いそざき陽輔の
  ホームページ  

 参議院議員いそざき陽輔の活動について、お知らせします。
アイコン  私の主張  
 総裁選挙隔世の感(9.12)
アイコン  活動記録  
 議院運営委員会筆頭理事に内定(10.14)
アイコン  国会質問  
 掲載はありません。
アイコン   プロフィール  
アイコン      連絡先     

◎メールマガジン会員募集中。
詳しくは、下記PCホームページで。

私の主張

総裁選挙隔世の感
(9月12日)


 9月10日、自民党本部で、自民党総裁選挙の所見発表演説会が行われ、その直前の安倍総裁を支援する議員たちの見送り会で、麻生副総理が挨拶に立ち、大勢の国会議員を前に「6年前は、もっとシャビーだったんだよ。」と話されました。本当にそのとおりでした。

 総裁選挙のあった平成24年は、自民党は野党時代であり、4月頃から安倍元総理を支援するグループが少人数で会合を重ねていました。安倍さん自身も何度か会合に出席されましたが、一言も発せずに、主戦論を唱える者、慎重論を唱える者、ただ皆さんの話を黙って聞いていました。所見発表でもおっしゃったように「病気で政権を投げ出した自分に、もう一度立候補する資格があるだろうか。」と本当に悩まれていたのだと思います。

 私は、柴山議員と共に、党内の支援者を集めるために経済財政研究会の設立準備をしていました。まだ安倍さんから立候補の表明がない中、設立趣意書が完成したので、8月下旬、総裁選挙の公示があと2週間と迫る頃、議員会館に安倍さんを訪ねました。設立趣意書を説明し、「党内に配布していいですか。」と尋ねたところ、「そうしてください。」と安倍さんから返事がありました。私は、「今何とおっしゃいました。本当に配っていいのですか。」と聞き返しました。それが立候補の表明だったのです。

 しかし、まだまだ総裁選挙で勝てる見通しは全くありませんでした。私の属する最大派閥の清和政策研究会では、既に町村会長が立候補を明らかにしていました。清和研の役員をしていた議員の中で、同じ派閥の安倍さんを支持したのは、私だけでした。当時町村派参議院の清風会では谷川秀善元議員が会長を務め、清風会総会の場で、「礒崎君、安倍君は何と言っているんだ。」と、よくお叱りを頂きました。現清和研会長で当時の細田事務総長からは、「会を割らないようにしよう。」と、何度も連絡を頂いていました。私は、清風会総会で、「今回の安倍さんに対する支持は、清和研に対する不満というのでは全くない。」ということを強く訴えました。結果として、清風会では、事実上自主投票を決定しました。そのため、本体の清和政策研究会でも、町村さんの推薦を正式決定することはなかったと、記憶しています。

 その後、時間は前後しますが、長野駅前の街頭演説会場において、町村候補が倒れられるという事件が起きました。私も、出張していましたが、その場には居合わせませんでした。総裁選挙が終わった後、特定秘密保護法案の党内取りまとめなど様々な仕事の中で、私は、町村会長にずっと寄り添わせていただきました。後に衆議院議長に就任され、平成26年3月末に個人的にお祝いをさせていただきましたが、その約二十日後に病気が悪化され、議長を辞任されました。

 甘利さんが選対本部長に就き、選対本部体制ができると、衆議院では加藤現厚生労働大臣が、参議院では私が事務局長を務めることになりました。公示日には、私と柴山議員が立候補の届出に選挙管理委員会に出向き、私は幸運にも1番くじを引き当てました。東急ホテルに選対本部を設けると、突然政治評論家の三宅久之さんが呼吸器を付けた姿でお訪ねになり、「壁に事務分担も、グラフも貼ってないじゃないか。こんなことで、君たちは勝てると思っているのか。」と、大きな声でお叱りを受けました。もちろんホテルの壁に画びょうで表を貼るわけにはいかなかったのですが、大変恐縮したのを覚えています。そのホテルも資金不足から選挙期間中に引き上げ、選対本部を党本部に移しました。

 沖縄県の那覇市でも、街頭演説会が行われました。元総理とはいえ、安倍さんもその当時は一野党議員に過ぎず、随行は私と秘書の初村さんだけでした。私が党差し回しの会場行き大型バスに乗ろうとすると、選挙を管理する総務局の職員から「礒崎さんは、乗らないでください。」と、注意されました。会場には、多くの沖縄県民が集まっており、熱のこもった演説会となりました。私は、道路の反対側で聴衆の中に入って、安倍さんの写真を撮り続けました。私のコンパクトカメラで写した写真で、安倍さんのホームページの多くが作られていました。

 今回の総裁選挙ではほとんどしていませんが、6年前の総裁選挙での最大の仕事は、国会議員への勧誘だったのです。参議院では、世耕現経済産業大臣と私で、毎日議員名簿を突き合わせながらできる限りの勧誘に努めました。ただし、昔の総裁選挙とは違って?今ではお金が動くようなことはありませんから、真剣に説得するしかなかったのです。その後、麻生派と高村派が選対に合流することになり、戦う体制が次第に整ってきました。しかし、党員票では石破さんがかなりリードすることが当初から予測されており、何とか1回目の投票で2位に入り、決定戦に持ち込むのが、作戦でした。それでも、石原さんもかなりの党員票を集めるのではないかと見込んでおり、正直言って安倍陣営では勝つ気がしない総裁選挙を続けていたのです。

 選挙当日には、支援する国会議員が集まり、験を担いでカツカレーを食べて安倍さんを送り出しました。出されたカツカレーの量が多くて熱かったものですから、駆け付けた安倍さんが完食するまでに時間が掛かり、日程が押している中司会の私が気をもんだのを覚えています。後に3,500円もするカツカレーだと報道され、ネットを賑わせましたが、事実ではありません。

 結果、党本部で行われた1回目の投票では、党員票(換算票)も入れて、石破さんが199票、安倍さんが141票、石原さんは96票などとなり、作戦どおり2位にこぎ着けました。今思うと不思議なようですが、この時が一番感動的だったのです。休憩後の国会議員による決定戦で、安倍さんが108票、石破さんが89票となり、安倍さんが逆転勝利しました。この時には、「かなりの票が石破さんに流れたな。」という感じを多くの人が持ちました。この逆転勝利については、かつて福田赳夫総理が1回目で次点となって決定戦を辞退したこともあり、党員から批判があったのも事実です。そのため、今回までに、総裁公選規程が大幅に見直され、党員票のウエイトが大きく引き上げられました。

 前々回の総裁選挙について、回顧談を書いてみました。ある意味貴重な記録にもなるでしょうし、こうしたし烈な総裁選挙を知らない世代にも伝えておきたいものがありました。今回は党内の大宗を占める立派な選対が作られ、私も政府の職にあることから、余り表立った動きはしていません。地元で、党員への電話かけを主にしています。選対も、大分世代交代してきたようです。自民党として、国民の皆さんの共感が得られるような実りある総裁選挙になることを願います。

ページのトップへ


「私の主張」(既掲)

憲法9条2項問題とは何か
(8月31日)

霞が関の働き方改革
(6月26日)

|上へ|

詳しくは、下記PCホームページを御覧ください。
http://isozaki-office.jp
礒崎陽輔