いそざき陽輔の
  ホームページ  

 参議院議員いそざき陽輔の活動について、お知らせします。
アイコン  私の主張  
 小林實元自治事務次官の想い出(6.26)
アイコン  活動記録  
 憲法改正へ向けて(6.25)
アイコン  国会質問  
 掲載はありません。
アイコン   プロフィール  
アイコン      連絡先     

◎メールマガジン会員募集中。
詳しくは、下記PCホームページで。

私の主張

小林實元自治事務次官の想い出
(6月26日)

 6月18日(日)、元自治事務次官の小林實さんが御逝去されました。82歳でした。心から哀悼の意を表します。

 小林さんは、昭和33年に旧自治省に採用され、平成3年から5年に掛けて自治事務次官を務められました。地方財政のプロとして、最期まで地方自治を愛し、旧自治省を愛した人でした。元自治事務次官は立派な人ばかりですが、その中でも、昨年亡くなられた奥野誠亮元法務大臣(昭和13年採用)や現在も様々な分野で御活躍中の石原信雄元内閣官房副長官(昭和27年採用)と共に、退職後も旧自治省を支えてきた一人でした。ちなみに、元総務大臣の片山虎之助参議院議員も同期です。

 私は、昭和57年の入省ですが、最初の赴任地が北海道であったので、北海道見習いの後輩として小林さんの列に加えていただき、入省時から御尊顔を拝する機会を得ていました。「見習い」とは、旧内務省時代からの用語で、一般にキャリアの平職員のことをそう呼びます。私が初めて一緒に仕事をさせていただいたのは、北海道から帰任して2年目、財政局調整室の見習いとして着任した時であり、小林さんは、財政担当の大臣官房審議官をお務めでした。

 私は、建設省の担当をしており、通常国会で、同省提出法案の協議を担当していました。その中で、河川局提出のある法案にどうしても賛成できず、北海道時代の上司で後に総務事務次官を務めた香山財政企画官の指示で、局議で決着を付けようということになりました。直接の上司である調整室長は、後に最後の自治事務次官を務めた二橋元内閣官房副長官でしたが、二橋さんは、直前のポストが建設省河川局水政課長であり、正にその法案の担当課長だったのでした。

 財政局筆頭課長の財政課長は、後に奈良県知事を務める柿本さんであり、いろいろと諭されましたが、私は、なおも反対を唱えていました。その時、小林審議官が大きな目でぎゅとにらんで「礒崎君、仕方がないじゃないか。」とすごまれ、さすがの頑是ない私も、「分かりました。」とお答えしたところです。小林さんは、当時から大変な迫力と貫禄をお持ちでありました。

 また、その頃は、財政難から初めて公共事業の補助負担率の引下げが行われることになり、通常国会では連日地方行政大蔵委員会連合審査が行われ、竹下大蔵大臣と小沢自治大臣が答弁に立っていました。一国会で約千二百答弁を用意し、実際にも小沢自治大臣は約八百答弁をこなしていました。現在、国会答弁は、霞が関では課長補佐が書いているようですが、その当時は、見習いの仕事であり、これだけの答弁を財政課の現在高松市長を務める同期の大西君と分担して書いていました。

 その日も、数十問の答弁を私が書いて、課長補佐、室長の了解を得て、小林審議官室に入って説明をしていました。その頃、私の調整室では、「礒崎がなかなか戻ってこない。審議官に叱られているのではないか。」と、心配していたそうです。審議官室では、答弁の説明は早くに終わり、当時自治省ではワインがはやっていたので、小林審議官から「ワインを一杯飲んでいけ。」と誘われ、チーズをつまみに御相伴していたのです。しびれを切らした課長補佐が審議官室を偵察に訪れ、その姿を見て「局長が帰宅できないで待っているんだぞ。さっさと局長室に説明に入れ。」と、それこそ叱られ、審議官室をばたばたと退出したことがあります。当時の役所は、こんなにのんびりしていたのです。同期の皆さんからは、「お前だけだ。」と怒られそうですが。

 小林さんは、本当に、力強さと優しさを兼ね備えたすばらしい先輩、上司でした。国政選挙に出馬することになってからも、様々な御指導や御配慮を頂きました。国会議員になって10年間、私のパーティーや自治省のOB会でも、いろいろなお話を頂戴しました。そして、今、多くの皆さんが巨星墜つの気持ちを抱いていることでしょう。

 御冥福をお祈り申し上げます。

ページのトップへ


「私の主張」(既掲)

ジビエの産業化
(5月10日)

衆議院の選挙区割りの改定
(4月26日)

|上へ|

詳しくは、下記PCホームページを御覧ください。
http://isozaki-office.jp
礒崎陽輔