(平成24年(2012年))

◎過去の「私の主張」は、左のメニューから御覧ください。
◇総理補佐官に就任(12月27日)
◇「より謙虚に、より真剣に」(12月17日)
◇総選挙の争点(12月8日)

◇国債の日銀引受けとはどういうことか(11月21日)
◇いざ解散総選挙へ(11月16日)
◇院の構成(11月14日)
◇年内解散はあるのか(10月30日)

◇総裁選挙の方法論(10月11日)
◇二つの「脱却」(10月4日)
◇安倍晋三新総裁の誕生(9月28日)
◇なぜ安倍晋三か。(9月13日)
◇定数是正と定数削減(9月9日)
◇問責決議案の経緯(8月31日)

◇今の政局をどう読むか(8月9日)
◇個人番号制度とは何か(6月25日)
◇社会保障・税一体改革協議(6月17日)
◇憲法改正草案解説(番外編・終)(6月12日)
◇憲法改正草案解説(9)・改正/最高法規/附則/前文  (5月31日)
◇憲法改正草案解説(8)・緊急事態(5月28日)
◇憲法改正草案解説(7)・財政/地方自治(5月24日)
◇憲法改正草案解説(6)・内閣/司法(5月21日)
◇憲法改正草案解説(5)・国会(5月17日)
◇憲法改正草案解説(4)・国民の権利と義務     (5月14日)
◇憲法改正草案解説(3)・安全保障(5月10日)
◇憲法改正草案解説(2)・天皇(5月6日)
◇憲法改正草案解説(1)(4月30日)
◇一票の格差の是正(4月10日)
◇国家公務員給与の引下げについて(3月1日)
◇消費税増税で日本の財政はどうなる(2月19日)
◇「大阪都構想」自民党案解説(1月19日)

総理補佐官に就任
(12月27日)

 このたびの安倍晋三内閣の発足に伴い、期せずして内閣総理大臣補佐官を拝命いたしました。安倍総理の下、「日本を取り戻す」ため、力の限り尽くす考えであります。どうぞよろしくお願い申し上げます。実は、役人時代、安倍総理が小泉内閣の内閣官房副長官の時に、安全保障担当の内閣参事官としてお仕えしており、2度目の官邸入りとなります。

 私の担当は、辞令上、国家安全保障会議及び選挙制度とされています。もちろん、このほかにも、様々な課題への対応が指示されるものと考えます。内閣総理大臣補佐官は、内閣法に規定されている内閣官房の役職の一つであり、内閣総理大臣を直接補佐するため、総理に進言や意見具申することを職務としています。現在定数は、5人以内とされています。いわゆるスタッフ職であり、どこかの役所を所管しているわけではありませんが、総理の命を受けて、事実上の省庁間調整をする場合もあります。

 今回の人事で、私と共に、青森県の木村太郎衆議院議員や同郷の衛藤晟一参議院議員が総理補佐官に就任しました。また、民間から長谷川榮一元中小企業庁長官も就任しました。このように、国会議員以外の人が就任することもあり、かつての自民党政権時代には、水野清(行政改革)、岡本行夫(沖縄・イラク問題)、牧野徹(都市再生)、渡辺好明(郵政民営化)、川口順子(外交)の各氏が民間から登用されています。

 一方で、総理補佐官は、国家公務員法の一部が適用されるポストでもあり、各府省の副大臣や政務官と同様に、自由に意見が言える立場ではありません。飽くまで政府の役人として、基本的な中立公平性は保たなければなりません。そのため、今後、このホームページやツイッター、Facebookなどで、従前のような歯切れの良い発言ができなくなることは、御容赦願いたいと存じます。また、政府の一員ですので、予算委員会で質問することも、当分ありません。なお、地元大分県では、7月の参議院議員通常選挙を控え、黙っていては公認候補として選挙になりませんので、これまでどおり、街頭演説などに努めたいと考えます。

 国内外の懸案が極めて多い中で、正に政局よりも政策第一で臨んででいかなければなりません。当分は、景気回復、まずデフレ経済から脱却し、そして経済成長を目指すという経済政策中心で、政府を始動させる考えです。どうぞ、引き続き、御支援をよろしくお願い申し上げます。

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「より謙虚に、より真剣に」(12月17日)

 12月16日(日)に施行された衆議院総選挙において、自由民主党は大勝しました。むしろ、地滑り的大勝利と言ってもいいでしょう。各候補がよくがんばり、特に落選中の元職や2回目の挑戦となる新人が、3年半もの長い間、臥薪嘗胆し、努力を続けてきた成果であります。一方で、政権交代の国民の期待を大きく担って始動したはずの民主党政権の余りにずさんな政権運営に、国民が大きく落胆したことも、強く影響しました。

 この間、責任野党である自由民主党は、東日本大震災からの復興や社会保障・税一体改革などに与党と協力しつつ、是々非々で臨んできました。与党民主党は、抗争や分裂を続け、何事を決めるにも、党内手続に時間を要しました。特に国会対策では、頭を下げて物事を進めるという感覚がなく、野党自民党から助言するという局面も、しばしばでした。

 今回の勝利を小選挙区制のせいだとする見解があります。確かに、前回の総選挙では民主党が大勝し、今回は自民党が大勝しました。しかし、その前までは、それほど大きな変動は、ありませんでした。もう少し小選挙区制の影響を見定める必要があります。中選挙区制に戻すべきだという党内意見も大きいのですが、選挙制度は、簡単には変えられません。まず、定数是正から取り組むことになります。

 総選挙の結果、自民党公明党で320議席を超え、これは、ねじれのある参議院で法案を否決されても、衆議院の3分の2以上で再可決できる数です。しかし、少し前の福田内閣の時、この権利を使い過ぎた感がします。ねじれた参議院では、話し合いにより合意を求めていくべきだと考えます。できるだけ話し合いで多数の合意を作っていく、そんな国会にしていかなければなりません。私は、与野党協議のための常設機関を設置することを提案します。

 いずれにしても、自由民主党が、この数に奢れることがあってはならないのは、言うまでもありません。国民生活の回復、向上と震災復興をまず柱にして、経済対策などで成果を確実に出していく実務型の政治を行っていかなければなりません。意見が対立する事項については、十分話し合いを尽くす姿勢が重要です。今まで以上に「より謙虚に、より真剣に」政治を進めていかなければなりません。政治の安定こそが経済の安定へ、そして国民生活の向上へとつながっていきます。政権交代、今度こそ、国民の期待を裏切ることはできません。

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総選挙の争点(12月8日)

 12月4日(火)に総選挙が始まりました。自民党にとっては、満を持しての選挙です。政権奪回へ向けて、しっかりとがんばっています。政策については、もう、全く信用のできない民主党のマニフェストは、国民は誰も相手にしていません。いわゆる第三極の日替わりメニューのように変わる公約も、信用できません。今は、自民党が政権奪還後にどう国政に取り組むのか、それをきちんと丁寧に国民に説明することが最も重要です。

 自民党は、「日本を取り戻す。」ことをスローガンに掲げています。そこには、東北の復興、経済の再生、教育改革、外交の立て直し、安心社会の実現を掲げています。この中で、東日本大震災からの復興や友好諸国との壊れた外交関係の立て直しを除けば、経済の再生、すなわち景気の回復が最大の公約です。

 円高デフレの経済が続き、国民生活も企業活動も、厳しい状況が続いています。こうした経済情勢の中で、特定の分野や地域のみの振興を図っていくことは、不可能です。日本全体の経済の底上げを図り、財政を立て直していかなければなりません。そのためには、「景気回復」が必要です。

 日本では、20年間デフレ経済が続いています。これは、世界にも、例がありません。その大半は自民党政権時代であり、自民党にも大きな責任があります。好景気という時代があったことを、国民は、忘れかけています。そこには、経済政策の大きな過ちがありました。物価が下落するデフレという病気とお金が回らなくなる不景気という病気を、ずっと同じ病気だと考えていたのです。

 この20年間、自民党も、ずっと経済対策を講じてきました。しかし、やっただけの効果はありましたが、それ以上の効果は出ませんでした。デフレ経済を放置したまま、内需拡大策だけに取り組んだからです。今必要なのは、デフレ経済を先にしっかりと退治することです。そのためには、大胆な金融緩和が重要であると、安倍総裁は唱えているのです。

 デフレ経済が始まる前には、毎年給料がちゃんと上がっていました。なぜでしょうか。生産性の向上もありますが、物価が上がっていたからです。分かりやすく言えば、物価が上がるけれど、給料や年金も上がる。そんな日本経済を取り戻したいのです。右肩上がりの経済には戻らないと言う学者もいますが、そんなことを言っていたら国民生活は100年経っても改善されません。

 では、なぜ今までデフレ退治をして来なかったのでしょうか。それは、日銀がインフレを恐れ、財務省が金利の上昇を恐れていたからにほかなりません。国民の生活を押し退けて、役人の論理で経済運営がなされてきました。それを許してきた自民党も、大きく反省しなければなりません。今回政権を奪還したときには、「自民党に政権が戻ったら、景気も戻ってきた。」と言われるようにがんばります。

 野田総理が「国防軍」に噛みついてきました。自衛官の息子である野田総理がなりふり構わずこんなところに反論するとは、思いませんでした。国防軍の話は、既に4月に発表した憲法改正の話です。それを、マスコミが、中途省略して「自衛隊を国防軍にする。」と書くものですから、国民は、自民党が政権を取ったらすぐにも軍隊を創設するのではないかと混乱しています。

 憲法改正は、国民の過半数の賛成が必要であり、そう簡単にできるものではありません。自民党の保利憲法改正推進本部長は、「憲法改正は、シングルイッシュー(項目ごと)になる。」と述べており、憲法の全部改正は、当面、考えていません。「国防軍」の創設は、自民党にとって、一つの坂の上の雲を描いたものです。世界の一定の人口を有する国家で、軍隊を保有しないのは、日本だけであることを付け加えておきます。自民党は、憲法の平和主義を堅持します。

 原子力政策は、私は、争点にならないと考えますし、争点にすべきでないと考えます。東京電力福島第一発電所の事故は、関係者が大いに反省すべきであり、その教訓に学ばなければなりません。したがって、原子力依存度を下げて行くことは、どの政党が政権を取っても、当然のことです。発電所の再稼働は、原子力規制委員会の安全性の判断に委ねるべきです。安全と判断された発電所は再稼働させ、その間に自然エネルギーや代替エネルギーの開発に努め、原子力依存度を下げていくべきです。

 今すぐあるいは近い将来に原子力をゼロにすると言っている政党もありますが、それは無責任な発言です。電気代が大幅に引き上げられ、家計はもとより、日本の製造業が壊滅的になり、雇用は維持できません。原子力発電の将来については、時間を掛けた冷静な議論が必要であり、選挙目当ての議論は国家を誤らせます。

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国債の日銀引受けとはどういうことか(11月21日)

 衆議院の解散総選挙を迎える中で、国債の日銀引受けが大議論になっています。一体どういうことなのでしょうか。分かりやすく御説明したいと思います。

 日本では、20年間以上も、デフレ経済が続いています。世界中見ても、20年間もデフレが続いているのは、日本だけです。もちろん、その大半は自民党政権時代であり、責任を感じていますが、何が問題だったのでしょうか。それは、デフレ経済をそのままにしておいて、財政出動を続けてきたことにあります。デフレとは、消費者物価がずっと下降局面にあるということです。その時に、公共投資をしても、やっただけの効果はあるのですが、乗数効果、すなわち拡大効果は余り望めません。

 かつては、公共事業の乗数効果は、2倍とも、3倍とも言われる時代がありました。1兆円の予算を組めば、それが2兆円にも、3兆円にもなる経済効果をもたらしていたのです。今の乗数効果は、わずか1.1倍とか、1.2倍とか言われています。これまで私たちが学んだのは、デフレ経済のまま財政出動をしても、景気対策の効果は大きくならないということです。予算委員会で、野田総理に質問しました。「デフレ経済のままで、景気回復ということがあるか。」野田総理は、「それはない。」と明確に答えています。

 だから、景気回復のためには、まず、デフレ経済をインフレ経済に転換させなければならないのです。消費者物価を総合的に管理しているのは、日本銀行です。デフレ退治は、基本的に、金融緩和、すなわち市場の資金供給量を拡大することによって、成し遂げられます。予算委員会で、何度も白川日銀総裁に質問しました。白川総裁は、「既に潤沢な資金を市場に供給している。お金はあっても、内需が拡大しなければ、景気回復はしない。日銀のできることにも限度がある。」と、答弁をし続けました。内需を日銀の責任にすることはできないのは、当然です。しかし、「潤沢な資金を供給している」としても、デフレ経済から脱却できていないのは、客観的な事実です。

 よく、触媒を使った化学反応の話をします。化学物質に触媒を加えると化学反応が始まることがあります。しかし、触媒を入れただけでは化学反応しないことがあります。そういう場合、化学の教科書には、「触媒を過剰に入れる。」と書いてあることがあります。デフレ退治には、過剰な金融緩和が必要なときもあるのです。すると、多くの人が、「ハイパーインフレーション(急激な物価上昇)が起きたらどうするのか。」と心配します。しかし、金融の引締めは、金融の緩和より、はるかにやさしい仕事です。許容限度を超えて物価上昇し始めたら、日銀が、間髪入れず金融引締めをすれば済むことです。それも、日銀の重要な仕事です。

 金融緩和のために、日銀が行っているのが、オペレーション(市場操作)という仕事です。日銀が、市場の国債や場合においては社債を買い入れることにより、市場のお金の量が増えてきます。お金の量が増えれば、円高は円安になり、デフレはインフレになってきます。日銀は、国債等の買い上げのための基金を既に80兆円まで拡大していますが、実際の買い上げ額は、それほど増えていません。日銀は、「国債の多くは、市中銀行が保有しており、それを買い上げても、銀行の日銀への預け金が増えるだけだ。」と、主張しています。おめでたいことに、今、日銀は、銀行の当座預金に金利を付けています。

 日銀が、このように、ああ言えばこう言う状態に陥っているので、日銀法を再改正して、政府にインフレターゲット(消費者物価の上昇目標)の決定権を持たせるとか、建設国債を日銀が直接引き受けることなどが議論されているのです。日銀による国債の直接引受けは、財政法も例外的に認めているところであり、決して違法ではありません。ただし、市場にある国債を買い上げても、その効果に大きな違いはないので、「直接は駄目だけど、間接ならばいい。」などと大声で議論することに、余り実益はありません。日銀の言うように、日銀への資金の環流を防止するため、内需の拡大を同時並行して図っていかなければならないことは、言うまでもありません。

 エール大学の浜田教授は、「日銀法の改正は、日銀が機能しているのならば、しない方がいい。しかし、日銀が国民生活を顧みないのであれば、それもやむを得ない。」と、おっしゃっています。私も、同意見です。白川総裁は、「景気回復には、消費者物価が上がるだけでは駄目であり、雇用が拡大し、賃金が上昇する必要がある。」と言っています。当たり前のことです。だから、その前提として、まず、デフレ経済退治が必要なのです。白川総裁の任期は、来年の4月までです。新しい政権が新しい総裁を的確に選任することが必要です。

 関東大震災の後には、高橋是清が、大蔵大臣や日銀総裁を務めました。今、平成の高橋是清が求められています。

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いざ解散総選挙へ(11月16日)

 11月16日(金)に衆議院が解散され、12月16日(日)に総選挙が施行されることになりました。自民党としては、待ちに待った総選挙です。3年余り前、総選挙で大敗したときは、しばらくの間野党暮らしをしなければならないと覚悟を決めたものです。しかし、民主党政権は、最初から、私たち野党のほのかな期待を裏切るほどの混乱振り、決められない政治を演じてきました。ここであえて枚挙する必要もないでしょう。選挙はやってみなければ分かりませんが、今現在、政権奪回への手応えは十分感じているところです。

 8月の三党党首会談で、野田総理は「近いうちの解散」を約束しました。先日の党首討論で、野田総理は、「約束は、決して嘘ではない。」と強弁しましたが、既に「近いうち」と言える期間は経過しています。これまでの間、総理は一体何をしてきたのでしょうか。民主党輿石幹事長を中心とする勢力が、国民の生活が第一の小沢代表らとの再連携を模索し、野田下ろしを始めたことから、党内で追い込まれた野田総理が、カンボジアでTPP交渉参加を表明する前に、党内の動きに機先を制するため、解散を急いだに過ぎません。

 ただし、野田総理にしても、何らの大義名分もない解散はしたくなかったので、自ら党首討論の要求をし、その中で、安倍総裁に、国会議員の定数削減を求めたのでしょう。しかし、これは、各党とも、選挙制度の抜本的改正の方法については意見が分かれるものの、定数削減については公約しているところであり、何の争点にもならなかったのです。野田総理の置き土産ぐらいの話でしょう。

 それでは、何が選挙の争点になるのでしょうか。もちろん、この3年余りの民主党政権の評価がまな板の上に乗せられるのは、当然のことであります。しかし、大切なことは、まず景気回復でしょう。ここ数箇月、また景気は悪くなっています。民主党政権になってから、ずっと景気は低迷を続けているのですが、ここで悪化の兆しが見られます。しっかりと景気を回復させ、国民の雇用と賃金を守るのが、自民党の役割です。バラマキ中心で、公共事業を悪とみなす民主党では、景気回復は、絶対にできません。金融緩和を行い、財政出動をし、イノベーションを進める。その順番で、景気回復策を講じていかなければなりません。

 一方で、行政改革にも、しっかり取り組んでいかなければなりません。民主党政権は、「政治主導」を掲げながら、結局官僚に洗脳され、財政主導の行政を行ってきました。国民の代表である国会議員が、本当に政治の決定権を維持できるシステムを講じなければなりません。それは、単に公務員いじめのようなことではなく、真に民主主義を実現できるものでなければなりません。本当の政治主導とは何か。自民党と民主党の大きな差異が試される論点であると考えます。

 教育改革や憲法改正、地方分権にも取り組んでまいりますが、私は、まず景気を回復させ、国民生活を豊かにすることが優先であると考えています。円高デフレを第一に是正し、緩やかに消費者物価が上昇する経済を作り、名目でもいいから賃金を上昇させなければなりません。そうすることにより、税収も増え、多くの経済的、財政的問題が解決します。その後に、お金ではあがなえない政策に着手すべきです。

 また、外交の立て直しが急務です。言い訳はあるでしょうが、民主党政権時代に、アメリカ、中国、韓国という友好国との関係が相当おかしくなったのは、事実です。野田総理の言う「負の遺産」とは、本来このことです。難しい問題を乗り越えて、外交関係を修復できるのも、自民党です。

 そして、自民党は、新しい自民党にならなければなりません。先の総裁選挙を通じ、自民党は、安倍総裁、石破幹事長の体制を選びました。トップ二人とも、改革派です。決して古い自民党に戻ることなく、政治改革、党改革を進めていかなければなりません。

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院の構成(11月14日)

 秋の人事異動で、参議院文教科学委員長を拝命しました。これを機に、参議院の院の構成と委員会の運営について、御説明しましょう。

 当然のことですが、国会議員は、みんな平等です。一人一票をみんなが持っています。ただし、院の役員として、議長と副議長がおり、議長、副議長、一般議員と議員には3階級あると考えてもいいでしょう。議長は、本会議で、選挙の場合を除いて、採決に加わらないのが慣例です。ただし、可否同数の場合は、裁決権を有します。副議長が、議長席に着く場合も、同様です。院には、役員という概念があり、議長、副議長のほか、委員会の委員長、調査会及び審査会の会長並びに事務方の事務総長が、これに当たります。

 委員会には、内閣委員会から環境委員会までの役所を縦割りで所管する11の第1種常任委員会、予算委員会などの横割りの仕事をする6つの第2種常任委員会、さらに、国会の会期ごとに置かれる特別委員会があります。第2種常任委員会には、予算のほか、議院運営、国家基本政策、決算、行政監視、懲罰の各委員会があります。特別委員会は、現在7つ置かれています。そのほか、改選ごとに置かれる参議院独自の調査会が3つ、審査会は憲法審査会と政治倫理審査会が置かれています。

 これらのうち、委員長等の格付けでは、議院運営委員長が筆頭で、予算委員長が別格というところでしょう。憲法審査会長も、格上のポストです。党首討論を衆議院と交替で行う国家基本政策委員長は、ベテラン議員のポストです。事件がない限り開くことのない懲罰委員長及び政治倫理審査会長は、長老議員のポストです。常任委員長とそれ以外の特別委員長等との違いは、常任委員長の人事は本会議案件であるのに対し、特別委員長等は委員会で互選により選出することにあります。常任委員長は、本会議で選挙されますが、通常は議長の指名により決しています。

 委員長等の割り当ては、所属会派の議員数のドント割りで行うので、少数会派は委員長等を出せません。現在、参議院では、民主党、自民党及び公明党だけが、委員長等を出しています。第1種常任委員長は民主6、自民3 公明2であり、第2種常任委員長は民主2、自民4であります。特別委員長は民主3、自民3、公明1であり、調査会長及び審査会長は、民主3、自民2となっています。どの委員会等の委員長等を取るかは、会派の話し合いで決めますが、大会派の判断が優先されます。

 全ての議員は、閣僚を除き、第1種常任委員会のいずれかに属さなければなりません。その他の委員会等には、各会派の判断で、議員を配置します。各会派所属議員数に応じて、委員会等の総定数を配分するので、少数会派の場合は、全ての委員会等に配置できないことがあります。自民党の場合、新人議員では、第1種、第2種の各常任委員会、特別委員会及び調査会に属すると、4委員会等に属することになり、結構大変です。逆に、今回の私のように第1種常任委員長になると、中立公平な立場を守るため、一切の兼務が禁止され、差し替えでも他委員会での質問は、原則できません。

 委員会は、委員長、理事及び委員で構成されます。与党及び野党第一党の上席の理事を「筆頭理事」と呼びます。委員会の運営は、与野党の筆頭理事の協議によりおおむね決定されます。委員会の前には、理事会が開かれ、そこで委員会の運営について正式に決定されます。理事会には、理事を出せない少数会派も、オブザーバーとして参加できるのが慣例です。委員長は、理事らの意見を聴き、合意ができるのを待つのが基本姿勢です。ただし、どうしても与野党間の合意ができないときは、積極的に調整を行い、最後は職権で自ら決定することができます。理事会は、委員長の職権を補佐する機関であり、委員会の運営権は最終的には委員長にあるからです。

 参議院の場合は、野党が多数であるので、委員会も野党が多数のものが多く、そうした委員会では、与党の委員長が職権で委員会開催を決めても、野党が審議拒否をすれば、2分の1の定足数を満たさず、委員会を開催できないこともあります。また、私は、予算委員会で、審議を止めたことが何度もありますが、これは理事の職責として行っているのであって、一般の委員が委員長席に詰め寄ると大変なことになります。理事には、委員会の最中でも、その運営について、委員長にアピールする権利があるのです。

 委員は、委員会の運営には、原則直接関与しません。委員の仕事は、採決に参加することと理事の指示により質問をすることです。採決の方法は、委員会で異なり、起立採決の委員会と挙手採決の委員会があります。質疑時間は、会派ごとに割り振られ、所属委員数に比例しますが、少数会派には相当に配慮が行われます。質問は、大会派順に行われるのが常例です。普通は、「往復」と言って、質問時間と答弁時間を合わせた時間がセットされます。ただし、参議院の予算委員会総括質疑では、「片道」と言って、質問時間のみがセットされます。答弁時間は関係ないので、質問者の腕の見せ所となります。セット時間の2.5倍までが総質疑時間の限度ですが、質問者ががそれを使い切るのは至難です。もっとも、審議が中断した場合は、それを大幅に超えることがあります。

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年内解散はあるのか(10月30日)

 地元を回っていても、いつも聞かれる質問が、「年内解散はあるのでしょうか。」です。「解散権は野田総理にあるので、分かりませんが、年内解散になるように努力します。」と答えています。

 8月中旬の3党党首会談で、3党は、「社会保障税一体改革関連法案は、今国会中に成立させる。」「近いうちに衆議院を解散する。」この二つのことを約束したのです。そして、野党の自民党と公明党は、一体改革関連法案の成立に協力し、法案は成立しました。それにも、かかわらず、野田佳彦総理は、四の五の言って解散時期を明確にしないのです。これは、車を売り渡したのに、代金を払わないのと全く同じことであり、普通これを詐欺と呼びます。

 民主党は、すぐに公債特例法案を話に出して、「野党は、けしからん。」と言いますが、自民党は、公債特例法案を人質にとって解散を迫ろうなどという考えは全くありません。自動車の代金を払わない人と、ほかの軽自動車の販売の話ができないのと同じことです。衆議院解散についての誠意ある回答があれば、そのほかの問題は、直ちに解決できるのです。

 自民党の政党支持率は、30パーセントを超えるものも出て来ました。一方、民主党の支持率は、10パーセントを割るものも出て来ました。そうした中で、民主党が、解散総選挙に一層シュリンクし(おびえ)ています。野田総理の考えにかかわらず、民主党全体が、解散恐怖症にかかっています。しかし、ここまで来れば、民主党政権は、限界を迎えたのではないでしょうか。政権にしがみつくことが、既に国益に反しています。野田総理が、賢明な判断をすべきでしょう。

 民主党の過半数割れまで後6人とも言われています。過半数を割れば、衆議院で内閣不信任案を提出する可能性が出て来ます。しかし、解散恐怖症の議員を持つ政党は民主党だけではなく、野党の中にもあります。衆議院では、簡単に内閣不信任案が成立することはないでしょう。一方で、国会審議が始まると、前原誠司国務大臣の架空事務所経費計上疑惑や城島光力財務大臣の暴力団交際疑惑などの追及が始まります。こうした主要大臣が倒れると、内閣は、瓦解するでしょう。

 そうなると、4人目の総理として、細野豪士政調会長を推す声も出て来るでしょう。野球も、スリーアウトまでです。延命のため政権を続けるのは、害悪以外の何ものでもありません。

 橋下徹大阪市長が率いる日本維新の会が一体どれだけの候補者を立て、どれくらいの当選をさせ得るのか。石原慎太郎都知事が結成する新党が第三極でどういう地位を占め、どういう力を持つのか。衆議院の解散にも、大きな影響を与えます。民主党が壊滅的な状況にならないためにどうしたらいいのか、与党内で解散時期の検討が行われることでしょう。

 今臨時国会において、公債特例法案や公職選挙法改正案などを処理して、解散をする可能性も十分あると考えます。ただし、政府は予算編成作業に既に着手しており、その作業が終了する年末の解散も、あり得ます。ただし、その場合は、もう一度臨時国会を召集しなければならないので、年を越えて1月になって、通常国会の冒頭に解散することも考えられます。補正予算案の提出などにより、それを過ぎれば、本予算成立後の4月解散になるでしょう。それもなければ、7月の参議院通常選挙との同日選挙になります。

 選挙のことだけ考えれば、自民党は、衆参同日選挙で全く構わないのですが、衆参両院で敗北が予測されている民主党にとっては、耐えられない状況になることが考えられ、同日選挙は避けるのではないかという観測が専らです。まさか、衆議院選挙を任期一杯8月まで延ばすことはないと考えています。そうであれば、年末年始の解散は、なお十分考えられるところです。

 いずれにせよ、円高デフレの不況の中で苦しむ国民の生活を考えると、一刻も早い政権の交代が望まれており、野田総理の約束どおり早期解散総選挙が行われるべきであることは、言うまでもありません。

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総裁選挙の方法論(10月11日)

 先日開催された自民党全国幹事長会議において、まだ「総裁選挙が地方党員票と異なる結果になったのは、問題だ。」という指摘があったそうです。マスコミの偏向報道が党内まで影響しているのではないかと、危惧されます。

 まず、民主主義は、ルールによって実現されます。ルールにのっとって行われた総裁選挙が、後になって「おかしい。」というのは、民主主義にもとるものです。「ルールを改善すべきだ。」というのは、もちろん許されますが、総裁選挙の結果に異議を唱えている人で、具体的な改善案を示している人は、いないようです。

 「1回目の投票で2位になった人は、決戦投票を辞退すべきだ。」などと言う人もいますが、そんなことは、ルールでも何でもありません。公平な選挙制度に恣意性を持ち込むだけです。かつて、福田赳夫さんが大平正芳さんと決戦投票になった時に、「天の声にも、変な声がある。」と言って決戦投票を辞退しましたが、この時は、決選投票で勝つ見込みがないと考えられていたのです。また、「地方党員票と違う結果になったのは、おかしい。」というのも乱暴な意見であり、それでは「国会議員の票はどうでもいいのか。」ということになります。

 団体の代表者を選ぶときに、1回目の投票で過半数の得票を獲得する者がいないときは、上位2人により決選投票が行われるのは、通常よくあることです。ここまでで「おかしい。」という人とは、議論しても仕方がありません。では、何が問題だったのでしょうか。それは、1回目の投票は国会議員票と地方党員票で行っていながら、決選投票は国会議員だけで行い、地方党員票は反映できなかった点にあります。したがって、「決選投票にも、地方党員票を反映できるようにすべきだ。」というのであれば、立派な主張になります。

 単純に、決選投票にも地方党員を参加させるのが一番の方法です。しかし、これを行うには、投票用紙の郵送など更に2、3週間を要するので、実現可能性はほとんどありません。

 次に、地方の党幹部を中央投票に参加させて、決選投票はその判断で投票させるという方法があります。昔、地方の党幹部による投票を行っていた時期もありましたが、地方党員による投票制度を採用してからは、地方の党幹部の投票は取り止めたところです。今回の場合、1回目の投票で直接参加していない地方の党幹部が決選投票だけに参加するというのは、おかしいでしょう。

 次に、1回目の投票での上位2位の投票結果で地方党員票を按分して決選投票での国会議員票に加算するという方法があります。一見いいようですが、決選投票では、1回目の投票で3位以下の候補に投票した人の投票先の変化に意味があるわけですから、この方法も、おかしいと言わざるを得ません。

 最初から、地方票のウエイトを上げるという方法があります。今の地方票300票というのは、国会議員票がより多い時に決められたものであり、今回、議員票が200票を割っても、地方票の削減は行いませんでした。自民党の矜持の表れです。国会議員票と地方党員票は、おおむね平等という設計で始まった総裁選挙の方式ですから、今以上に地方党員票のウエイトを上げることは、できないでしょう。

 考えられる唯一の方法は、地方党員選挙で、順位付け投票を行うことです。投票の際に、一人の氏名を書くのではなく、全ての候補者の順番を付けるのです。1回目の投票は、もちろん第1順位の者に投票されたものとして集計します。その結果国会議員票と合わせて過半数を超える者がなく、決選投票を行うときは、1位と2位の者の1回目の投票はそのままにして、その他の候補者に1回目に1位とする投票を行った者の票につき、1位と2位の候補者への投票の順番を比較して上位の者に投票したものとして1回目の1位と2位の投票数に加算するのです。

 論理的には、この方法で問題がありません。しかし、様々な現実の問題があります。投票の時に党員に相当の負担を掛けることになります。また、この開票にも、少なくとも数時間を要するでしょう。投票が中断するため、テレビ中継との関係で広報効果などの問題もありますが、1回目の投票と決選投票の間に時間が開くと、その間に様々な調整、談合が行われる可能性が出て来ます。また、投票用紙に氏名の印刷が原則必要であり、投票用紙の印刷が候補者確定後しかできなくなると、事務的な支障が生じます。

 麻生太郎元総理が言っていましたが、「国会議員は、衆議院議員で10万票、参議院議員で20万票以上の支持を得て立ち上がってきている。決して党員の票だけで、選挙に勝っているわけではない。」と。総裁選挙後、国会議員は一般に誰に投票したかを有権者に説明する義務があり、単純な一個人の投票ではないと言えるでしょう。また、議院内閣制の下では、内閣総理大臣の選挙に投票するのは、国会議員です。国会議員の広汎な支持なくして、総理総裁は務まりません。

 そう考えると、総裁選挙の方法について全く改善案がないわけではありませんが、現行の方法はそれなりによく練られた方法なのです。地方党員票の結果がそのまま決戦投票に反映されなかったのは、今回の特殊事情であり、選挙制度そのものに問題があったわけではないと考えます。いずれにしても、ルールにのっとって行われた総裁選挙に後から異を唱えることは、民主主義を党是とする自民党員としてあってはならないことです。

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二つの「脱却」(10月4日)

 自民党総裁選挙の結果新総裁となった安倍晋三さんの下で、二つの「脱却」を図っていかなければなりません。一つは、20年以上続いている「デフレ経済からの脱却」です。もう一つが、日本人の精神的背景において「戦後体制からの脱却」を図っていくことです。

 景気回復が、多くの国民の望んでいるものであるのは、間違いありません。そして、消費税増税の前提として「経済情勢の好転」が求められていることは、言うまでもありません。なぜ日本の経済が沈滞しているのか。それは、デフレ、物価の下降局面が続いているからです。自民党政権の失敗は、有効需要を創出するため、デフレ経済の下で、財政出動をしたのですが、ほとんど効果が上げられなかったことです。まず、金融緩和を大胆に行い、消費者物価が緩やかに上昇するインフレ局面を作り出し、その上で財政出動をしなければ、経済対策は活きてきません。

 日本銀行は、小出しに金融緩和を続けていますが、主な手法は国債等の買い取り基金を積み増すだけであり、実際の市場資金の増大にすべてがつながっている訳ではありません。銀行が所有する国債を日銀が購入しても、資金の民間需要がないため、日銀への預け金が増えるだけだと主張しています。

 もう一つは、財務省が金利の上昇を極度に恐れていることがあります。国債残高が750兆円を超え、消費者物価の上昇に伴い、仮に金利が1パーセント上昇すると、利払費だけで7兆5千億円も吹っ飛ぶというのが、財務官僚の頭です。5パーセント消費税増税しても、高々13兆円余りです。1パーセントの金利上昇で、その半分以上が消えてしまいます。この説は間違いではないのですが、景気が回復すれば、税収も増大します。そのことを余りに過小評価しています。

 日本銀行の言うことも、財務省の言うことも、一理はあるのですが、そんなことばかり言っていると、国民生活はいつまでも置き去りにされてしまいます。政治主導で、しっかりとした金融緩和や財政出動を行わないと、景気回復が達成されることはありません。そこで、「デフレ経済からの脱却」を最優先課題にしなければなりません。平成の高橋是清の誕生が、待たれます。

 安倍新総裁は、かつての政権の時に、「戦後レジームからの脱却」を唱えました。今回の総裁選挙では、「レジーム」という言葉は難しいので、「体制」という日本語にしてもらいました。世界史の教科書のフランス革命の所で「アンシャンレジーム(旧体制)の崩壊」という言葉が記載されているのを、覚えている方も多いと思いますが、そのもじりだったのでしょうか。

 では、「戦後体制」とは、どういうことなのでしょうか。日本は、太平洋戦争に敗れました。この戦争には、大きく反省をしなければなりません。しかし、我が国は、戦後、戦争の総括をきちんとしないまま、経済成長へと国民の目を振り向けてきました。そうした中、この戦争の責任はすべて日本にあるというような誤った観念が日本人を支配し、日本人が日本人であることの誇りが持てない状況を作り、その代償としてただ経済大国への道を突き進んできたのが、戦後の歴史です。

 反省すべきはしっかりと反省し、日本人の誇りを取り戻せるようにしようというのが、「戦後体制からの脱却」です。そして、家族を愛し、地域を愛し、国を愛するという当たり前のことが当たり前に言える国を作っていくことが必要です。こういうことを言うと、マスコミがすぐ「右傾化」という評論をしますが、国家として当然のことを言って右傾化と言われるのであれば、日本の標準軸そのものが左に傾いている証拠であります。

 そのためには、家族を守り、地域を守り、国を守ることのできる体制を作ることが、重要です。それが、憲法改正であります。憲法改正は、主権在民、基本的人権の尊重、平和主義を堅持しつつ、占領下憲法から脱皮し、日本人の手で自主憲法を制定することが必要です。

 「戦後体制からの脱却」は、戦前に戻ることではありません。戦争の体験を踏まえ、反省すべき点はしっかりと反省し、一方で日本人として誇りに思うべき点はしっかりと守る。そして、国民が自信と明るさを取り戻すことができる。そういう国家の再起が今求められているのです。

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安倍晋三新総裁の誕生(9月28日)

 総裁選挙は、厳しいスタートでした。出馬を決断するまでの間も、5年前に病気のためとはいえ総理を突然辞任した悔恨があり、なかなか話は進みませんでした。そうした出遅れもあり、まさに「石・石対決」に挟まれた苦しい3番手の船出でした。だからこそ、安倍晋三さんも安倍陣営の皆さんも、最も謙虚に、最も一所懸命に戦陣を進めた結果が、この勝利でありました。

 結果的には、党員票で過半数を獲得しながら議員票で後れをとった石破茂さんと議員票で先行しながら党員票で伸び悩んだ石原伸晃さんの間で、党員票も議員票も2位ながら両方のバランスをとった安倍晋三さんが、石破さんとの決戦投票の結果勝利を収めました。これは、結果論であり、開票の発表まで薄氷を踏む思いでした。

 自民党が総裁選挙を行うと、マスコミがすぐ「派閥の力で選挙をしている。」と書くのですが、今回、そんなことは、全くありませんでした。派閥が一枚岩で最後まで行動を共にしたのは、参議院の一部の派閥のみでした。

 安倍陣営の責任者である甘利明さんは山崎派、参謀の菅義偉さんと古屋圭司さんは無派閥、衛藤晟一さんは伊吹派、下村博文さんは町村派、塩崎恭久さんは古賀派、佐田玄一郎さんは額賀派です。事務局を務めた加藤勝信さんと新藤義孝さんは額賀派、私と柴山昌彦さんは町村派、河井克行さんは無派閥です。それに、麻生派、高村派の皆さんが加わり、選挙当日には、谷垣グループの皆さんも応援してくれました。こうした中間派の皆さんも、全員というわけではなく、個人の判断で協力してくれました。

 これで、どうして派閥選挙と言えるのでしょうか。自民党は、既に派閥で選挙はしていません。安倍晋三さんは、党内の幅広い国会議員からの支持を集めています。

 また、1回目の投票で党員票の過半数を獲得した石破茂さんを決戦投票で安倍晋三さんが逆転して当選したことに異議を唱える人がいます。民主主義は、ルールに基づいて行われます。ルールどおりに行われた選挙結果について異議を唱えるのは、民主主義を否定することです。1回目の投票で過半数を獲得した候補がいない場合は、国会議員のみで決戦投票を行うというのが、今回の総裁選挙のルールです。もちろん、ルールの改善を主張するのは自由ですが、投票結果に異議を唱えている人で、改善案を示している人は見当たりません。

 一部の人が谷垣禎一総裁の立候補つぶしに動いたことは、残念なことでした。麻生太郎元総理が「渡世の義理に反する。」と言ったたことは、率直に言って、総裁選挙に一定の影響を与えました。よく「谷垣総裁の不出馬を見て、安倍さんが立候補を決断したのではないか。」と聞かれますが、そんなことは全くありません。選挙公示の前の週、安倍晋三さんを代表世話人とする「新経済成長戦略勉強会」の設立総会の日までには、安倍さんの意志は固まっていました。谷垣さんの不出馬は、全く寝耳に水のことでした。

 谷垣さんの潔い決断により、なかなか谷垣さんの功績を批判しにくい状況になっていますが、言うべきことは言わなければなりません。谷垣執行部の下で、党改革が全く進まなかったということは、批判をしなければなりません。野党になった自民党として、なぜ野党に転落したのかしっかりと過去の自民党を総括し、それを踏まえて党の改革に着手することを国民が求めていたはずです。党の綱領こそ改正したものの、具体的な党改革、政治改革は、全く進まなかったと言ってもいいでしょう。

 安倍晋三新総裁は、政権奪還とともに、党改革を目標に掲げています。そして、同じく党改革を唱える石破茂さんを幹事長に起用しました。ここに、大きく期待しなければなりません。間違っても、長老支配だとか、派閥支配だとか、誤ったメッセージが流れることのないよう、きちんと党改革、政治改革を進めていかなければなりません。そのことが、景気回復という経済政策とともに、新体制の最優先課題となります。

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なぜ安倍晋三か。(9月13日)

 自由民主党の総裁選挙が始まりました。近いうちに行われる総選挙において政権奪還を目指す、極めて重要な総裁選挙です。候補者として、町村信孝元内閣官房長官、石破茂前政務調査会長、石原伸晃幹事長、林芳正元財政金融担当大臣が出馬を表明し、この12日に安倍晋三元内閣総理大臣も、再出馬を表明したところです。この5人によって総裁選挙は争われるものと考えられています。実質的には、石破、石原、安倍の3氏が有力で三つ巴状態にあり、それを町村、林両氏が追う展開になりそうです。残念なのは、現総裁の谷垣禎一氏が立候補を断念されたことです。(安倍晋三さんの出馬演説)

 私は、安倍晋三さんを応援をし、その選挙対策本部の事務局を務めています。安倍さんとの役人時代から御縁もありますが、この経済的、外交的な国難の時代に、ぶれない政治信念を持って、国民を強いリーダーシップで引っ張っていける候補は、安倍晋三さんをおいてはいないと考えたところです。

 私は、小泉純一郎内閣で、福田康夫内閣官房長官、安倍晋三同副長官の下で、安全保障担当の内閣参事官を務めていました。その当時から、安倍さんのぶれることない政治姿勢と、政治家としての強い行動力に、感服し、お仕えしていました。その後、官房長官、内閣総理大臣と進まれ、「戦後レジームからの脱却」を目指して、今までの自民党政権ではできなかった改革に着手しました。教育基本法の改正にしろ、憲法改正手続法の制定にしろ、今までの与野党関係ではなかなか難しいと思われていた政策を見事に達成しました。

 一方で、小泉改革の痛みに国民の不満が拡大し、支持率は低迷を続け、厳しい野党の追及を受ける中で、参議院選挙で大敗を喫しました。しかし、安倍さんは、まだやり直した仕事があるとその任を続けましたが、潰瘍性大腸炎という難病にかかり、あえなく政権を投げ出さざるを得ませんでした。その当時、二つのことを思いました。一つは、まず小泉改革による国民の痛みを緩和することから先に着手し、戦後レジームの改革はその後でも良かったのではないかということです。もう一つは、病気はやむを得ないことですが、病気ならもっと病気らしく辞めるべきであり、退任の記者会見までする必要があったのかということです。

 このことが安倍さんの再出馬の大きな障害となってきました。安倍さん自身も、辞め方については、今も大きく反省しています。しかし、あれからもう5年です。日本という社会が、病気で辞めた人をいつまでも追及する社会でいいはずがありません。今まさに、この国難の時に当たって、国民の多くが再登板を求めているのではないでしょうか。

 石破さんは、実力ある立派な政治家です。前回の総裁選挙では、私も、非公式ではありますが、「是非総裁選挙に立候補していただきたい。」と、お声を掛けたことがあります。外交・安全保障政策では、安倍さんとの違いは、ほとんどありません。ただ、経済政策の分野では、安倍さんの方が幅広い見識を持っているのではないかと、考えています。

 石原さんの出馬は、意外でした。谷垣総裁が出馬するのであれば、幹事長である石原さんが出馬することはないと、考えていたからです。石原さんは、党内の実力者です。国土交通大臣として、道路公団改革を成し遂げました。しかし、政策面においては、石破さんや安倍さんと、少し違いがあるように思われます。

 町村さんは、私の属する清和政策研究会(町村派)の会長であり、本来総裁選挙ではお支えしなければならない立場にあります。町村さんが、今回の候補者の中でも、最も経験豊かな候補であることも、事実です。しかし、与党の野田総理は、私と同級生で55歳です。次の世代のリーダーは、やはり50歳代から選ばれるべきではないかと、考えたところです。

 林さんは、若手政策通として参議院のホープです。私は、郵政改革の見直しなどを、林さんと一緒に実現させました。次の次を狙える重要な人材であると考えています。

 今回の総裁選挙では、経済政策が重要であると考えています。だからこそ、安倍さんを代表世話人とする「新経済成長戦略勉強会」を立ち上げたのです。金融政策、財政政策を含めた広範な政策を樹立し、我が国を一日も早く円高デフレの不景気から脱却させ、景気回復させなければなりません。安倍グループのいい所でもあるのですが、経済政策においては、財政再建派から、財政出動派、上げ潮派まで様々な考えの国会議員が集っています。それが安倍さんの足を引っ張ることのないよう、むしろ総合的な経済政策を樹立のため寄与できるようにすることが、重要であると考えています。

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定数是正と定数削減(9月9日)

 閉幕した通常国会では、定数是正も、定数削減も、何も決めることができませんでした。正に決められない国会を象徴するような結幕でした。衆議院では、与党民主党が、自らの案を全野党欠席のまま強行採決し、送られた参議院での審議の見通しは全く立っていません。その参議院では、定数削減ができないまま、4増4減案のみ決定し、衆議院に送りました。与野党を含め、政治の劣化が指摘されても、仕方がない状況です。

 しかし、「駄目だ。駄目だ。」と言っていても、らちは開きませんので、その原因を探り、具体策を提示する必要があります。共産党、社民党を除き、与野党とも、定数削減には、合意しています。それにもかかわらず、これだけ結論が出ないのは、なぜでしょうか。それは、衆議院と参議院とで、少し異なる点があります。

 衆議院においては、「政治改革」の美名の下に、決められる政治、二大政党制を求めて、従来の中選挙区制を改め、小選挙区制を導入しました。その際、少数政党に配慮するため、比例代表制を並立させることとしました。同じ選挙の中で、小選挙区と比例代表区という二つの仕組みを導入したため、大きな利害相反が生じたのです。すなわち、大政党は主として小選挙区に依存し、少数政党は主として比例代表区に依存することになったのです。この間に、「重複立候補」という訳の分からない制度を導入したものですから、話が一層複雑化しましたが、そのことは今置いておきましょう。

 与党案のように、小選挙区は0増5減のみの5議席減にとどめ、比例代表区を40議席も削減すると言っても、なかなか話がつくわけがありません。小選挙区の5議席の削減は、その2パーセントに足りません。一方、比例代表区の40議席の削減は、20パーセントを超えるものです。本来は、両方とも同じ割合で削減すれば、話はつくはずです。実は、それも、なかなか困難なのです。ブロックで行われる比例代表区は大選挙区制ですから、定数削減によって議席を得られなくなる現職の議員や候補者は特定されませんが、小選挙区では、その議員や候補者が特定され、利害関係者が明らかなので、大幅な削減が難しいのです。

 なお、一部の政党から比例代表連用制が主張されていますが、これは、衆議院全体を原則比例代表制にしようとするものであり、決められる政治を求めて、死票が増えることを認識しながら、小選挙区制を導入した経緯と全く矛盾するものであり、賛成することはできません。

 参議院の場合は、憲法の規定により、3年ごとに半数を改選することとされているので、定数削減がなかなか難しいのです。選挙区は、29の県で既に1人区となっており、これ以上減らしようがありません。そこで、当分、12ある2人区を1人区に削減するしかないのです。今回の4減というのは、この削減を2つの選挙区で行ったものです。一方で、削減だけでは定数是正ができないので、人口の多い神奈川県と大阪府に加算して4人区としたのです。結局、小選挙区での削減ができなかったので、比例代表区の削減も見送られました。

 故西岡武夫参議院議長は、ブロック選挙区一本化を提示しましたが、全国区の選挙区が分断される比例代表区議員からも、他府県に選挙地盤を持たない選挙区議員からも評判が良くなく、実現の見通しが立っていません。大都市の選挙区議員のみが有利になるからです。ブロック制を導入するのであれば、現職に有利な拘束名簿にするしかないと考えます。民主党は、鳥取県と島根県など一部の県の合区を主張していますが、余りに便宜に過ぎ、困難でしょう。

 さて、では、どうすればいいのでしょうか。まず、今となっては、衆議院では0増5減案を、参議院では4増4減案を先行実施するのが、現実的です。その後は、与野党とも、実現不可能な定数削減案を取り下げ、可能な範囲で選挙区と比例区を比例的に削減する案を策定すべきです。衆議院の小選挙区で12議席の削減を決めれば、比例代表区で8議席ぐらいの削減は可能でしょう。衆議院がそのくらいの削減であれば、参議院では10議席程度の削減を目指し、選挙区で6議席(3選挙区)、比例代表区で4議席(改選で2議席)程度の削減を行うことになります。合わせて30議席の削減では、削減率が5パーセントに足りませんが、実現性のある数字であると考えています。

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問責決議案の経緯(8月31日)

 8月29日(水)、参議院本会議で野田総理問責決議案が可決しました。野党間の調整に時間を要し、本会議の開会が大幅に遅れ、午後7時を過ぎての難産の可決でした。この問責決議案の可決に、二つの指摘があります。一つは、三党合意の下社会保障税一体改革を進め、重要法案が残る中で、なぜ今問責決議案を可決しなければならないのかという指摘です。もう一つは、可決されたのは少数会派が提出した決議案であって、その提案「理由」で三党合意を批判しているにもかかわらず、なぜ自民党が賛成したのかという指摘です。

 消費税増税は、民主党のマニフェスト違反であることは明確であり、自民党は、まず国民の信を問うてから、法律案を提出すべきであると一貫して主張してきました。しかし、野田総理は「法律を成立させてから、国民の信を問う。」として一歩も譲らず、衆議院の解散を拒否してきました。自民党としては、消費税率を当面10パーセントとすることは前回の参議院選挙の公約であり、やむを得ず、三党合意の手続を進めたところです。しかし、これは、社会保障税一体改革という個別の政策における連携に過ぎず、もとより民主党政権との対決姿勢を崩したものでは全くありません。

 個々の政策における与党との部分連合の例は、国家公務員給与の引下げ、郵政改革の見直しなどほかにもたくさんあり、これをもって問責決議案を提出するのはおかしいのではないかという指摘は、相当に的外れなものです。

 一方、三党合意を批判する問責決議案に自民党自ら賛成したのは自己矛盾であるという批判は、甘んじて受けざるを得ません。しかし、それには、万やむを得ない事情があったのです。

 少数会派7会派は、一体改革法案の採決の直前に、問責決議案を参議院に提出しました。これは、消費税増税に反対する少数会派の権利として、当然のことでしょう。しかし、自民党としては、一体改革法案の採決の前に、問責決議案を可決させて国会を止めることは、できませんでした。そこで、衆議院では内閣不信任案の採決を棄権しており、同じことを参議院の問責決議案の採決でも行うという選択肢はありました。その場合は、「一事不再議」のルールとの関係が問題でした。いろいろな解釈がありますが、問責決議案も1度否決されれば、同じ国会でもう問責決議案は提出できないのではないかという懸念がありました。そこで、議院運営委員会で、少数会派の問責決議案は本会議に上程しないことにしたのです。

 その後、今国会での法案処理に一定の目処がついたので、衆議院における民主党の強行採決などを受けて、自民党と公明党は、新たに問責決議案を提出しました。予測されたところですが、少数会派は「自分たちの問責決議案を棚上げしておいて、新たな問責決議案に協力せよとは、虫がよすぎる。」と主張したのです。もちろん、自民党から、決議案の共同提出や少数会派の決議案の手直しを提案しましたが、少数会派は、時点修正等のわずかな修正には応じたものの、共同提出には頑として応じませんでした。

 議院運営委員会では、自民党と公明党は、「多数会派が提出した問責決議案を本会議で先に採決すべきだ。」と主張しましたが、これにも、少数会派が応じません。委員会は25人編成であり、自民党と公明党の委員は12人であって、過半数に1人足りません。どちらも譲らなければ、自公案も、少数会派案も、本会議に上程されないことになり、与党民主党が喜ぶだけのことになってしまいます。そこで、自民党が、断腸の思いで、問責決議案では「理由」は議決対象ではないことから、少数会派の問責決議案に賛成することとしました。公明党は、筋を通して本会議では棄権することになりましたが、少数会派の決議案を本会議に上程することには、理解を示してくれました。

 これが、三党合意を批判する少数会派の提出した問責決議案に自民党が賛成せざるを得なかった経緯です。

 なお、いつものように「審議拒否をするのはけしからん。」という批判がされますが、今国会の会期もあと1週間余りです。処理すべき法案は、基本的には、処理を終わっています。処理を急がなければならないものは、公職選挙法改正案、公債特例法案、原子力規制委員会人事ぐらいなものです。公職選挙法改正案は、衆議院で与党民主党が強行採決し、にっちもさっちもいかなくしてしまいました。しかし、定数是正は、総選挙までに必ずやり遂げなければなりません。公債特例法案は、政府は「大変だ。」とあおっていますが、そうすぐに財政が行き詰まることはありません。粉飾財源である「交付公債」を「つなぎ国債」に修正しただけの法案に賛成するわけにはいきません。原子力規制委員会人事は、賛否は別にして早急に処理できるよう努力します。ただし、この人事には、与党民主党内に異論が残されています。

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今の政局をどう読むか(8月9日)

 政局に関連して、自公民の三党党首会談が行われ、「一体改革関連法案成立の暁には、近いうちに国民の信を問う」ことになりました。この決着をどう評価すれば、いいのでしょうか。

 当初の民主党側の回答である「近い将来」よりも一歩前進した表現となりましたが、それは大した話ではありません。与党と野党第一党の党首が差しで話し合った以上、そこには「約束」が出来たはずです。それは、解散総選挙の確約にほかならず、一定の成果であったと考えられます。一方、確かにその時期は曖昧なままであり、それが秋の臨時国会以降というのであれば、従前想定されていたことと余り変わりはなく、大きな変化はなかったことになります。

 この政局において、三党合意のつながりが強調されたことは、ある意味自民党に不利であったかもしれません。しかし、自民党は既に三党合意を決めており、後戻りすることはできません。党内や支援者の中の消費税増税に反対する人たちが、この機に乗じて、三党合意破棄を声高に主張しましたが、これは全く別の話であり、政局と混同すべきものではありません。

 自民党は、先の参議院議員選挙で消費税増税を政権公約として、戦いました。民主党のマニフェスト違反の消費税増税には、正直賛成したくはありません。消費税増税の決定前に国民の信を問うのが憲政の常道であります。しかし、野田総理が解散を決断しない中で、参議院で野党が多数をとっている現状に照らせば、苦渋の決断として、三党合意に踏み込まざるを得なかったのです。自民党が反対すれば、参議院で消費税法案をつぶせますが、野党の時につぶした法案を、与党になったときに再提案するというのは、とてもできません。

 自民党の戦略は、@ 民主党を分裂させる。A 民主党政権下で消費税増税を決めさせる。B 衆議院を解散させ、総選挙を行う。ことの三点です。@は、ほぼ達成しました。Aは、思ったより国民の風当たりが強く、自民党が世論の矢面に立っている感じがしますが、消費税増税は政治家がいつか背負わなければならない重荷です。仮にこれに反対すれば、それを適切とは思わない自民党支持者もたくさんいます。評判が悪くても、受けて立たなければなりません。Bは、当面の最終目標であり、今回の政局で、私は、一定の前進があったものと考えます。

 民主党は、間違いなく崩壊の過程をたどっていますが、問題は、自民党の支持率もそれに併せて低迷を続けていることです。国民もマスコミも、自民党政権に愛想を尽かして、一度はやらせてみようということで民主党政権を作ったが、余りのひどさに落胆したのでしょう。しかし、だからと言って、自民党政権に愛想を尽かしたことまで、見直しをしようという気にはなっていないのです。本来なら「民主党が悪い。」と言うべきところまで、「政治が悪い。」といって片付けてしまいます。

 自民党には、政治改革の気迫が見られないからだと思います。野党に転落したのであるから、今までの自民党の在り方を総括して、大いなる反省をし、党改革や政治改革に努めなければならなかったはずです。それが谷垣総裁の下で、ほとんど手つかずになっているのが事実です。

 私は、前回の選挙で「自民党を変える」ということを公約としました。もちろん、比例区における70歳定年制の遵守、シャドーキャビネットの設置、党幹部の政治資金疑惑の追及、政治改革報告書の作成などにも努力してきました。しかし、野党転落後、政権奪還のため、与党追及に重点を置かざるを得なくなりました。

 そうした結果、国民の目には、「自民党が変わった」と見えないのも、本当のところでしょう。反省しきりですが、そうは言っても、これ以上民主党政権を続けさせるわけにはいきません。全国で多くの若くて有望な落選議員、新人候補者が総選挙を満を持して待ち構えています。一刻も早い総選挙の実施が、自民党自身の新陳代謝を早め、党改革の実行につながるものと信じています。

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個人番号制度とは何か(6月25日)

 東京MXテレビに出演して「個人番号制度」について説明したところ、問い合わせが多いので、まとめておきます。政府提出の法案では、個人番号は、既にある住民基本台帳コードを基に全ての国民に付番することになっています。基本は、これだけの話です。民主党政権は、消費税増税の見返りの低所得者対策として、給付付き税額控除を将来実施することを検討しており、そのための道具として個人番号制度を実施し、個人所得の把握をしようとしています。

 自民党は、経費と手間の掛かる給付付き税額控除には反対しており、消費税の軽減税率の実施を主張しています。今回は、このことは、論じません。しかし、自民党も、納税者番号制度の実施は、公平な納税のために必要と考えてきたところです。そこで、政府提出法案には様々な欠陥があることから、現在修正協議を行っており、それが受け入れられれば、個人番号制度の導入には、社会インフラとして賛成する考えです。

 話を個人番号制度に戻します。日本は、漢字の国です。しかし、中国語や韓国語のように漢字の読みが一通りであればいいのですが、日本の漢字にはたくさんの読みがあります。そのため、漢字の氏名からは個人の特定が困難なこともしばしばあり、コンピュータ時代の事務処理が停滞することがあります。そこで、一人一人に番号を与えることにより、事務処理の効率化を目指そうとするものです。これにより、なかなか名寄せが困難で問題が起きた年金の事件などが今後生じなくなります。

 もう一つのメリットは、将来、情報システム間の連携ができるようになります。法律の根拠が必要ですのですぐにはできませんが、例えば運転免許証の書き換えで、住民票の住所変更手続を市役所で行えば、運転免許証の住所も自動的に変更できるようになれば、大変便利です。

 そして、税金の公平な課税のため、この仕組みを使って、個人の所得や資産をしっかり把握することができるようになります。アメリカでは、銀行口座を開設する時に、社会保障番号の提示が必要ですが、日本では、「まだそこまでは考えていない。」と政府は答弁しています。そのほか、個人番号制度の実施に伴って国民に交付される「個人番号カード」を使って、医療関係では、医療機関で本人の同意の下に他の病院での検査記録が見れるようにすることも考えられます。市町村の図書館カードとの統合も、可能です。さらに、将来的には、個人番号カードに民間の会員カードなどを乗せることもできるようになります。

 政府の法案では、当初は、納税、年金及び防災にしか、個人番号を用いないこととしていますが、将来は、健康保険や医療の分野で活用するほか、民間利用にも対応できるよう検討を進めることとしています。地方公共団体での利用も認められており、上記の図書館カードなど様々な発展可能性を有しています。住民基本台帳カードについては、個人番号カードに変わることになります。

 こうした話をすると、「個人情報が政府によって一元的に管理されるのではないか。」という懸念が必ず表明されます。しかし、個人番号制度は、決して個人情報を一元管理するものではありません。まず、この制度は、個人番号を全国民に付番するだけであり、個々の情報は、例えば税金、年金、健康保険ごとに、今までどおり個々の情報システムで分散管理されます。政府の役人がパソコンに個人番号を入力したら、その人の情報が一覧表で出てくるようには決してならないのです。そして、その情報システム間の連携をする場合は、法律の根拠がある場合に限られることとしています。

 そのため、今回の法案の修正協議では、個々の情報システムに個人番号の使用を義務付けないことを求めています。個人番号でない番号制度を「利用番号」と呼ぶのですが、例えば健康保険では、個人番号ではなく、独自の健康保険証番号を用いることを現在検討しています。こうしたことを通じ、「総背番号制」との批判を受けないよう配慮しています。あわせて、個人が自分のパソコンでアクセスできる「マイポータル」を設け、個々の情報システムが自分のどのような個人情報を保持しているか、その情報に誰がいつアクセスしているか、などを知ることができるようにします。マイポータルにより、個人も、自ら情報管理をすることがでいます。

 個人番号カードには、住基4情報、すなわち、氏名、性別、生年月日及び住所のほか、個人番号と写真が記載されます。政府案では、写真の任意撮影が必要なため、カードは申請に基づく任意交付としていました。しかし、これでは不便であることを、私が予算委員会で追及したので、最初全国民に写真のない仮カード(通知カード)を交付し、これだけでも運転免許証などと併せて提示することにより、最低限の機能を利用できることとしました。仮カードを市役所等に持参して顔写真を撮影すれば、写真付きのICカードである本カードにグレードアップされます。現在、そういう法案の修正協議を行っています。

 個人情報の保護は、最重要な課題です。そのため、政府案では、独立した個人情報保護委員会を設置することとしています。自民党は、この委員会の権限を更に強化すべきであるとして、法案の修正を求めています。具体的には、この委員会に、ソフト的な話だけではなく、情報システムのハード部分についても、監視権限を付与することを考えています。それでも、悪いことをする人がいるかもしれませんので、個人情報の漏洩に対しては、厳罰をもって対応する考えです。こうしたことを含め、引き続き、政府与党との修正協議を進めていきます。

個人番号制度における情報提供のイメージ(pdf)

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社会保障・税一体改革協議(6月17日)

 社会保障・税一体改革の三党協議がまとまりました。まだ、与党内手続や国会の審議が残されており、今後どんなことが起きるか予断を許しません。しかし、これまでのところで、国会で何が起きているのか、自民党は、責任野党としてきちんと説明する義務があります。

 ネットなどを通じ、これまでの寄せられた疑問や批判には、大きく二つのものがありました。一つは、既に崩壊しかかっている与党民主党のマニフェスト違反の消費税増税に、なぜ自民党が加担するのかということです。もう一つは、これだけデフレ、不景気が続いている中で、消費税増税を行えば、経済が一層悪化し、増収さえも見込めないのではないかということです。

 まず、消費税増税は、民主党の大きなマニフェスト違反であり、直ちに衆議院を解散し、国民に信を問うべきであるという考えは、いささかもゆらいでいません。このことは、国会審議を通じ、何度も追及していることです。しかし、解散権は総理大臣にあり、簡単に解散に追い込むことはできないことは、御承知のとおりです。

 一方で、前回の参議院選挙で、自民党は、消費税率を「当面10パーセント」にすることを政権公約に掲げて戦いました。それを、当時の菅総理が「自民党が10パーセントと言うから、民主党も参考にする。」と言って同党が選挙に大敗したのは、記憶に新しいところです。したがって、増税をいつ行うかの問題はありますが、消費税増税を先に打ち出したのは、自民党です。

 さらに前、自民党は、与党時代の平成21年度の税制改正で1週間に及ぶ大議論を行い、税制改正法附則第104条に「経済情勢の好転を前提として」平成23年度末までに必要な法制上の措置を講ずることと規定したところです。この文案の作成には、私も、参画しています。

 こうしたことを総合的に勘案したとき、消費税増税は確かに民主党のマニフェスト違反であるが、今衆議院で多数を取っている民主党が消費税増税を打ち出しているときに、それをつぶしてしまっていいのかという議論がありました。自民党が、消費税増税に反対するということは、参議院で野党が過半数を占めている現状に照らせば、それをつぶしてしまうことになります。ここが、難しい政治判断であり、消費税増税が自民党の政策と矛盾しない以上、修正を行った上で、賛成すべきであると判断したところです。

 次に、「今増税すれば景気を減速することになる。」という意見があります。それは全く同感です。税制改正法附則第104条に「経済情勢の好転を前提として」と規定したのは、正にそのことの懸念があるからです。しかし、仕組みの上では、政府案と似ていますが、今すぐ増税するわけではありません。平成26年4月から8パーセント、平成27年10月から10パーセントとすることを、一応セットしています。その上で、最初の消費税増税の6月前である平成25年10月までに、社会保障の全体像を明らかにした上で、その時点の景気の状況を十分勘案して、時の政権が増税の実施の可否を最終的に政治判断するという仕組みにしたところです。

 平成25年10月までには、必ず衆議院議員総選挙も、参議院議員通常選挙も施行されています。選挙の洗礼を受けた新しい政権が消費税増税の最終判断をすることになります。今回の消費税法案がそのまま消費税増税につながる仕組みにはなっていないのです。それならば、「なぜ今消費税法案を成立させるのだ。」という疑問があるでしょう。ここが難しい点ですが、国民にとって増税は歓迎する施策ではありません。したがって、与野党が合意できる時に、路線を引いておくことが必要なのです。今つぶして先送りしてしまえば、次はいつ消費税増税議論ができるか分かりません。そう政治判断したところです。

 次に、「社会保障を棚上げしたものだ。」という批判があります。社会保障・税一体改革と言いながら、今衆議院で審議されている7法案の中には、医療及び介護に関するものは全くなく、年金に関するものも抜本改革は先送りされており、審議可能な法案が提出されているのは子育てに関するものだけに過ぎません。その子育ても、政府与党の眼目であった「総合こども園」の創設は、自民党の反対により断念したので、結局「一体改革」と言いながら社会保障の全体像を示すことのできる法案は、最初から全くなかったと言っても誤りではありません。したがって、「棚上げ」をしたわけではなく、民主党が守ろうとする社会保障の施策などもとより何もなかったのです。だから、1年間掛けて「社会保障国民会議」で一から議論し直すしかないのです。

 自民党の中にも、「最低保障年金の断念」や「後期高齢者医療の原則維持」について、きちんと民主党に約束させるべきだという意見があります。確かに多少玉虫色の決着になったのは事実ですが、これらの民主党の政策はそもそも不可能な政策であり、1年間の「社会保障国民会議」の議論を経てよみがえることは絶対にあり得ないと考えます。そこまで考えれば、民主党の国民を欺いてきたマニフェストは、事実上撤回されたものと考えていいのです。

 次に、消費税増税の前提として、景気回復をしっかり図っていかなければなりません。先ず、大幅な金融緩和を行わせてデフレ経済を脱することが何よりも重要です。その上で、自民党は、国土強靱化対策を打ち出しています。「また自民党のバラマキが復活した。」などとやゆする人たちがいますが、国土強靱化は、防災対策です。東日本大震災の教訓を強く胸に置き、安心安全な国土作りに努力することは、決してバラマキではありません。そして、それが景気回復にも寄与するのであれば、国民にとって望ましい政策です。

 1,000兆円になろうとする国・地方の借金は、消費税増税をしたぐらいで、減るものではありません。5パーセント増税しても、13兆円程度です。今必要なのは、国内総生産を増やして我が国の経済規模を拡大し、国の財政の規模も拡大していくことです。そのことが、国民福祉の充実に必ずつながっていきます。そのための景気対策の強力な実施を、引き続き、強く求めていきます。

 増税は、なかなか国民の理解を受けにくい施策です。しかし、将来の私たちの生活を考えれば、一定程度の負担の増はやむを得ないことです。実際の実施時期を十分に見定めながら、景気回復にも努力してまいります。なお、民主党内の反主流派が反対を唱えて行動しており、何が起きるか分かりません。いずれにせよ、早期解散総選挙は、避けられない段階に入ってきました。

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憲法改正草案解説(番外編・終)(6月12日)

 憲法改正草案を発表して1か月を超えましたが、大方の御支持を頂いているのは、うれしい限りです。一方で、反対意見も出そろってきた感じがしますが、その中には、感覚的な批判が多く、余り法律論に基礎を置くものは少ないように思われます。

 第一に、前半の天皇、安全保障及び国民の権利及び義務の章で保守回帰的な内容だとする批判があります。自民党は、保守政党であり、その主張を憲法改正に反映しようとして草案を策定したのですから、このことは、批判というよりも、賞賛とも受け取れます。少し個別の議論をしてみましょう。

 まず、第1章で天皇を元首として定め、国旗・国歌及び元号の規定を設けました。このことをもって保守的と言われるのであれば、そのとおりです。しかし、天皇が元首であることは外交プロトコル上も紛れもない事実であり、国旗国歌法も、元号法も、現行法として存在しています。今までなかったことを新たに憲法に規定したのではなく、今まで決められていたことを明示的に憲法に規定しただけのことです。天皇の公的行為の規定の追加も、学説に従ったまでのことです。したがって、現在の象徴天皇制を何ら変えようとするものではありません。

 次に、第2章で平和主義を定める戦争の放棄についての規定は基本的に現行のままとし、自衛権について明文の規定を置いて、自衛隊に代えて国防軍を置くこととしました。自衛権を保持することは、国家の当然の権利、自然権であります。軍隊の保持については、世界中の国家を見ても、都市国家のようなものを除き、一定規模以上の人口を持つ国家において軍隊を保持していないのは、日本だけであります。自衛権も、軍隊も、世界標準のことを定めたにすぎません。集団的自衛権について、今回の草案策定に当たって直接議論したわけではありませんが、集団的自衛権は国連憲章が認める権利であり、その権利を保持し、行使できるようにすることは、年来の自民党の主張であります。もちろん、実際にそれをどのように行使できるようにするかは、法律の規定に委ねられます。

 次に、第3章で人権の調整原理として従来の「公共の福祉」に代えて「公益及び公の秩序」を導入しました。「公共の福祉」という文言が曖昧であることから、通常使われる「公益」という言葉に読み替えたものです。「公益」とは「公共の利益」のことですから、意味合いは変わっていません。確かに「公の秩序」を加えた分だけ幾分制限的な文言になりましたが、「公の秩序」とは、「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活をいうものと考えます。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、このことにより人権が大きく制約されるものではありません。

 第二に、国会、内閣及び裁判所の統治機構について大きな改正をしなかったことについて、批判があります。特に一院制の導入や衆議院の再議決権の緩和を盛り込まなかったことについては、ねじれ国会の現状を踏まえ、党内でもなお意見が残っています。今回の草案作りは、サンフランシスコ平和条約発効60周年を機に、平成17年の新憲法草案を土台として、自主憲法と呼ぶにふさわしい新たな憲法案を策定することにありました。したがって、大きな統治機構の改変は、別の機関で個別の議論を深めることによって具体化すべきであると考えたところです。
 また、党内においても、一院制の導入について、圧倒的な賛同が得られるという状況にないことも、正直なところです。まず、「二院制の問題点をきちんと洗い出して、参議院改革を模索する方が先ではないか。」という意見も、有力でした。
 いずれにしても、統治機構の大きな改革を盛り込まなかったことについては、今回の草案策定作業の一つの限界であったことは、率直に認めなければなりません。

 第三に、一章を設けて緊急事態について規定を設けたことについては、多数の評価を頂いています。東日本大震災の対応の不手際などを反省し、緊急事態において、国家が機敏な対応をとれるよう規定を設けたものです。しかし、一部で、緊急事態において、国等が発する指示に対して、国民の遵守義務を定めたことについて、批判をする人もいます。言うまでもなく、緊急事態における国等の指示は、事態から国民の生命、身体及び財産を守るために発せられるものであり、それに国民が従うのは、当然のことであります。国家の緊急事態においては、国民の最大の人権であるその生存を守るために、より小さな人権が制限されることは、やむを得ません。しかし、実際国民保護法の前例を見ると、人権の制限は、財産権の極めて限定的なものしか規定されておらず、思想信条の自由などの基本的人権を制限することはあり得ないと考えています。

 以上のように、様々な御批判に対しては、十分対応できる憲法改正草案であると考えているところです。もちろん、憲法は、政治思想と大きく関わっているものであり、実際に憲法を改正する段階になると、様々な議論が出てくるのは、当然のことであります。できるだけ多くの国民の皆さんの合意が形成できるよう、しっかりと議論をして、必要な修正をすることは、全くやぶさかではありません。次の段階では、多くの御意見を謙虚に受け止め、より充実した憲法改正草案に磨き上げていくことも、必要です。

※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
※「憲法改正草案」は、こちらを御覧ください。

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憲法改正草案解説(9)・改正/最高法規/附則/前文(5月31日)

 第10章 改正

 第100条の改正において、第1項で、衆参両院における憲法改正の議決要件を「3分の2以上」から「過半数」に緩和しました。現行憲法は、憲法改正の国民投票に付す前に国会の発議に両院で3分の2以上の賛成を要するいわゆる硬性憲法であり、その中でも世界で最も改正しにくい憲法となっています。憲法改正は国民投票に付して国民の意見を直接問うわけですから、その前提手続を余りに厳格にするのは、かえって国民の意思を反映しないものではないかと考えたからです。
 党内議論の中で、「過半数というのでは通常の議決と同じであり、それでは憲法が簡単に改正できてしまうので、両院の議決要件を10分の6以上としてはどうか。」という意見もありました。しかし、3分の2と10分の6では余り差はなく、法令上議決要件を10分の6とする前例もないことから、多数の意見を採用して過半数としたところです。
 このほか、憲法改正は、衆議院又は参議院の議員が発議するものとし、両院の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案するものとするとともに、国民の投票では有効投票の過半数が必要であることとする変更をしています。
 第2項で、憲法改正が成立した場合の天皇による公布手続について、「国民の名で、この憲法と一体をなすものとして」の部分は意味不明の規定であることから、削除しています。こういう部分も、翻訳調と考える所です。特に「この憲法と一体をなすものとして」の部分は、修正事項を当初の法令の後に追加的に規定するアメリカの法制を前提とした文言であると考えられます。

 第11章 最高法規

 現行憲法第97条は、削除しました。現行憲法には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と規定されています。一見立派な文章でありますが、誰が読んでも、この記述は、西欧の市民革命に始まる歴史を意識して書かれたものであることは、明白です。正に、英文原稿を翻訳して制定された憲法の痕跡があります。また、最後の「信託されたものである」の部分は意味不明であり、天賦人権説の色濃い文言です。
 また、基本的人権の尊重は、憲法改正草案の前文でもきちんとうたいました。さらに、第3章の国民の権利及び義務の章、特に第11条で基本的人権の保障はきちんと規定しており、それで十分と考えたところです。

 第101条の憲法の最高法規性等は、変更していませんが、第1項で、党内議論の中で、「法令の列挙の規定で、『詔勅』は、削除できないか。」という意見がありました。しかし、法律の効力を有する物価統制令や政令の効力を有する位階令などが勅令として現存しており、そのままとしました。

 第102条の憲法尊重擁護義務については、次のように規定しました。

  (憲法尊重擁護義務)
 第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
 2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

 第1項で、国民の憲法尊重義務を規定しました。党内議論の中で、「国民は、『遵守義務』でいいのではないか。」という意見がありましたが、憲法も法であり、遵守するのは当然のことであって、規定を置く以上「遵守」では足らないので、一歩進めて憲法尊重義務を規定したところです。遵守との違いは、「憲法の規定に敬意を払い、その実現に努力する。」ということでしょうが、飽くまで訓示規定であり、具体的な憲法解釈上の効果があるわけではありません。
 第2項で、公務員の憲法擁護義務を規定しました。国民に憲法尊重義務を求める以上、公務員には更に一歩進めて憲法擁護義務を求めたものです。尊重義務との違いは、「憲法の規定が守られていない事態に対して、積極的に対抗する。」ということでしょうが、これも飽くまで訓示規定であり、具体的な憲法解釈上の効果があるわけではありません。
 また、現行憲法第99条において、憲法尊重擁護義務の主体として天皇及び摂政が規定されていますが、政治的権能を有しない天皇及び摂政に憲法擁護義務を課すことはできないと考え、規定しませんでした。
 なお、この規定を根拠として、従来「閣僚は、憲法改正を議論できない。」とする趣旨の答弁が行われることがありましたが、憲法の擁護とは現行憲法を守ることを求めるものであって、将来の憲法改正を議論することが直ちにこの規定に違反するものではないと考えます。

   附 則

 現行憲法では、施行期日や経過措置については、「第11章 補則」の章を置いて通し条(条番号を本則と通算すること。)で規定されていましたが、憲法改正草案では、現在の法制に倣い、本則とは別に附則を置いて規定することとしました。附則の具体的な内容については、説明を省略します。

   前 文

 最初に戻って、前文を解説します。前文は、次のように規定しました。

 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。


 平成17年の憲法草案でも、前文は全部書き換えを行いましたが、今回は更に全部書き換えを行いました。現行憲法の前文は、全くの翻訳調でつづられており、日本語としての違和感を感じます。アメリカのリンカーン大統領が演説した「人民の、人民による、人民のための政治」の趣旨が取り入れられていることは、有名です。特に問題なのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という部分です。これは、ユートピアの発想による自衛権の放棄にほかなりません。こうしたことから、前文の全部書き換えは、不可避と考えたところです。

 前文は、文飾にこらず、日本語らしく分かりやすい短い文章で表現することを心掛けました。党内議論の中で、「文章の専門家に書いてもらってはどうか。」という意見がありましたが、具体的な規定ではない前文について様々な意見が出されている中で、特定の人に書いてもらうというのも、困難な状況にありました。
 全体を通じ、日本国憲法の三大原則である主権在民、平和主義及び基本的人権の尊重について、きちんと書き込みました。その上で、自民党の主張である自助、共助を大切にすることを中心に据えました。

 第一段落では、いわゆる国体について、象徴としての天皇を戴く国家であることを明らかにし、かつ、主権者である国民の下に、三権分立に基づいて統治される国家であることをうたいました。
 第二段落では、戦後の歴史に触れた上で、平和主義に徹するとともに、世界の平和と繁栄のために貢献することをうたいました。
 第三段落では、国と郷土を自ら守り、家族や社会が助け合って国家を形成する自助、共助の精神をうたいました。その中で、基本的人権を尊重することを求めました。党内議論の中で、「和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性である。」という意見を受けて、最終段階で、「和を尊び」の文言を挿入しました。
 第四段落では、自民党の綱領の精神である「自由」を掲げるとともに、自由には規律を伴うものであることを明らかにした上で、国土と環境を守り、教育と科学技術を振興し、活力ある経済活動を行うことをうたいました。
 第五段落では、伝統ある我が国を長く子孫に継承することをうたい、新憲法を制定することを宣言しました。

※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
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憲法改正草案解説(8)・緊急事態(5月28日)

 第9章 緊急事態

 第8章の次に1章2条を設け、「緊急事態」について規定しました。東日本大震災における政府の対応の反省から、有事や大規模災害などが発生したときに、緊急事態の宣言を行い、内閣総理大臣等に一時的に緊急権限を付与することができることなどを規定しました。

  (緊急事態の宣言)
 第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
 2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
 3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、100日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、100日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
 4 第2項及び前項後段の国会の承認については、第60条第2項の規定を準用する。この場合において、同項中「30日以内」とあるのは、「5日以内」と読み替えるものとする。

 第1項で、内閣総理大臣は、外部からの武力攻撃、内乱等の社会秩序の混乱、大規模な自然災害等が発生したときは、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができることとしました。ここで重要なことは、緊急事態の宣言を発したら内閣総理大臣が何でもできるようになるわけではなく、その効果は次の第99条に規定されていることに限られているということです。この理解を誤ると、様々な誤解が生じます。よく「戒厳令か。」などと言う人がいますが、決してそのようなことではありません。第99条に規定している効果を持たせたいときに、緊急事態の宣言を行うのです。
 ここに掲げられている事態は例示であり、どのような事態が生じたときにどのような要件で緊急事態の宣言を発することができるかは、具体的には法律で規定されます。「社会秩序の混乱」には、当初テロリズムを掲げていたのですが、党内議論の中で、「『内乱』の方が適切ではではないか。」との指摘があり、「内乱等」と規定することにしました。
 同項で最も議論されたのは、「宣言を発するのに閣議にかける暇はないのではないか。」ということでした。しかし、内閣総理大臣の専権にするには余りに強大な権限であること、また、次の第99条に規定されている宣言の効果は1分1秒を争うほどの緊急性を要するものではないことから、原案どおりとしたところです。例えば「我が国に対してミサイルが発射されたときに、それを迎撃するのに、閣議決定していては、間に合わないではないか。」 などと質問されますが、そうしたことは第9条の2などの別の法制で考えるべきことであり、緊急事態の宣言とは、直接関係はありません。
 第2項で、緊急事態の宣言には、事前又は事後に国会の承認が必要であることを規定しました。当然事前の承認が原則ですが、緊急事態に鑑み、事後になることもあり得ると考えられます。
 第3項で、緊急事態の宣言の終了について、規定しました。この規定は、原案にはなく、法律事項とする考えでしたが、党内議論の中で、「宣言は内閣総理大臣に対して強大な権限を与えるものであることから、授権の期間をきちんと憲法上規定すべきだ。」という意見があり、その期間を100日とする規定を設けたところです。そのほか、国会が宣言を解除すべきと議決したときにも、宣言は解除されるものと規定しました。
 第4項で、緊急事態の宣言の承認の議決及びその継続の承認の議決については、衆議院の議決が優越することを規定しました。宣言の解除の議決については、衆議院の優越はありません。また、参議院の議決期間は、緊急性に鑑み、5日間としました。

  (緊急事態の宣言の効果)
 第99条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
 2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
 3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第14条、第18条、第19条、第21条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
 4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 第1項で、緊急事態の宣言が発せられたときは、内閣は緊急政令を制定し、内閣総理大臣は緊急の財政支出を行い、地方自治体の長に対して指示できることを規定しました。ただし、その内容は法律で規定され、何でもできるというわけではありません。
 緊急政令は、現行法にも、災害対策基本法と国民保護法に3件の例があります。したがって、必ずしも憲法上の根拠が必要ではありませんが、根拠があることは望まれるところです。この規定が置かれれば、以後緊急事態以外で緊急政令を制定することはできなくなります。緊急政令は、制定後直ちに国会を召集して承認を得なければならないのが現行法の例です。なお、現行法では、国会の開会中は緊急政令を制定できませんが、この規定が施行されたときにどうするかは、今後の立法政策に委ねられるものと考えます。
 緊急の財政支出の具体的内容は、法律で規定されます。予備費があれば、先ず予備費で対応するのが原則です。
 地方公共団体の長に対する指示は、現行法において憲法上の根拠がなくても可能です。したがって、この規定を置くことによって、緊急事態以外では地方自治体の長に対して指示できないと反対解釈されると困るので、これは、為念規定(念のための規定)と考えるべきでしょう。
 第2項で、第1項の緊急政令の制定と緊急の財政支出について、事後に国会の承認を得ることが必要であることを規定しました。緊急政令は、承認が得られなければ直ちに廃止しなければなりませんが、緊急の財政支出は、承認が得られなくても既に支出が行われた部分の効果に影響を与えるものではないと考えるべきでしょう。
 第3項で、緊急事態の宣言が発せられた場合には、国民は、国や地方自治体等が発する国民を保護するための指示に従わなければならないことを規定しました。現行の国民保護法において、こうした憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかったことを踏まえ、法律の定める場合には、国民に対して指示できることとするとともに、それに対する国民の遵守義務を定めたものです。「国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置」という部分は、党内議論の中で、「国民への指示は何のために行われるのか明記すべきだ。」という意見があり、それを受けて規定したものです。
 後段の基本的人権の尊重規定は、武力攻撃事態対処法の基本理念の規定をそのまま援用したものです。党内議論の中で、「緊急事態の特殊性を考えれば、この規定は不要ではないか。」、「せめて『最大限』の文言は削除してはどうか。」などの意見もありましたが、緊急事態においても基本的人権を最大限尊重することは当然のことであるので、原案のとおりとしました。逆に「緊急事態であっても、基本的人権を制限するのは、けしからん。」と言う人もいますが、国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るために、そのため必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得るものと考えます。
 第4項で、緊急事態の宣言が発せられた場合は、衆議院は解散されず、国会議員の任期の特例や選挙期日の特例を定め得ることを規定しました。東日本大震災の後、被災地の地方議員の任期や選挙期日を法律の特例により延長したことは、周知のとおりです。しかし、国会議員の任期や選挙期日は憲法に直接規定されているので、法律でその例外を規定することはできません。そこでその特例を定め得ることとするとともに、衆議院はその間解散されないこととしました。
 党内議論の中で、「衆議院が解散されている場合に緊急事態が生じたときは、前議員の身分を回復させるべきではないか。」という意見もありましたが、衆議院議員は一度解散されればただの人になるのであり、憲法上参議院の緊急集会も認められているので、その意見は採用しませんでした。それに対し、「いつ総選挙ができるか分からないではないか。」という意見もありましたが、緊急事態下でも総選挙の施行が必要であれば、通常の方法ではできなくとも、期間を短縮するなど何らかの方法で実施することになるものと考えます。なお、参議院議員の通常選挙は、任期満了前に行われるのが原則であり、参議院議員が大量に欠員になることは通常ありません。

※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
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憲法改正草案解説(7)・財政/地方自治(5月24日)

 第7章 財政

 第83条の財政の基本原則において、第2項を加え、「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。」と、規定しました。財政の健全性を初めて憲法上の価値として規定したものです。党内議論の中で、この条文に「収支の均衡を旨として」という文言を入れるかどうか、かなり論議が行われました。最終的には、「そこまで明示的に書き込むのは厳しい。」という意見が強く、入れないことになりました。具体的な健全性の基準については、法律で規定されるものです。

 第86条の予算において、第2項で、補正予算の規定として「内閣は、毎会計年度中において、予算を補正するための予算案を提出することができる。」と新たに規定するとともに、第3項で、暫定予算の規定として「内閣は、当該会計年度開始前に第1項の議決を得られる見込みがないと認めるときは、暫定期間に係る予算案を提出しなければならない。」と新たに規定しました。第3項については、平成17年の憲法草案では、暫定予算も成立しなかったときは内閣は法律の定めるところにより必要な支出をすることができる旨の規定を置いていたのですが、党内議論の中で、「国会の予算議決権を侵すものだ。」という意見が強く、結果的に全く反対の規定になりました。
 第4項で、複数年度にわたる予算について、「毎会計年度の予算は、法律の定めるところにより、国会の議決を経て、翌年度以降の年度においても支出することができる。」と、明示的な規定を新設しました。これは、現行制度でも認めている繰越明許費、国庫債務負担行為、継続費などを憲法上も認めるとともに、いわゆる複数年度予算についても、法律の定めるところにより、実施可能とするものです。

 第89条の公の財産の支出及び利用の制限においては、第1項で、信教の自由に関する規定の変更に伴い、宗教活動に対する公金支出等の制限の対象から社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものを除くこととしました。これにより、地鎮祭等における玉串料の支出は、可能となるものと考えます。
 第2項の慈善、教育又は博愛の事業に対する公金支出の制限の規定については、従来、私学助成に関し、議論が行われてきました。私学においても、その設立や教育内容について、国や地方公共団体の一定の関与を受けていることから、「公の支配に属し」ており、私学助成は違憲ではないという解釈が確立しています。しかし、私学の建学の精神に照らして考えると、「公の支配に属する」というのは適切な表現ではなく、平成17年の憲法草案で「国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及」ぶという表現に緩和したところです。
 党内議論の中で、それでも、「教育に対する公金支出の制限の規定は、教育の重要性を考えると、おかしいのではないか。」という意見が出されました。しかし、朝鮮学校において反日的な教育が行われている現状やこれまでの判例の積み重ねもあり、基本的には現行規定を残すこととしました。仮に「教育」を削除すれば、この規定を含めて様々な規定の調整が必要となり、単純な文言の削除とはならないということも、ありました。

 第90条の決算の承認等においては、平成17年の憲法草案において、決算を単なる国会への報告事項から国会の承認事項とする変更が行われていましたが、党内議論の中で、参議院側から、「決算を通常の議案とすると、まず衆議院に提出され、その承認を受けてから、参議院に送付されることになる。衆議院で不承認となれば、送付もされないことになる。それでは、『決算の参議院』の役割が果たせない。」との意見がありました。そこで、決算報告は、同時に「両議院に提出」することとしました。
 さらに、党内議論の中で、「決算について承認事項とする以上、その効果を持たせる必要がある。」という意見が大勢を占め、新たに第3項を加え、「内閣は、第1項の検査報告の内容を予算案に反映させ、国会に対し、その結果について報告しなければならない。」と規定しました。こう規定することにより、会計検査院の検査の実効性が飛躍的に高まるものと考えます。

 第8章 地方自治

 第92条において、地方自治の本旨に関する規定を新設しました。

  (地方自治の本旨)
 第92条 地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う。
 2 住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う。

 第1項及び第2項ともに、ある意味当然のことを規定しただけですが、従来「地方自治の本旨」という文言が無定義で用いられていたことから、明確化を図ったものです。また、自治の精神をより明確化するため、これまで「地方公共団体」とされてきたものを、一般に用いられている「地方自治体」という用語に改めました。

 第93条の地方自治体の種類、国及び地方自治体の協力等において、第1項で「地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括する広域地方自治体とすることを基本とし、その種類は、法律で定める。」と規定し、現行憲法で言及されていなかった地方公共団体の種類について言及しました。地方自治が二層制を採ることは、これまでどおりです。「基本と」するとは、基礎地方自治体及び広域地方自治体以外にも、地方自治体には、一部事務組合、広域連合、財産区などがあることから、そう規定したものです。
 道州制については、今回憲法改正草案には直接盛り込みませんでしたが、自民党の道州制推進本部においては、原則憲法改正を行わないで道州制の導入を検討することとされており、道州を広域地方自治体と位置付ければ、この憲法改正草案のままでも、道州制の導入は可能であると考えています。その際、横浜市などが道州の下に入らない「特別市」とすることを提唱していますが、仮にその意見を採用しても、「基本と」すると規定していることから、部分的に地方自治が一層制になっても差し支えないものと考えています。
 第3項で、「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない。地方自治体は、相互に協力しなければならない。」と規定し、国と地方自治体間、地方自治体同士の協力について定めました。東日本大震災の教訓に基づくものです。

 第94条の地方自治体の議会及び公務員の直接選挙において、第2項で「地方自治体の長、議会の議員及び法律の定めるその他の公務員は、当該地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する。」と規定し、「日本国籍を有する者」という文言を挿入しました。言うまでもなく、外国人地方参政権の導入に反対する意図を明確にしたものです。

 第95条の地方自治体の権能において、地方自治体の条例が「法律の範囲内で」制定できることについては、変更しませんでした。「上書き権」のようなことも議論されていますが、こうしたことは個別の法律で規定することが可能であり、国の法律が地方の条例に優先するという基本は、変えられないと考えたところです。

 第96条に地方自治体の財政に関する規定を新設しました。平成17年の憲法草案の中にも規定されていましたが、多少分かりやすい表現に直しました。

  (地方自治体の財政及び国の財政措置)
 第96条 地方自治体の経費は、条例の定めるところにより課する地方税その他の自主的な財源をもって充てることを基本とする。
 2 国は、地方自治体において、前項の自主的な財源だけでは地方自治体の行うべき役務の提供ができないときは、法律の定めるところにより、必要な財政上の措置を講じなければならない。
 3 第83条第2項の規定は、地方自治について準用する。

 この条の規定も、ある程度当然のことを定めたものでありますが、第1項で、地方自治は自主的財源に基づいて運営されることを基本とすることを明確に宣言したものです。「地方交付税は、第1項の財源に当たるのか。」という質問をよく受けますが、地方交付税は同項の自主的な財源に当たるものと考えています。
 第2項は、国の地方財政の保障義務を定めたものと考えていいでしょう。
 第3項で、国の財政健全性の確保に関する規定を準用しました。

 第97条の地方自治特別法の規定は、特定の地方公共団体に対してのみ適用される法律については、当該地方公共団体の住民の投票に付して同意を得なければ制定できないことを定めたものですが、平成17年の憲法草案では、最近適用例がなく、また、要件が不明確なことから、削除することとされていました。しかし、実際にそのような法律を制定する場合に、住民の同意を得る手続が不要であるとするのには問題があり、今回、適用要件の明確化を図った上で、復活させることとしました。

  (地方自治特別法)
 第97条 特定の地方自治体の組織、運営若しくは権能について他の地方自治体と異なる定めをし、又は特定の地方自治体の住民にのみ義務を課し、権利を制限する特別法は、法律の定めるところにより、その地方自治体の住民の投票において有効投票の過半数の同意を得なければ、制定することができない。

※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
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憲法改正草案解説(6)・内閣/司法(5月21日)

 第5章 内閣

 第65条の内閣と行政権において、行政権の所属を「この憲法に特別の定めのある場合を除き」、内閣に属するものと規定しました。最高裁判所の司法行政権、内閣から独立した会計検査院、地方自治などの内閣の行政権の例外を意識して規定したものです。

 第66条の内閣の構成及び国会に対する責任において、第2項で国務大臣の文民資格を分かりやすく「現役の軍人であってはならない」と規定しました。国防軍を設置することとしたことから、「文民」という文言の意味が曖昧になったので、書き換えたものです。現行法制では、自衛官が現役のまま国務大臣になることは、できません。元自衛官が文民に当たり、国務大臣になれることは、憲法慣例ができています。予備役の軍人について質問がありましたが、「現役」と規定している以上、招集されない間は、この規定の適用がないものと考えます。

 第70条の内閣総理大臣が欠けたとき等の内閣の総辞職等において、第2項を新設し、「内閣総理大臣が欠けたとき、その他これに準ずる場合として法律で定めるときは、内閣総理大臣があらかじめ指定した国務大臣が、臨時に、その職務を行う。」と、規定しました。従来内閣総理大臣に不慮の事故が起きたときの憲法規定が未整備であったため、安全保障上の問題があり、明文の規定を置いてその臨時代行者を置くことができることとしたものです。例えば内閣総理大臣が死亡したときは、内閣総辞職を閣議で決定すべきですが、その閣議の主宰者に誰がなるのか、内閣法には規定があるものの、憲法上明確ではなかったのです。
 「内閣総理大臣が欠けたとき」とは、一般に死亡したときをいいますが、国会議員の資格を失ったときもあり得ます。「その他これに準ずる場合として法律で定めるとき」とは、意識が不明になったときや事故で行方不明になったときなど現職に復帰することがあり得る場合を想定しています。臨時代行者の事前の指定に際しては、複数の国務大臣を順位を付けて指定することも可能と考えています。

 第72条の内閣総理大臣の職務において、内閣総理大臣の権限を強化するため、次のように規定しました。

  (内閣総理大臣の職務)
 第72条 内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う。
 2 内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、並びに一般国務及び外交関係について国会に報告する。
 3 内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。

 第1項で、行政各部の指揮監督権及び総合調整権を規定しました。内閣法では第6条で「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する。」と、第7条で「主任の大臣の間における権限についての疑義は、内閣総理大臣が、閣議にかけて、これを裁定する。」と、第8条で「内閣総理大臣は、行政各部の処分又は命令を中止せしめ、内閣の処置を待つことができる。」と規定し、内閣総理大臣は全て閣議にかけた方針に基づかなければ行政各部を指揮監督できないことになっています。これでは、内閣総理大臣の権限は、十分ではありません。そこで、内閣総理大臣は、閣議にかけなくても各国務大臣等を指揮監督等ができるものと規定したところです。この場合でも、閣議で決定した明示の方針があるときは、内閣総理大臣もそれに従うのが当然であり、個別の法律で閣議の決定を経るべきことを定めることを排除するものではありません。
 第3項で、「内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。」と規定しました。内閣総理大臣が国防軍の最高指揮官であることは第9条の2第1項にも規定しましたが、内閣総理大臣の職務としてこの条でも再整理したものです。内閣総理大臣は最高指揮官ですから、国防軍を動かす最終的な軍令の決定権は、防衛大臣ではなく、内閣総理大臣にあります。また、法律に特別の規定がない場合は、閣議にかけないで、内閣総理大臣は国防軍を指揮できます。ここで「国防軍を統括する」とは、内閣総理大臣は、単に軍令上の最高決定権者にとどまらず、国防軍という組織全体を管理する権限を有することを示したものです。そのことを具体的にどう法制上整理するかは、立法政策に委ねられます。

 第73条の内閣の職務において、第6号に規定する政令委任の規定について、現行憲法では「政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。」と規定されていますが、今回、内閣法第11条の規定を参考にして、「政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、義務を課し、又は権利を制限する規定を設けることができない。」と書き換えました。「罰則」は、この規定の趣旨に包含されるという解釈により、規定からは削除しました。

 ちなみに、首相公選制については、今回、党内議論の中で意見が出てきませんでした。仮に国会議員の中から内閣総理大臣を国民が選挙する首相公選制を憲法に規定するとしたら、整合性のある規定を作るのには、相当の検討を要することになります。

 第6章 司法

 司法制度については、大きな変更はしていません。第4章国会、第5章内閣と来れば、第6章は「裁判所」となるはずなのですが、どういうわけかこの章だけ「司法」という章立てになっています。このことを直そうとも考えましたが、やめておきました。

 第79条の最高裁判所の裁判官において、現行憲法の同条第2項から第4項までに規定する国民審査が形骸化しているとの批判が強いことから、その具体的な審査の方法については法律で定めることとし、同条第2項に「最高裁判所の裁判官は、その任命後、法律の定めるところにより、国民の審査を受けなければならない。」と規定しました。裁判官の国民審査を国民に分かりやすいものにするのはなかなか難しいのですが、こう規定することにより、立法政策上工夫の余地が出てきます。
 また、現行憲法同条第6項後段で裁判官の報酬は在任中減額できないこととされており、最近のようにデフレ状態が続いて公務員の給与の引下げを行う場合に解釈上の困難が生じていることや懲戒の場合であっても報酬が減額ができないことなどに対応するため、同条第5項後段に「この報酬は、在任中、分限又は懲戒による場合及び一般の公務員の例による場合を除き、減額できない。」と規定し、解決を図りました。

 司法制度についての改革が少ないのではないかとの意見もありましょうが、司法制度は憲法に規定されている部分が特に少ない分野であり、多くは法律の規定に委ねられていることを御理解ください。なお、憲法裁判所の設置については、党内議論の中で若干の積極的な意見がありましたが、仮に設置するにしても、制度的にかなり煮詰めなければならない事柄が多く、今回は見送りました。

※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
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憲法改正草案解説(5)・国会(5月17日)

 第4章 国会

 今回の憲法改正草案の策定に当たっては、統治機構については、大きな見直しはしませんでした。そのことについて、批判があるのも事実です。しかし、今回は、サンフランシスコ平和条約発効60周年を機に、平成17年に策定された「新憲法草案」を土台としてその見直しを行い、自主憲法に値する憲法草案を策定することを主たる目的としたものです。統治機構の大きな見直しには、それぞれ個別の項目ごとに慎重な議論が必要であり、今回の憲法全体の見直しの中でそれを行うのは、困難と考えたところです。
 具体的には、一院制、首相公選制、道州制の導入などの課題が指摘されています。このうち道州制については、党の道州制推進本部において、原則憲法改正を行わないでその検討を進めることとしています。道州制は、地方自治の範囲で、導入できると考えています。一方、一院制や首相公選制の導入については、当然憲法改正が必要ですが、その具体化には、更に詳細設計が必要であり、かつ、党内での合意形成の手続がなお必要であると考えたところです。
 特に一院制の導入については、党内議論の中で、前向きの意見がかなりたくさん出されたことから、今後二院制の在り方を検討する中で、一院制についても検討することとしました。

 第44条の議員及び選挙人の資格において、その差別の禁止項目の対象として、第14条の法の下の平等の規定に合わせて「障害の有無」の文言を加えました。

 第47条の選挙に関する事項において、後段を設け、「この場合においては、各選挙区は、人口を基本とし、行政区画、地勢等を総合的に勘案して定めなければならない。」と、規定しました。最近、一票の格差について最高裁判所の違憲判決が続いていることに鑑み、選挙区は、単に人口のみによって決められるものではないことを、明示したものです。ただし、この規定も飽くまで「人口を基本と」することとし、一票の格差の是正をする必要がないとしたものではありません。選挙区を置けば必ず格差は生ずるので、それには一定の許容範囲があることを念のため規定したのに過ぎません。なお、この規定は、衆議院議員選挙区画定審議会設置法第3条第1項の規定を参考にして加えたものであり、現行法制を踏まえてのものであることを、申し添えておきます。

 第52条の通常国会において、第1項で、「常会」というのを最近の例により「通常国会」と改め、また、国会の召集は、天皇が国事行為として行うものであることに鑑み、全て「召集される」と受動態で規定することとしました。また、第2項で、通常国会の会期は、「法律で定める」ものと規定しました。会期の延長については、特に規定を置きませんでしたが、これも法律委任の中に含まれるものと解しています。

 第53条の臨時国会において、「臨時会」というのを最近の例により「臨時国会」と改め、これまで臨時国会の召集期限については規定がなかったので、「要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない。」と、規定しました。議員の4分の1の賛成で臨時国会の召集は要求できるので、党内議論の中で、「少数会派の乱用が心配ではないか。」との意見もありましたが、「臨時国会の召集要求権を少数者の権利として定めた以上、きちんと召集されるのは当然である。」という意見が、大勢でした。

 第54条の衆議院の解散と衆議院議員の総選挙、特別国会及び参議院の緊急集会において、第1項で、「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。」と、規定しました。かつて、解散を決定する閣議において閣僚の反対が予測される場合に、あらかじめ閣僚を罷免するというという事例があったので、解散の決定は、閣議にかけず、内閣総理大臣が単独で決定できることとしたものです。なお、この規定で「七条解散(憲法改正草案では、条の移動により「六条解散」になります。)、すなわち内閣不信任案が可決された場合以外の解散について明示すべきだ。」という意見もありましたが、「それは憲法慣例に委ねるべきだ。」という意見が大勢であり、この規定に落ち着きました。
 第2項で、単に「国会」とあるのを「特別国会」と改めました。

 第56条の表決及び定足数において、現行憲法では第1項に「両議院は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。」とあり、欠席者が多く出た場合に本会議が開会できないので、この定足数を議決だけの要件とするため、「両議院の議決は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければすることができない。」と規定し、同項を第2項としたところです。

 第59条の法律案の議決及び衆議院の優越においては、最終的に何も変更しませんでしたが、党内議論の中で、第2項に規定する参議院で否決された法律案を衆議院で再議決する場合の要件について、「3分の2以上の賛成から引き下げて、ねじれ現象ができるだけ起きないようにすべきではないか。」という意見がありました。それを「過半数とする。」という意見もありましたが、それでは「参議院の存在を否定するものだ。」という意見が大勢でした。中を取って10分の6とする意見もありましたが、法令上議決権の規定で10分の6というのも前例がなく、この部分の変更はしないこととしました。

 第63条の内閣総理大臣等の議院出席の権利及び義務において、第2項を設け、「内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、出席しなければならない。ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない。」と、規定しました。ただし書の規定は、平成17年の憲法草案では「職務の遂行上やむを得ない事情がある場合」と規定していましたが、今回はこのように規定し、更に緩和を図ったところです。言うまでもなく、特に外務大臣などは重要な外交日程があることが多く、国会に拘束されることにより、国益を損することにならないようにするという配慮からの規定です。「職務の遂行上特に必要がある場合」の方が大臣側の主体的な判断が可能なニュアンスとなっています。

 第64条の2の政党においては、平成17年の憲法草案において、既に同様の規定がありました。

 (政党)
 第64条の2 国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることに鑑み、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない。
 2 政党の政治活動の自由は、保障する。
 3 前2項に定めるもののほか、政党に関する事項は、法律で定める。

 政党については、現行憲法に全く規定がなく、政党法も存在せず、法的根拠がないので、政治団体の一つとして整理されてきました。こうした規定を置くことにより、政党助成や政党法制定の根拠になるものと考えます。政党法の制定に当たっては、政党内民主主義の確立、収支の公開などが焦点になるものと考えられます。

※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
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憲法改正草案解説(4)・国民の権利と義務(5月14日)

 第3章 国民の権利及び義務

 第11条の基本的人権の享有は、次のように書き換えることとしました。

  (基本的人権の享有)
 第11条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

 「基本的人権の享有は妨げられない」「現在及び将来の国民に与えらる」というような大上段な翻訳口調の規定は、改めました。

 第12条の国民の責務の規定も、分かりやすく書き直しました。

  (国民の責務)
 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

 ここで、従来の「公共の福祉」については、全て「公益及び公の秩序」と言い換えることに、平成17年の憲法草案のときに整理されています。「公共の福祉」という言葉はやや概念が曖昧であり、普通の言葉に換えれば「公共の利益」のことであって、一言で言えば「公益」のことです。それに加えて、権利の行使が社会秩序を乱すものであってはならないので、「公の秩序」という文言を添えたものです。「公の秩序」というと、すぐ「反国家的な行動を取り締まる考えか。」と聞かれますが、「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味しています。他人に迷惑を掛けない行為であれば、規制の対象になることはありません。

 第13条は、従来幸福追求権の規定と言われており、そのことに変更はありませんが、「個人として尊重される」という部分については、個人主義を助長してきた嫌いがあるので、今回「人として尊重される」と改めました。従来の「個人として尊重される」がやや意味不明な文言であり、「人の人格を尊重する」という意味で「人として尊重される」で十分と考えたところです。

 第14条の法の下の平等の規定については、第1項の被差別対象の例示に「障害の有無」を付け加えました。党内議論で問題となったのは、「門地」という言葉です。四民平等などを意味する規定であり、やや古い文言であって、分かりにくいとの指摘がありました。削除するという意見もありましたが、そうすると出生による差別が他の文言では読みにくいという意見もありました。そこで、事務局が「出自」という文言を提案しましたが、やはり人口に膾炙しておらず、「門地」は教育基本法を始め各種の法律で現に用いられていることから、現行のままとすることとしました。
 第3項の勲章の授与等の効果から「特権を伴わない」という規定を削除しました。文化勲章受章者に対する年金の交付は、文化功労者に対するものと読み替えて行われていることなどに鑑み、こうしたことの判断は法律の規定によるべきことと考えたところです。

 第15条の公務員の選定罷免権については、第1項で「主権の存する」国民の権利と規定しました。あわせて、第3項で、公務員の選挙は「日本国籍を有する」成年者による普通選挙によるものと規定しました。言うまでもなく、外国人参政権は認めないという趣旨です。ここで、「成年者」については、憲法は何も定義していないことを指摘しておきます。憲法改正手続法附則で、将来成年を18歳とすることが規定されています。

 第18条の従来「奴隷的拘束の禁止」と呼ばれていた規定は、次のように書き換えました。

  (身体の拘束及び苦役からの自由)
 第18条 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。

 現行憲法は、「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない。」というものです。現在日本で、ほとんどそのようなひどいことが行われているとは考えにくいことから、全文を書き換えました。「社会的関係」とはオカルト宗教団体のようなことを、「経済的関係」とは身売りのようなことを想起しています。こういう不合理な身体拘束は、本人の同意があっても認められません。

 第19条の思想及び良心の自由については、次のように書き換えました。

  (思想及び良心の自由)
 第19条 思想及び良心の自由は、保障する。

 基本は変えていませんが、現行憲法の「これを侵してはならない」のような表現は改め、単に「保障する」という表現を用いることとしました。

 第19条の2に個人情報の保護の規定を新設しました。

  (個人情報の不当取得の禁止等)
 第19条の2 何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。

 平成17年の憲法草案では、この規定の保護を受ける者を主語にした規定を置いていましたが、主客を逆にした規定の方が分かりやすいことから、こういう規定としました。なお、個人情報の保護は、不当なものを禁止したのに過ぎず、適切かつ有効な情報の利用は、禁止されるべきではないことを付け加えておきます。

 第20条の信教の自由は、戦前の国家神道の反省の下現行憲法がやや過剰な規定となっていたので、次のように書き替えました。

  (信教の自由)
 第20条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

 第1項で、宗教団体は「政治上の権力を行使してはならない」という部分を削除しました。宗教団体が政治上の権力を行使することは、現実にあり得ないと考えたからです。もちろん、世の中何があるか分からないのですが、「国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。」という規定により、政教分離は十分実現できると考えたところです。
 また、第3項において、「宗教教育の禁止」については、従来特定の宗教の教育をいうものであり、一般教養としての宗教教育を含むものではないという解釈が通説でしたが、それを分かりやすくするため、「特定の宗教のための教育」と規定しました。さらに、後段を加え、最高裁判例を参考とし、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」については、宗教行為の禁止対象からはずすことにしました。これにより、地鎮祭の玉串料などの問題が現実に解決されます。靖国神社参拝も、明文の規定をもって、禁止されないことになります。

 第21条の表現の自由は、第2項を付け加え、次のように規定しました。

  (表現の自由)
 第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
 2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
 3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

 第2項は、オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを下に、公益や公の秩序を乱す活動に対しては、表現の自由や結社を認めないこととしたものです。内心の自由はどこまで行っても自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは、当然と考えたところです。なお、「公益や公の秩序を害する」と規定し、単に「公益や公の秩序に反する」活動を規制したものではないことには、注意してください。

 第21条に、国の行政上の行為に関する説明責任を規定しました。いわゆるアカウンタビリティと呼ばれるものです。この規定は、平成17年の憲法草案の中に既に規定されていました。

 第24条の家族、婚姻等に関する基本原則の中で、第1項に家族の規定を新設し、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」と規定しました。前段は、世界人権宣言第16条第3項の規定を翻案したものです。後段は、今回の党内議論の中で、追加したものです。「親子の扶養義務について、明文の規定を置くべきだ。」という意見もありましたが、そうした点は、基本的に法律事項であり、憲法上はこのような規定に落ち着いたところです。
 第3項については、法律事項の例示を、現行民法を参考にして、整理し直しました。現行憲法は、後段で「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定していますが、個人主義的なことだけでなく、「家族の共助の精神」のような観点も加える必要があるのではないかという意見がありました。しかし、第1項に家族の規定を新設したことから、二重になるという意見があり、その部分については現行のままとしました。

 第25条の2から第25条の4まで、新たな人権の規定を次のように加えました。

 (環境保全の責務)
 第25条の2 国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。

 (在外国民の保護)
 第25条の3 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。

 (犯罪被害者等への配慮)
 第25条の4 国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。

 第25の2及び第25条の4の規定は、平成17年の憲法草案の中にあり、多少の書き換えを行ったものです。第25条の3については、今回の党内議論の中で、新設したものです。
 いずれも、国を主語とした人権規定としています。初期の人権は、まだ個人の法律上の権利として主張するには熟度がなく、まず国の側の義務として規定することとしたものです。今後、具体的な法制上、人権として積み上げていく必要があります。

 第26条の教育に関する権利及び義務の規定については、第3項に国の教育環境の整備義務の規定を新設し、「国は、教育が国の未来を切り拓(ひら)く上で欠くことのできないものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。」と規定しました。この規定も、国民が充実した教育を受けられることを権利と考え、そのことを国の義務として規定したものです。

 第28条の勤労者の団結権等については、第2項に公務員に関する労働基本権の制限の規定を新設し、「公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる。この場合においては、公務員の勤労条件を改善するため、必要な措置が講じられなければならない。」と規定しました。
 現在、国会において、公務員に労働協約締結権を付与することが議論されていますが、現行憲法下においても、国家公務員の労働条件に関する人事院勧告などの代償措置の実施を条件として、公務員の労働基本権は制限されていることから、そのことについて明文の規定を置いたものです。よく国際労働機関条約に違反するのではないかとの質問を受けますが、団結権及び団体交渉権条約(ILO98,1949)第6条に「この条約は、公務員の地位を取り扱うものではなく、また、その権利又は分限に影響を及ぼすものと解してはならない。」と、規定されているところです。

 第29条の財産権については、第2項の後段に知的財産権の規定を新設し、「知的財産権については、国民の知的創造力の向上に資するように配慮しなければならない。」と規定し、特許権等の知的財産権の保護が過剰になり、経済活動の過度の妨げにならないよう配慮することとしました。

 第31条から第40条までの刑事手続については、現行の刑事訴訟法などを参考として、文言の整理をしましたが、規定の内容については変更していません。

 国民の人権及び義務の章全体を通じて、「権利ばかりの規定が目立ち、義務の規定が余りに少ないのではないか。」という指摘がありました。しかし、憲法上新たな義務規定を創出するのは、なかなか困難であり、現行のままとしています。


※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
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憲法改正草案解説(3)・安全保障(5月10日)

 第2章 安全保障

 章名を「戦争の放棄」から「安全保障」に改めました。

 第9条は、次のように規定しました。

  (平和主義)
 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
 2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

 第1項については、1929年のパリ不戦条約第1条を翻案して規定されたものであり、党内議論の中で「もっと分かりやすい表現にすべきである。」という意見もありましたが、日本国憲法の三大原則の一つである平和主義を定めた規定であることから、基本的には変更しないこととしました。
 文章の整理として、「放棄する」は戦争のみに掛け、「国際紛争を解決する手段として」は戦争に至らない武力による威嚇及び武力の行使にのみに掛けることとしました。こうすることにより、法文の意味がより明確になると考えたからです。
 党内議論の中で、「戦争はすべて『国権の発動として』行われるものであり、その文言は不要ではないか。」「『国際紛争を解決する手段として』という書き振りは、集団的自衛権を否定する根拠として使われたことがある。」などの意見がありました。前者については、戦争は全て国権の発動として行われるものであり、確かにそうした修飾は不要ですが、同項の規定は原則変更しないという方針の下に、そのままにしました。また、後者の「国際紛争を解決する手段として」とは、従来の解釈どおり、「侵略的意図を持って行う手段」という意味に解することとし、この部分も原文を尊重しました。
 なお、集団的安全保障の違反国に対する制裁措置は、侵略的意図を持って行われるものではないことから、この項の規定が禁止するものではないと解しています。

 平成17年の憲法草案には、軍隊の不保持や交戦権の否定を規定した第2項を削除したのみで、「自衛権」の規定はなかったのですが、今回新たに新第2項を規定しました。従来、「自衛権」は、自然権(当然持っている権利)であることからあえて規定する必要はないと考えていましたが、明確な規定を置くことによって、よりそのことが理解されやすくなると考えたところです。自衛権には、国連憲章が認める個別的自衛権と集団的自衛権があることは、言うまでもありません。
 また、ここで「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と規定することにより、第1項は、自衛権の解釈には関係ない規定となることから、自衛権の解釈に憲法草案上何らの制限はないことになります。したがって、集団的自衛権の行使も、憲法規定上妨げられるものではありません。現在の政府解釈のように、「集団的自衛権は、保持しているが、行使できない。」というような変な解釈をする必要もなくなります。
 なお、自衛権の行使については、憲法草案上制限はありませんが、政府が何でもできる訳ではなく、法律の根拠が必要です。国家安全保障法のような法律を制定して、いかなる場合にどのような要件を満たすときに自衛権が行使できるのか、明確に規定することが必要です。この憲法と法律の役割分担については、きちんとした理解が求められます。

 新たに、第9条の2を設け、国防軍の規定を置きました。第1項は、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」と規定しました。国家が軍を持つのは、至極当然であると考えます。世界中を見ても、都市国家のようなものを除き、一定の規模以上の人口を有する国家で軍隊を保持していないのは、日本だけです。軍は、抑止力として保持するものであり、軍の存在イコール戦争という誤った観念から日本人は抜け出すべきです。
 ここで、最も議論されたのが、軍の名称でした。起草委員会の原案は、「自衛軍」でした。現行の自衛隊との連絡性に配慮したのです。しかし、余り評判は良くありませんでした。そこで、事務局は、「国防軍」「防衛軍」「陸海空軍」の三案も追加的に示しましたが、防衛軍と陸海空軍には、ほとんど支持がありませんでした。最終的に、名称ですので法制的にどれが正しいというものではないので、多数の意見を勘案して、国防軍としたものです。
 なお、内閣総理大臣の地位も、最初は「最高指揮権者」という言葉を使っていましたが、最終的に「最高指揮官」としました。

 また、同条第3項において、国防軍は、第1項のほか、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」を行えることと規定し、国防軍の国際平和活動への参加を可能にしました。その際、国防軍は、軍隊である以上、法律の留保の下、武力の行使は可能であると考えています。また、集団的安全保障下における制裁行動も、法律の留保の下、可能であると解します。このほか、同項では、法律の規定に基づいて「公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」、すなわち治安維持や邦人救出、国民保護、災害派遣などの活動もできることと規定しています。

 このように、国防軍を置くことにより、戦争及び侵略的意図を持った武力の行使を除き、集団的自衛権を含む自衛権の行使や集団的安全保障下の制裁的武力の行使は可能となりますが、これらは全て同条第2項及び第3項の規定により、法律の根拠が必要であり、法律の規定に基づかないで武力の行使ができるわけではないことを明確にしておきます。

 同条第5項に、軍事審判所の規定を置きました。これは、軍人等が職務の遂行上犯罪を犯したり、軍の秘密を漏洩したときの処罰について、通常の裁判所ではなく、国防軍に置かれる特別裁判所である軍事審判所で裁かれるものとしました。いわゆる軍法会議のことです。
 軍事上の行為に関する裁判は、軍事機密を保護する必要があり、また、迅速な実施が望まれるからです。具体的なことは法律で定めることになりますが、裁判官や検察、弁護側も、軍人の中から選ばれることになるものと、推定されます。なお、この審判に対しては、裁判所に上訴することができます。どの国の軍法会議を見ても、原則裁判所へ上訴することができることとされています。この軍事審判を一審制とするのか、二審制とするのかは、立法政策によります。

 第9条の3に、領土等の保全等の規定を置きました。

 第9条の3 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

 国家が国を守るのは余りに当然のことですが、それが十分に機能していない現状に鑑み、あえて規定を新設することにしました。また、単に領土等を守るだけでなく、資源の確保についても、規定しました。
 党内議論の中で、「国民の国を守る義務ついて規定すべきではないか。」という意見が、多く出されました。しかし、仮にそうした規定を置いたときにその意味を問われるのは、必至です。自民党は、平和主義に徹し、徴兵制を憲法上規定することはできないと考えています。国民の国を守る義務を規定すれば、徴兵制について問われることになるのは明らかです。そこで、前文において「国を守る」ことを抽象的に規定するとともに、この条において、国が「国民と協力して」領土等を守ることを規定したところです。
 もちろん、この規定は、軍事的な行動のみを規定しているのではありません。国境離島において、生産活動を行う民間の行動も、我が国の安全保障に大きく寄与することになります。国が、国境離島において、避難港や灯台などの公共施設を整備することも、同様です。海上で、資源探査を行うことも、考えられるでしょう。

※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
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憲法改正草案解説(2)・天皇(5月6日)

 第1章 天皇

 第1条の天皇の規定において、天皇が元首であることを明定することとしました。

  (天皇)
 第1条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民の統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 元首とは、英語では Head of State であり、国の第一人者を意味します。明治憲法には、天皇が元首であることの規定が存在します。また、外交プロトコル(手続)上でも、天皇は、元首として扱われています。
 したがって、我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実ですが、それをあえて規定するかどうかという点で、議論がありました。
 自民党内の議論では、元首として規定することの賛成論が大多数でした。一部の反対論は、象徴天皇制は既に国民の間に浸透しており、世俗の地位である元首をあえて規定することにより天皇の言葉で表現できない存在を軽んずることになるというものでした。
 反対論にも採るべきものがありましたが、大日本帝国憲法第4条にも規定があり、問題はないということで、多数の意見を採用して元首を規定することとしました。

 ちなみに、サミットの記念撮影で、日本の首相は、議長国である場合を除き、中央近くに立つことはできません。外交プロトコル上、まず元首である大統領が就任順に立ち、その外側に首相が就任順に立つことになっているからです。王国以外の共和制の国で、元首である大統領が実質的な政治的権能を有しない国は、ドイツやインドなどたくさんあります。

 「その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」は、やや文学的な表現ですが、そのままにしました。この規定は、主権在民の規定でもあります。「総意」については、憲法の教科書に委ねましょう。

 第3条に、国旗及び国歌の規定を設けました。

  (国旗及び国歌)
 第3条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
 2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

 国旗及び国歌については、現在国旗及び国歌に関する法律によって規定されていますが、なお学校教育の現場で混乱が続いており、きちんと憲法上明文の規定を置くこととしました。
 最初の案では、国旗及び国歌を「日本国の表象」とし、具体的には法律の規定に委ねることとしていました。しかし、不変なものは具体的に固有名詞で規定してもいいのではないかという意見が、大勢でした。フランス憲法で三色旗やラ・マルセイエーズが規定されているのも、参考としました。具体的な国旗や国歌の制式を、委任規定がなくても法律で定め得ることは、言うまでもありません。
 国旗及び国歌を国民が尊重すべきであるのは、当然のことです。ただし、この第2項の規定を置いたことから、国民の新たな義務が生ずるものとは、考えていません。

 第4条に、元号の規定を設けました。

  (元号)
 第4条 元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。

 この規定は、元号法の規定をほぼそのまま採用したものであり、一世一元の法則を明定したものです。現在、元号は即位と同時に定める必要があることから、政令委任しているので、元号法の規定には若干の工夫が必要かもしれません。

 この規定について、自民党内の議論では、特に異論はありませんでした。

 第6条の国事行為の規定は、第2項の各号列記の規定を若干分かりやすく整理しましたが、基本は変わっていません。
 第4項で、現行憲法では、天皇の国事行為には、内閣の「助言と承認」が必要とされていましたが、天皇の行為に対して「承認」とはいささか礼を失するものであることから、「進言」という言葉に統一しました。従来の学説でも、「助言と承認」は一体的に行われるものであり、区別されるものではないという説が有力であり、「進言」に一本化したものです。
 さらに、第5項を加えて、新たに天皇の公的行為を規定しました。
 天皇の行為には、憲法に定める国事行為、それ以外の公的行為及び祭祀等の私的行為があるとするのが、学説上通説です。そうであるのに、一部の政党は、国事行為以外の天皇の行為は違憲であるとし、天皇陛下の御臨席を仰いで行われる国会の開会式には、いまだ出席していません。そこで、開会式への御臨席など天皇陛下の公的行為を憲法上規定することにより、こうした議論を決着させようとしたものです。
 なお、公的行為には「進言」の規定を置きませんでしたが、公的行為も、内閣の一組織である宮内庁の補佐を受けて行われるものであることは、当然のことです。

※本稿は、筆者の私見に基づくものであり、自由民主党の公式見解ではないことをお断りしておきます。
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憲法改正草案解説(1)(4月30日)

 自由民主党は、サンフランシスコ平和条約発効60周年となる4月28日、すなわち主権回復記念日に、日本国憲法改正草案を発表しました。自民党では、平成17年にも、新憲法草案を発表しましたが、憲法改正手続法が施行され、衆参両院に憲法審査会が設置されて、憲法改正議論が本格化するのを機に、旧草案を全面的に再検討し、内容を補強したものです。

 今回の改訂では、日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました。

 その上で、天皇の章で、元首の規定、国旗・国歌の規定、元号の規定、天皇の公的行為の規定などを加えるとともに、安全保障の章で、自衛権を明定し、国防軍の設置を規定し、あわせて、領土等の保全義務を規定しました。

 国民の権利及び義務の章では、国の環境保全、在外国民の保護、犯罪被害者への配慮、教育環境の整備の義務などの規定を加えました。

 一方、国会、内閣及び司法の章では、大幅な改訂は、していません。統治機構に関することは、それぞれ個別の課題ごとに、更に議論を尽くす必要があると考えたからです。一院制の導入については、かなり議論をしましたが、引き続き、二院制の在り方を検討する中で検討することとなりました。地方自治の章では、旧草案を土台に一定の見直しを行い、地方自治体間の協力の規定などを新設しました。

 緊急事態の章を新設し、有事や大災害の時には、緊急事態の宣言を発することができることとし、その場合には、内閣総理大臣が法律に基づいて一定の権限を行使できるようにするとともに、国等の指示に対する国民の遵守義務を規定しました。あわせて、国会議員の任期の特例などを定めることができるよう規定しました。

 改正の章では、憲法改正の発議要件について、これまで、両院で3分の2以上の賛成を必要とされていたものを、過半数と改め、緩和しました。

 自民党は、自主憲法制定を党是としています。現行憲法は、連合国軍の占領下において、同司令部が指示した草案を基に、その了解の範囲において制定されたものであります。日本国の主権が制限された中で制定された憲法は、国民の自由な意思が反映されていないと考えるからであります。そして、実際の規定においても、自衛権の否定ともとられかねない第9条の規定など、多くの問題を有しています。

 主権回復後60年も、経ってしまいました。もっと早く、憲法改正に着手すべきでしたが、冷戦の間は、憲法改正を口にすることもできませんでした。その後議論は比較的自由になりましたが、憲法改正の発議要件が両院の3分の2以上の賛成であることから、本格的な議論は進みませんでした。何と言っても、憲法改正手続法の制定が遅れていたのです。

 憲法改正手続法がようやく制定され、昨年の5月に施行されました。しかし、ねじれ国会の中で、多くの宿題を課されました。成人を18歳とし、憲法改正手続に参加させること、公務員の憲法改正運動への参加を自由とすること、国民投票を他の国政課題へも拡大することの3点です。1番目と2番目のことは、憲法改正手続の前提とされていますが、民主党政権の下でいまだ具体化していません。

 そんな中ではありますが、昨年10月、衆参両院に憲法審査会が設置され、憲法議論が始まりました。そこで、自民党としても、憲法改正に対する基本的な考え方を改めて示すため、今回、憲法改正草案を取りまとめたものです。

 付論ですが、先ほど述べたような主権が制限された中での憲法の制定は、無効だと唱えている人がいます。もちろん、いろいろな説があっていいと考えますが、二つのことを言っておきたいと思います。

 一つは、現行憲法は制定後65年を経て、国民に定着したものとなっています。国家のいろいろな手続が現行憲法を前提として動いています。憲法改正を議論する私たち国会議員も、現行憲法の規定により選挙されています。憲法無効といっても、現行憲法を無視することは、実際にはできません。

 また、「憲法は、一度も改正されていない。」とよく言われますが、決してそうではありません。余り知られていないのですが、現行憲法は、大日本帝国憲法の改正手続にのっとって制定されているのです。現行憲法公布の勅語の中に、「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」たものであると示されています。

 いずれも形式論ではないかとの反論もあるでしょうが、法律論とは、形式論です。形式論を抜きに実質論だけで法を論ずるのは、法律論ではありません。いずれにしても、自主憲法制定は、自民党の党是です。新しい憲法の制定を望むことには、何らの変わりはありません。

 一方で、護憲論を唱える人たちがいます。特定の条項の憲法改正を反対するのであれば理解できるのですが、憲法改正手続そのものに反対するのは、理解に苦しみます。人間の作った憲法が永久に不変であるということは、あり得ないでしょう。時代はどんどん変化していきます。その時代に合わせて憲法を改正していくことは、むしろ望まれることです。

 よく言われることですが、現行憲法の中に改正の章があります。憲法自体が自らの改正を予定しているのです。護憲と言うのであれば、憲法改正規定も尊重してもらわなければなりません。

 憲法改正草案は、いずれ憲法改正原案として国会に提出することになると考えています。しかし、憲法改正の発議要件が両院の3分の2以上であれば、自民党の案のまま憲法改正が発議できるとは、とても考えられません。まず、各党間でおおむねの了解を得られる事項について、部分的に憲法改正を行うことになるものと考えます。

 その候補が正に憲法改正の発議要件である両院の3分の2以上の賛成の規定を過半数に緩和することですが、それをするにも、先に両院の3分の2以上の賛成が必要であり、簡単ではありません。いずれにしても、憲法改正は国民の意思でできるということを早く国民に実感してもらうことが必要です。与野党の協力の下、憲法改正の一致点を見いだす努力をすることが重要です。

 以下、今回の自民党の憲法改正草案について、逐条の解説を行っていきます。なお、前文については、最後に解説します。

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一票の格差の是正(4月10日)

 衆参両院の議員選挙の一票の格差の是正は、急務です。この問題が定数削減と同時に議論されているため、議論が複雑化しています。定数是正と定数削減の同時決着難しいのであれば、まず定数是正の方を急ぐべきでしょう。

 選挙区格差はどうして生じるのでしょうか。「法の下の平等の原則から、一人一票は絶対だ。」と言う人もいます。しかし、選挙区がある以上必ず格差が生じるのも事実です。格差を生じさせないようにするには、選挙区を全国一区にするしかありません。

 例えば100人の国を考えてみましょう。今人口60人のA県と人口40人のB県があり、全国で10人の国会議員を県を選挙区として中選挙制で選ぶものとしましょう。その時、一票の格差がないように定数を配分するためには、A県の定数を6人とし、B県の定数を4人とすればいいことは、自明です。

 しかし、例えばA県の家族5人がB県へ転居したらどうなるでしょうか。人口は、それぞれ55人と45人になります。定数10人を再配分しようとすれば、それぞれ5.5人と4.5人になり、端数が出て割り切れません。そこで、あえて定数を5人ずつにすれば、それぞれの県の議員一人当たりの人口は、11人と9人になり、1.22倍の格差が生じます。仮に定数を6人と4人のままにしておくと、議員一人当たりの人口は、9.2人と11.3人になり、逆に1.22倍の格差が生じます。このように行政区画をもって選挙区を置けば、必ず格差が生じることは、容易に理解できるでしょう。行政区画を無視して線引きすることも考えられますが、毎回毎回選挙区が変わることになります。

 衆議院に小選挙区制度を導入した時、私は、静岡県庁で区割りの担当をし、大変苦労をしたのを覚えています。基本的には、人口40万人の区域で一人の衆議院議員を選出するのがルールになっています。しかし、近隣の市町村の人口を組み合わせておおむね40万人にするのは、至難の業でした。浜松市では、市の中央部で区割りをせざるを得ず、その線引きに様々な意見が噴出し、取りまとめが大変でした。

 こうした事情から、少し前までは、2倍未満の選挙区の格差が生じるのは致し方ないので、格差が2倍を超えた点で格差があるものと認定し、3倍を超えた点で違憲状態になるものと考えられていました。しかし、選挙区画定審議会法の制定により、衆議院議員選挙の格差は2倍未満にしなければならないものとされました。それでも、都道府県にはそれぞれ人口割りとは別に定数1人(別枠)を加えることとしていたのですが、現在、この仕組みの廃止は、各会派間でほぼ合意されています。

 参議院議員選挙は、更に複雑です。選挙区は、都道府県の区域とされ、3年ごとに半数が改選されることとされています。したがって、各選挙区の定数は、2人、4人、6人、10人と偶数になっています。しかも、47都道府県のうち定数2人のいわゆる1人区は29選挙区に及び、これ以上定数の削減がしようのない状況にあります。したがって、一票の格差は、定数増をしないのであれば5倍未満にするのがやっとです。

 それでもけしからんと言うのであれば、西岡前参議院議長が提案したブロック選挙区にしたり、民主党が提案する県選挙区の合併をしたりするしかありませんが、余り実現性があるとは考えられません。でも、将来道州制を導入するときには、参議院議員を道州の代表とすることも、考えられるでしょう。

 参議院では、全国的な組織を代表する比例選挙区がある以上、選挙区は都道府県代表でなければなりません。一票の格差の是正ということとともに、選挙区制度も重要な観点です。アメリカの上院では、州の人口にかかわらず、定数は2人です。実に70倍以上の格差があります。アメリカは連邦制ですから、趣旨は違うのかもしれませんが、一票の格差の是正が最優先とされていない例でもあります。世界的には、行政区画よりも一票の格差の是正を優先させて線引きしている例もありますが、日本にはなじまない感じがします。

 私は、一票の格差の是正が急務であるという立場です。そして、一票の価値をできるだけ等しくすることは民主主義を進める上で重要であり、地方に定数を厚く配分すべきだなどという考えも、持っていません。しかし、国政選挙には、必ず選挙区制度が伴うものであり、一定の選挙区制度の下では、格差の是正には限界があることも、理解してほしいのです。一票の格差を完全になくすためには、すべての選挙区を全国区にしなければなりませんが、そうするわけにもいきません。一票の価値の平等とともに、選挙区制度をどうするかという問題も重要です。

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国家公務員給与の引下げについて(3月1日)

 自民党の公務員給与問題の責任者として、今回の平均7.8パーセントの大幅な国家公務員給与の暫定引下げについて、基本的な考え方を示したいと思います。

 私は、財政が悪いから、大地震が起きたからという理由で、公務員給与をカットするのは、基本的に反対です。

 今回の引下げは、政府によれば、厳しい財政状況の中で、東日本大震災の財源を確保するため、異例な措置として、かつ、2年間の暫定措置として行われるものと説明されています。私は、昨年の予算委員会の中で、復興財源は全て復興債で賄うべきであり、復興債の償還期間を通常の60年間とすれば、復興増税やその他の財源措置は全く必要ないと主張しました。しかし、野田総理は10年間の償還期間にこだわり、三党協議によって結局それを25年間とすることで決着しました。そして、国家公務員給与の削減により6千億円が充てられることとなり、単年度で3千億円がカットされることとなりました。それが、平均マイナス7.8パーセントの給与削減です。

 こうしたことが、昨年の補正予算の中で既に決められ、その枠の中で給与引下げのための三党協議が始まったということは、是非御理解いただきたいと思います。個人的には、10%、8%、5%の給与カットは公務員にとって大変なことだと思いますが、政府と連合系の労働組合が既に給与の引下げについて合意しており、野党の立場でそれに反対する理由はなかったのです。私たち野党が主張したのは、給与カットとは別途にきちんとマイナス0.23パーセントの人事院勧告を実施すること、災害復旧に尽力した自衛官に対して配慮すること、地方公務員給与の引下げについても要請することの三点でした。

 これに先立ち、片山前総務大臣と労働組合との間で、協議が行われ、連合系の労働組合との間で給与カットが合意されています。政府は否定していますが、その中で、国家公務員の労働組合に対する労働協約締結権の付与について、給与カットの見返りとする密約が交わされたことは、公然の秘密であります。しかし、今回の給与の引下げは、2年間の暫定措置として行われるものであり、百歩譲っても、恒久措置である労働協約締結権の付与には結びつかないことは、明らかです。私も、何度もこのことについて野田総理や川端総務大臣に確認を求め、今回の給与カットと労働協約締結権の付与が関係ないとの答弁を得ています。一部の労働組合幹部の誤った判断により、多くの国家公務員の生活に大きな影響を与えたことは、今後批判されるべきでしょう。

 国家公務員給与に関する実務者会議は、紆余曲折を経て長期化し、与党側が人勧実施に応ずることとなり、7.8パーセントの引下げに人勧引下げ分を上乗せすることを提案してきました。しかし、この案は、政府と連合との調整がつかず、結局、人勧分は深掘りに内包させるという12月に提出した自公案をベースに再検討することになりました。そして、昨年4月までの遡及適用、若年者給与の回復、自衛官への6月以内の配慮などを決めるとともに、地方公務員給与の扱いについては、「地方公共団体において、自主的かつ適切に対応される」という表現で附則に規定することで決着しました。

 地方公務員給与の扱いについては、自民党内にも様々な意見がありましたが、おおむね妥当な線で決着できたものと考えています。一部の知事に「国が地方公務員給与について言及するのはけしからん。」と言っている人もいますが、憲法の仕組みを理解していない発言です。

 給与カットはできればすべきではありませんが、それは、公務員給与の見直しをしないという意味ではありません。公務員給与水準の適切な見直しは、行われるべきです。これまで、人事院に対し、財政状況を反映した給与の見直しも検討すべきだと注文を付けてきましたが、人事院は、「それは人事院の役目ではない。」と拒否し、何らの提言もしませんでした。それが、今人事院の存在が不安定なっている大きな原因であると考えます。現行の法律の枠組みをただ堅持するだけで、改革への意欲を示さない組織は、存在意義を失います。

 中央省庁の公務員の給与は、勤務状況との比較で考えれば、決して高くはないと思います。ただし、中央省庁と同じ給与表が出先機関まで使われていることに大きな問題があります。地域手当の見直しで一定の改善はしましたが、中央省庁と出先機関を同様に扱うのは、どだい無理があります。

 地方公務員のラスパイレス指数も随分改善されてきましたが、まだ地域に準拠した給与体系というには、ほど遠い観がします。特に市町村には独自の給与表を作る能力がないため、都道府県の給与に準拠している例も、多くあります。さらに、労働組合との間で取り決めを行い、給与表の格付けを不適切に行っている例も散見されます。このことは、よほどのプロでないと見抜けません。地域の民間給与に準拠した給与体系の構築を行うためのシステムを検討するとともに、給与制度の運用の透明化を図っていくことが必要です。

 さて、給与の深掘りをせず、人勧分の引き下げしか規定しなかった国会議員秘書給与法改正法案には、公務員給与問題の責任者として、身内に甘いやり方はけしからんと考え、本会議で反対しました。

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消費税増税で日本の財政はどうなる(2月19日)

 2月6日(月)の参議院予算委員会で、景気の回復が一番ではないかと訴えました。民主党政権は、財政規律を維持することが一番だとして、増税路線を突き進んでいますが、それで本当に国の財政が再生するのか、質問をしました。

 平成24年度一般会計には、約束どおり、44兆円の国債を計上しました。しかし、このほかに2兆6千億円の交付国債を発行し、この粉飾財源を合わせると、実質的な国債額は、46兆6千億円に及びます。この中には、道路や河川の整備などに充てられる建設国債が約6兆円あるので、赤字国債は、大雑把に言って40兆円ぐらいあります。この額が財源不足額と言っていいでしょう。

 一方で、消費税を5パーセント引き上げるとしていますが、1パーセントがおおむね2兆5千億円であり、全体で12兆5千億円ぐらいになります。ただし、この中には地方の取り分もあり、国の取り分は8兆6千億円に過ぎません。単純に地方税の増収に伴う地方交付税の減要素を考えれば、国への寄与分は、これも大雑把に言って10兆円ぐらいと言っていいでしょう。

 40兆円の赤字がある中で、10兆円の増収に過ぎなのです。あと30兆円は、赤字のままです。こういう単純なことが、国民にはきちんと伝えられていません。40兆円の赤字を全て消費税増税で賄おうとすれば、あと20パーセントの引上げが必要であり、消費税率は25パーセントになります。

 財政指標にプライマリーバランスというものがあります。これは、税収をもって政策経費を賄うようにするということです。逆に言えば、国債費を除いて収支均衡を図るということです。平成24年度予算案には、約21兆円の国債費が計上されています。これも20兆円に丸めて言うと、国債費を除いても、まだ20兆円が赤字であり、消費税を引き上げても、まだ10兆円の赤字が残ります。「この赤字をどうするのだ。」と安住財務大臣に聞いたところ、「その時に考える。」といういい加減な答弁をし、野田総理があわてて取りなしていました。

 プライマリーバランスは、国債費を除いて考えるので、それを達成しても、700兆円を超える国の借金が減るわけではありません。そのまま残されたままです。加えて、ここまでの議論は、今の赤字額だけを議論したものであり、今後の高齢化に伴う新たな福祉需要の増大は、無視しています。役所の説明では、現在の国・地方の福祉予算を賄うためには、14パーセントの消費税が必要であり、現行予算を前提としても、消費税10パーセントでは、十分でないのは明らかです。

 その上に、社会保障・税の一体改革により、新たな福祉需要が出て来るのです。例えば民主党のマニフェストにある最低保障年金を実現するのには、将来消費税7パーセントの引上げが更に必要になります。ここまで見ても、消費税5パーセントの引上げは、焼け石に水とは言いませんが、決して財政再建を約束するものではないことは明らかです。

 私が言いたいのは、既存の税収が、ピーク時に60兆円であったものが、40兆円にまで20兆円も減っているということです。なぜでしょうか、景気が悪いからにほかなりません。消費税が5パーセントだから赤字ではないのです。20年も続くデフレ経済の中で、税の大幅な減収が国の赤字を危機的にしていることは、はっきりと認識しなければなりません。そのことを放っておいて、税が制度的に足らないような印象を国民に与えているのは、問題です。

 だからこそ、景気回復が第一なのです。景気回復のためには、円高・デフレを解消しなければなりません。野田総理に「デフレで景気がいいということがあると考えるか。」と聞いたところ、「それはない。」と答えたので、一安心しました。デフレから脱却するのが、景気回復の大前提になります。デフレを解消するのは、日銀の金融緩和しかありません。金利は既にゼロ金利で全く効いていないので、量的緩和しかありません。

 日銀は、衆参両院の予算委員会で袋だたきに遭い、やっと10兆円の国債購入基金の増額を決めました。「せめて二桁」と言っていたので、やったのかと思いましたが、今年末までに国債の買い増しをするということです。何とのんびりした話でしょうか。アメリカのFRBに刺激されて、「物価安定の理解」を「物価安定の目途」に名称改正したのはインフレターゲットに向けて一歩前進ですが、それが1パーセントというのが、また腰が引けています。アメリカが2パーセントであるのに、なぜ日本が1パーセントなのでしょう。これまでの「物価安定の理解」の時も、実際の消費者物価の推移は約1パーセントそれを下回っています。インフレにするという意欲が余り感じられません。日銀の政策方向を縛るため、与野党で日銀法再改正の動きが本格化するのは、必至でしょう。

 総じて、700兆円を超える借金を抱え、財政再建を成し遂げるためには、国民総生産を大きくし、財政規模を大きくしていくしかありません。中長期的な実質経済成長を目指すことも重要ですが、とりあえず、名目成長でいいのです。デフレから脱却しなければ、どんな経済対策を講じても、効果はありません。そのことを予算委員会で言いたかったのです。

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「大阪都構想」自民党案解説(1月19日)

 自民党は、昨年12月27日、大都市問題に関する検討PTおいて「中間報告」(新着情報に掲載)を取りまとめました。地方自治法を改正して、東京都以外の道府県においても、一定の手続を経て、「特別区」を設置できるようにするものです。それに先立ち、みんなの党も、「地方自治法改正(「都構想」関連)要項(案)」を発表しました。この案は、十分に検討された立派な案であり、今後、公明党の意見も踏まえつつ、自民党案とも調整可能な案であると考えます。一定の評価をした上で、同案との比較をしながら、自民党案について解説します。

 特別区を設置するためには、都道府県と市町村の役割分担を定めた200以上もの法律の改正を行わなければならないと言われています。このことについて、自民党案とみんなの党案が一致しているのは、その膨大な法律改正手続は後回しにして、まず地方自治法のみを改正し、特別区の設置を先に決定できるようにしようということです。この根幹部分が両党で一致しているので、今後の調整を容易にします。

 特別区とは、現在東京23区のことをいいます。特別区では、清掃や消防など通常市町村が行う事務が、都に吸い上げられています。首都の一体性を確保するためです。率直に言って、地方分権とは逆行する制度なのですが、自民党は、地方自治の形は地方が決めるものであり、地域住民がそれで良いと言うのであれば、その実現に協力すべきであると考えます。

 自民党案の骨子は、特別区を設置しようとする都道府県及び関係市町村(廃止市町村)は、協議会を設置し、特別区の移行に関する協定書を作成します。協定書は、都道府県及び関係市町村の議会に付議して同意を得た後、関係市町村の住民投票にかけます。その結果に基づき、都道府県及び関係市町村が特別区の設置を申請し、総務大臣がこれを定めます。

 みんなの党案の骨子は、道府県と関係市町村(関係地方公共団体)は、協議会を設置し、都及び特別区の円滑な運営の確保を図るための基本計画を作成します。関係地方公共団体は、その議会の議決を経て、都及び特別区の設置を申請し、内閣は、国会の承認を経て、これを定めます。

 幾つか違いはありますが、自民党案では、関係市町村において住民投票が必要とされており、みんなの党案では、それがなく、その代わりに国会の承認という国の関与がある所に大きな違いがあります。

 この違いには、大阪府を「大阪都」にするかどうかという考え方の違いが、大きく寄与しています。自民党が「大阪都」にはしないと決めたわけではなく、このところは、私個人の考えです。大阪府を「大阪都」にするのであれば、それは、都道府県制度の改正になるので、地方自治法第6条の2に規定する申請による都道府県の合併の例に倣って、国会の承認を必要としたものと考えられます。一つの見識です。

 私は、「都」というのは天皇陛下の御在所をいうのであり、国に二つの都(みやこ)があるのはおかしいと考えます。特別区を設置するのに、あえて「都」と呼ぶ必要はありません。自民党のヒアリングで、大阪維新の会顧問の上山信一慶應大学教授は、地方自治法第281条に「都の区は、これを特別区という。」と規定されているから「大阪都」と言っているのであり、「都」の名称にこだわっているわけではないと発言しています。そうであれば、関係市町村を特別区に変えるのは、基礎自治体の市町村部分の変更に過ぎず、国の立法機関が介入する必要はないと考えます。

 一方、現在の地方自治法には、都道府県の廃置分合にも、市町村の廃置分合にも、住民投票を義務付けた規定はありません。ただし、都道府県の廃置分合を法律で定めるときは、憲法第95条の地方自治特別法に該当し、住民投票が必要であると解されています。

 ではなぜ、自民党案は、住民投票の実施を求めたのでしょうか。それは、地方自治法がこれまで想定してきたのは、市町村が同等の団体と合併し、町村が市に、一般市が政令指定都市に昇格するというような、住民にとって制度上不利益ではないと考えられること(合併には、実質的な不利益はありますが。)だけだからです。しかし、市を廃止し、それを分割し、権限が限定された特別区を設置することは、分かりやすく言えば格下げであり、伝統のある市を廃止するには、やはり直接その住民の同意が必要であると考えたところです。自民党のヒアリングでも、大阪維新の会顧問の堺屋太一先生が住民投票は必要であろうと意見を表明しています。

 みんなの党案には、基本計画の作成に当たって、あらかじめ総務大臣と協議が必要であるとしていますが、自民党案には明示されていません。しかし、後で関係法律を多数改正しなければならないので、それを地方の言うままに国が行うというわけにはいかないので、自民党案には書いていませんが、協定書の作成に当たって総務大臣の事前協議は必要でしょう。また、特別区設置決定後の手続については、みんなの党の方が検討が進んでおり、事務・財源配分等協議会の設置や当該協議会の内閣への意見書提出などが、示されています。この辺のことは、十分調整可能でしょう。

 今後は、自民党案について、公明党との調整を経て、一定の段階でみんなの党と協議したいと考えます。できるだけ早い時期に、特別区設置を可能にする地方自治法改正案を議員立法で国会に提出したいと考えます。

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日本経済をどうする(1月12日)

(金融緩和)
 円高デフレの不景気が続いています。いつも言いますが、デフレで好景気などということは、絶対にあり得ません。先ず円高をしっかり脱却すれば、経済はインフレへと動いていきます。人口が減少する中、なかなか経済の実質成長は望めません。名目成長でいいのです。物価とともに賃金が上昇するような経済に、持って行かなければなりません。

 そうした中、EUのギリシャに端を発する金融危機は、大きな心配要因です。ユーロが大幅に値を下げています。また、アメリカやEUがイラン制裁を決めました。中東の国家と友好関係を築いてきた日本が、今後どう対応すべきか、真剣に検討しなければなりません。イランからの石油が入って来なくなれば、本当に事態は深刻です。また、アメリカは、大統領選挙の年です。大規模な経済対策が実施される可能性があります。その一環として、大幅な金融緩和が行われる可能性があり、ユーロ安と合わせて、円高を更に加速させる懸念があります。

 この1年、私は、予算委員会で、政府日銀に金融緩和を求めてきました。白川日銀総裁は、いつも「資金は、潤沢に供給している。内需がなければ、景気対策にならない。」という答弁を続けました。しかし、今、東日本大震災の復旧復興という大きな内需が出てきているではないですか。今、復興増税をするよりも、直接間接を問わず、復興債の日銀引受けを検討すべきです。日銀は、「やるべきことはやっている。」といつも言いますが、規模がいつも小さすぎます。せめて二桁以上、すなわち10兆円、20兆円台の金融緩和を実施すべきです。

 金融緩和に対しては、日銀がハイパーインフレーションを恐れ、財務省が国債金利の増大を恐れ、金融庁が銀行担保の目減りを恐れ、及び腰になっています。もちろん、そうした懸念も理屈がないわけではありません。一方で、1,000兆円になろうとする国地方の借金があります。最近、「国と地方の借金は、返せるのか。」とよく質問されます。私は、「このままでは、返せない。」と答えています。「返せない。」と言うとお叱りを受けるので、「減らせない。」と言う方がいいのでしょう。
 
 家計でもマイホームを購入するときは、ローンを組みます。借金そのものが、悪いのではありません。財政の経験から、大体一般会計の3倍ぐらいの規模までなら、借金は大丈夫です。地方債は、200兆円台であり、問題はありません。しかし、国債は、国の一般会計規模の7倍を優に超えており、はっきり言って減らせる額ではありません。では、どうやって財政再建を実現するのでしょうか。それは、経済成長しかありません。GDPを拡大し、国家財政の規模を拡大するしかありません。インフレで、借金の実質負担を減らしていくしかないのです。だからこそ、円高デフレを退治し、緩やかに名目物価や名目賃金が上昇する経済にしていかなければなりません。

 こう言うと、「緩やかなインフレなどならない。」と言う専門家がいます。しかし、何もやらなければ、国家財政は、破綻します。これだけのデフレ状態で、急に大インフレになるのは考えにくいですし、仮にインフレが高じてくれば、それを抑える手法はいくらでもあるはずです。円高は、ますます製造業の空洞化を加速します。デフレは、国民の間の格差を助長します。製造業は、中間層を支える要です。しっかりと金融緩和を行い、円高デフレの元を絶つべきです。格差の拡大など様々な社会問題は、国家がきちんと国民を養える経済力を持たくなった所に起因しています。対症療法的な政策は根本的な解決につながらず、国家全体の景気浮揚を図ることが、最優先の課題です。

(消費税)
 そうした状況にもかかわらず、野田総理は、誰よりも消費税増税に突き進んでいます。一昨年の参議院選挙では、自民党が消費税率を10パーセントに引き上げることを公約にしました。それを当時の菅総理が「自民党を参考にして、民主党も10パーセント」と言ったものですから、選挙で大敗を喫したのです。率直に言って、新たな財源は消費税しかありません。いずれ消費税率を引き上げるのは、必要なことです。

 しかし、この円高デフレの不景気の最中に、消費税を引き上げるべきではありません。よく、野田総理は、所得税法附則104条を引用して、「平成23年度末までに法制上の措置を講ずることになっている。」と主張します。この条文は、自民党が与党時代に大議論の末作ったものです。その条文には、「経済状況を好転させることを前提として」と規定されているのです。この条件は、「法制上の措置を講ずる」に係っており、とりあえず消費税増税の法律を通しておいて、実施時期を後で調整するという意味では、決してありません。与野党の財政規律派の人たちは、そこをごまかしています。

 私は、自民党内で、消費税率の引上げは、「時期尚早である。」と主張しています。総選挙になれば、消費税引上げ問題に対し、自民党としてどう主張するのか、しっかりと検討をしなければなりません。しかし、仮に消費税を5パーセント引き上げるとしても、地方分を含め12兆5千億円程度にしかなりません。国債の発行額は、粉飾財源の交付国債を含め50兆円近くにも達しています。消費税を引き上げれば、財政再建が達成されるというほど、簡単な話ではありません。政府与党は、財政再建の道筋を明確に示すべきです。

(TPP)
 TPP参加交渉も、重大な問題です。現段階では、TPPの内容が全く不明確です。賛成派は自由貿易推進という総論を、反対派はその弊害について各論を述べます。議論がかみ合っていませんが、双方そんなに違うことを言っているわけではないのです。今の段階では、いずれも、予測に過ぎません。TPPというつづらを開けたとき、果たして金銀財宝が出てくるのか、蛇や百足が出てくるのかという予測を述べているのです。そうであれば、とりあえず政府に関係国と交渉させてはどうかという意見もあるでしょう。しかし、今の政府与党の外交能力では、必ず蛇や百足が出てきます。それを本気で心配しなければなりません。

(雇用)
 菅前総理は、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と言いながら、結局何もしませんでした。政府の予算に組まれたのは、雇用のマッチングのようなものばかりであり、雇用そのものを生み出すものは何もありませんでした。東日本の被災地においても、直接的な雇用対策は、いまだ全く講じられていません。雇用の維持が最も重要な政策であることは言うまでもありませんが、雇用は経済が生み出すものです。景気対策を講ずることなくして、雇用の維持ができるはずがありません。

 不景気が続く中で、格差が拡大しています。「非正規雇用」と位置付ければ、安い賃金で雇えるようにしたのは、大きな間違いです。法律にそんなことを書いたわけではありませんが、自民党政策の最大の誤りの一つでしょう。私が、予算委員会で、同一労働同一賃金の原則を義務付けることを求めたところ、政府は、検討を約束しましたが、いまだ何もしていません。日本の年功賃金制度は、変える必要はありません。しかし、同じ企業で働き、同じ労働をしている労働者は、同じ条件で雇用される必要があります。少なくとも、非正規労働者であっても、正規労働者の最低の賃金と同額の賃金を受けられるようにすべきです。

 製造業への派遣の禁止や最低賃金の大幅の増額を主張している人たちもいますが、それは、雇用を縮小させるだけであり、かえってマイナスです。今は、製造業の空洞化が進む中で、雇用の維持を最優先の課題とすべきです。

(経済成長)
 格差の拡大、生活保護世帯の増大など様々な社会問題が論じられていますが、最近、日本経済の衰退が最大の原因であると論じられるようになってきました。高齢化、国際化の中で、日本の経済が日本国民を養うだけの規模を失ってしまったと言えるのでしょう。もちろん、このことは、所得の向上の副作用でもあります。国際化に伴って、国際的な分業化が進み、我が国の中間層を維持してきた製造業の海外移転に伴う空洞化が進んでいるのです。

 だからこそ、円高デフレに終止符を打ち、悪くとも、名目的な経済成長を続ける必要があります。物価の上昇とともに賃金が上昇しても豊かになるわけではありませんが、マインドが大きく替わり、景気回復が実現していきます。繰り返しますが、デフレで好景気ということはあり得ません。金融緩和や景気対策なくして、増税ばかりしていては、本当に日本経済は破綻してしまいます。政治の中心を景気回復に置くべくであると強く考えます。

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