、自分の都合の悪いものを指定するのではないか。」という意見もあります。特定秘密の指定は、部下による代決や専決を認めずに、大臣や長官自ら、内閣官房が示した基準に基づき、厳正に行うことになります。そんなものは信じられないと言われれば、全ての行政法規は成り立たなくなります。法治国家は、法律に基づき運営されるのです。なお、この点も、今でも行政機関は秘密を指定できるのであって、この法案の規定よって初めてできるようになるわけではありません。

 また、報道の自由との関係で、「取材をしていたら、捕まってしまうことがあるのでは。」などと、まことしやかに言っている人たちがいます。特定秘密の漏えいに関する教唆罪(そそのかし)は、最高裁判所の判例により、脅迫や買収など違法行為を伴わない取材については罰せられないことになっています。さらに、取材をする者が特定秘密であることを知らなければ、故意が否定され、やはり罰せられることはありません。
 特定秘密の漏えいの罪は重くなりますが、今でも秘密漏えい及びその教唆罪は、国家公務員法の規定により罰せられており、その構造がこの法案によって変わるわけではありません。ましてや、一般の国民が「知らないうちに捕まってしまう。」などということは、絶対にありません。

 もう一つの大きな問題は、情報公開との関係です。これは、国民の知る権利との関係で重要な問題です。ただし、その前提として、国家には秘密があることを理解いただかなければなりません。全ての情報を公開していたら、自衛隊の配備状況が近隣諸国に漏れ、テロの取締り情報がテロリストに漏れ、国家や国民を守ることはできません。
 その上で、法案では、国会、裁判所や情報公開審査会から求めがあれば、特定秘密の秘密を守ることを条件に(このことを「インカメラ」と呼びます。)、当該機関に特定秘密を提出することにしています。さらに、仮に情報公開審査会が特定秘密の指定が間違っていると判断した場合には、基本的に、特定秘密の指定を解除した上で、情報公開に応ずる考えです。特定秘密が全く世の中に出ないというわけではないのです。

 また、特定秘密の5年の指定期間が更新できることに懸念を唱える人もいますが、秘密にしておかなければならない情報である以上、更新しなければならないのはやむを得ないことです。5年の期限があることで指定について再考させる機会を与えることになります。特定秘密の指定解除後、文書保存期間が満了すれば、歴史的価値のある文書については、国立公文書館に引き継いで、供覧されることになります。
 特定秘密の指定期間の上限をあらかじめ定めておくべきであるとの意見もありますが、国家安全保障上の機密について、そのような制限を設けるのは、困難であると考えます。

 以上は、私的見解であり、政府の公式見解ではないことを、お断りしておきます。

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集団的自衛権の行使に憲法改正は必要か(9月18日)

 最近の論調の中で、「政府が本当に集団的自衛権を行使することが必要であると考えるのであれば、憲法解釈の変更のような姑息な手段ではなく、堂々と憲法改正を国民に問うべきだ。」というような主張が、まま見られるようになってきました。一聞すると説得力があるように聞こえますが、本当にそうなのでしょうか。ここでは、集団的自衛権の行使を認めるか否かの意見については置いておいて、手続的な点だけを論じたいと思います。

 国法の体系は、憲法、法律、政令及び府省令の順に上下関係があります。通常、例えば、政令で規定されていることを変更するのであれば、政令を改正することになるのであり、その時「法律を改正すべきだ。」などと変なことは言いません。ただし、政令で規定できることは法律の委任の範囲でなければなりません。法律の委任の範囲を超えることを政令で規定したいときは、先ず法律を改正しなければなりません。

 では、「解釈」とは何でしょうか。解釈は、「法源」ではないとされています。法源とは、裁判所の判断の基準になる法令のことをいいます。法令の解釈権は裁判所にしかなく、三権分立の下、行政機関の解釈が裁判所の判断を拘束することはありません。行政機関の解釈は、法令の運用にしか過ぎません。

 解釈にも二通りあり、「文理解釈」と「運用解釈」があります。文理解釈とは、正に法令の規定の文字そのものに沿って一定の結論を導き出すものです。「運用解釈」とは、法令の運用上「かくあるべし。」と、所管官庁が判断することです。行政に関する法律の場合でも、法文の意味について争いがあるときは、所管官庁は、内閣法制局にお伺いを立てなければならないことになっています。しかし、運用解釈については、一般に「有権解釈」と呼ばれ、所管官庁において判断されています。地方自治体や所管業界などから、法律の意味について問合せがあったときに、Q&Aの形で所管官庁が回答するのは、この有権解釈です

 ここで、憲法第9条を復習してみましょう。

 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この条文を素直に読む限り、特に第2項を読む限り、我が国が軍事力を保持し、自衛権を行使することなど、全くできないように思えます。しかし、それでは、我が国の国民は、不正な侵略に対して、全く抵抗できず、座して死を待つことになります。それではあんまりであり、砂川事件における最高裁判所の判例(昭和34年)は、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではな」いことを明らかにしました。

 これを受け、内閣法制局は、我が国は「自衛のための必要最小限度の実力を保持することができる」とし、「自衛のため必要最小限度の範囲で武力を行使できる」としてきたところです。しかし、集団的自衛権については、「必要最小限度の範囲を超えるので、行使できない。」としてきました。これは、内閣法制局の解釈です。

 この内閣法制局の解釈を変えようとするのであれば、憲法改正によるべきであるという主張が仮に正しいとすれば、それはどういうことでしょうか。それは、内閣法制局の解釈が絶対に間違っておらず、憲法を読む限りほかに採り得る解釈はないという前提に立っていなければなりません。そんなことが言えるのでしょうか。ほかに採り得る解釈があれば、解釈の変更をしても、差し支えないはずです。

 憲法解釈の変更には前例があり、憲法第66条第2項の「文民」という用語の意味について、従来は「職業軍人以外の者」という解釈でしたが、後に「文民でない者に現職の自衛官も含まれる。」と解釈を変更しました。仮に間違っていない解釈であっても、社会政治状況が変化してくれば、解釈を変更しなければならない場合も生じてきます。

 憲法第9条をながめて、「集団的自衛権は行使できない。」ということが絶対に言えるのでしょうか。第9条には、「集団的自衛権」の「集」の字も、「自衛権」の「自」の字もありません。私は、自衛権の行使が必要最小限度の範囲でなければならないというのは、憲法第9条の文理解釈であると考えますが、集団的自衛権は行使できないというのは、運用解釈に属することではないかと考えます。憲法第9条の解釈から、当然に「集団的自衛権は行使できない。」という結論が導き出されるわけでは決してありません。

 いずれにせよ、「集団的自衛権は行使できない。」と限定的な考え方をしたのは、内閣法制局の解釈ですから、普通に考えれば、それを変更するのも、内閣法制局の解釈でいいはずです。これは、自明のことであり、「内閣法制局の解釈を変えようとするのであれば、憲法改正によるべきである。」という主張は、変な主張であると考えます。なぜならば、解釈の変更により憲法第9条の規定が改変されるわけではないからです。

 以上は、私的見解であり、政府の公式見解ではないことを、お断りしておきます。

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年金は大丈夫か(9月13日)

 私の属する清和政策研究会が今月軽井沢で開催した研修会において、予備校講師の細野昌弘さんの講演を聴きました。細野さんは、社会保障の専門家であり、大変分かりやすいお話でした。研究会からその趣旨を広めるようにとの話がありましたので、私なりに解題してお伝えします。

 年金は、若い人は払い損だと言われていますが、本当でしょうか。私は、「そんなことは絶対にない。」といつも言っています。成人の全ての国民は、基礎年金に加入することに建前ではなっています。国民年金は、基礎年金そのものです。厚生年金や共済年金も、1階部分は、基礎年金です。基礎年金の支払には、保険料のほか、2分の1の国庫支出金を充てられます。簡単に言うと、年金は、半分が保険料、半分が税金でまかなわれます。人によって寿命は違い、それによって年金受給期間は異なりますが、半分が税金でまかなわれているわけですから、直感的に言って、年金をもらわなければ損です。

 保険料を滞納している人には、その期間に対応する分の年金は支払われません。保険料を払わないから仕方がないとだけお考えかもしれませんが、その期間も、その人は、消費税などの税金は支払い続けているはずです。消費税は、その一部が年金に充てられます。年金を受けないということは、税金を支払った分の見返りも受けないということなのです。これは、絶対に損なのです。

 反対に保険者(国)側から見れば、滞納者がいて困るようですが、その人にはその分の年金を支給しないで済み、少なくとも半分の税金から支給する部分については経費が掛からないわけですから、その分は得になるのは明らかです。確かに、国民年金の納付率が60パーセント程度というのは、大いに問題です。しかし、基礎年金には、厚生年金や共済年金の人も含め、全ての人が加入しているわけですから、それを含めると滞納は5パーセント程度に過ぎず、年金財政が破綻するというほどの話ではありません。

 なお、年金の保険料が本当に支払えない世帯については、保険料の減免制度が用意されているので、それを利用して、年金を受けるべきです。

 よく、1960年にはお年寄りを9.5人で支え、1990年には5.1人で支え、2030年には1.7人で支えるという説明が行われます。65歳以上の人口とそれ未満の人口を比較すれば、そのような数字になるのは、事実です。野田総理も、国会の審議でよくこの図を用いました。しかし、9.5人でお年寄りを支えていた時代に、保険料の全てを年金に回していたわけではありません。きちんと将来に備えて積立てを行っていたのです。このことの説明をしないで、人口比だけで議論をすると、誤解を招きます。

 もう一つは、2030年において、年金支給開始年齢を65歳で据え置いたままでいいのかということは、十分考えなければなりません。長寿化はおめでたいことですが、年金支給開始年齢をそのままにしておくと、年金財政が大変なことになるのは、容易に想像がつきます。60歳以上の人にも、しっかりと働いていただく環境整備が重要です。さらに、女性の働く環境を整えることも、重要です。

 こうした点を検討しつつ、年金財政をしっかり維持できる国の経済力を向上させることが何よりも喫緊の課題です。

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秘密保護法とはどんな法律か(9月4日)

 政府は、秋の臨時国会に、特定秘密保護法案を提出する予定にしています。「秘密保護法」というと、何かスパイ防止のような恐い法案のような感じがしますが、決してそんなものではありません。二つのことを理解していただく必要があります。

 一つ目は、国家には、その安全保障上、守らなければならない機密があるということです。外交上の戦略や自衛隊の配備状況、テロ防止の対策などが、他国や犯罪組織にじゃじゃ漏れになっていては、国や国民は守れません。このことは、容易に御理解いただけるでしょう。そうであれば、そうした機密、法案では「特定秘密」と呼んでいますが、それが政府の外に漏れないように対策を講ずる必要があります。

 現在、そのための一般法としての仕組みは、国家公務員法にしかなく、国家公務員が知り得た秘密を漏らしたときには、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられることになっています。これを「守秘義務」と呼びます。ただし、防衛大臣が指定する防衛秘密を漏らしたときは、5年以下の懲役に処せられます。また、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法に基づき、アメリカ合衆国から供与された装備品等の機密(「特別防衛秘密」と呼びます。)を漏らしたときは、最大10年以下の懲役に処せられることになっています。

 このように、防衛秘密については一定の対策が講じられていますが、それ以外の外交秘密などについては特別な措置が講ぜられておらず、対策を強化する必要があります。また、秘密漏えい防止のための具体的な措置は、いまだ法律で規定されていません。そのため、新たな立法が必要とされています。さらに、現在国家安全保障会議(NSC)設置法案を国会に提出しており、その設置後は、アメリカを始め諸外国のNSCとの情報等の共有を進め連携を深めていかなければなりません。そのためにも、我が国の秘密保護体制を強化することが必要なのです。

 二つ目は、秘密保護法は、行政部内の規制を目的としており、一般国民を規制の対象とするものではないということです。では、秘密保護法で何を規定するのでしょうか。
 第一に、「特定秘密」の指定要件を規定します。特定秘密は、国の安全保障に係るものに限定されます。さらに、漠然とした要件ではなく、その具体的要件を別表で詳細に規定します。特定秘密は行政機関の長が指定し、期間は最大5年間とし、更新できます。
 第二に、特定秘密を取り扱うことができる公務員について、適正評価を行うことを規定します。本人の同意を得た上で、法律で規定する事項について調査をします。家族及び同居人については、氏名や国籍などを本人から聞き取り調査します。これをクリアランスと呼んでいます。クリアランスは、特定秘密を扱う業者の従業員についても行いますが、これは、民間人を対象としたというよりも、みなし公務員という考え方に近いでしょう。自衛隊の装備を製造する業者などが対象となります。
 第三に、罰則を規定し、特定秘密の取扱者でそれを漏えいした者は、10年以下の懲役に処します。その際、教唆罪や煽動罪(そそのかしなど)の規定があり、マスコミの取材が議論されていますが、外交機密を漏えいした西山事件の最高裁判例に基づき、違法行為を伴う取材でない限り、仮に執拗な取材を行ったとしても、罰せられないものと解しています。

 大臣等の国会議員については、今まで守秘義務の罰則はありませんでしたが、法律が成立すれば、クリアランスの対象にはしないものの、漏えいに対する罰則は一般の公務員同様に適用されます。

 特定秘密の機密性がなくなったときは、指定は解除されます。その際は、個人情報に属するものを除き、通常の公文書と同様に公開手続がとられることになります。永久の秘密ということは、あり得ません。そもそも、特定秘密の指定が法律の規定に基づき厳格に行われるべきものであることは、言うまでもありません。

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集団的自衛権について(その3・終)(8月23日)

 前2回集団的自衛権について一般論を解説してきましたので、今回は、我が国の憲法上集団的自衛権をどう位置付けることが可能化について、説明していきます。なお、現時点において、政府は、従来の「我が国は、集団的自衛権を国際法上保持しているが、憲法第9条の下、行使できない。」という解釈を踏襲しています。以下述べることは、私見であり、政府の公式見解と関係ないものであることを申し添えます。

 もう一度内閣法制局の憲法解釈の枠組みを復習しておきます。
@ 我が国は、自衛権を保持している。これは、砂川事件における最高裁判所の判断です。
A 憲法第9条全体の解釈から、自衛権の行使は、必要最小限度の範囲でなければならない。
B 集団的自衛権は、この必要最小限度の範囲を超えるものであり、行使できない。

 Bについて、内閣法制局は、この判断は「量的制限」ではなく、「質的制限」であると主張し、すなわち集団的自衛権はその内容の如何を問わず「全て駄目だ。」と言っています。

 @は当然のこととして、Aも、平和主義を基本原則とする我が国の憲法解釈上、変えることはできないと考えています。問題は、Bです。前回解説したように、集団的自衛権は、抑止力を強化する上で、極めて有効な手段です。これを一律に行使できないとしてしまっていいのかどうかが、現在行われている集団的自衛権を巡る議論の焦点なのです。

 では、Aにもどって、「必要最小限度の範囲」とはどういうことでしょうか。従来、自衛権発動の三要件として、次のことが掲げられています。
@ 我が国に対する急迫不正の侵害があること。
A これを排除するために他の適当な手段がないこと。
B 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。

 この三要件は、基本的に踏襲すべきものと考えます。ただし、仮に集団的自衛権の行使を認めることとすると、@に「我が国」とあるのは、「我が国又は我が国と密接な関係にある国」等と変更することになるのでしょうか。

 また、重要なことは、集団的自衛権も我が国の「自衛権」の行使の一態様であるから、それは、我が国の安全保障と関係のあるものでなければなりません。このことをどのように制約するのかも、議論の焦点の一つです。特定の国や特定の地域に限定することは、戦略上得策ではないと言われています。

 なお、Bについて、「最小限度」では国を守れないという議論がしばしばありますが、「最小限度」ではなく、「必要最小限度」なのです。「必要最小限度」とは、必要かつ最小限度であり、必要な範囲内で最小という意味です。我が国を自衛するために、必要な手段は講ぜられるのです。

 憲法解釈上の主な論点は上記のとおりですが、仮に集団的自衛権の行使が認められた場合に、実際に何ができるかは、個別の法律に定められなければなりません。このことの理解が重要です。それが、ポジティブリスト(できることの列挙)になるのか、ネガティブリスト(できないことの列挙)になるのかは今議論しませんが、自衛隊を動かす具体的な根拠規定が必要です。その場合、その規定はできる又はできないの規定であって、決して義務規定になることはありません。集団的自衛権は、権利であって、義務ではないのです。

 その上で、実際に集団的自衛権を行使するかどうかは、その時の国際情勢を熟慮した上での政権の政策的判断と国会の民主的統制によることになります。現行の武力攻撃事態対処法においても、自衛隊を防衛出動させる場合は、事前又は事後に国会の承認が必要とされています。

 現在、政府では、有識者の安全保障法制懇談会で、こうした論点について、慎重に議論が行われています。政府としては、その報告を待って、一定の方向性を示すことになります。

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集団的自衛権について(その2)(8月19日)

 「集団的自衛権」とは、何かということを説明していきます。集団的自衛権のイメージが合っていないと、議論がとんでもない所へ行ってしまいます。なお、現時点において、政府は、従来の「我が国は、集団的自衛権を国際法上保持しているが、憲法第9条の下、行使できない。」という解釈を踏襲しています。以下述べることは、私見であり、政府の公式見解と関係ないものであることを申し添えます。

 集団的自衛権とは、「他国が第三国から武力攻撃を受けたときに武力攻撃を直接受けていない国が共同して対処する権利」のことです。定義そのものは、極めて明確です。違法な武力攻撃を受けた他国のためにそれを行った第三国に対して共同して対処することをいいます。

 国連憲章第51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と規定し、加盟国の集団的自衛権を明確に認めています。したがって、我が国も、国際法上、集団的自衛権を保持することは、政府解釈でも認めています。

 集団的自衛権がその国の安全保障にどうして有用かは、それほど難しい話ではありません。友好国に違法な武力攻撃があった場合に、共同で対処するということを表明していれば、第三国に対する抑止力になります。

 余り子供の例を出すのはよくありませんが、仮に乱暴なガキ大将がいる場合に、A君が、ガキ大将に対し、「B君に乱暴なことをしたら、僕は黙っていないぞ。」と言っておけば、相当な抑止力になるでしょう。通常集団的自衛権は相互的ですから、B君も、「僕も同じだ。」と言っておけば、もっと効果があるでしょう。ガキ大将は、A君又はB君のどちらかに乱暴なことをしたら、A君及びB君の二人を相手にしなければならなくなるのです。3人以上で宣言をしていたら、もっと効果があることは当然です。

 このように、集団的自衛権を行使する可能性があるということを言える状態にしておくことに、抑止力としての意味があります。集団的自衛権の行使によって現実の武力行使に至ることは、誰も望んでおらず、軍事衝突は可能な限り避けるべきであることは言うまでもありません。

 国際法上、集団的自衛権は、国同士が同盟関係にあることを要求していません。同盟国以外の密接な関係のある国に対しても、集団的自衛権は行使できます。その際、武力攻撃を受けた国からの要請が必要かどうかは、議論が分かれています。もちろん、集団的自衛権は、「自衛権」の行使の一態様であるから、その国の安全保障と関係なく行使することはできません。しかし、集団的自衛権は、国際法上の概念であるから、明確な基準がないのも事実です。

 アメリカは、9.11襲撃に対し、自衛権を発動し、アルカーイダをかくまうターリバーン政権に対し、宣戦を布告しました。この戦争に対し、イギリスやフランスなどのNATO軍等は、集団的自衛権の行使として参戦しました。国際法上こうした参戦が許されるのかという議論もありましたが、集団的自衛権の行使が許されるかどうかは、それぞれの国の国内法によることになります。日本においては、仮に集団的自衛権の行使が認められたとしても、自衛権の行使は必要最小限度の範囲に限るとする憲法解釈の下、こうした参戦が行われるようになるわけではないと考えています。

 何度も言うように、集団的自衛権は「権利」であることから、集団的自衛権は必ず行使しなければならないものではありません。まず、集団的自衛権として何ができるかは、その国の法制上定まっていることが原則であり、その実際の行使は、時の政権の判断と議会の民主的統制に依存するものです。

 次回は、集団的自衛権が、我が国の憲法上許されるものなのかどうか、解説します。

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集団的自衛権について(その1)(8月14日)

 「集団的自衛権」について、マスコミの報道が頻繁になってきました。この問題は、国家安全保障上極めて重要なものであり、正確に、冷静に議論する必要があります。分かりやすい解説を試みようと思います。なお、現時点において、政府は、従来の「我が国は、集団的自衛権を国際法上保持しているが、憲法第9条の下、行使できない。」という解釈を踏襲しています。以下述べることは、私見であり、政府の公式見解と関係ないものであることを申し添えます。

 最初に「集団的自衛権とは何か。」という観点の解説をすべきですが、内閣法制局長官の交代に伴い、「憲法解釈の変更を行うことが問題ではないか。」との疑問の声も上がっており、そのことから考えてみたいと思います。

 まず、憲法第9条を見ていただく必要があります。同条には、こう規定されています。
 
 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 第1項については、諸説ありますが、1929年のパリ不戦条約第1条を翻案した規定であり、侵略戦争を否定した規定であると解されています。第2項は、戦力の保持と交戦権を否定しています。こうすると、我が国は、他国に侵略されたときに、何もできないように思われますが、昭和34年の砂川事件に関する最高裁判所の判決は、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。」と判示し、我が国が「自衛権」を保持していることを明確に肯定しています。

 一方で、集団的自衛権について、最高裁判所が判例を示したものはありません。ここから先は、内閣法制局の判断なのです。先ず、国連憲章は、加盟国が個別的自衛権と集団的自衛権を保有していることことを、明確に認めています。だから、同局も、我が国が、国際法上、集団的自衛権を保持していることを認めています。

 しかし、同局は、憲法第9条全体の解釈から、我が国は自衛権を保持しているが、それは「必要最小限度の範囲のもの」でなければならないとし、集団的自衛権はその範囲を超えるので、行使することができないとしているのです。その結果、我が国の保持する自衛権のうち、有事の際に、個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権は行使できないという解釈がこれまで定着してきました。

 そして、現在、集団的自衛権を巡る憲法解釈の変更について、様々な議論が行われています。その中には、「集団的自衛権に関する憲法解釈は長い間の国会答弁などにより定着しており、軽々に変更すべきものではない。」というものや、「集団的自衛権を行使する必要があるというのであれば、堂々と憲法改正によるべきである。」というものなどがあります。これまでの憲法解釈が正しかったのかどうかについては判断を留保しておきますが、次の二つのことが言えると考えます。

 第一に、もちろん憲法解釈は軽々に変更すべきものではありませんが、こうした解釈が確立してきた時代と今では、国際的な環境が大きく変わっています。国際化の進展はめざましく、ヨーロッパはEUという超国家を創設しました。安全保障面でも各国が互いに助け合う体制が、着々と構築されています。また、軍事技術が発達し、中小国家でもミサイルによる核武装の動きが見られるようになってきました。このような国際化の進展、軍事技術の発達の中で、従来の個別的自衛権だけで我が国を守ることができるのかどうか、時代の変化というものに着目しなければなりません。

 第二に、憲法第9条を読んでも、文理解釈からただちに「集団的自衛権が行使できない。」という結論が出て来るわけではありません。自衛権としての「必要最小限度の武力行使」に集団的自衛権が含まれないとしたのは、内閣法制局の判断なのです。蛇口を閉めたのが政府解釈であるのならば、蛇口を開けるのも政府解釈でいいのではないでしょうか。もちろん、その場合には、新たな憲法解釈をきちんと提示しなければならないことは、言うまでもありません。

 少し手続論から入ってしまいましたが、次回から集団的自衛権とは何か、解説をします。

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新任期の課題(7月28日)

 先日の参議院議員選挙で、皆様のおかげで、再選を果たすことができました。ありがとうございました。2期目の私の課題について、率直にお伝えしたいと考えます。

 自民党憲法改正推進本部事務局次長・起草委員会事務局長として、何としても、任期中に憲法改正が実現するようがんばります。こう言うと、いろいろと心配する人がいますが、私は次のように説明しています。私が起草した「日本国憲法改正草案」は、自民党の目指す憲法の目標を定めたものです。自民党の国会議員の中で、そのまま現行憲法が全部改正されると考えている人は、一人もいません。「草案」は、飽くまでも目標です。

 憲法第96条は、憲法改正は国会が発議するものと定めています。政党が発議をするのではないのです。両院の憲法審査会の各党協議を通じ、衆議院で3分の2以上、参議院で3分の2以上の賛同を得られる改正項目は何であるのか、それを煮詰めていく作業を進めていくことになります。決して自民党の思うようにいくわけではありません。自民党の「草案」と、国会における憲法改正手続は、全く別のものであるという理解が必要です。

 国家安全保障担当の総理補佐官としては、既に国会に提出した「国家安全保障会議設置法案」、日本版NSC法案の成立を目指すのが最大の仕事です。あわせて、セットの法律として国家安全保障に関わる秘密を保護するための「特定秘密保護法案」を現在準備中であり、同時に国会で審議することになります。一方で、懸案の「集団的自衛権」の議論を始めなければなりません。世論調査などで、集団的自衛権への理解が高まってきているのは、ありがたいことです。あわせて、年末までに「防衛計画の大綱」を策定します。

 選挙制度担当としては、衆議院の定数削減について、第三者機関の設置などについて検討を進めます。一方、参議院の方は、定数を増やさないで格差是正するのは、現行の選挙制度の下では限界に達しています。抜本的な制度論を始めなければなりません。また、今回の参議院議員選挙の結果を踏まえ、ネット選挙運動解禁についても、一定の見直しが必要となるでしょう。

 自民党道州制推進本部事務局長代理も務めていますが、道州制については、地方団体との議論が多少進んできました。私は、推進派の人にも、慎重派の人にも、「道州制は、そう簡単に実現できるものではない。」と伝えてきました。現在自民党で検討している「道州制基本法案」の手直しをする方向で議論が進むと考えています。道州制議論に一定の決着を付けることが必要です。

 経済方面では、「景気回復」を実現するため、その波及に時間が掛かる地方部の地域振興策の検討が必要になります。税制改正においても、一定のてこ入れを行っていきます。消費税増税の実施については、景気回復の状況を見ながら慎重に検討していきます。TPPについては、日本の農業、国益を守ることを前提に、諸外国との交渉を進めていきます。

 行政改革関連では、公務員改革基本法に基づく「内閣人事局」の設置が課題です。また、東日本大震災に関連して痛みを分かち合っている国家公務員及び地方公務員の給与の扱いを来年以降どうするか、検討しなければなりません。地方公務員給与の地域賃金準拠についても、検討を進めます。地方教育の責任の明確化を図るため、教育委員会を諮問会議とし、教育長を教育の責任者とします。このほかにも、行政改革については、様々な課題があり、引き続き、真剣に取り組みます。

 このほかにも、膨大な「宿題」を負っていますが、一歩一歩解決に向けて努力します。

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後半戦に突入(7月13日)

 9日目の中日を終え、選挙戦は、後半戦を迎えました。9日目には、安倍総理が、応援に駆け付けてくれました。

 遊説で1日数十箇所で行ってる辻立ちでは、次のことを訴えています。

 第一に、政治の安定が必要です。決して自民党のための政治の安定ではありません。安定した政治は、安定した経済を作ります。安定した経済は、とりもなおさず国民生活の向上に直結します。

 昨年の総選挙で、自民党は、衆議院では、安定多数を頂きました。しかし、参議院では、まだ第2党であり、与党の公明党を加えても、過半数に達しません。衆参両院で与党で過半数を頂き、安定した政治を行う必要があります。

 第二に、何と言っても、景気の回復が必要です。日本では、20年間もデフレ・不景気が続いており、こんな国は、世界中でも日本しかありません。若い人は、景気がいいとはどんなことなのか知りません。デフレという長くて暗いトンネルから一刻も早く脱出しなければなりません。

 そのためには、大胆な金融緩和を行い、緩やかな消費者物価の上昇を図りつつ、賃金や年金を引上げを行っていく必要があります。国民みんなにとって、右肩上がりになるような経済運営を進めなければなりません。それが、アベノミクスです。

 また、TPPについては、私は、野党時代、交渉参加に反対していました。民主党の外交能力に信頼が置けなかったからです。しかし、その後、尖閣列島、竹島問題のほか、北朝鮮の核開発問題も生じ、我が国を巡る安全保障に大きな変化が生じてきました。また、アジアの国々を中心としたアールセップという新たな経済連携の動きも、始まりました。独り我が国のみがこうした自由貿易の動きから孤立する訳にはいきません。交渉のテーブルに着いて、「我が国の農業を守る。」「我が国の国益を守る。」ことを大きな声で主張すべきです。

 後半戦も、しっかりがんばります。

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いよいよ参議院議員選挙(7月3日)

 第23回参議院議員通常選挙が、明日7月4日(木)に公示され、7月21日(日)に施行されます。安定した政治を取り戻すため、重要な選挙です。私も、前回に引き続いて、2回目の出馬をします。

 国会の閉幕日の6月26日(水)には、安倍総理問責決議案が参議院本会議で可決されたことから、衆議院から送付されていた電気事業法一部改正案、生活困窮者自立支援法案、海賊警備特別措置法案などの多くの重要法案が廃案に追い込まれました。野党第一党の民主党が提出した問責決議案であるのならば、まだ分かるのですが、生活の党などの少数会派の提出した決議案に民主党が便乗する形で賛成し、民主党の議員が調整に努力していた法案まで全て葬ってしまったことは、全く理解ができません。

 その発端は、これも衆議院から送付されていた衆議院の一票の格差を是正するための選挙区区割り改正法案を参議院で採決しないという異常事態にありました。他院から送付された法案の採決をしないというのは、憲法の定める二院制が機能していないことを意味します。昨年の臨時国会の最後に、民主党も、みんなの党も、0増5減法案に賛成し、既に成立しているのです。今回の選挙区区割り改正法案は、その法律に基づき、具体的な区割りを変更するに過ぎないものです。なぜ今更反対するのか、これも、全く理解できません。その上、みんなの党が提出した衆議院議員の定数削減法案を、「参議院で先議しろ。」と言うのです。

 これがねじれ国会の現実です。衆議院で可決した法律も、参議院では多数野党の反対にあって成立しないのです。これでは、国民のための政治を進めることはできません。何としても、安定した政治を実現し、必要な経済政策を実行し、国民生活の向上に努めていかなければなりません。そのためには、安定多数を得ている衆議院と同様に、参議院でも、与党で過半数を与えていただくことが何としても必要です。

 経済面では、景気回復を実現しなければなりません。景気回復は、国民第一の願いであると考えます。日本では、20年間もデフレ経済が続いてきました。大胆な金融緩和、適切な財政支出、そして成長戦略を組み合わせたアベノミクスを着実に推進し、一刻も早く、景気回復を実現しなければなりません。

 アベノミクスに対し、まやかしであるとか、危険性が高いとか野党はいろいろと批判をしていますが、経済政策の対案を出している政党はありません。経済政策にはリスクが付きものですが、そう言って何もしなければ、100年経っても景気回復は実現できません。右方上がりの経済を取り戻し、国民所得の向上を図りつつ、成長戦略で実質的な経済成長を成し遂げるよう努力します。

 選挙戦しっかりとがんばってまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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景気回復へ向けて(6月20日)

 骨太の方針の発表により、アベノミクスの3本の矢、すなわち、金融緩和、財政出動、成長戦略の全てが出そろい、いよいよ景気回復へ向けての道具立てが完了しました。株価の乱高下が続き、株式は調整局面に入っていますが、国内の経済情勢に大きな影響を与えるものではないと考えています。

 日本では、20年間もデフレ経済が続いてきました。デフレは、最初は物価が下がっていいのですが、いずれ賃金や年金、お店の収益の低下という現象をもたらします。このデフレ状態から脱却させることがアベノミクスの最大の課題です。20年間と言っても、そのうち17年間は自民党政権下にありました。自民党は何をしていたのでしょうか。お叱りを受けなければなりませんが、簡単なことだったのです。

 一つには、「不景気」という病気があります。これは、お金が回らなくなる病気です。もう一つは、今言った「デフレ」という病気があります。これは、物価が下がるという病気です。自民党は、ずっと、不景気に対して、内需拡大策を採ってきました。簡単に言えば、公共事業などのことです。内需拡大策は、やっただけの効果はありました。しかし、デフレには、ほとんど効きませんでした。それは、デフレという病気と不景気という病気が違う病気だったからです。

 そこで、デフレには、金融緩和という薬を付けることにしたのです。デフレ時にはインフレ策を、インフレ時にはデフレ策を採るのは当たり前の政策なのですが、これがなかなかできませんでした。日本銀行が急激なインフレを恐れ、財務省が国債の利払い費の上昇を恐れ、インフレ策を採らせなかったのです。だから、金の掛からないゼロ金利政策が中心になっていました。そこで、日本銀行総裁の交代が必要となり、白川総裁から黒田総裁に代わっていただいたのです。黒田新総裁は、マネタリーベース、お金の量を来年末まで2倍にし、毎年2パーセントの消費者物価の上昇を目指すことを約束しました。

 この金融緩和策に期待できるのですが、まだ80パーセントの国民が景気回復を感じていないと世論調査で言っています。日銀総裁の交代が3月、平成25年度予算の成立が5月ですから、まだ少し時間が掛かるものと考えられます。「変化があるのは、大都市、大企業、お金持ちだけではないか。」とも、言われています。景気回復は、小さい所から行うのはなかなか困難であり、どうしても大きい所からになるのは、やむを得ません。しかし、少しでも早く、大都市から中小都市へと、大企業から中小企業へと、お金持ちから全ての国民の皆様へと、景気回復の槌音が聞こえるようにしなければなりません。

 そのためには、間断のない経済政策の実施が求められます。そこで、今月、3本目の矢としての規制緩和や技術革新を含む経済成長戦略を発表させていただいたところです。私は、更に4本目の矢として、地域振興策が必要であると考えます。特に景気回復の足取りが遅い地方部において、地域独自の政策が講ぜられるような方策を打ち立てていく必要があります。

 インフレ策を講ずるためには、消費者物価を上げていくことが必要です。昨年の総選挙で、自民党は、結党以来初めて「物価を上げる」ことを公約としました。こういうことを言うと、主婦の皆さんからにらまれます。しかし、物価を上げないと、賃金が上がらない、年金が上がらない、お店の収益が上がりません。米価や魚価も、上がりません。20年前の経済を思い出してください。毎年給料が上がっていました。なぜでしょうか。それは、物価が上がっていたからにほかなりません。右肩上がりの経済を牽引するのは、消費者物価なのです。

 もちろん、大幅なインフレは、国民経済に支障をもたらします。政府は、年2パーセントの緩やかな物価上昇を目指します。この2パーセントの上昇も、デフレが深刻な中で、なかなか達成が難しいのが現実です。問題は、今急激にデフレをインフレに転換しようとする中で、どうしても消費者物価の上昇が賃金や年金やお店の収益の上昇よりも、先に来てしまうことです。経済の転換点は、国民の皆さんにどうしても不安を与えてしまいますが、何もしなければ、100年経っても景気が回復することはありません。必ずや近い時点で、経済的基礎がインフレモードに転換する時が来ます。カーブの向こうには、「景気回復」の4文字が必ず待っているのです。

 そのために、政府与党は、間断のない経済政策の実行に努めてまいります。どうぞ御理解を頂きますようお願いします。

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道州制再考(5月24日)

 今まで「道州制基本法案を国会に提出しますよ。」と言ってもほとんど反応がなかったのですが、3月末の首長連合主催のパネルディスカッションで私が「早ければ4月中にも法案を提出します。」と言った途端に、道州制に対する賛否の議論が盛り上がってきました。ありがたいことです。国のかたちを変える大変重要な話ですから、大いに議論があるのは、当然のことです。

 道州制基本法案は、「道州制国民会議」を設置して道州制の検討に着手することを定める法案であり、決して道州制の導入を決定してしまう法案ではありません。そのことの詳しい説明はここでは置いておきますが、やはり、「道州制のイメージが人によって大きく異なっているな。」と改めて強く感じました。だからこそ、私たちは、国民会議を設けて、道州制のイメージを確立させることが先決だと主張しています。

 異なったイメージを持って道州制を議論していたら、建設的な議論ができるはずがありません。このことを「道州異夢」と言うそうです。

 道州制の目的は、メリットや必要性の議論を全て捨象して端的に言えば、地方分権にあります。現在国が処理している事務を大幅に道州に移譲することにあります。道州は、基本的には今の国の事務を処理する主体になります。基礎自治体も同様であり、現在の都道府県が処理している事務を大幅に承継して処理する主体になります。

 よく、「平成の市町村合併の検証をしないで道州制の検討に着手するのは、早計だ。」という批判がなされます。もちろん、合併の問題点についても、しっかりと検証しなければなりません。しかし、市町村が合併しても同じ市町村にしかなりません。また、道州制基本法案は、市町村合併を前提にはしていません。新たに創設される基礎自治体は、市町村の権限とこれまでの都道府県の権限をおおむね併せ持つことになります。今まで人口50万人以上の市しか政令指定都市になることができませんでした。道州制が導入されれば、全ての市町村が原則として政令指定都市のような権限を持つことができるようになるのです。

 仮に人口120万人の県で、人口30万人の基礎自治体が4つできたとすると、従来の県の中に県庁が4つできるようなものなのです。これで、行政が住民から遠くなることになるでしょうか。むしろ、新たな比較的狭い行政区域において、より細かな行政が展開できるようになると、私たちは考えています。

 これまで、道州制は、都道府県が合併して新たに道州を作る。市町村が合併して新たに基礎自治体を作る。というイメージで語られることが多かったのです。しかし、そうではありません。まず、都道府県は、廃止されます。そしてその権限は現在の市町村の権限と合体され、新たに基礎自治体が作られます。当然、多くの都道府県公務員は、基礎自治体に移ります。一方、道州は、従来の国の事務の一部を担う新たな地方自治体として創設されます。ここにも、多くの国家公務員が移ります。こういうイメージで、道州制は議論されなければなりません。権限移譲のイメージで道州制を考えることが必要です。

 先日、会議で「道州制は、簡単にできるものではありません。」と言ったら、「起案者が何を言うか。」と叱られました。しかし、道州制基本法案の前文に、「道州制の導入は、国、都道府県、市町村の全てを通じて、大きな改革を求めるものであり、国民の意識変化と協力がなければ、簡単に実現できるものではない。」と、規定しているのです。国は、仕事の半分が道州に取られます。都道府県は、廃止です。市町村は、基礎自治体になって大幅に権限が増えますが、都道府県公務員の受入れは、落ち着かないものでしょう。住民も、身近な市町村がなくなるのは、嫌かもしれません。だから、簡単ではないのです。

 しかし、新しい日本を作っていくためには、今の地方自治制度を維持していては限界があります。もうこれ以上大きくは、地方分権は進みません。だから、新しい地方自治の枠組みを作っていかなければなりません。道州制は、国のかたちを全く変える話なのです。だから、まず共通のイメージ作りを進めなければなりません。それが今回の道州制基本法案の目的です。簡単な話ではない。よく分かっています。そのことを、推進派の皆さんにも、慎重派の皆さんにも、いずれにも再び問いたいと思います。

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各国の憲法改正手続(5月10日)

 憲法第96条の改正が議論になっていますが、各国の憲法改正規定について、客観的に概観してみましょう。

 憲法改正手続については、幾つかの分類が可能です。連邦制を採る国と単一国家では、憲法改正手続について、基本的な考え方が異なります。次に、日本の憲法改正手続と比較するのであれば、国民投票の実施を要件としている国の手続と比較することが重要でしょう。また、国によっては、憲法の中の規定の種類によって、憲法改正手続が複数定められているものがあるので、注意が必要です。

 連邦制の代表は、アメリカ合衆国憲法です。上下両院で各出席議員の3分の2以上の賛成で憲法改正を発議し、4分の3以上の州による承認が必要です。憲法はいわば連邦規約であり、極めて厳しい硬性憲法となっていますが、国民投票はありません。

 ドイツも連邦制であり、憲法改正は、連邦議会及び連邦参議院の各3分の2以上の賛成で議決することにより、成立します。アメリカと異なり州議会の承認が不要であるのは、連邦参議院が州の代表者によって構成されているからです。

 カナダも、コモンウェルスに属する連邦制の国であり、憲法改正には、上下両院の過半数の賛成で決議した後、3分の2以上の州議会で決議し、かつ、決議した州の人口が全人口の50パーセント以上であることが必要です。ただし、憲法改正手続などの重要事項については、上下両院の決議と全州議会の決議が必要です。

 同じく連邦制を採るスイスにおいては、憲法の全部改正案は、国民議会及び全州議会で各過半数の賛成により可決したときは、直ちに国民投票及び全州投票に付され、それぞれ過半数の賛成があったときに成立します。一院のみにおいて可決されたときは、憲法改正を行うことの可否について「先決投票」という国民投票が行われ、賛成多数の場合は、新議会を選出した後新議会で憲法改正案を確定し、国民投票及び全州投票に付されます。憲法の部分改正案は、両院の過半数の賛成により可決され、国民投票及び全州投票に付されます。

 フランスでは、憲法改正案は、元老院と国民議会の各過半数の賛成で可決後、国民投票に付されます。ただし、大統領提案の憲法改正案については、両院で可決後、大統領が両院合同会議への付託を決定したときは、その5分の3以上の賛成で承認が得られれば、成立します。

 イタリアでは、憲法改正案は、元老院と代議院で3か月以上の期間を置いて2度可決し、かつ、両院で各3分の2以上の賛成を得たときは、成立します。両院で各3分の2以上の賛成を得られない場合であっても両院で各過半数の賛成が得られたときは、特に要求がなければそのまま成立しますが、一院の50人以上の議員、50万人以上の有権者又は5つ以上の州議会から要求があれば、国民投票に付さなければなりません。

 オーストラリアにおいては、憲法改正案は、上下両院の過半数によって可決されたときは、直ちに国民投票に付されます。国民の過半数が賛成し、かつ、過半数の州において過半数の国民の賛成を得ることにより、成立します。なお、憲法改正案について両院の議決が一致せず、一院が再度議決したときは、総督が、国民投票に付することができます。

 アイルランドにおいては、上下両院の各過半数の賛成による可決によって、国民投票に付されます。なお、上院が可決しないときは、下院の優越が認められています。

 憲法の中の規定を重要事項とそれ以外の改正事項に分けて、複数の憲法改正手続を定めている国があり、その中でもスペインの憲法改正手続はかなり複雑です。重要事項については、上下両院の各3分の2以上の賛成で議決され、解散総選挙を経て、総選挙後、再度両院で各3分の2以上の賛成で議決した場合は、国民投票に付されます。それ以外の改正事項については、上下両院の各5分の3以上の賛成で議決した場合又は上院の絶対多数かつ下院の3分の2以上の賛成で議決した場合は、憲法改正が成立します。これらの場合でも、いずれかの議院の10分の1以上の議員が要求したときは、国民投票に付されます。

 ロシアにおいては、重要事項については、上下両院の各5分の3以上の賛成で議決された後、特別の憲法制定議会が招集され、憲法改正案が起草され、憲法制定議会の3分の2以上の賛成又は国民投票で過半数の賛成により、憲法改正が成立します。それ以外の改正事項については、上院の4分の3以上かつ下院の3分の2以上の賛成で承認され、3分の2以上の連邦構成主体の立法機関の承認により、憲法改正が成立します。

 ポーランドにおいては、下院の3分の2以上の賛成により憲法改正案を可決後、上院の過半数により可決し、重要事項については提案者の要求により更に国民投票に付され、それ以外の改正事項についてはそのまま憲法改正が成立します。

 デンマークは一院制であり、憲法改正案を国会が過半数の賛成で議決したら解散総選挙を行わなければなりません。総選挙後、再度新しい国会で可決したら、6か月以内に国民投票に付されます。

 韓国も一院制であり、大統領又は過半数の国会議員が発議した憲法改正案は、国会の総議員の3分の2以上の賛成で議決され、国民投票に付されます。

 スロバキアも一院制であり、単に国会の5分の3以上の賛成で憲法改正が成立します。

 なお、イギリスは、いわゆる不文憲法の国であり、特別な憲法改正規定も存在しません。

 さて、日本においては、衆議院及び参議院において各総議員の3分の2以上の賛成による議決により、国会が憲法改正を発議し、国民投票で過半数の賛成を得ることにより、憲法改正が成立します。

 国民投票を憲法改正手続の要件としている国について、再度整理してみましょう。スイス、フランス、イタリア、オーストラリア、アイルランド及びデンマークにおいては、国会の議決要件は過半数です。スペイン(重要事項のみ)及び韓国においては、国会の議決要件は3分の2以上です。ロシアは、5分の3以上です。このように、日本の憲法改正手続は、国民投票を要件としている国の中では、一院制を採る韓国と並んで、最も厳しい国と言えるでしょう。

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憲法第96条の改正(4月26日)

 憲法改正が現実のものとして議論され始めました。大いに歓迎することです。日本国憲法は、日本が敗戦後連合国に占領され、完全な主権がない時代に、GHQ(連合国軍総司令部)の了解の下に、制定されたものです。その意味で、現行憲法は、自主憲法ではないと考えています。いずれにせよ、人が作った憲法が不磨の大典ではないことは、言うまでもありません。時代背景が大きく変わる中で、主権者である国民の意思で、その時代に合った憲法に作り替えていくことは、当然のことです。

 日本国憲法は、硬性憲法と呼ばれます。反対語の軟性憲法とは、通常の法律の改正手続と同様の手続で改正できるものを言います。我が国では、法律は、原則として、衆参両院で出席議員の過半数の賛成で改正することができます。それよりも厳格な改正手続が必要な憲法を、硬性憲法と呼びます。我が国では、憲法改正は、衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、さらに、国民の投票で過半数の賛成を得ることによって行うことができます。「総議員」「3分の2以上」「国民の投票」の3か所で、法律改正手続よりも厳しく、また、国会の発議について衆議院の優越も認められていません。

 なぜ、こんな厳しい規定となったのでしょうか。それは、GHQが、連合国が了解した憲法を占領解除後も将来にわたって簡単には変えさせないという意図に出たものであることは、間違いありません。ちなみに、不磨の大典と呼ばれる大日本帝国憲法(明治憲法)では、「勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付」し、「両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上」が出席し、「出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正」できないものと規定されていました。硬性憲法ではありましたが、国民の投票はありませんでした。

 自民党の日本国憲法改正草案では、「憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。」と規定したところです。手続的な改正をした部分もありますが、要は、衆参両院における議決要件を「3分の2以上」から「過半数」に変更したものです。

 その基本的な考えは、憲法改正は主権者である国民が最終的に多数決で判断するものであるから、その前手続である国会の発議手続を厳格にすることは、主権者である国民の判断の機会を奪うものであるというところにあります。安倍総理は、このことを、「国会のいずれかの院で、3分の1をわずかに超える議員が反対したら、憲法改正の機会は失われる。」と表現しています。反対者の意見は、「憲法改正は重要な手続であるから、その発議には厳重な手続が必要である。」というものでしょうが、国民の良識を信頼していない考え方ではないでしょうか。

 憲法改正手続法によると、国民の投票は、発議後最短3か月最長6か月の長い期間、国民の議論に付されます。また、国会に国民投票広報協議会が置かれ、賛成意見及び反対意見を公平を期して広報することとされています。また、その期間中、国民による賛成反対の憲法改正運動は、原則として自由に行われます。その上で、国民の投票が行われます。そして、その過半数の意見で憲法改正の可否が判断されます。これだけ慎重を期した手続の下行われる憲法改正に関する国民の判断に、その良識を期待すべきではないでしょうか。そうであれば、国会の発議には、必要以上に厳格な手続を求める必要はないと考えます。

 一方、憲法改正の実質的な議論をしないで、憲法改正の手続規定だけを改正するのはおかしいという意見もあります。改正規定も憲法の規定の一つであり、それを先行的に改正するのがおかしいのかどうか、正に国民の判断を憲法改正手続で仰げばいいと思います。自民党は、全文の憲法改正草案を発表しています。草案は目標であり、今、これを全て憲法改正手続に乗せようとしているわけではありませんが、自民党の憲法改正の方向性は明確にしています。大いに議論していただければいいと考えます。

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一票の格差と違憲判決(4月4日)

 昨年の総選挙について、各地の高等裁判所で違憲判決が続きました。驚いた方も多かったでしょうが、一体全体どういうことなのでしょうか。しかし、このことは、予測された事態だったのです。

 一票の格差を巡る選挙訴訟は、民主党が政権交代した平成21年の総選挙についても、多く提起されました。この訴訟は、最高裁判所で総括され、当時の2.3倍の一票の格差については違憲状態とされましたが、まだ国会における是正可能期間が短かったとして選挙は無効とはされませんでした。この判決の中で、各都道府県に人口にかかわらず先ず定数1人を別枠で配分する方法は、違憲状態とされました。この一人別枠方式により、小選挙区で2倍以上の一票の格差が生じていることが判決の中で指摘されました。

 この判決を受け、国会では、各政党が定数是正のための協議を重ねました。自民党は、先ず違憲状態を解消するため、小選挙区で0増5減することを提案しました。しかし、与党民主党は、違憲状態判決とは無関係に、比例代表区80人の削減を主張し、話し合いは遅々として進みませんでした。そうしている間に、昨年11月、野田総理は、突然衆議院の解散を宣言しました。そこで、緊急の協議をした結果、自民党が提案した0増5減法案が、民主党も賛成して解散直前に成立しました。

 しかしながら、衆議院小選挙区でこれを実現するためには、具体的な選挙区の区割りを変更するため、区割り審議会の勧告を受けて、区割り法案を改めて提出しなければなりません。そのため、昨年の総選挙は、従来の定数配分のまま行われたので、一票の格差も従来のまま2倍以上の状態が続いていました。したがって、今回、高等裁判所で違憲判決が出されることも、予想の範囲内の出来事だったのです。

 では、少し基礎的な話に戻します。一票の格差とは、何でしょうか。小選挙区の場合、最も人口の多い選挙区の人口を最も人口の少ない選挙区の人口で割ったものです。昨年の総選挙では、千葉第4区(497,350人)と高知第3区(205,461人)がこれに当たり、格差は2.42倍になります。千葉第4区の有権者の一票の価値は、高知第3区のそれと比べて、2分の1以下しかないことを示しています。こうしたことが、憲法第14条第1項に規定する「法の下の平等」に反するとするのが、衆議院議員選挙については定説化しています。

 この話をすると、「一票の価値を人口だけで規定するのは、過疎化している地方の状況を考えると、かえって不平等ではないか。」という議論が、一般国民だけでなく、国会議員の中でも行われますが、現状では、論理的に説得力を持つ主張にはなり得ていません。しかし、世界的に見ると、必ずしもそうではありません。よく一票の価値の平等を主張する皆さんが、アメリカの下院議員選挙の例を引き合いに出しますが、アメリカの上院議員選挙では、連邦制を採るため、各州2人と一律の定数が定められており、実に70倍の一票の格差が生じています。

 選挙区を置けば必ず一票の格差が生じます。それは、行政区画や社会的移動があることが原因です。オランダのように全国1選挙区で選挙が行われれば、格差は生じようがありません。例の100人の国で、考えてみましょう。A市とB市の2市があり、人口はそれぞれ60人と40人とします。2人の国会議員を小選挙区制で選挙するときに、市の行政区画で選挙区とすると、1.5倍の一票の格差が生じるのは、直ちに御理解いただけると思います。そこで、A市のうち10人の人口の区域をうまく区切ってB市の選挙区に付けると、格差は生じません。しかし、その後、B市の5人家族がA市に転出すると、選挙区のそれぞれの人口は、55人と45人となり、たちまち1.22倍の一票の格差が生じます。

 1人1票を徹底しようという人たちは、行政区域にこだわらずに選挙区は設定すべきであり、人口の移動があったときは合理的期間内に選挙区の見直しを行うべきだと、主張するのでしょう。しかし、それが多くの国民の意見であるとは、考えられません。その地域の代表者とその地域を含む行政区域の住民には深い絆があり、「そうしょっちゅう選挙区を変えられたら、たまらない。」という意見も、強いことでしょう。

 すなわち、選挙区を置けば必ず一票の格差が生じるのですから、一票の格差の問題は、それをどのくらいの限度で許容できるのかという問題にほかなりません。それが、一昨年の最高裁判所判決の前までは、3倍という趣旨の判決がなされてきたのです。ところが、一昨年の平成21年総選挙に関する最高裁判所判決で、2倍未満を許容すると明示的に判示したわけではありませんが、選挙区間の人口格差を「2倍未満」になるように区割りすることを基本とする区割り審設置法の規定を合理的な基準であると判示し、最高裁判所の意図を推測し得るような判決が出されたので、国会はあわて始めたのです。マスコミの報道ではえらく長く国会がさぼっていたように思われますが、最高裁判所の方針が変わったのは、一昨年のことなのです。

 そこで、自民党は、0増5減案を策定し、一票の格差を2倍未満に抑えて、違憲状態を解消しようとしたのです。ただし、法律上一人別枠方式は廃止しましたが、それを徹底すると、更に多くの県で定数が削減されることになるので(21増21減が必要)、定数削減される県を最小限度の5県に絞った案にしました。そのことについて、今回の高等裁判所の判決の中で、指摘がありました。しかし、全体として一票の格差を2倍未満に抑えた案であり、その他のことは立法機関の裁量の範囲と考えるべきではないでしょうか。

 なお、一部「2倍未満の一票の格差でもけしからん。」と言っている人がいますが、上記の経緯を踏まえない主張です。最終的に一票の格差は2倍未満であればいいのかどうかは、引き続き、検討が必要ですが、今最高裁判所が示唆しているのは前述のとおりであることを、理解してもらわなければなりません。

 民主党は、高等裁判所の判決の一部に0増5減では格差是正が不十分としたものがあることを理由として、今回の区割り法案に賛成しない旨を表明しています。しかし、民主党は、昨年の国会で、0増5減法案に賛成しており、それに基づく区割り法案に賛成しないというのは、全く理解できません。0増5減を先に実施して、緊急に違憲状態を解消することが先決です。それをしたからといって、更に抜本的な格差是正や昨年の党首討論で約束した定数削減の検討ができなくなるわけではありません。

 また、マスコミでは、この格差是正の問題と党首討論で約束した定数削減の問題を混同して論じたものがありますが、格差是正と定数削減は、全く違う問題です。自民党は、定数削減について、既に比例代表区で更に30人を削減することを提案しています。民主党は、小選挙区で30人、比例代表区で50人削減することを最近決定しました。定数削減についても、与野党党首間で約束したことですから、格差是正の問題とは別に、真剣な協議を続けます。定数削減については説明しなければならないことがたくさんありますが、長くなるので、ここでは止めておきます。

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TPP交渉参加(3月24日)

 安倍総理は、TPP交渉参加を決断しました。このことは、一体どういう意味を持つのでしょうか。TPP交渉参加は、TPPへの参加を最終的に決めたわけではありません。また、これまで原加盟国9か国で行われてきたTPP交渉の内容を全て受け入れたわけでもありません。今後の交渉に多くのことは委ねられています。

 TPP、環太平洋パートナーシップ協定は、2005年6月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国が調印し、翌年発効しました。これに、現在、アメリカ、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルーが加盟交渉国に加わり、最終合意に向けて協議を続けています。さらに、昨年から、カナダとメキシコも加盟交渉国に加わっています。TPPは、自由貿易を推進するため、関税の大部分の撤廃を進めるとともに、サ−ビス等の分野においても非関税障壁の包括的な改革を求めています。

 TPPについて、我が国では、輸出産業を主力とする工業界はおおむね賛成していますが、安価な輸入品が流入して競争の矢面に立つ農業などの一次産業分野は参加に強く反対しています。自民党は、野党時代には、TPP交渉参加に反対する議員の方が、むしろ主流派でした。民主党の外交交渉能力への不信があったことも、大きな原因です。

 そこで、自民党は、昨年の総選挙の際に、「聖域なき関税撤廃を前提とする限り、TPP交渉参加に反対する」ことを公約に掲げました。さらに、今年、安倍総理が訪米する前に、「TPP交渉参加に対する基本方針」を決定し、このことを含め6項目の公約を遵守することを政府に求めました。このこと以外の5項目は、次のとおりです。
 A 自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受け入れない。
 B 国民皆保険制度を守る。
 C 食の安全安心の基準を守る。
 D 国の主権を損なうようなISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)は合意しない。
 E 政府調達・金融サービス等は、我が国の特性を踏まえる。

 6項目は、自民党の公約であり、議院内閣制の下で、安倍政権がこれを遵守するのは、当然のことです。

 そして、安倍総理は、訪米してオバマ大統領と会談し、TPPが「聖域なき関税撤廃を前提とするものではないこと」を確認し、その旨を共同宣言の中で文書化しました。

 こうした状況を受け、自民党は、更に真剣な検討を加え、膨大な内容を含む「TPP対策に関する決議」を取りまとめました。その中で、「特に、自然的・地理的条件に制約される農林水産分野の重要5品目等やこれまで営々と築き上げてきた国民皆保険制度などの聖域(死活的利益)の確保を最優先し、それが確保できないと判断した場合は、脱退も辞さないものとする。」と記されているところです。また、「農林水産分野の重要5品目」については、附属文書の中で、「米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物」と明確化されています。

 安倍総理は、オバマ大統領との会見により自民党が公約した交渉参加に反対する前提条件がクリアされたこと、及び自民党の「TPP対策に関する決議」を十分踏まえ、3月15日に、TPP交渉参加を決断し、記者会見で、その旨を国民に伝えました。記者会見の主な内容は、次のとおりです。
 @ 世界の国々が開放経済へとダイナミックに舵を切っている中で、日本だけが内向きになってしまったら、成長の可能性はない。
 A 今後の交渉によって我が国のセンシティブ品目への特別な配慮など、あらゆる努力により、悪影響を最小限にとどめることは当然のことである。
 B TPPの意義は、日本が同盟国である米国とともに、新しい経済圏をつくり、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国々が加わるところにあり、アジア・太平洋地域の安定に大きく寄与する。
 C TPPは、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)やアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)において、ルールづくりのたたき台となる。
 D 既に合意されたルールがあれば、遅れて参加した日本がそれをひっくり返すことは難しいのは、厳然たる事実であるが、だからこそ、1日も早く交渉に参加しなければならない。一旦交渉に参加すれば、必ず重要なプレイヤーとして、新たなルールづくりをリードしていくことができると確信している。
 E 息を飲むほど美しい田園風景、水を分かち合いながら五穀豊穣を祈る伝統、村の人たちみんなで助け合う農村文化、世界に誇る国民皆保険制度、これらの国柄を私は断固として守る。中山間地などの条件不利地域に対する施策を、更に充実させることも当然である。あらゆる努力により、日本の「農」を守り、「食」を守ることを約束する。
 F 国民の皆様には、今後の状況の進展に応じて、丁寧に情報提供していくことを約束する。
 G 国益をかけた交渉はこれからであり、日本の主権は断固として守り、交渉を通じて国益を踏まえて、最善の道を実現することを約束する。

 事実関係を中心に説明してきましたが、安倍総理は、自民党の6項目公約及び農林水産分野の重要5品目決議を十分踏まえた上で、TPP交渉参加を決断したのです。その趣旨は、上記の記者会見で言及されています。外交は、政府の権限です。当分の間は、安倍総理の決断を信じて、見守っていただきたいと思います。TPPの合意には、条約の締結が必要です。それは政府の権限ですが、条約の発効には批准が必要です。批准は国会の権限であり、最後に決めるのは、主権者である国民です。

 よく「交渉が成功する根拠を示せ。」と言われますが、率直に申し上げて、相手方のある外交交渉でそうした根拠を示すことはできません。安倍総理の言うように「あらゆる努力を傾注する。」としか、言いようがありません。もちろん、6項目公約及び農林水産分野の重要5品目決議の全てがうまくいかなければ、ちゃぶ台をひっくり返して帰ってくることもあるでしょうが、そんなことは万が一にもあり得ません。一部がうまくいかないときには、撤退も含め重大な決意を表明しなければならない場合もあるでしょうし、代替的な国内対策の検討に着手することもあり得るでしょう。いずれにしても、安倍政権の存命をかけた大交渉になることは、間違いありません。

 *自由民主党政務調査会外交・経済連携調査会「TPP交渉参加に対する基本方針」(平成25年2月13日)
 *自由民主党外交・経済連携本部・TPP対策委員会「TPP対策に関する決議」(全文)(平成25年3月13日)

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インターネット選挙運動解禁(3月14日)

 自民党、公明党及び維新の会は、3月13日(水)、インターネット選挙運動解禁を定めた公職選挙法一部改正法案を衆議院に提出しました。その他の政党も、インターネット選挙運動解禁の方向では意見が一致しており、夏の参議院議員通常選挙から改正が適用される見通しです。その後は、地方選挙にも、適用されることになります。インターネット選挙運動解禁により、何ができるようになり、何ができないままなのか、解説をします。

 インターネットは社会に普及し、多くの人がメールを交わし、ホームページを閲覧するとともに、自らホームページを開設しています。政治家も、通常の政治活動として、メールやホームページを活用しています。そうした中、選挙運動期間中に限り、候補者のホームページは更新できず、候補者は支援者にメールを送れないという取扱いがされてきました。ホームページやメールも、文書図画に当たり、法定のポスターやビラ、はがき以外の文書図画の掲示や配布は違法だからです。直接の選挙運動を内容とするものでなくても、選挙運動期間中のホームページの更新やメールの送信は、公職選挙法で禁止されている脱法文書図画の配布に当たる疑いがあると考えられています。

 多くの国民がインターネットを利用している中で、選挙運動期間中突然これらの仕組みが使えなくなるということについての疑問から、インターネット選挙運動の解禁を求める動きが出て来ました。そのため、3年前、自民党、民主党及びみんなの党は、それぞれ独自の法案を国会に提出しました。そして、それに公明党を加えて4党で協議した結果、公職選挙法一部改正法案の成案を得たところです。しかし、まさに法案の審議に入ろうとしていたところで、当時の鳩山総理が辞任をし、その余波を受けて、法案は、全く審議されないまま廃案となりました。

 そこで、今回は、自民党・公明党の与党の呼び掛けで、民主党、維新の会、共産党、生活の党、社民党、みどりの風、みんなの党、新党改革及び国民新党の全ての会派が集まり、インターネット選挙運動の解禁に向け、議論を重ねてきました。自公案を軸に説明したところ、インターネット選挙運動の解禁には全ての会派が賛同し、民主党及びみんなの党は加えて一般有権者のメールの送信も自由化すべきだと主張しました。共産党は、ホームページの掲載は、企業・団体には認めるべきではないと主張しました。そのため、民主党・みんなの党は、独自の対案を国会に提出しましたが、今後、国会での審議を通じ、与党等3党案との一本化が図られる可能性が高いと考えられています。

 この改正により、候補者及び政党は、選挙運動期間中も、自由にホームページを更新できるようになります。それのみでなく、選挙運動の記載、すなわち「私に清き1票を!」というような書き込みもできるようになります。著作権に配慮すれば、動画の掲載も自由です。ホームページには、ツイッターやFacebookの掲載も、含まれます。これらのSNSの機能を使った1対1のダイレクトメールの送信も排除されませんが、候補者・政党については、今後の協議により、ガイドラインで自粛ということもあり得るかもしれません。

 一般有権者にも、選挙運動期間中、ホームページを自由に使用することが認められます。今までも、もちろん自由だったのですが、今後は、選挙運動期間中に、選挙運動の記載、例えば「○○さんに1票を!」という書き込みも認められるようになります(事前運動は、違法です。)。ツイッターやFacebookなどのSNSの使用も、自由です。候補者のツイートをリツイートすることもできます。ただし、何らかの方法で、自分のメールアドレスなど連絡方法を表示することが求められます。企業や団体も、そのホームページに、特定の候補者を支持する旨を書き込むことができます。なお、未成年者は、引き続き、選挙運動をすることができません。

 候補者及び政党は、選挙運動期間中、有権者にメールを送信できるようになります。しかし、これには、制限があります。まず、送信先のメールアドレスは、通常の政治活動で有権者から任意に提出を受けたものでなければなりません。名刺交換で取得したものはOKですが、メールアドレスの一覧表を買ってくるようなことはできません。あわせて、選挙運動用のメールを送信することについて相手側の同意を得るか、日頃メールマガジンを送信している場合には、会員にあらかじめ選挙運動用メールを送信する旨の通知を行い、会員から拒否の通知がなかったことが必要です。

 一方、与党等3党案では、一般有権者の選挙運動用メールの送信は、解禁を見送りました。インターネット選挙運動の状況を見て、将来、解禁を検討しようとしたものです。メールを完全解禁すると、なりすましや誹謗中傷メールが横行することが予想されるとともに、厳しい罰則を掛けることにより一般有権者に公民権停止が多発する事態にもなりかねないと考えたからです。今回は見送り、時期を見て解禁を検討することが適当です。これとは別に、なりすまし等には、インターネットを利用した虚偽表示罪を設け、厳罰を科することとしています。根拠のない中傷などは、既存の名誉毀損罪などが適用されます。なお、選挙運動に至らない通常のメールの送信は、もとより自由です。

 候補者が注意しなければならないのは、ホームページの更新やメールの送信の業者への丸投げです。レイアウトなどの技術的な部分を法定費用の範囲内で業者に委託するのは構いませんが、文書図画の企画立案は選挙運動そのものであり、候補者本人か、ボランティアの選挙運動員が行わなければなりません。したがって、ホームページの内容の企画や送信するメールの文案の作成などを業者に委託し、報酬を支払うと、選挙運動員買収に当たり、当選が無効とされることがあります。この辺のガイドラインについては、今後明確にしたいと考えています。

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日弁連の「憲法改正草案」批判について(3月7日)

 3月1日の東京新聞朝刊に、「こちら特報部 自民改憲草案を読む」という特集記事が掲載されました。日弁連憲法委員会副委員長を務める伊藤真弁護士のインタビューをまとめたものです。内容が日弁連の公式見解であるかどうか、記事がどれだけ伊藤氏の見解を正確に伝えているかは分かりませんが、記事を基礎として、自民党憲法改正推進本部起草委員会事務局長の立場で、議論をさせていただきます。

 もちろん、昨年自民党が「日本国憲法改正草案」を世に問うた以上、その御批判を頂くことは、大歓迎であります。中には、見解の相違のような点も多いのですが、そうでない誤解のような点も多々あります。議論を行うことにより、論点を整理し、より良い憲法改正草案としていくことは、我が党としても望むところです。

 見出しには大きく「立憲主義の否定」と書かれています。伊藤氏は、「立憲主義とは、憲法で国家権力を縛ること。多くの人が勘違いしているようだが、憲法は国民の権利を制限するものではないし、法律の親分でもない。草案はその立憲主義とは逆向きで、国民の権利を後退させ、義務を拡大させている。」と、主張しています。私は憲法学者ではないので、この辺の話は、学者同士で議論をしていただいた方がいいと思いますが、少し見解を述べておきます。

 「立憲主義」がそのような定義のものであり、憲法の主な機能が国家権力の制限にあることは、否定しません。しかし、憲法の規定の全てが立憲主義によっているわけではなく、納税の義務のように国民の義務を規定した規定もあることも、事実です。また、自民党の憲法改正草案は、国民の基本的人権を後退させるものとは全く考えていません。憲法は、「国家の基本法」と考えるべきです。自然権としての基本的人権があることは当然としても、憲法の内容は、原則として、主権者である国民が自由に定め得るものと考えます。

 憲法改正草案前文には、「国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」と規定しました。このことについて、伊藤氏は、国民が国を守ることは、「個人のモラルに委ねるべき問題で、立憲主義にそぐわない。」と、述べています。ここは、見解の相違としか言いようがありません。国民が国を守ることも憲法に規定できないという「立憲主義」とは、一体何なのでしょうか。そんな憲法が、他の国にもあるのでしょうか。
 
 記事欄外のコラムで牧さんが、「自民党の改憲草案には『徴兵制』は記されていない。だが、米国流を踏襲するのであれば、あえて要らないのだろう。」と、皮肉たっぷりに書いています。それは、大誤解です。自民党は、徴兵制を採りません。党の会議でも、「徴兵は憲法第18条第2項の『意に反する苦役』に該当するというのが学会の多数説であり、憲法改正草案でその部分を改正していない以上、徴兵制は採れない。」と明確に説明しています。

 憲法改正草案第3条で「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。」と規定し、国民の国旗国歌の尊重義務を課すのは、伊藤氏の説では、憲法第19条の思想及び良心の自由に抵触するそうです。国旗国歌そのものの規定の批判ならまだ理解できますが、国旗国歌の尊重規定の批判には、口をあんぐりと開けるしかありません。

 憲法第12条後段の基本的人権の規定で、「又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあるのを、憲法改正草案では「国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」としています。この点について、伊藤氏は、「国民の『権利』を『責務』に転換、人権よりも公益、つまり国の政策を優先させる姿勢だ。」と批判しています。平成17年の憲法改正草案で既に「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」にしています。この点については、様々な御意見があると考えます。一方、憲法改正反対論者の皆さんは、「公益」を必ず「国の政策」と言い換えますが、本当にそうでしょうか。「公益」とは、社会全体の利益のことであり、「国の政策」とは随分違ったものだと考えます。

 憲法改正草案第19条の2は、新たな人権の一つとして、「何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。」と規定し、個人情報の保護をうたいました。これに対しても、伊藤氏は、「情報取得の制限は民主主義を否定する。」と論じています。私は、「『不当に』と規定しているではないですか。」と、言わざるを得ません。

 憲法改正草案第24条第1項後段に「家族は、互いに助け合わなければならない。」と規定したところ、伊藤氏は、「立憲主義の本質は個人の尊重。家族に個人よりも重い価値がある、という考えは憲法にそぐわない。」と、主張しています。どこにも、家族の方が個人よりも重いとは規定していません。ここにも、「立憲主義」という言葉が出てきます。さらに、伊藤氏は、「家族の形に、国家が介入すること自体が危うい。」と語っています。草案は、家族の形に介入した規定ではないと、考えます。

 憲法改正草案第21条第2項に「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」と規定したことについては、伊藤氏は、「表現があいまい。結社自体を禁止する点で、表現の自由を大きく制約する。」と指摘しています。この規定は、自民党として新たに踏み出した規定であり、御批判もあるかもしれません。ただし、あの無差別テロを犯したオウム真理教を法の力で解散できなかったことは、記憶しておかなければなりません。

 自民党は、憲法改正を行う理由について、「現行憲法は、連合国軍の占領下において、同司令部が指示した草案を基に、その了解の範囲において制定されたものです。日本国の主権が制限された中で制定された憲法には、国民の自由な意思が反映されていないと考えます。」としています。このことについても、伊藤氏は批判していますが、自主憲法制定は、自民党結党以来の党是です。これは、自民党の政治運動上の主張であって、憲法改正の原理としているわけではありません。憲法改正は、憲法自体が認めているところであり、憲法の改正規定に基づいて、粛々と手続を進めているだけです。

 憲法改正草案第1条の天皇を「元首」と規定することにも、伊藤氏は、批判しています。自民党は、象徴天皇を変える考えはありません。明治憲法においても天皇は元首であり、現在も外交上元首として扱われているところです。当然のことを規定しただけであり、「国民主権を弱める」ものでは決してありません。共和制の国でも大統領は元首であって、国民主権とは関係ありません。

 憲法改正草案第9条第2項において、国の交戦権を否認する規定を削除し、「自衛権の発動を妨げるものではない。」と規定したことについては、伊藤氏は、「無限定の自衛権を認め、日本の旗印である平和主義が否定される。」と、主張しています。やや紙面が足りなくなってきて主張の趣旨がよく分かりませんが、草案では同条第1項の戦争の放棄の規定は堅持しており、平和主義を否定するものではありません。

 以上が一通りの反論ですが、伊藤氏のように、憲法改正反対論者の皆さんは、「立憲主義」という言葉を持ち出して憲法改正に反対するのが常套手段となっています。憲法の主な機能が国家権力を制限することにあることは否定しませんし、憲法改正には内在的制約があるという学説も承知しています。「立憲主義」という用語が憲法の在り方を説明するために用いられることは、理解できないわけではありません。しかし、それが、実定法としての憲法典を超えるあたかも上位概念のように用いられ、かつ、個々の憲法改正の限界を画する道具概念として用いられていることには、強い違和感を持ちます。

 憲法改正は、憲法の規定に基づいて行われるものであり、その可否は、何よりも主権者である国民の意思に依存するものであると、私たちは、考えています。冒頭述べたように、憲法改正議論は大いに歓迎しますが、早く実定憲法に沿った議論に集約されていくことを期待します。

※自民党の「憲法改正草案」は、左の「日本国憲法改正草案Q&A」から御覧ください。

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日本版NSC(2月27日)

 NSCとは、"National Security Council"のことであり、「国家安全保障会議」と訳されます。「日本版NSC」とは、その先進国である米英の例に倣って、日本独自の国家安全保障会議を構築しようという動きのことをいいます。

 日本では、昭和31年に、国防の重要事項を審議する機関として、国防会議が設置されました。その後、昭和61年に、安全保障会議に改組され、国防以外にテロや重大事故など重大緊急事態の対処も審議できる機関となりました。さらに、平成15年には、その機能強化を行うため、構成員の変更を行うとともに、有事において事態対処専門委員会を設置し、事態の分析評価を行うことができるようになりました。

 安全保障会議は、閣議の下に置かれる常設の閣僚会議です。閣議の前に専門的な見地から安全保障に関する議論を深めるために置かれる総理の諮問機関です。総理を議長とし、副総理並びに総務、外務、財務、経済産業、国土交通、防衛、内閣官房及び国家公安委員会の9大臣を議員として構成されています。ただし、事態の分析評価は、議長のほか、副総理並びに外務、国土交通、防衛、内閣官房及び国家公安委員会の6大臣で行うこととされています。

 第1次安倍内閣において、安倍総理は、安全保障会議の機能強化を図るとともに、同盟国であるアメリカのNSCに対応できる組織とするため、国家安全保障会議に改組することを打ち出しました。そのため、有識者をもって「国家安全保障会議に関する官邸機能強化会議」を設置し、小池百合子総理補佐官を中心に報告書を取りまとめ、平成19年4月に、安全保障会議設置法一部改正法案を国会に提出しました。しかし、同年の参議院議員選挙後、安倍総理が突然辞任することになり、諸般の事情から同法案も廃案となりました。

 法案は、国家安全保障に関する官邸の司令塔機能を強化するため、従来の9大臣及び6大臣の会議を継承しつつ、国家安全保障に関する外交・防衛政策を審議するため、議長のほか、副総理並びに外務、防衛及び内閣官房の4大臣の会議を設置することを柱とするものでした。あわせて、国家安全保障に関する特定事項を審議するため、関係閣僚による専門部会を設置できることとするとともに、新たに国家安全保障会議の下に事務局を設置することとしていました。一方、報告書に記載された国家安全保障担当総理補佐官の常設化や秘密保護の仕組みの導入については、見送られました。

 昨年の第2次安倍内閣の発足に伴い、安倍総理を議長とし、新たな構成員をもって「国家安全保障会議の創設に関する有識者会議」を設置し、国家安全保障に関する司令塔としての官邸機能強化について、再度議論を行うこととされました。2月15日(金)に第1回目の会合を行ったところです。私は、担当総理補佐官として、有識者会議の議員となり、会議の司会を務めています。

 まだ具体的な方向性を説明できる時期ではありませんが、議論のポイントについて、簡単に説明しておきます。第一に、総理のリーダーシップによる国家安全保障に関する外交・防衛政策の総合調整については、前回の結論を受け、4大臣会議を新設する方向で検討することになるものと考えられます。

 第二に、近年、官邸において危機管理の指揮しなければならない緊急事態が頻発していることに鑑み、国家安全保障会議に、事態対処や危機管理の機能を持たせるかどうかも、議論のそ上に上がっています。ただし、現行の安全保障会議は諮問機関の位置付けであり、「実務」も担わせることとなると、大改革になってきます。

 第三に、国家安全保障に関する情報の一元化が言われています。個別の情報機関が別々に総理に情報を上げるのではなく、情報を国家安全保障会議で集約分析した上で、総合的な情報を迅速に総理に提供することが求められています。

 第四に、これらのことを踏まえ、国家安全保障会議を支える事務局体制等をどうするかが、実務的には大きな課題となってきます。

 このような論点を中心に、引き続き、有識者の皆さんの御意見を伺い、いい結論が出るよう努力したいと考えます。なお、法案は「早ければ今国会に提出する。」というのが公式見解ですが、やってみなければ分かりません。

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集団的自衛権(2月14日)

 2月8日(金)、官邸で、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(通称「安保法制懇」)が再開されました。安保法制懇は、第1次安倍内閣の時に設置され、既に報告書を公表しているのですが、それを待たずに安倍総理が退陣したため、今回改めて報告書の提出を受け、更に議論を深めてもらうこととしたものです。

 安保法制懇は、現在の憲法解釈により禁止されている「集団的自衛権」の行使について、国際情勢の変化に対応して、議論をしてもらうために設置された総理の私的諮問機関です。座長には、元駐米大使の柳井俊二国際海洋法裁判所所長が就任しています。

 では、集団的自衛権とは、何でしょうか。集団的自衛権とは、他国が第三国から武力攻撃を受けたときに武力攻撃を直接受けていない国が共同して対処する権利のことです。よく、NATO(北大西洋条約機構)などの集団安全保障と混同されますが、それとは異なる概念です。日米安保条約によって、日本国において、日本が第三国から武力攻撃を受けたときに、アメリカが共同対処できますが、これは、集団的自衛権の行使と言えるでしょう。

 ところが、我が国においては、憲法第9条の解釈により、「集団的自衛権は、保持しているが、行使できない。」という説明が続けられてきました。「保持している」というのは、我が国が加盟している国際連合の憲章において、加盟各国が集団的自衛権を行使できることが明示的に規定されており、それを否定することができなかったからでしょう。一方、憲法第9条の解釈により「自衛権は、必要最小限度の範囲にとどめるべきものである。」とされて、集団的自衛権の行使はその範囲を超えるので憲法上許されないものとされ、今日まで、国会において、そのような答弁が繰り返されてきました。

 そこで、第1次安倍内閣において、安倍総理は、四つの類型についてどう考えるべきか、安保法制懇に諮問したのです。すなわち、第一に、我が国自衛隊の艦船が米軍の艦船の近くで行動している場合に、米軍の艦船が攻撃されても、我が国自衛隊の艦船は何もできないという状況が生じてよいのか。第二に、仮に同盟国である米国に向かうかもしれない弾道ミサイルを捕捉した場合でも、我が国は迎撃できないという状況が生じてよいのか。という二つの類型を掲げました。なお、第三及び第四の類型については、集団的自衛権の問題ではないと整理されているので、ここでは割愛します。

 前回の安保法制懇の結論は、この二つの類型については、詳細な検討内容は省略しますが、集団的自衛権を認めて対処できるようにすべきだというものでした。結論には、敬意を表します。

 そのことを実現するためには、「憲法解釈の変更」ということをしなければなりません。憲法解釈というのは、学者の学説のように個人の責任で変え得るようなものではなく、具体的には、政府見解であるこれまでの度重なる国会答弁の内容を変更するということにほかなりません。そのためには、きちんとした理由の説明と、新たな明確な解釈が必要です。そして、できるだけ従来の解釈とも整合性を保つものにしなければなりません。

 こうしたことについて、再開された安保法制懇などの場を通じ、じっくりと時間を掛けて、十分な検討を行うことが必要です。

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景気回復には賃上げが必要(2月5日)

 アベノミクスなる言葉が定着してきましたが、金融、財政、規制緩和の三本の矢をもって実施する総合経済対策が既に功を奏し、円高が相当程度是正され、株価が順調に上昇してきました。ロケットスタートした安倍政権としては、ほっとしているところです。政府と日銀の協定の締結も成り、今後の補正予算の成立とともに、久しぶりの景気回復が実現することに期待が集まっています。

 しかし、白川日銀総裁が言っているように、消費者物価が上昇するだけでは、景気回復は実現できません。当たり前のことです。それが雇用の確保と賃金の上昇に結び付かなければ、国民が豊かさを実感することはできません。白川総裁も、「みんなで協力して、景気回復を実現しましょう。」と前向きの発言をしてくれればいいのですが、総裁の性格とは少し違うようです。

 日本銀行も、既に相当な資金を市場に投入している中で、更に資金の投入に努力します。政府は、厳しい財政状況の中で、内需拡大のため、防災・減災事業を中心として、巨額の補正予算案を作成しました。次は、民間にも、がんばっていただかなければなりません。そのためには、金融機関の貸し渋り対策を強化する必要があると考えています。その上で、円安傾向から、多くの企業が収益を上方修正しています。また、大企業の中には、相当な額の内部留保を積み上げている所もあります。今その一部を社員の皆さんに還元することが期待されます。

 20年間以上もデフレ経済が続いている中で、賃上げが実現すれば、国民は、どれだけ先行きに安心感を覚えるでしょうか。それが、景気回復の原動力になります。私の地元の製造業でも、為替が90円になれば十分勝負ができると多くの所が言ってくれています。大型小売店では、確実に消費が増えてきています。構造的な不況業種もあるとは思いますが、そうでない所は、少しでも従業員の皆さんに収益の還元を図っていただきたいと思います。

 公的部門では、介護士や保育士などの待遇改善を図ってまいります。消費者物価を毎年2パーセント確実に上げていくためには、それと同等程度の賃金の引上げは必要です。日銀は、自然体でも、1パーセントの物価上昇は実現できると言っています。そうであれば、大企業では、その程度の賃上げは可能でないかと考えられます。まだまだ中小企業は厳しい状況にありますが、大企業に是非リードをしていただきたいものです。

 政府としても、賃上げについて、経済界にお願いするタイミングを見定める必要があると考えています。

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地方公務員給与削減の経緯(1月28日)

 円高デフレを退治し、年2パーセントの割合で緩やかなインフレを進めていく中で、賃金の上昇を図ることが必要不可欠です。公務員給与についても、民間賃金の上昇に合わせて、人事院勧告を尊重すべきだというのが自民党の基本的立場です。このことは、総選挙の公約集にも、明記しました。

 私は、公務員の賃金カットというのは、余り適切な施策とは考えていません。財政の悪化は管理者の責任であり、それを労働者である公務員全体に転嫁するのは、正しい論理ではありません。私が財政の責任者を務めた地方団体では、国の給与カットに伴う場合を除き、一度も給与カットをしたことがありません。

 もちろん、給与水準が適切であるかどうかは不断の見直しが必要であり、自民党は、地方公務員給与については、国家公務員準拠を改め、地域民間給与準拠とすべきであると、公約しています。都道府県内を数ブロックに分けて、民間給与調査を行い、その結果に基づいて地方公務員給与を決定することを求めています。

 しかしながら、東日本大震災という未曾有の大災害が発生しました。一昨年、民主党の野田内閣は、この復興経費の一部に公務員給与を充てることを決めました。これには、自民党も賛成しました。異例な災害には、異例な対応が必要だからです。自民、民主、公明でそのための三党協議の場を作りましたが、民主党の協議代表には、公務員労働組合出身の人が多く、話は遅々として進みませんでした。自民、公明が求める人事院勧告(引下げ)の実施に、民主党が頑として応じなかったのです。

 そこで、昨年になって、野党である私たちが人勧を含めた国家公務員給与引下げ法案の作成に着手しました。なかなか三党協議の場での議論が進まず、野田総理とも水面下で連絡を取りつつ話を進めていきました。その結果、急きょ一部修正の上野党案を受け入れる旨、民主党から回答がありました。しかし、地方公務員給与の扱いについては、依然として平行線をたどりました。

 自民党の中には、当時から、地方交付税を削減することにより地方公務員給与の引下げを行わせようという意見が強かったのですが、私たち総務部会メンバーは、「それは地方自治の精神に反するものであり、飽くまでも地方公共団体の自発的な協力によるべきである。」と主張しました。それでも、民主党の三党協議の代表者は抵抗し、「覚書ではどうだ。」、「附帯決議ではどうだ。」と逡巡を続けましたが、土壇場で法案の附則に地方公共団体に自発的な協力を求めることを規定することに合意しました。

 そして、本年度を迎えたわけですが、結局、公務員給与の自発的引下げに応じたのは、千八百程度ある地方公共団体の中でわずか2市のみです。民主党政権下で総務省が地方に助言をできなかったことにも原因がありますが、これでは、麻生財務大臣が怒るのも、仕方ありません。そこで、国家公務員が本年度と来年度の2年間給与引下げが実施されている中で、地方公務員についても来年度9か月の給与削減を要請することとし、地方交付税も所要の削減をすることとしたところです。やむを得ない措置と考えます。

 報道が誤っていますが、今回の措置は国の財政のためにするものではないことから、地方財政計画上、給与費の削減8500億円については、地域の元気づくり事業及び緊急防災・減災事業などに同額を新規計上したところです。地方交付税が総額で4000億円削減されたのは、来年度の地方税収増が同額見込まれているからであり、給与の引下げとは全く関係ありません。

 現在行われている国家公務員の給与引下げと来年度行われる地方公務員の給与引下げは、東日本大震災という未曾有の大災害に対応して行われる臨時の異例な措置です。今後の公務員給与の在り方については、人事院勧告制度を尊重しつつ、総人件費の抑制を図るため、慎重に検討してまいります。

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官邸とはどんな所か(1月7日)

 昨年末、総理補佐官を拝命し、官邸勤務となったので、官邸とはどんな所か、御説明したいと思います。

 官邸とは、内閣総理大臣が執務をする建物です。総理が居住する公邸とは、異なります。現在の公邸は、官邸と同じ敷地内にあり、旧官邸を移築、改装して作られました。官邸には、内閣官房の主要職員が勤務していますが、全員が勤務しているわけではありません。政策の企画立案に携わる一般の職員は、官邸以外の場所で勤務しています。なお、内閣官房と内閣府は、異なる役所ですので、注意が必要です。

 危機管理上詳しいことは申し上げられませんが、官邸は5階建てで、正面玄関は、官邸が坂に建築されていることから、3階にあります。総理、官房長官及び副長官の執務室は、5階にあります。私たち総理補佐官が勤務している4階には、閣議室があります。そのほか、2階が大ホール、1階が記者会見室となっています。また、地下に、危機管理センターが設けられています。

 官邸の長は、もちろん内閣総理大臣です。総理以外の官邸勤務の者は、全員内閣官房に属しており、その長は、内閣官房長官です。その下に3人の内閣官房副長官が置かれています。うち2人は政務の副長官と呼ばれ、それぞれ与党の衆議院議員及び参議院議員の中から任命されます。また、うち1人は事務の副長官と呼ばれ、旧内務省系の役所(総務省、厚生労働省、国土交通省及び警察庁)の事務次官OBクラスが任命されるのが慣例です。

 その下は、いわゆる事務方であり、内政、外政及び安全保障・危機管理担当の3人の副長官補が置かれ、それぞれ財務省、外務省及び防衛省から出向する職員が充てられます。安全保障・危機管理担当の副長官補の上に内閣危機管理監が置かれ、通常警察庁OBが充てられます。危機管理監は、緊急事態においては、担当の副長官補を指揮します。

 庶務系の部署として、内閣総務官が統括する内閣総務官室、内閣広報官が統括する内閣広報室が置かれています。内閣総務官は、内閣官房の人事などの庶務や国会や宮内庁との連絡事務などを所管します。内閣総務官の下に内閣総理大臣官邸管理事務所が置かれ、官邸の維持管理を担当しています。内閣広報官は、総理の記者会見など内閣の広報を所管します。

 また、情報系の部署として、内閣情報官が統括する内閣情報調査室が置かれています。内閣情報官は、内閣の重要施策に関する情報の収集及び分析を任務としていますが、内閣情報調査室の詳しいことは、職務の特殊性に鑑み、よく分かりません。内閣情報官の下に、内閣衛星情報センターが置かれ、衛星情報を管理しています。

 事務方の一般職員は、職階により内閣審議官、内閣参事官及び内閣事務官・技官に分類されています。課長補佐クラス以下は、全員内閣事務官になります。

 このほか、総理直属のスタッフとして、内閣総理大臣補佐官(5人以内)及び内閣総理大臣秘書官(7人以内)が置かれています。これらの職員は、内閣官房に置かれますが、官房長官の直接の指揮監督は受けません。

 総理補佐官は、与党の国会議員や民間人から登用されます。総理補佐官は、役所の所管を持たず、秘書を除いて直属の部下はいません。総理の命を受け、他の部署や関係省庁との調整を行います。総理補佐官が実質的にどれだけの仕事をするかは、その人によって随分変わってきます。

 総理秘書官は、総理の日程、公式コメント、国会答弁などの調整を行い、事務的には極めて強い権限を持っています。総理秘書官のうち1人は、政務の総理秘書官(首席秘書官)と呼ばれ、総理の判断で信頼の置ける人を政治任用します。それ以外の事務の総理秘書官は、関係省庁から派遣されますが、最近はかなり役所の年次の高い人が着任しています。事務の総理秘書官には、出身省庁から秘書官付が派遣され、付室(づきしつ)で事務的な秘書業務を処理します。

 このように、官邸の中は、結構複雑な構造になっています。その中で、総理を始め国会議員は、現在たった7人しかいません。総理、官房長官、政務の副長官2人及び政務の総理補佐官3人です。安倍総理をしっかり支えて、正しい意味での政治主導を実現していかなければなりません。

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